第3章 超人のお礼参り

「あ~、なんで気づかなかったかな」

 悔しそうだ。

「お前の話をちょこっとでも信じた自分を、ぶん殴ってやりてえよ」

 うええ気持ちわりい、と壁に手をついて吐く真似をしている。こっちのセリフだ、と心の中で言って健司は話を進めた。

「まったく、何がオークションだ」

 どうせ儲けも独り占めするつもりだったんだろ、と言うと、

「いや、売れたらちゃんと分け前渡すつもりだったよ」

 も、もちろん五分五分で、と浩一が両の手のひらを突き出した。

「本当か? この際正直に話した方がいいぞ」

「えっと……七、いや八二」

「当然、八が俺だよな。物品提供者ってそんなに優遇されるのか。ありがとう」

「ま、まあな。当然だろ」

 声が裏返っている。内心は悔しくて仕方ないんだろう。ざまあみろ。

「嘘だよ。分け前なんかいらない」

 売るのも浩一に任せると言うと、一瞬浩一の顔が明るくなったが、

「ただ、もう俺のボタンの価値は暴落してるんじゃないかな」

 噂って広がるの早いから、と言ってやると、髪をかきむしってのけぞった。


* * *


 そのまま立ち去ろうとすると、浩一に引き戻された。計算通りだ。

「さっきお前が話したこと」

 全部嘘だよな、と青い顔をして言う。

「いや、八二で二ぐらいは事実が交じってる」

「二の事実ってどれだ!」

 浩一にしてみれば、どれが事実であってもぞっとするものだろう。

「それはお前の想像に任せ――」

「言えよ!」

 浩一の必死な様子が面白いので、もう少しからかってやりたい気もするが。

「まずは、ボタンの意味を俺が今日初めて知ったということ。これは本当だ」

「他には?」

「俺以外に、一人だけ」

「一人だけ?」

「“ヤマケンの第2ボタン”を予約したのが佐藤浩一だと、知ってる人間がいる」

「本当か? 誰だよ!」

 その問いには答えず、健司は続けた。

「もちろんその人物は、お前が本来の目的で俺のボタンを欲しがったとは思っていない」

 浩一は、当たり前だ! と言いたげな顔をした後、深く安堵のため息をついた。

「でも、人の噂ってどんな風に伝わるか分からないからな」

「な、何が言いたいんだよ」

「取引だ。その人は――」

 健司は第2ボタンを摘まんで持ち上げた。

「お前が予約権を放棄してこのボタンを譲ってくれるなら一切を忘れる、と言ってる」

「予約権だ?」

 怒りと笑いが混じったような妙な顔で、浩一は言った。

「そんなもんいるか! ボタンなんかくれてやるよ!」

「そうか。これで一件落着だ」

 安藤奈津には後でこっちのボタンを渡してやろう。健司が上着から手を離したところで、浩一がずるずると廊下の壁を背に座り込んだ。

「ああ、疲れた……」

 いつもとは完全に立場が逆だ。たまにはいいなと思っていたら、山田太朗と鈴木吉紀が連れ立ってやってきた。

「お、A組支部、元気か?」

 3年になってから太朗、吉紀とはクラスが別になったが、浩一を含めて2年時につるんでいた彼ら・ありふれたあず(メンバー全員がありふれた姓だから)とは今でもよく話をする。

「どうした、コーイチ」

 吉紀の呼びかけに、浩一が何でもないと言いつつ、げんなりした顔を上げた。

「ひょっとして、もう卒業気分に浸ってた?」

 太朗が茶化すように言い、ふと傍に立っている健司の上着に目をやった。

「お、まだ残ってんじゃん!」

 意外そうな、でも妙に嬉しそうな顔だ。

「何がだ?」

「いや、クラスの女どもがさ、お前の第2ボタンなら、金出しても欲しいって騒いでたから」

「あ、その話、おれも聞いたぞ」

 聞くたびに値が上がってくのな、と吉紀が笑いながら太朗に言った。太朗がうなずいて、にか、と笑う。

「だからさ、先にオレが貰ってそいつらに売りつけてやろっかなーなんて」

 ありふれたあずの面々は、一応自分にとって、数少ない友人のはずだが……。こんなのばっかりか! 

 健司がため息をついていると、

「太朗、そりゃいい考えだ」

 座り込んでいた浩一が手を上げた。

「女たちに狩られる前に、予約しといた方がいいぞ」

「あ、やっぱそう思う?」

「ついでに学校中に言いふらせ。“ヤマケンの第2ボタンはオレのもんだ、誰も手え出すな”ってな」

 わは、ははは! と、浩一はにこりともせずに乾いた笑いを発し、その後、

「おい」

 健司を見上げてきた。

「何だ」

「このおれ様から、最後に一本取ったことは褒めてやろう」

「それはどうも」

 全然嬉しくないが。

「お前のツラ見るのも、今日で最後だ」

 そう言いながら、ゆらりと立ち上がった。

「だが、この礼は必ずするからな」

 首洗って待ってろ! と健司に指を突き付け、浩一は教室に入っていった。

「今日で最後?」

 太朗がぽつりと言った。

「明日四人でメシ食う約束、忘れちまったのかな」

「いや、そっちはたぶんノリで言っただけだ」

 吉紀は笑ったが、すっとその顔を引き締めると、太朗の肩に手を置いた。

「そろそろおれたちも戻ろう。じゃあな健司」

「ヨッシー?」

 オレ、ボタンの予約がまだ――と言いかける太朗の頭をはたきながら、吉紀が小声で言うのが聞こえた。

「超人のお礼参りだ」

「お礼参り?」

「おれには聞こえたぞ、奴の心の声が」

「へ?」

 さすが吉紀、鋭いな。もう浩一で気が済んだから実行するつもりはないが、太朗には効くかもしれない。

 “次はお前らの番だ――”

「ひゃああああ!」

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