1-5.調査
十四郎を七峰家に置いたままにし、七々緒と半田が足を向けたのはそう遠くないとある住宅地。十四郎が“バケモノに襲われたらしい”旧鉄工所の跡地である。
少し辺りを見回せば、自宅の敷地内にある駐車スペースで洗車をしている男性やら、時折どこからともなく聞こえてくる子供の笑い声やら、家族の布団をまとめて天日干しする女性やらが、春休みの学生に今日が日曜であることを示してくれる。
「
七々緒がそんなことをぽつりと呟けば、隣を歩く半田が忌々し気に鼻を鳴らす。
「無知で鈍感っつーのは、ある意味幸せもんだな。——こんなに臭ェってのに」
普通乗車一台がギリギリ通れそうな道幅を挟み、向かって左手に古い空き家、右手に真新しい住宅地の内の一件が建つその丁度中央で立ち止まって言った。
所々錆色が見えるマンホール蓋に視線を落とし、鼻の辺りを親指で塞ぐようにしながら続ける。
「汚水が通ってるとこってのは、いつの時代もロクなヤツが通らねェな。蓋の隙間から
「——そうなんですか?」
「あ? ここまで間近に来りゃ普通に臭うだろうが――」
そこまで言いかけ、半田は何かに気付いたような顔をして、七々緒の足元を見やりながら意地の悪い言葉を投げた。
「ああ。そういや、烏ってのはバカ鼻バカ舌だったな」
『——おいおいおいおいおいおい! なんだなんだ! その失礼な物言いはっ! そもそもだねっ! 我等、鳥獣種は元々嗅覚なんぞ発達しているモノが少ないのだよっ! そのくらい常識だろうがっ! 愚か者めっ!』
――その時。
七々緒の足元――七々緒の形をした影の中から、やたら興奮した声が共に七々緒と半田の耳に届いた。
刹那、半田は感情が消え失せた顔で、波紋の広がった七々緒の影に向かって地団太の如くそこを踏み鳴らした。
『ばぶっぐえぇぇ!』
すると、牛蛙のような太い悲鳴が二人の耳に飛び込んでくる。
半田の足は止まらない。傍の住宅地側から少々、異様なものを見るような視線が向けられてきた気がしないでもない。
一体あの人達は何をやっているんだ、と小さな声もするような。
「……あ、あの~? どうかされましたか?」
「あ――」
丁度数メートル先の住宅敷地内から、車の洗車を行っていた40代くらいの男性が七々緒達に声をかけてきた。
七々緒にとっては、時々近所で見かける程度の名も知らぬ顔見知りだが――やはり、そこそこ人目を引いてしまっていたらしい。男性の不安顔がそれを物語っている。
こういう時、“普通の人間”はどういった反応をするのが正しいのか。
そんなことを考えながら、七々緒が表情を変えず言いよどんでいると、勢いよくマンホール蓋を踏んだ半田がやり切ったような様子で、男性に向かって口を開いた。
「申し訳ねぇ。さっき、このマンホールの隙間からゴキブリが出てこようとしてたもんで」
「ごっ、ゴキブリ!?」
「まぁ、出てきかけてたヤツは踏み落としたと思うんで。五月蠅くしてすんません」
「あ……い、いや、そういうことなら仕方ないよ。でも、外にもゴキブリっているんですねぇ」
「いますよ、割と。仕事帰りに一回、木の上から軽トラのフロントガラスに落ちてきたこともありますからねぇ」
「うわっ、それは嫌ですね……!」
半田と他愛ない談笑を一、二分交わし、不安顔から穏やかな表情に変化した男性は、軽く会釈をした後で自宅の敷地内で愛車の洗車を再開する。
七々緒はそれを一瞥し、半田へと意識を戻してつい一言。
「……時々、俺よりよっぽど愛想のいい人間に見えますよね」
「ぶっ殺すぞ、クソガキ」
「あ、はい。すいません」
瞬時に七々緒に向いた鋭い淡褐色に、異界の鬼王の片鱗が見えた気がする。
七々緒の鳩尾辺りが妙に重く、冷たく感じる。突然内臓に氷がぶち込まれたようだ。この感覚は確か――
(……“嫌悪”、だっけ。そっか、“人間っぽい”は地雷だった。)
精神内蔵が繋がっている分、半田の感情だけはダイレクトに七々緒に伝わってくる。
存外、この鬼王は感情豊かだ。そして、多分恐ろしい存在なのだ。言葉は選ぶべきだったかもしれない。
悲哀も悔いも感じさせないような表情でそんなことを反芻しつつ、すべきことを終えたらしい半田が徐に歩き出した後を、少し遅れて追いかけた。
「————あの、結局なにか
二歩分距離を取って歩く半田の背中に向かって、平坦な七々緒の声が投げられる。反応はない。
恐らく七峰家に戻っているのだろうが――無言なので確かではない。
さて――半田のこれは、怒っているのだろうか。どちらかと言えば、機嫌が悪いと言う方が正しいかもしれない。どちらにしろ、原因は先程の七々緒の言葉だろう。多分。恐らくきっと。
しかし、七々緒も“調査”に連れ出された身。何かわかったことがあるのならば、情報共有する権利くらいあると思う。半田とは、そういう契約のはずだ。
(俺は――この“鬼”の眼で、半身で、所有物だし……うん)
内心で小さく頷き、理論的に七々緒の考えが間違っていないことを確かめていく。
(そもそも――
逢魔が時の視回りは十年前からずっと、習慣づけされているものだ。
こちらに害をなす異質なモノが、現世をうろついていないか。何よりも、半田の“探し物”に繋がる異質なモノを見つけ出す為に。
とは言っても、この十年。見つけたのは前者の、異界から時たま逆流してくる異質なモノ――“はぐれの
(そういえば……)
そこまで思考を飛ばし、ふと七々緒は出掛けに聞いた半田の言葉を思い出した。
——
いつもの“はぐれ害妖”じゃない。なら、
不意に湧いた疑問に、七々緒が意識を持っていかれた時である。
「——ぶっ」
七々緒の顔面と、分厚く引き締まった背中が思い切りぶつかったのは。
じんじんと痛む鼻を押さえつつ、視線を背中の主こと半田に向ければ、彼は実に不愉快そうな顔で七々緒を睨んでいた。
「……てめぇな」
「すいません。完全に今のは俺の前方不注意です。過失割合10対0です」
「そっちじゃねェ」
「え?」
「こっちだ。さっきから、ゴチャゴチャゴチャゴチャと……淡々とした調子で頭ン中でタラタラ文句つけてきやがって」
そう言って、半田は軽く自分のこめかみを小突いてみせる。
どうやら繋がっている精神内蔵から、冷静ながらも不平不満と意見を投げつけていたらしい。
考え事や少し意識を集中させた時などに、よくやってしまう七々緒の悪癖だった。無論、半田限定のことなので半田以外には何の害もない癖だが。
「すいません。さっき地雷踏み抜いたのは俺が悪いと自覚してるんですけど……よくよく思い返してたら、つい不満が湧いてきて」
「てめぇはこの十年で、“言葉を選ぶ”っつーことを覚えられなかったのか」
「いや、貴方相手に言葉選んでも無意味で無駄でしょう」
「…………どこまでも可愛げのねェクソガキだな、っんとに」
腹の底から呆れたような溜息を吐き出し、赤みがかった前髪をくしゃりと描き上げながら止めた歩みを戻す半田。七々緒はその半歩後を追う。
本当に“半田社”と言う男は、ころころと表情や感情を変えるヒトである。
このヒトと感情諸々を共有しているのだから、もう少し七々緒にも感情表現の数があっても不思議でないのに――なんて、考えても仕方のないことをつい疑問に感じていると、またこちらを振り返った半田の表情が変わっていたことに気付いた。
「——だが、“
「!」
七々緒に向いた淡褐色の瞳が一瞬、妖しさを滲ませた黄金色に変わる。この顔は、半田社の顔ではない――“鬼の顔”だ。
「改めて酒入れて、現場の残り香調べてみりゃハッキリした。
「それは……いわゆる改造人間みたいに、人工的に創られた妖ってことですか」
「大まかに言やぁ、そういうこった。なんで十四郎の奴を狙ったかは、まだハッキリしてねェがな」
微かに不敵な笑みを浮かべ、少し先に見えた横断歩道に向かって行く。青信号に変わったばかりらしく、左右に数台の乗用車と軽トラックが見えた。
それらに視線を向けることなく横断歩道を渡り終え、車一台がようやく通れそうな
「——さっき」
「あ?」
「さっき、“別のモン”に創られたって言いましたよね」
「ああ」
視界に見慣れた七峰の生家と日輪寺が映り込むのを認識しながら、歩は止めずに淡先程抱いた疑問を淡々とした口調で投げた。
「それは人間に、ってことですか」
「ど阿呆。そこらへんにいる人間なんぞ、大抵材料にしかならねェよ。この世に出て来て、何かを壊そうとするようなもんを創る奴ってのは、何かしらのバケモンって相場が決まってらァ」
半田は振り返らなかったが、七々緒にはその返答の声がいつになく楽し気なものに聞こえた。
鬼と契り、縁結ひ 夏屋なつ @natu728
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