おもちゃのスコップ

 自宅マンションのベランダから公園が見える。さほど大きな公園ではないが、午前中からよく、子どもたちが遊んでいる声がした。その声を聞くたびに、あんたも早く結婚して孫を見せてほしい、という母親からの言葉が脳内に染み渡る。涼介はもう、何年も恋人はいなかった。

 公園は二年ほど前、老朽化した遊具を全て一新したらしく、綺麗なすべり台やブランコがここから良く見える。新しく出来た遊具もあったが、姿をけした遊具もあった。

 聞いたところによると、老朽化が進んでいたということに加え、子どもが落ちて大怪我したことがあったそうで、安全面を考慮した結果、撤去が決まったそうだ。

 平日の朝7時の公園は、ふだんは人がいないのだが、きょうは公園内に女性の姿があった。ここからでは距離があるため、年齢は判別できないが、服装からして若く見える。27歳の涼介よりすこし若いだろうか。

 女性は公園内で、まるで何かを探しているかのような様子だった。草木を掻き分けたりして、ずっと何かを探していた。公園の外では、不審そうに公園内の女性をのぞく人の姿が見える。深夜よりは不審さはないが、朝早くに女性が一人で公園内を歩き回っているのはやはり不審だ。スクールガードの人間に見られたらなおさら怪しまれて、通報されかねない。

 涼介はしばらく眺めていたが、室内に戻ると上下ジャージに着替え、小さめの財布と携帯を持ち自宅を出た。


 公園内に入ると、女性はこちらに気付き、感じのいい会釈をした。涼介の身体にまとわりついていた、彼女への不信感はすぐに消えていった。

 公園は砂場を挟んで、遊具のある場所と、ボール遊びが出来る場所に分かれていて、遊具側は木々が植えられている。冬場なので、虫はほとんどいないだろう。

「なにかさがしてるんですか?」

 涼介が尋ねると、女性は申し訳なさそうに笑ってうなずいた。その顔には幼さがうかがえ、年齢はおそらく、23歳くらいだろう。

「息子のおもちゃのスコップを、探してるんです」

「おもちゃのスコップ?」

「はい。プラスチック製の、黄色いやつで。おくでらひろとって名前シールが貼ってあるんです」

「こんな早くから探す必要のあるものなんですか?」

 涼介の言葉に、彼女はいろいろな感情の混じった顔でうなずいた。

「じゃあ手分けして探しますよ。手伝います」

 涼介が提案すると、彼女は首を横に振った。

「え、いやそれは申し訳ないです」

「大丈夫ですよ。それに、ひとりで探してるより二人で探すほうが怪しくないですよ」

 涼介が笑いながら言うと、彼女は少し驚いていた。自分が周りからどう見えるか気にならないほど、必死に探していたのだろう。

「怪しく見えますか?」

「女性が1人、朝早くに公園内をウロウロしているようにしか見えないですからね。みんなまだ通勤や通学中だし、人目につきすぎますよ」

 女性は確かにそうですねと苦笑いを浮かべた。

「だから手伝いますよ」

「でも、あなたも仕事とか‥‥」

「俺は大丈夫ですよ。なんというか、融通のきく仕事なので。手分けして探しましょう」

 女性はうなずくと、宏美ですと自己紹介し、そしておねがいしますと言った。


 公園は狭いため、探せば見つかるはずなのだが、どこにもなかった。草木の間や、木の上を探してみたりしたのだが、見つかるのはゴミだけだった。それは宏美も似たようなもので、サッカーボールを見つけた以外、それらしい収穫はなかった。しばらく探したが、宏美に疲れが見え始めたので、涼介は休憩を挟みましょうと提案した。

 公園外にあるマンション下の自動販売機で、涼介はコーヒー、宏美はココアを買った。

「へえ、涼介さんは小説家なんですか?」

 涼介と宏美はブランコに腰掛ける。軽く身体を動かしたあとのコーヒーは、格段においしかった。

「ええまあ。といってもたいした作家ではないですけどね。まだ知名度は低いし、深夜にアルバイトして生活できるレベルです」

 風が冷たく、ホットコーヒーがすぐ冷めてしまいそうだった。涼介は温かいうちに飲み干そうと思い、一気に飲む。ぬるくなったコーヒーほどまずいものは、この世にないのではと涼介は思う。

「でも、楽しいですか?」

 涼介は宏美にそう言われて、しばらく考える。日中に小説を書いて、深夜にバイトをする。そんな生活がもう5年続いていた。その5年間、生活するのに必死で、楽しいかどうか考えたこともなかった。

「そうですね、いま考えたら、それなりに充実はしてますし、楽しいですよ。執筆中、この作品を書き終わったら筆を折ってやるってことばかり考えてますけどね」

 物語を産む苦しみは辛いものだ。自分の中にあるものをすべて作品につぎ込むので、書き終わったら空っぽになる。これ以上は書けないのだ、といつも感じる。

 しかし、しばらくするとまた書きたくなる。その繰り返しで、作家人生を送ってきた。

「妊娠に似てますね。陣痛とかひどいし、産んだあとはもう子供はいらないと思うんですけど、また欲しくなってしまうんです」

「妊娠と作家はよく似ている」

 涼介が言うと、宏美はそうですと笑った。

「お子さんはいま、何歳なんですか?」

 涼介の言葉に、宏美はしばらく沈黙する。ためらっているような、そんな印象を涼介はうけた。

「3歳です。もうやんちゃで困ってて。こうやってスコップも無くすし。でも楽しいです。日々‥‥成長する姿が見れますしね」

「子どもは好きですけど、子育てって大変そうですよね。親として、子どもを守る責任ってどんなものより重要ですし」

 宏美は、その言葉に何も言わなかった。ただひたすら、遠くを見つめ、何かから目を背けようとしているようだった。

 

 休憩を挟み、捜索は再開したが、やはり見つからなかった。

 探せば探すほど、本当にこの公園で落としたのだろうか、という疑問が浮かんだ。不毛の地で畑を耕すような、無駄な行為なのではないだろうか。

「本当にこの公園で落としたんですか?」

 涼介が聞くと、宏美は自信なさげに言った。

「そのはずなんですけどね」

「ここまで探してないなら、ここではないか、ここにあったが、誰かが持って帰ってしまった可能性はありますよ」

 意図的が偶然かは分からないが、涼介は誰かが持って帰ったような気がしていた。

「そうなんですかねやっぱり。でも見つけたいんですよね。ひろとのお気に入りだから」

「新しいのを買ってあげたほうがいいかもしれませんよ」

 涼介は、おもちゃのスコップがいくらするのか知らないが、そんな高いものではないだろうし、買ったほうがいいと思った。

 しかし宏美は、首を横に振った。頑なに縦に振るのを拒むかのようだった。

「あの子はあれがお気に入りだったし、仮に全く同じものを買ったって、それはもう前のものとは違うものです。あのスコップには、わたしや旦那、友達と遊んだ思い出が詰まってますから」

 彼女は捜索を再開した。涼介は、いったい何がそんなに彼女を駆り立てるのだろうと思った。いくら子供のためとはいえ、朝早くに探しに来なくてはならないものとは思えなかった。

 涼介もスコップの捜索を開始する。しかし、もう探しつくしたし、むやみに探すのはやめようと思った。涼介は、原点に戻るという意味で、砂場に座った。

 仮にここで遊んだとして、置いて帰ったのなら、砂場においてあってもいいはずだ。もちろん、それがいつの話かにもよるが、可能性は高い。

 涼介は幼少期の数少ない記憶の中で、小さな公園での祭りを思い出す。砂場に埋められた貝殻を探すというゲームをやって、高得点を取ったのだ。そのとき砂場でウルトラマンフィギュアが埋まっているのを見つけたことがあった。

 涼介は埋まっているかもしれないと思って、土をさわり、軽く掘っていく。山を作って穴をあけて水路を作ってみたり、泥だんごを作ってみたりしたこともあったな、と涼介は懐かしい気持ちになる。母はあまり土遊びなど汚いと言っていて、良くは思っていなかったようだが、父はむしろ率先してやりたがった。遊びに全力を出してくれたのだ。言ったことはないが、理想の父親像は、自分の父親だ。

 しばらくあちこち掘ると、スコップの持ち手が顔を出した。涼介はその持ち手を引き抜くと、スコップが姿を現す。名前シールが貼ってあり、おくでらひろと、とマジックで書いてあった。

「ありましたよ!」

 草木をかき分けている宏美に声をかけると、彼女は小走りに走ってきた。そしてスコップを手に取ると安堵のため息をついた。

「ほんとだ、ひろとのだ! よかった! ありがとうございます。助かりました! なにかお礼させてください」

「いや、良いです良いです。ただおもちゃのスコップを探しただけですから」

「でも‥‥」

 涼介は彼女の言葉を遮る。

「俺、すぐそこのマンションですから、ここで遊んでるの見かけたら、もう一度会いに来ます。そのときひろと君と一緒に遊ばせてください。それがお礼ってことでいいです」

 涼介が笑って言うと、宏美は今にも泣き出しそうなほど目に涙をためておじぎをして、帰っていった。

 涼介は、しばらく宏美を見ていたが、姿が見えなくなったので、砂場をならして公園を出て自宅に帰った。


 普段は使わない路線の駅を使うために、自宅を出て歩き始めた。エッセイの仕事が入ってきて、少し遠くへ足を運ぶことになったのだ。

 国道沿いを南下していると、前方から母親とその子どもが歩いて来る。可愛らしい男の子で、小さな足で一生懸命歩いていた。涼介は母親を見て、それが宏美でないことを確認すると目をそらした。

 あれから何度か公園をのぞいて見ていたが、宏美が現れることはなかった。時間をずらしたりしても、一切見かけることはなかった。

 彼女の家が少し遠くて、いつも違う公園で遊んでいるのだが、たまたま何かの理由であの公園で遊んだだけなのかもしれないな、と涼介は思った。

 しばらく歩いていると、横断歩道のガードレール脇に、花や飲み物などが置いてあるのが見えた。国道は車通りが多く、時々ではあるがここで事故も起きていた。ここでの事故は最近のことなので良く覚えている。認知症をわずらった老人が運転する車が歩道に乗り上げて、歩いていた家族を跳ねた事故だ。その事故で、父親が重傷、母親は無傷、そして3歳の子が亡くなったらしい。センセーショナルに報じられていて、可愛らしくてかっこいい男の子の写真を何度かニュースで見た。

 涼介は足早に通りすぎようとして、ふと足を止めた。その花やお菓子の中に、黄色いおもちゃのスコップがあった。それは、見覚えのあるものだった。涼介はまさか、と思った。瞬間的にその場にしゃがみこんだ。そして、そのスコップをゆっくり手に取る。行き交う人は多かったが、気にならなかった。

 そのスコップの持ち手部分に名前シールが貼ってあった。名前シールには、おくでらひろと、そう書かれていた。


〜了〜

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ショートショート集 海辺悠宇 @umibe-yuu82345037

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る