第22話「ハナサキ」 ―花咲千夏編―
俺の通う学校と彼女の通う学校との合同行事。
その終盤に行われる催しには、『舞踏会』というのがあった。
それは彼女の父親が、主催する交流会のようなものだ。
だけどその裏で、彼女の父親が秘密裏に計画していた許婚同士の顔合わせ。
俺はその事実を知ったのは、移動中の車の中だった。
何もかもが遅すぎた結果が、これという何とも言えない味気なさだ。
覚えていなかったというより、忘れていたのだろう。
言い訳になるかもしれないが、勿論わざと忘れていた訳ではない。
ただ記憶の上書きがされていて、古い記憶が深い所に潜ってしまっていたのだ。
今更、何かを言っても仕方の無い事だけども、彼女は良いのだろうか。
俺なんかが許婚という事になっていて、彼女は何を思っているのだろうか。
彼女は昔の事を、どれくらい覚えているのだろうか。
「お兄ちゃん?」
「あ、な、何だ?遥、飯か?」
「舞踏会まで来たのに踊らないでご馳走を食べるのは、マナーとしてどうなの?」
受け皿に盛り付けている途中で、遥はそんな事を言い出す。
「遥、お前は昔の事をどれくらい覚えてる?」
「急な質問だね。部活動してる時は、そんな事を考えてる余裕は無さそうだったけど?」
皮肉混じりに言われた事は、否定は出来なかった。
俺は確かに、許婚という事実を思い出した瞬間に、頭の中がクリアになったのだ。
真っ白で何も思いつかないし、何も考える事は出来なかった。
中学生の頃の記憶の中でも、一番印象のあるはずなのに記憶が深くなかった。
覚えている鮮度が古いのかは知らないけど、スッポリと抜けていたのだ。
「――アタシが覚えているのは、お兄ちゃんが舞踏会の途中で抜け出しちゃったぐらいかな。それ以外の記憶は、多分お兄ちゃんには関係ないと思う。ほとんどお父さんたちの付き添いだったし」
「そうか。でも覚えてるんだよな。あいつの事も」
「ちーちゃんの事、覚えてるけど。印象が強かったからねぇ。だってお兄ちゃん、お兄ちゃんがアタシに紹介したんだよ?そこを思い出さないと、いけないんじゃないかなぁ」
俺が遥に紹介しているという事は、俺が妹と仲良く出来ると思ったからだろう。
それに至るまでの過程があるはずだ。
当時の遥は人見知りで、俺をパイプにしなくちゃ人と話す事が難しかった。
それで今はあれだけ打ち解けているのだから、相当話しているはずだけど……。
「……だめだ。思い出せない」
「記憶喪失じゃあるまいし、お兄ちゃんが覚えている部分から探してみれば?舞踏会はまだ時間あるし、この学校内から探すのもアリじゃない?」
「そうだな。悪いけど、ちょっと留守の間頼むな」
「あいよ~」
気の抜ける返事を背中で聞き、俺は舞踏会の会場から走って出る。
すれ違い様に、俺は彼女と目が合った。
『少し待ってて欲しい。俺が完全に思い出すまで……』
そう伝わるはずのないテレパシーを送って、俺は会場を走って出て行った。
======================================
「どうしたんだろ、お兄さん」
「…………」
勢い良く出て行った彼の姿が目に入り、その瞬間に目が合った。
何かを言っている気がしたけど、それを考える余裕は今の私には無い。
余裕もないし、考える資格もない。
覚えていなくちゃいけない約束があったはずなのに、詳しい内容だけが思い出せないのだ。
「どうするの、ちーちゃん?」
「ハルちゃん……」
飲み物を持ったドレス姿の彼の妹が、そんな事を聞いてくる。
その表情は、今までの表情よりも真剣で優しかった。
「別にちーちゃんがあの人を欲しくないのなら、そのまま保留にしてくれても構わない。アタシにはあの人が必要だから。でもちーちゃんがあの人と幸せを望むなら、アタシは二人を応援する側に回るだけだよ」
「……それは」
「舞踏会の時間は決まってるから、チャンスは今日だけ。今日を逃せば多分、二度と会う事はないと思うよ」
「そんな!お兄さんとせっかく会えたのに?なんで?」
彼女の言葉に、瑠璃ちゃんが反応する。
彼は実の兄とはいえ、彼女にとっては大事な存在。
彼との幸せを望んでいない状態で、付き合う事を許さないのは当然だろう。
「何でっていうのは簡単だよ。アタシ自身がお兄ちゃんを好きだからだよ。そのお兄ちゃんが選ぶ人なら反対はしないけど、そのお兄ちゃんを
その言葉を言う彼女の表情は、真剣から優しさが消えて冷たい物と変化した。
「――まぁお兄ちゃんの事はアタシが良く知ってるし、お兄ちゃんが何を忘れてるかなんてのは知ってるんだけどね。でもこれは二人の問題だから、アタシは手を出さないよ。頑張ってね?ちーちゃん♪」
最後に笑みを浮かべて、彼女は去って行った。
流石に身体全体に来る物があったけど、あそこまで言われたら引くに引けない。
本当はこの事実を無かった事にしてもらおうと思ったけど、あそこまで喧嘩腰で来られたなら私にもプライドというものがある。
「え、えっと千夏ちゃん?抑えようよ、ねぇ。ねぇってば」
「瑠璃ちゃん。私、決めた。あの人に会ってくるから、ちょっと待ってて」
飲み物を瑠璃ちゃんに手渡して、私はそのままスカートを摘んで走る。
人が群れていたが、そんなのは関係ない。
私はもう、何かを忘れたままでいるのはダメだ。逃げるのはもう終わりだ。
そう思いながら、彼の姿を追う事にした。
「――遥ちゃん、あれはいくらなんでも煽り過ぎだよ?」
「そう思う?」
「うん」
「そう。……アタシだって、本気だもん……」
「遥、ちゃん?」
瑠璃の視線は下に落ち、彼女の震える手を見た。
遥の肩も震えだし、やがて誰にも見られない場所で崩れ落ちるのだった。
======================================
中学の頃にあった舞踏会。
親の用事に付き添って、慣れない正装をした俺は堅苦しい空気に参っていた。
その場の空気は大人の世界とでも言うべき場所だった。
当時の俺は、飽きてしまって思わず抜け出した。
そこまでだ。思い出せるのは……。
その後に何があって、俺が彼女を妹に紹介しているのだろうか。
それだけが分からない。
探さないといけない。俺の為にも、何よりもあいつの為にも……。
「――ここって?聖堂だよな」
昼間に歩いて流れ着いた場所だ。
この場所は俺も知っている。そんな気がする。
俺はそう思って躊躇はしたものの、大きい扉を押し開く。
無断で入ってはいけないとも思ったが、何かがあると思って中へと足を運んだ。
少し埃っぽくて、何年も使われていないような雰囲気だ。
空気も篭っていて、全体的に酸素が少ない感じだ。
「中身は思ったより綺麗だな。でも全体的になんだろ、小さいな」
手で触れても、目で見ても分かる程小さい。
子供が、かくれんぼや秘密基地のような遊び方をしてもおかしくはない。
「秘密基地、ね。懐かしい考えだ」
一人で呟いて、全くおかしな俺だな。
今日一日、色んな事があり過ぎて困っているのかもしれない。
俺に許婚が居た事なんて、正直覚えていなかったのだから仕方ない。
普通は大事な事で、忘れてはならない事なんだよな。こういうのって。
でもリアルの話では、そうそうに無い話でもある。
だって現実味がないし、まだ俺自身が信じていない。
確証を持ちたいっていうのもあるから、今俺はこうして出歩いている。
逃げるといってもいいのだけど、逃げずには居られないのだ。
「――不法侵入ですよ、先輩」
「――――」
急に声を掛けられ、裏返った悲鳴が漏れてしまった。
「ぷっ……くくく、何ですか、今のは。ぷっ……」
「そこ、声を我慢しながら笑うな…………」
そう言って振り返ったら、俺は言葉を失ったかもしれない。
遠くで分からなかったが、ドレス姿が絵になるなこいつ。
「何ですか、じっと見て。私の顔に何か付いてますか?」
「あ、いや……なんでもない」
「そうですか。先輩はここ知ってるんですか?」
「あ、あぁ。なんとなくだけどな。昔にな、遊んだ事あるような気がするんだよ」
「そうですか」
はい、会話が終了してしまった。
何を話したらいいのか、さっぱり分からん。
だけど何故だろうか。こいつといるのは、結構嫌いじゃない。
許婚と言われても、俺にとっては後輩のようなものだ。世話の焼ける相手だ。
二人目の妹と言っても過言じゃ……。
「――あぶねぇ!」
「え――」
考え事をしている際、俺は多分上を見る癖があるのだろう。
それのおかげで、俺は気づいた。気づけた。
天井から落ちてきた木製の板だけど、当たればその重さで怪我をするだろう。
「だ、大丈夫か?花咲」
「大丈夫ですが、背中が痛いです」
「あ、悪い。うわっ!?」
彼女の安否を確認しようとして、俺は今の体勢にやっと気づいた。
急な事で引っ張る事は出来ず、押し倒す形になってしまっている。
顔も近いし、少しでも押されたらキスをしてしまいそうな距離だ。
「あ、あの……」
みるみる内に顔を赤くする彼女。
ドレスも少し汚れてしまい、瞳には涙が浮かび上がっている。
「あ、す、すまん」
俺は離れようとした瞬間、その手を思い切り掴まれた。
馬乗りのような感じになっていて、涙目の彼女が良く見える。
「――先輩、無理に思い出さなくて良いです」
え――?
突然言われた言葉。彼女はそのまま続ける。
「今ちゃんと知り合ったようにしたら、別に良いじゃないですか。覚えていないのなら、私は別にそれでも良いです。私も正直覚えてるのかと聞かれれば、自信ないですからお互い様です。でも1つだけ良いですか?」
俺の腕に小さい力が走る。彼女が俺の腕を掴んだ手に、力を入れたのだろう。
「……あぁ」
だけど痛みはない。気づけば肩も腕も震えている。
寒いのかとも思ったけど、俺はそんな事を考える余裕も無さそうだ。
昔に会った少女と彼女の面影が、完全に一致してしまったのだ。
ドレス姿もあの頃と変わらなく似合っていて、俺は再度見惚れていたのだろう。
「この際昔の事は関係なく、今の私は先輩が好きです。無理矢理かもしれないけど、これは決して許婚の話とは関係ないです。私は最初、先輩の事は眼中に無かったです。アウトオブ眼中です」
「それだけ言われると軽くショックだな」
「でも先輩は遅刻しそうな私も、不良に襲われそうになった私も助けてくれました。まずは、あの時は有難う御座いました。嬉しかったです」
「たまたま通りかかっただけだ。俺は可愛い女の子が襲われそうになったから、ただ助けただけだ。男なら普通だろ?」
「それは普通じゃないです。普通は見て見ぬ振りがほとんどです。先輩のはレアケースですよ。馬鹿ですよ。先輩が普通だったら、他の人が可哀想ですよ。ほんと」
「そこまで言うか」
酷い言われ様だ。馬鹿なのは否定しないけどさ。
「でも先輩は、また助けてくれました。今もこうやって、昔みたいに」
「覚えて居ないんじゃなかったのか?」
「少しだけ思い出しました。だから今言いました」
指摘すると拗ねるようにしてそっぽを向いた。
その仕草が少し可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。
「何が可笑しいんですか?相変わらず失礼ですね」
「……はぁ……良い場面が台無しだな」
俺は起き上がって、手を伸ばして言った。
離れた事によって、肌寒い空気が身体を包んでいく。
「お前はそれでいいのか?」
手を引っ張り、俺はそう聞いてみる。
起き上がった彼女は、汚れたドレスを叩かずに頷く。
♪~~――。
舞踏会場から、曲が聞こえてくる。
緩やかで壮大な曲だけど、このお嬢様学校に似合う綺麗な音楽だ。
何の曲は分からないけれど、自然と落ち着ける曲というのが印象。
俺は小さく手を出して、彼女の方を向き直った。
「――俺とどうだ?」
「……じゃあ、1曲だけ。ちゃんとリードして下さいね?先輩」
彼女は俺の手を取り、聞こえて来る音楽に合わせて動き始める。
慣れてはいないが、俺の体が覚えているのだろう。
踊り始めて、こいつとの出会いを思い出す。
踊っている彼女の姿は、小さいけれど、とても綺麗で大人びていた。
――俺たちは踊り続けた。曲の最後まで。
その最中とはいえ、少しずつ思い出していたのかもしれない。
この曲が終わったら、俺は何を言うか。
――私は踊り続ける。約束が果たされるまで。
もう完全に思い出せた。私の幼い頃の記憶。
この曲が終わったら、私はその言葉を言おう。
「お待たせだ。千夏」
「はい。会いたかったです。彼方」
雪月花 ―冬の終わりに咲く花― 三城 谷 @mikiya6418
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます