後日談 ボタンのゆくえ(前編)

 終業式の朝、登校した奈津が机に頬杖をついて、ぼんやりしていると、ふいに色白の小顔が目に飛び込んできた。

「おはよう! なっちゃん」

「あ、たまちゃん。おはよう」

 カニタマのたまちゃんこと蟹瀬珠美だ。相変わらず、ちっちゃくて可愛いなあ。

「わたし、なっちゃんに話があって」

 何だかすごく慌ててるみたいだ。

 あのね――と言いかけたところで、担任が入ってきた。珠美は後でね、と言いおいて、残念そうに自分の席に戻っていった。

 その後、終業式が始まるというので、立ち上がると、すぐに珠美がそばにやってきた。廊下に向かいながら話す。さっき慌てていると感じたのは遅刻ぎりぎりだったせいだろう。今度は声を潜めていった。

「あのね、さっき言おうとしたこと」

「うん、なに?」

「渡したいものもあるんだ。でも、ここじゃだめなの」

 ひどく周りを気にしている。

「今日の帰り、時間ある?」

 奈津が特に予定はないというと、珠美はほっとしたような表情を見せた。

「じゃ、後でね」

 話って、なんだろう。クラスメイトだし、みんなが呼んでいるから奈津もたまちゃん、と何となく呼んでいたが、実は特別に仲がいいというわけではない。普段はそれぞれ別の友達と一緒にいることが多い。奈津は珠美のことを小柄で可愛らしい、漫画に出てくるような女の子だと好感を持って眺めていたが、二人だけで話をするのは実は初めてかもしれない。

 まあ、後で分かるだろうと深く考えずに、体育館に入り、級友の列に並んだ。あれ、人が少ない、と思って、2週間前に三年生が卒業したのを思い出した。

 そっか、卒業したんだよね……心の中が、少し熱くなって、さらにほんの少し、しくりとした。

「はああ…」

 2週間前のことを思い出したら、ついため息が出た。かっこよかったなあ……

「奈津、ため息と独り言でかすぎ」

 すぐ後ろの友達に突っ込まれた。毎度のことだが、この癖はなかなか治らない。

 校長の話が終わったタイミングで、ふと視線を感じたら、一番前から珠美が振り返って、奈津に笑いかけているのが見えた。

 悪い話じゃなさそうだけど、いったい何だろう。


* * *


 クラス替えはあるにせよ、今の級友とは春休み明けにも会える。だから、三学期の終業式というだけで、あまり別れの気分はない。いつも一緒に帰っている友達に先に帰ってもらうと、奈津は珠美の姿を探した。珠美が、ごめん今日はちょっとと、友達に詫びつつ、別れを告げていた。

「なっちゃん、お待たせ」

 じゃ行こっか、と言ったが、珠美は何か考えている。

「なるべく、人がいないところがいいな」

 だから教室はNG。理科室と音楽室、視聴覚室に行ってみたが、当然ながら閉まっていた。珠美の所属する陸上部の部室は、部員がうじゃうじゃいた。

「屋上、しかないかな」

 屋上は屋上で人がいないわけではなかったが、先客のカップルは二人だけの世界に入り込んでいて、奈津たちが屋上への入り口の扉を開けても振り返りもしなかったし、同じく軽音部と思しき男の子はギターの音色と自分の声に酔いしれているようだったので、珠美はこの辺で手を打とうと思ったようだった。

 カップルからもギター少年からもほどよく距離をとると、珠美は座った。奈津もそばに腰を下ろす。

「待たせてごめんね」

 気になってたよね、と珠美が何か差し出してきた。何も書かれていない真っ白い封筒で下の方が少し膨らんでいる。

「頼まれたの。誰からかは開けたら分かるよ」

 珠美はすごく嬉しそうだ。

 珠美は何か事情を知っているらしい。この期待に満ちた表情からすると、今この場で開封した方がよさそうだ、と奈津は思った。

 中から出てきたのは、ボタン――制服のボタンだった。

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