一コマの傍観 〜一コマシリーズ4

阪木洋一

二年三組


「……ふぅ」


 最近のことである。

 我がクラス、二年三組の委員長である小森こもり好恵このえが、遠い目をしながら、小さく溜息を吐いているのは。


 例えば、英語の授業中。

 

「小森、この英文、訳して見ろ」

「…………」

「? 小森?」

「………………この国では日が昇るのは早く、沈むのは遅い」

「せ、正解。って、小森?」

「……日……太陽……」

「小森、聞こえているか? 座って良いぞ」

「……はい…………ふぅ」


 問題に答えつつも、レスポンスの速度が妙に遅かったり。


 例えば、体育の授業中。校外の持久走にて。


「もう、この登り坂、キッツーイ。小森さんもそう思わない?」

「……坂」

「って、小森さん、そっち道違う!? そりゃ平坦な道の方がいいけど!?」

「……平坦……平ら……」

「聞いてない!? しかもなんだか足早い!? ペースも落ちていない!? 小森さん、小森さーん!?」

「…………ふぅ」


 ナチュラルにコースアウトしていったり、


 例えば、家庭科の授業中。調理実習にて。


「よし、生地はこんなものかな。あとは型取り……って、委員長!? ちょっと作り過ぎじゃない!?」

「…………」

「型が全部ハート型なんだけど!? そんなにハートクッキー作ってどうすんの!?」

「………………」

「あ、でも、焼き上がりの調節は絶妙ね……って、まだ作ってる!? しかも同じ型!? 委員長、ストップ、ストーップ!?」

「………………ふぅ」


 ただただ、無心で調理していたり。


 そして、昼休みの今も。


「……ふぅ」


 解放感あふれる、二年三組の教室内の一角の自席で。

 少し丸みのある頬に杖をしながら、眠たげな眼差しの先はどこか虚空に向かっていて、焦点が定まっていない。


「小森委員長、最近になってああだな」

「普段は、ぼんやりとしているように見えて、クラスをよく見てるんだけどね」

「……今は、外見のままに、ぼんやりとしてるね」


 そんな彼女を、クラスの生徒達は遠巻きに眺めてヒソヒソ会話するのだが。

 もちろん、当の小森には聞こえていないし、何より他の物が見えてないようにも見える。

 このままでは、永遠にああなっていそうだ、というクラス内の見識の中、



「すんませーん、桐生きりゅう先輩、居るッスか」



 一人の男子生徒が、二年三組の教室内に声をかけてきた。

 小柄な背丈に女の子みたいな顔立ちで、制服の胸の校章は一年生の色。

 名前は、平坂ひらさか陽太ようた

 最近、よくよくこの教室に来るので、クラス内でもわりとお馴染みの後輩である。

 それもこれも、


「おー、平坂、なんか俺に用か」

「あ、居た居た、こんちはッス、アニキ!」


 今、応対に出た男子生徒と部活が同じで、平坂少年が彼のことを兄のように慕っているからか。

 目的の人物を見つけて顔を輝かせる様は、まるで主人に尾を振るわんこみたいである。

 二年三組の女子では、彼を眺めて和むのが密かなブームになっていたりするのだが、それはともかく。


「アニキ、姫神ひめがみから伝言ッス。今日の部活、学外に変更だそうで。放課後、校門に集合とのことッス」

「そっかー。わざわざサンキューな」

「お安いご用ッスよ。普段から世話になってるアニキのためだったら、例え火の中水の中、何処にいても伝言を届けるッス」

「うん、ありがたいけど、もっと自分を大事にしような」

「んじゃ、オレはこれで」

「ん? 平坂、小森いいんちょと話していかねーの?」

「え……!」


 と、桐生に言われて、平坂少年は固まった。

 それもそのはず。

 平坂少年は、我がクラス委員長の小森好恵に慕情を抱いているのだ。本人は隠しているつもりだろうが、二年三組の生徒達にとっては、約一名を除いて全員が知るところである。

 で。

 その約一名――小森好恵はというと。


「……陽太くん」

『!?』


 先ほどまで、窓際の自席でぼんやりと虚空を眺めていたはずが。

 ――いつの間にか教室の入り口まで移動していて、少々そわそわした様子で桐生の後ろに控えていた。

 二年三組の生徒達は、その移動の過程がまるで見えなかった。


「あ、こ、好恵先輩、こんにちは」

「……こんにちは」

「…………」

「…………」

「げ、元気ッスか」

「……うん、元気」

「…………」

「…………」

「い、いい天気ッスね」

「……そうだね」

「…………」

「…………」


 ともかく。

 挨拶をしたらしたで、会話が続かない二人だった。

 ただ、二人の間の雰囲気はそこまで悪くない。

 むしろ良い。

 良いのに、停滞している。

 というか、滞留している。

 そんな空気に、桐生を除く、クラス内の生徒達は――


 なんか言えよ……よ! 早よ!


 全員一致で、そう思わずには居られない。

 平坂少年がここに来るようになった当初、小森は、彼のことを可愛い犬を見るような眼で見ていて、クラス内の女子と同じような雰囲気で和んでいたのだが。

 ここ最近では――なんだか、和むという空気を通り越して、それ以上にほわほわした何かが浮かんでいた。

 しかも、平坂少年に至っては、前回来た時は『小森先輩』呼びだったのに、今は『好恵先輩』呼びである。

 一体、何を境に、二人の間にそのような変化が……と気になるところではあるが、それよりも。


「えっと、好恵先輩」

「……うん」


 お?

 平坂少年、何かを切り出すようだ。

 これは、進展が見られるか?


「次の日曜日……その、暇ッスか?」


 おお~。

 いわば、デートのお誘いというやつか。

 なかなか思い切ったことをする。


「うん……」


 対する小森も、暇があるようだ。良い流れ。

 お膳立ては整った。

 それゆけ、平坂少年!


「この前、『Sea&Wind』のスペシャルスイーツメニューの無料券二枚、もらったんス。一緒に行きませんか?」


『…………!!』


 その時、教室内の生徒達約半分以上に焦燥走る。

『Sea&Wind』とは、我が校近くの商店街の一角に存在する、経営する夫婦の仲の良さが評判の喫茶店である。

 普段はコーヒーと軽食を商っているのだが、現在、今月末までパンケーキを中心としたスペシャルスイーツメニューを取り扱っており、主に十代から三十代の女子に大人気だ。

 デートの目的に於いて、女の子が喜ぶチョイスとしては、上出来の部類に当たる。

 問題はというと――


 そのメニュー、土曜日で終わってしまう……!


 本日、9月27日の水曜日。

 メニューは、先述の通り今月末まで。

 つまるところ――9月30日の土曜日まで。 

 それに、平坂少年は、気づいていない……!?


「……陽太くん」

「はい?」

「……それ、土曜日までだよ」

「え……!?」


 ……あちゃー。

 小森も、それを知っていたようだった。

 平坂少年、やはりと言うべきか、狼狽も露わにする。


「え、えっと、じゃあ、ど、土曜日は――」

「平坂、送り出してやりたい気持ちではあるが、明日からその土曜日まで、部内で大事な活動があるぞー。しかもその活動、おまえの提案だろ」

「う……!」


 桐生のちょっと窘めるような指摘に、ダメージ。


「……陽太くん、土曜日は、わたしもダメなの。家の方で、用事があって」

「うぐっ……!」


 しかも、小森の方も不可能な日程だったようで、さらにダメージ。


「…………ぬぅ」


 ……あーあ、ダメだこりゃ

 瀕死の様相の平坂少年を見て、クラス内の誰もがそう思う。

 もう、どうしようもない。

 進展どころか、後退もあり得るか……という空気の中。


「……陽太くん」


 小森、俯き加減の平坂少年を、上目遣いで呼んで。


「……日曜日、一緒に行こ」

「え……ど、何処にッスか?」

「……『Sea&Wind』」

「で、でも、スペシャルメニューは」

「……スペシャルメニューがなくてもいいから、普通に行こ」

「い、良いんスか?」

「……うん」


 頷いて。

 彼女は、小さく、柔らかく微笑んで。



「……陽太くんと一緒にゆっくりお話出来るだけでも、楽しいと思うから」



『!』

 二年三組、教室内にいるその場の人間全員が、仰け反った。


 天使か?

 ――我がクラスの委員長、マジ天使か……!?


 誰もがそう思った。

 常時、何事にも動じない桐生でさえ、『……おおぅ』と唸っている。

 で。

 その天使に直面した、平坂少年はと言うと。


「――――」


 燃え尽きていた。

 ゴトリ、ゴトリと身体の何処かから音を漏らしながら、ただ灰になっていた。


「……陽太くん?」

「あ……は、はい、では……つ、次の日曜日で、良いッスか?」

「……うん、楽しみ」

「オレも……楽しみッス」


 本当に力を振り絞った様子で、平坂少年がどうにか受け答えしたところで。

 昼休み終了五分前の予鈴が鳴った。


「じゃ、じゃあ、好恵先輩、また今度」

「……うん、ばいばい」

「アニキも、また放課後に」

「おー。改めて伝言、サンキューな」


 挨拶を交わして、平坂少年は教室を出ていく。

 教室を出た瞬間、


「う……ぐ……ううううううぅぅぅ~~~……!?」


 うなり声を上げつつ、乙女のように顔を押さえて廊下を赤面ダッシュをするのが、廊下側の窓際から見えていた。

 かたや、小森好恵はと言うと、


「……ふふ」


 先ほどの溜息の午後状態から打って変わって、ほわほわしており。

 いろんな雰囲気を浮かび上がらせながら、自席に着いていた。

 これにて一件落着、と言ったところだろうが。

 一つだけ。

 誰もが、思う疑念がある。


「……ねえ、桐生くん」

「んー、どした?」


「あの二人……付き合って、ないの?」

「? 付き合ってないぞ」


『ナンデッ!?』

「お、おおぅ……なんでって言われてもなー」


 あれだけのイチャイチャを見せつけておきながら。

 まだ、交際する男女の関係ではないと言う、事実がある辺り。


「幼なじみとかでもなく、付き合ってもないのに、あんな会話するか、フツー」

「つか、小森委員長、最近の溜息状態からの今の上昇モード、もう確定だよな?」

「確定なのに、明日以降も、白黒付けてないままで、ああいうの見せつけられるわけ?」

「やってられるか……」

「早よ、すっきりくっつけよ……!」

「ありえねー、マジありえねー」

「なんか悔しいから、今度、平坂にパン買いに行かせてやる……!」

「五分だな」


 とまあ、モヤモヤする二年三組内の会話を余所に。

 話題の中心――小森好恵は、未だに自席でほわほわしていたのだが、


「……あ」


 と、何かに気付いたようで、そのほわほわ空気を一時停止させた。

 その一時停止に、一同、『?』と注目するのだが。



「……わたし、先輩だから、陽太くんに奢ってあげなきゃ」



「おいいいいいいいいいいぃぃ!?」

「やめてあげてっ!?」

「ただでさえ失敗してフォローされた上に、そこまでされるの、結構来る物があるから!?」

「むしろ小森さんが奢られる方だから!?」

「委員長、そこまで平坂少年に入れ込む理由なんなの!?」

「なんてやつだ平坂、ぜってぇゆるせねぇ!?」

「絶対に、パン買いに行かせてやる!?」

「三分だ!?」


 ふんす、と決意をする小森を、クラス全員で止めにかかるのと、昼休み終了の本鈴が鳴るのは同時であった。 


 ともあれ。

 二年三組が、二人をいろいろな意味で見守る日々は、まだまだ続きそうである。

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