第4話 幽霊のこと

「幽霊」という言葉に、良い思い出は無かった。

ホラーが苦手とか、実は見えるんだとか、そういう事ではない。

あれは僕が中学に入学した頃に遡る。

あの頃の僕は、兄の同級生を発端にして「弟くん」と呼ばれる様になっていた。

僕が小学校、兄が中学校と離れていた2年間で、兄は本格的にバスケ部での成果を上げ、学校の有名人になっていたのだ。

本来僕に近い存在の同級生たちからも、兄の弟という認識をされて、先輩の弟と呼ばれていた。

あの頃の僕は、じっとしていても兄さえいれば気にかけてもらえて、話しかけてもらえて、独りきりにならないのだと安心して、いつも1人でいた。

次の年になって兄が中学から卒業すると共に、僕は少しずつ興味を失われ、弟と呼ばれないようになっていった。

それからの僕は、間違いなく孤立していた。

そんな僕を、周りは密かに「幽霊」と呼ぶ様になっていた。

休み時間になると毎回の様に図書室へ消えたり、教室の隅で本を読み続ける僕に、存在感が無いという意味でつけたあだ名に違いなかった。

いくら密かに呼んでいたって、女生徒のヒソヒソ話から、男子生徒の冗談から、僕の耳に飛び込んで来た。

悪意は無かったと思いたいけれど、もしかしたら悪意があってそう呼んでいたのかも知れない。

きっとどこにでも、集団に属さない人間に対して意味の無い悪意を向けたがる人間はいるだろうから。

周囲が僕の事をそう呼んでいると初めて気が付いた時、今まで同じ学校に通う兄の存在が、僕を守っていたんだと気が付いた。

密かに囁かれる「幽霊」という言葉を聞くたび僕は神経を耳に集中し、身をかたくして、向けられるかもしれない悪意からの不安に耐えていた。

それでも露骨にいじめられたりはせず、そっとしておいてくれたのだから、僕はとても幸運だったのだろう。

否定されず、かといって肯定もされず……そこに居るだけの人間。きっとそう思われていた。

そして高校生になった今も、また「弟」と呼ばれている。

来年兄が卒業すると同時に、僕はまた幽霊に逆戻りする可能性が大いにあった。

大切な時期をずっと一人ぼっちで過ごしていた僕に、それを回避する打開策は未だ無かった。


「翔ちゃん、話が有るんだ。」

僕は1限が終わるとすぐに3年生の教室まで飛んで行き、翔ちゃんを捕まえた。

兄に関係のあるかもしれない、春休みに見た髪の短いナナコ。

そして昨日出会った髪の長いナナコ。

3年生の教室前をいくらうろついても出会えない彼女の所在を確かめて、早く答え合わせがしたかった。

翔ちゃんはいつも誰かと楽しそうに話していて賑やかだから、見付けるのは簡単だった。

「どしたの、そんな真剣な顔して。」

そう言いながら、翔ちゃんはすぐに僕を連れて人のあまり来ない廊下まで移動してくれた。

3年生の教室があるブロックは、廊下の突き当たりが美術室と準備室になっているから、次の時限に美術の授業が無ければ、とても静かだ。

「あの、昨日人探しをしてるって言ったでしょ?」

僕は恐る恐る切り出した。

もしナナコが変人として認識されていて、僕も同類と思われたらどうしよう。

変な心配が先走った。

「言ってた。もしかして名前が分かったのか?」

翔ちゃんはまだ何か勘違いしているのか、ちょっと楽しそうな顔をしている。

「写真持ってたんだ。ナナコさんって云うみたい。」

僕は翔ちゃんの表情を無視して、昨日兄が見えないよう拡大しておいたナナコの写真をスマートフォンに表示すると、翔ちゃんに向けた。

翔ちゃんはその写真を見るなり、みるみるうちに怪訝な表情になっていった。

「真一、こういうのはあんまり関心しないぞ。」

そう言うと、翔ちゃんは僕の頭を掴みわしわしと撫で付けた。

それを無視して僕は続ける。

「……どういう事?」

「おい、まさか知らずに探してるって事は無いだろ?」

僕は話が掴めず、翔ちゃんの顔を見ながら首を左右に降った。

翔ちゃんはもう1度写真を覗き込んで、うーんという声を漏らしてから、腕を組み考える素振りをして、ようやく口を開いた。

言いづらい、そう顔に書いてあるようだった。

「この子、木野菜々子さんは……先月亡くなってるだろ?」

その言葉を聞くなり、僕は頭から氷水をかけられたような気持ちになった。

自分が間の抜けた表情をしている事を自認しつつ翔ちゃんの顔を見ると、翔ちゃんは困ったように僕を見ていた。

「知らずに探してたのか。木野さんは春休み中に亡くなってるから、一応うちのクラスだけど、席は無いぞ。」

昨日会ったあのナナコが、亡くなってる。

翔ちゃんがこんな嘘をつくような人ではない事を、僕はよく知っていた。

「2年生と、3年生は知ってる。集会があったから。何せ春休みに起こったコトだし、新入生がいたずらに噂したり、怖がったりしないように箝口令が敷かれてるからな。小さくニュースにもなってるから、あんまり意味ねえけど。」

同級生には言うなよ、と釘を刺して、翔ちゃんは話を締めくくった。

何故関わりが無い筈のナナコを僕が探しているのかと質問される前に、逃げるように短くお礼を言い、この場から離れた。

予鈴が鳴る。

僕は茫然としたまま自分の教室へ急いだ。

昨晩僕は、髪の毛の長さくらいならなんとでも誤魔化せるじゃないか、と思い直していた。

だから、きっとナナコの言う幽霊という言葉は、タチの悪い冗談なんだと。

それなのに、これはどういう事だろう。

彼女は、本当に幽霊なのだろうか?

その思いだけがぐるぐると渦巻いていた。

二限の授業が始まると、僕は教科書の影にかくれ、こっそりとスマートフォンで「木野菜々子」と検索した。

様々なニュースサイトが何件も連なって表示される。

そのタイトルを見ただけで、彼女がどうして亡くなったのかが分かった。

兄はきっと、突然すぎる彼女の死によって、魂を枯らしている。

僕はそう確信した。

であれば、僕はこれからどうすべきだろう?

木野菜々子は、実の父によって命を奪われていた。

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ヒア アフター@休止中 野分 十二 @iamjuni

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