第2章 浩一の謀略

 物騒な奈津の心意気に礼を言いつつ、そのまま道の脇に寄ると二人で話を続けた。

「まだ、君に聞きたいことがあるんだ。でもその前に」

 誤解を解いておきたい、と健司は言った。

「俺はボタンの意味を君に教わるまで知らなかったし」

 佐藤浩一にとって、自分は単に“おちょくって遊ぶクラスメイト”であり、絶対にそれ以上の存在ではあり得ないと説明すると、奈津はほっとしたようにうなずいた。

「そうなると、浩一が俺のボタンを欲しがったのには、本来の目的とは違う別の理由があるはずだ」

「そうですね」

「君が思いつく限りでいい。他にボタンの使い道、ないかな」

 奈津は一瞬斜め上に視線を泳がせて、考えるような素振りをしたが、案外早く、ありますと答えた。

「もちろん佐藤さんが本当にそういうつもりなのかは分かりませんけど」

 仮定の話で構わないと健司が促すと、

「転売です」

 校内でオークションとか、と奈津の額が光った。本当だろうか。

「君だったら、入札する?」

 今日の“朝駆け”が不首尾に終わり、どのボタンも手に入れていなかったとしたら。

「もちろん、と言いたいところですけど、でもさすがにそこまでのお金はないから」

 わたしが競り落とすのは無理です、と奈津は残念そうに言った。

「そこまでの、って」

 たかが制服のボタンにそれほど高値がつくとは思えないが。

「いえ、すごい金額になりますよ」

 なんたって“ヤマケンの第2ボタン”ですから! と奈津の言葉に力がこもった。

「君の予想では?」

「みんなが熱くなったら、10万超すかも」

 思わず笑ってしまった。健司の手元に残っていれば、次回のゴミの日に制服とともに処分されてしまうものなのに。

「なるほど。分かった」

 その金額なら納得だ。

「あいつ、俺のボタンを売るつもりだ」

 間違いない。しかも、売り上げ総取りで。ふざけやがって。卒業する日まで俺をおちょくるつもりか。

「安藤さん、いろいろ教えてくれてありがとう」

「いえ、とんでもないですっ!」

「ボタンは、後で必ず君に渡るようにするから」

 奈津は健司に向かって眩しそうに手をかざしながら、やはり、ほわああ~と発した。


* * *


 奈津と別れ、健司が教室に入ると、まだ半分ほどしか来ていないクラスメイトの中に、浩一の姿があった。

「おはよう」

 挨拶を交わすなり、話があると健司は浩一を廊下に連れ出した。

「何だよ、改まって」

 そばの柱に寄りかかった浩一は上機嫌だ。健司が声をかける直前まで、カニタマのことでも考えていたに違いない。

「実はさ」

 今日この歳になって初めて“卒業の日の第2ボタン”の意味を知った、と健司が言うと、浩一は声を上げて笑った。

「ったく、お前らしいよ」

「浩一は知ってたんだよな?」

「ボタンのことか? そりゃあな」

 少し呆れたように言う。

「中学ん時、周りで騒いでなかった?」

「さあ」

 自分は気付かなかったと健司は言った。

「おれさ、妙に地味~な子からボタンくれって言われたんだけど」

 やっぱそれでも悪い気はしなかったな、と嬉しそうだ。

「そうか」

 健司は考え込むような表情をつくると、浩一の肩に片手を置いた。

「じゃあ、お前はボタンの意味を分かってて、その上で俺のが欲しいって言ったんだな」 

「は?」

 浩一の眉が片方あがる。健司は続けた。

「“卒業式が終わったらおれに第2ボタンをくれ”“他の誰にも渡すな”って言ったってことはそういう意味、なんだろ?」

「いや、え? なんだそれ」

 笑顔が引きつっている。

「確かに、悪い気はしないな……」

「ち、ちょっと待て!」 

 浩一は叫んでおいて、慌てて自分の口を塞いだ。左右を見回す。

「ごめん、2年からずっと一緒だったのに、俺、お前の気持ちに全然気づかなかった」

 いつからだ? と尋ねると、“ムンクの「叫び」”のような状態のまま、首をぶんぶん振った。

「ち、違う」

 そうじゃねえんだって、というかすかな訴えを無視して、

「お前が太朗や吉紀をけしかけて、俺をおちょくってたのも、今思えば俺の気を引きたかったってわけだな」

 さりげなく嫌味をまぜてみた。

「待て健司、落ち着け」

 今日のお前変だぞ、と急に声を落として言う。

「変なのは浩一の方だろ」

 落ち着き払っている健司を見て、浩一はますます狼狽したようだった。周りの視線を気にしてか、さらに小さな声で言った。

「お前、女専門だったよな?」

「専門? 俺そんなこと言ったかな」 

 思わせぶりに言ってやると、浩一が顔を硬直させて一歩後ずさった。

 普段ならこんな小芝居をやろうなんて思いもしないのだが。転売阻止のついでに、今までおちょくられた借り、全部返してやる。

「これさ」

 軽く息をつくと、健司は第2ボタンを摘まんだ。

「昨日からいろんな子がくれって言ってきたけど、予約済みだって全部断っといたから」

 ひゃあああ、と奈津ばりの声が上がった。

「冗談じゃねえ!」

 喚きながら頭を抱える浩一に、廊下を通る生徒たちが怪訝そうな視線を送った。畜生、と毒づいたと思ったら、浩一が健司の腕をつかんで強く引いた。廊下の端まで移動する。

「おい」

 向き合うと襟元めがけて腕が伸びてきた。払おうと思えばできたが、わざとつかませておいた。

「まさか、予約したのおれだって言ってねえだろうな」

「え?」 

 言っちゃいけなかったか? と表情で示すと、

「お、おれの青春が……」

 両手で自分の身を抱えて震え出した。

「たまみちゃーん!」

「ああ彼女か。もうカモフラージュは必要ないぞ。自分に正直に生きていいんだ」

 浩一の顔が蒼白になった。しばらく口をぱくぱくさせていたが、やがて何かを振り切るように言った。

「予約のこと誰に話した? 教えろ」

 自分にはまったく“そっちの気”はないと、一人一人に説明し誤解を解くと言う。

「誤解? どういうことだ?」

「おれが、本来の意味でお前に第2ボタンくれ、なんて言うと思うか!?」

「じゃあ、なぜ欲しいなんて言った?」

「高く売れると思ったんだよ!」

 奈津の言ったとおり、オークションを開くつもりだったと言う。

「女子の話聞いてたら、15万はいくとか言うからさ」

「そうか……やっと白状したな」

 健司が言うと、数秒の後、浩一ははっと何かから目覚めたような顔をした。

「健司、お前」

 このオニ! 悪魔! と喚くのを正面から冷ややかに眺めてやった。

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