後日談 ボタンのゆくえ(後編)

「これ……」

「分かった?」

 わ、たまちゃんの目、キラキラしてる。

「じゃあ、頼まれたのって」

 ヤマケンから? と聞くと、珠美がすごい勢いでうなずいた。

「そっかあ……」

 2週間前の卒業式の日、奈津はヤマケンこと山本健司が登校するところを急襲した(といっても、待ち伏せしておいて、話しかけただけだが、襲うくらいの意気込みがないとできなかった)。そこで、第2ボタンをくれないかとダメ元で頼んでみたところ、二番目は予約済なので無理だが、一番目なら渡せると言われたのだった。

 その後、まったく期待しなかったというと嘘になるが、学校一の超人がわざわざ奈津のところまでボタンを届けに来てくれる少女漫画的展開は望むべくもなかったし、奈津としては、わずかな時間だが二人でまともに会話できたことが嬉しくて、それでお腹いっぱいというか、ボタンについてはほとんど諦めていた。

「覚えててくれたんだ……」

 わたし、嬉しい、のかな……まだ何だかぼんやりしている。

「なっちゃん、手紙も見てみてよ」

「え?」

 封筒にはボタンの他に便箋がはいっていた。ごくあっさりした、罫線だけ引いてある便箋。なんでそういうどうでもいいことが気になるんだろう。なんだか緊張してきた。

「安藤奈津様

 約束のボタン、大変お待たせしました。

 佐藤浩一が予約権を放棄したので、2番目をお渡しします。これが2番目であることは、佐藤と蟹瀬さんが証人です。

 安藤さんのおかげで転売を阻止できました。また、積年の恨みも果たすことができました。ありがとう。       山本健司」

 読み終えた奈津は、珠美の顔を見て言った。

「ヤマケンって……」

「うんうん」

「ヤマケンぽくない字を書くんだね」

「え?」

「大きめで読みやすいけど、もっとシャープっていうか、とんがった字を書くのかと思ってたよ」

「え? そこ! そこなの?」

 珠美が大声を上げ、すぐにやばっ、と口を押えた。と思ったら、みるみるうちに顔がくしゃっと歪んだ。

「もしかして、ボタンのこと、信じてもらえてないの……」

 どうしよう、と今にも泣きそうだ。

「いや、違うの。ごめんね。ちょっと字がイメージと違ってるなって思っただけ」

 ボタンも本物だってちゃんと分かってるよ、と慌てて奈津はとりなしたが、珠美は悲しそうな顔のままだ。と思ったら、ずいと奈津の方へ身を乗り出してきた。両手のこぶしを固く握りしめている。

「あのね。ヤマケンは卒業式の後、なっちゃんにどうやってボタン渡そうかすっごく考えて」

 たまちゃん、何でそんなに必死なの?

「でも直接なっちゃんに渡しに行ったら、絶対迷惑かけちゃうからって、またまた考えて」

「うん」

「なっちゃん、ボタン頼む時、私と同じクラスって話したでしょ」

 そういえば、そんな話をしたような……

「それ、思い出したみたいで」

 級友の佐藤浩一に話して、浩一と付き合っている珠美に渡りを付けてもらったらしい。

「でも三人で集まれる日がなかなかなくて、やっと昨日会えたの」

 遅くなってごめんね、と珠美にまで謝られてしまった。

「そんな、謝んないで、たまちゃん」

 ありがとう、と言おうとしたが、激している珠美は続けた。

「ボタンね。わたしたちの目の前で取ったんだよ。ファミレスで、ナイフ出して」

 一瞬ぎょっとしたが、ドライバーとかが一緒についてるちっちゃいナイフ、と解説がついたので、安心した。

「これが2番目、って確認しながら、制服から外したの。証人になってくれる? って聞かれたから、もちろん引き受けたよ」

 もう一人の証人、浩一については、普段から健司をおちょくり対象としか考えていないので、初めはふざけるばかりだった。当然健司は当てにしていなかったようだが、珠美が必死で頼み込んだ結果、承諾してくれたのだという。

 何だか、たまちゃんに大変なことさせちゃったなあ。申し訳なくなってきた。

「あとね。あんどうさんの名前、漢字でどう書くの、って聞かれた」

 アンドーナツの名前はからかわれることも多いが、音で覚えてもらいやすい。おかげで健司の記憶に残っていた。

 健司は、他の文章は家で書いてきたらしく、珠美から聞いて、空けておいた初めの一行に奈津の名前を書き入れた。

「だから、ボタンも手紙も本物なんだよ」

「分かったよ。たまちゃん」

 しゃべりや独り言が機関銃のようだと言われる自分がこうも黙らせられるとは。おそるべし、たまちゃんの熱意。

「心配しないで。ボタンが出てきた時から、ちゃんと本物だって分かってたよ」

 でも奇跡って、急に起きるとピンとこなくない? 奈津が微笑みながら言うと、うん、そうかも、と珠美はうなずいた。

「あのね。ボタンください、って頼んだ時は」

 そのまま気絶するかも、と思うくらい怖かった。でも、

「あの人、みんなが言ってるほど、冷たい人じゃなかったよ」

「うん、わたしもそう思う」

「きゃあきゃあ騒がれることにうんざりしてるだけで、女の子全員無視するわけじゃない」

 まともな話をまともにすれば、ちゃんと受け答えしてくれるのだ。話をしたのは15分か20分くらいの短い間だったけど、奈津の話を聞いて、質問してくれた。奈津がそれに答えるのも真剣に聞いてくれた。卒業生の第2ボタンの意味を知らなかったことには驚いたが。

 佐藤浩一が、自分のボタンを校内オークションにかけようとしていること、その想定される売値を知った時、“笑わない超人”は、笑顔さえ見せた。何より、こうして約束を守ってくれた。

 手の中のボタンをつまみ上げる。

「ボタン、もらっちゃった」

「うん」

「それも……第2ボタン」

「うんうん」

「超人ヤマケンの、第2ボタン」

「そうだよ!」

 おわ、なんかじわわーっと嬉しさがこみあげてきた。胸の奥が熱くなって、それから顔と耳が熱くなってきた。

「ほわあああ~」

 いつものように、額を叩く。左手でぺちぺち叩いて、その合間にボタンを握りこんでいる右手でごんごん叩く。ぺちごんぺちごんぺちごん……

「きた、やっとなっちゃんのそれ、きた!」

 珠美が指さして笑っている。

「たまちゃん、これってすごいよね?」

「すごいよ」

「ボタンだよ? そんで、手紙、直筆の」

 じきひつ~! と叫んだら、珠美もきゃああと叫び声を上げた。さすがに、カップルとギター少年がびっくりしたように振り返った。

「なっちゃん、すごい真っ赤。とくにおでこ」

 笑い転げている珠美の顔も、真っ赤だ。もう少しぺちごんを続けた後で、奈津は息をついた。

「たまちゃん、ありがとう。ほんとにありがとう」

 やっとお礼が言えた。

「ううん、こちらこそ」

 なっちゃんのおかげで、わたしも初めて話せたし、と珠美は微笑んだ。

「しかも、あんな近くで」

 そう言った後、珠美は何か思い出したように笑った。

「お店に入ってきた時のヤマケンね、帽子にサングラスとマスクして」

 すっごく怪しかった、とおかしそうに言う。何だか芸能人みたいだ。

 着席すると、珠美に断って健司はしばらくそのままの恰好でいたらしい。その後、ウエイトレスが水を持ってきて去り、さらに注文を取りに来て去り、料理が提供された後に、ようやく厳重な装備を外した。

 珠美に失礼だからと、なぜそんな怪しげな姿でいるのかは、浩一が説明してくれたそうだ。

「そうしないと、お水も料理もぜんぶひっくり返されちゃうんだって」

「どういうこと?」

「ウエイトレスさんが、ヤマケンに見惚れて固まっちゃうって」

「うそでしょ!」

 笑ってしまった。

「ううん、ほんとなんだよ」

 食事中、ウエイトレスが水を追加するためこちらに回ってくるのに、三人とも気づかなかった。お水のお代わりは、と急に声をかけられて、思わず顔を上げた時に、たまたま健司とウエイトレスの目が合ってしまった。

 あっと思った時には、ウエイトレスの手からポットが離れ――

「えーーっ!」

「でも、浩一先輩がそれを見事キャッチ」

 浩一いわく、健司を要因とするトラブルには慣れているのだそうだ。普段、仲間で集まる時は外食を避け、行くとしても男性の従業員が多そうな店を調べておいて、そこに入るらしいが――おれの超絶技をたまみちゃんに見せたくて、と笑っていたそうだから、浩一がなかば確信犯的に店を選んだようだった。

「今回のウエイトレスさんは、ちゃんと歩いて厨房に戻れたから、仕事熱心な人だって、先輩褒めてたよ」

 ふらふらしてたけど、と珠美が苦笑した。

「超人パワー、すごすぎ。漫画みたい」

「でも、ヤマケンならあり得そうでしょ」

「だね」

 二人で笑った。

「なっちゃんって、勇気あるよね」

 珠美がしみじみと言った。

「勇気?」

「こんなすごい人に、ボタンくださいって言えたんだもん」

「そうかな」

 当たって砕けろ的な? 本当は、来年受験する大学を迷っている時で、もしボタンがもらえたら難関校にチャレンジしよう、なんて願掛けの意味もあった。奈津が恥ずかしそうにしていると、珠美が言った。

「だって、みんなヤマケンのほしいって思ってても無理だって諦めて、誰もお願いに行かなかったわけでしょ。すごいよ」

 改めて言われて、偉業を達成したような気分になってきた。

「やってみるもんだねえ」

 うん、わたしえらい。よくやったわたし! 大きな独り言で自分を褒めた後、ふと思いついた。

「たまちゃん、佐藤先輩にはちょくちょく会うよね」

「え? うん、会うけど」

「佐藤さん経由で、ヤマケンにお礼状渡してもらうの、お願いしてもいいかな」

 ヤマケンのだいたいの住所は分かっているが、詳しく調べるのは気が引けるし、さらに郵便受けに直接手紙を入れるのは遠慮したい。それを珠美に伝えると、

「わたしはもちろん構わないけど」

 珠美はうなずきつつも心配そうに言った。

「浩一先輩、これで二度とお前の顔見なくて済む、とかさんざん言ってたからなあ」

 あれ、友達じゃなかったの?

「でも、頼んでみる。たぶん、ううん、きっと先輩はヤマケンに会うと思う」

 おちょくり相手がいないと、ほんとは寂しいんだから、と微笑んだ。

 奈津は珠美に礼を言うと、手帳を取り出した。あまり間を空けたくなかったし、珠美も待たせたくない。それに、ここはあえて凝った便箋や封筒じゃない方がいいような気がする。

 手帳からメモ用紙を一枚、丁寧に破り取って、書いた。

「山本先輩

 第2ボタン、確かに受け取りました。ありがとうございます。宝物にします。

 追伸、あの日はボタンのことばかり考えていて、大事なことをお伝えしてませんでした。ごめんなさい。

 ご卒業、おめでとうございます。   安藤奈津」

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Dragon-Jack Co. 金魚博士の青春(卒業~お礼参り) 千葉 琉 @kingyohakase

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