箱男の告白

 翻訳家の仕事には、なにも昔から、英語が好きだったからついたというわけではなかった。少しでも気の利いた理由があればいいのだが、残念ながら俺には持ち合わせていなかった。

 高校を出て、とにかく広島を出たかった俺は、東京の大学に進学し、語学を学んだ。語学を生かせる仕事は何があるのかと調べ、行き着いたのが翻訳家だった。読書は好きだったし、海外の翻訳小説も読んでいたから、別に嫌な仕事ではなかった。

 夜8時すぎに、エントランスの郵便受けの郵便物を回収するため部屋を出た。たかが1、2分だが、鍵はかける。むかし知り合いが、ゴミを捨てに行った数分の間に空き巣に入られたことがあって、それを聞いてから俺は、必ず鍵は締めるようにしていた。

 3日とり出さなかった郵便受けの中は、さほど量はなかった。ひとり暮らしだったし、重要なものはすくなかった。

 その中に、ひとつ奇妙なものがあった。それは封筒に入った便箋だったが、宛先も、送り主の全くないものだった。つまり、直接入れられたものだった。可愛らしいくまの封筒が、余計に不気味さを際立たせている。

 部屋に戻った俺は、便箋の入った封筒を除いて、デスクに置いた。そしてベッドに腰掛けると、封筒をあけた。便箋は内側に折られていて、余白に、親愛なる岡﨑くんへ、と書いてあった。その下には、箱男と書いてあった。安部公房の箱男から取ったのだろうか。

 便箋は数枚入っていたが、俺は本能的に今すぐ捨てたほうがいいような気がした。自宅の住所を知っているという気持ち悪さや、箱男と名乗る異常性が、俺の生存本能を呼び起こして、危険を告げていた。その一線を超えてはいけないと。

 だが俺は、同時に読まなくてはいけないような気がした。読んで知らなくてはならないことがあるような気がした。

 しばらく、どうしようか、と悩んだが、結局読むことにした。

「ぼくはある日、名前を捨てた」

 手紙の出だしにはそう書かれていた。


 ぼくはある日、名前を捨てた。だから君は、ぼくの名前を聞いたって覚えていないだろうし、ぼくの存在すら記憶にないと思う。匿名性を維持している間は、誰もぼくの存在を思い出せない。

 先に断っておくけど、箱男という名前には特に意味はないからね。別になんだってよかったんだ。ジョン・ドゥでも、アラン・スミシーでもね。匿名性を維持さえできれば。だから君が安部公房からなにかしらヒントを得ようとしたってムダってこと。

 さて、ぼくがなぜ、ぼくを覚えていない君にこんな手紙を書いたかというと、告白をしようと思ったからだ。2人の少年Aと少年Bのことをね。君は名前を知っているし、もちろんぼくも知っている。だけど、彼らは罪人だ。だから、少年A、少年Bと呼ぶ。ぼくは2人を“殺した”という告白を今ここでしようと思う。


 俺はそこまで読んで、顔を上げる。周りの世界的が、さっきよりも暗くなったような気がした。

 箱男が少年A、少年Bと書いた二人は、俺の友達だった。中学からの友達で、高校も同じところを通ったが、ある日二人は消えた。同じ日に消えたのだ。それは公開捜査されたことで、メディアにセンセーショナルに取り上げられた。

 いろいろな噂があった。ヤクザに攫われて殺された、北朝鮮に拉致された、シリアルキラーによって跡形もなく殺されたなど、どれも根も葉もない噂だった。

 けっきょく2人は半年、1年と経っても見つからなかった。ただ家出しただけだろうと思い込みたかったが、時間が経つに連れて、2人はもう生きていないのではないかと思うようになった。

 箱男はその2人を殺したと言った。冗談だと思ったが、一蹴できない本気さがそこにはあった。


 ぼくはいじめられていた。AとB、そして君にね。本気で面白がっていたのはAとBだけど。今でも思い出すよ。AとBのいじめている時の顔。ほんとうに楽しそうにいじめていたんだ。

 最初は悪口だけだったけど、次第にいじめはエスカレートして、暴力はもちろん、葬式ごっこや万引きの強要もされたよ。あの2人はね、ぼくのことを人間扱いなんてしなかった。

 自殺しよう、そう考えた。死に方ばかりパソコンで検索した。首吊りや薬物に飛び込みなどいろいろね。でも自殺できなかった。

 君は自殺した人の画像見たことあるかい? ひどいものだよ。飛び降り自殺した死体は、体があらぬ方向をむいてて、脳みそは飛び散ってるし、電車に飛び込んだ死体は、四肢が引き裂かれてるんだ。なかでも服毒自殺がいちばん嫌だったね。泡吹いて顔が苦悶の表情で歪んでるんだ。数分間死ぬことが出来ずに苦しんだ顔を、今でも夢に見る。自殺できれいな死に方は出来ないんだよ。

 自殺は怖くてできないけど、いじめられたくはない、そのためにはどうしようか、と考えてそして決めたんだ。殺そうってね。

 そのとき、ぼくは自分の名前を捨てた。ぼくは何者でもない人になったんだ。ぼくはぼくではない、箱男となったんだ。だからAとBを殺すのは簡単だった。テストの問題で耳って書くくらい簡単だった。でもただ殺すのは嫌だったから、彼らを徹底的にいじめることにした。

 AはSNSで女の子を漁っていて、彼女たちに恥ずかしい写真を送らせていたし、Bは彼氏持ちの女子と付き合っていた。弱みにつけこんで、服従させるのは簡単だった。

 二人を監禁して支配し、ぼくがやらされたことを二人にもやらせたし、ボクシング経験者の不良を使って、無慈悲で残酷なまでに、一方的な暴力を加えた。やめてくれと2人は泣いて懇願したが、やめなかった。ぼくがやめてと叫んだ時、A、Bは辞めてくれなかったからね。

 2人が公開捜査されたとき、最後の仕上げにぼくが殺した。名前を名乗ったことで匿名性が失われ、ぼくが誰なのか2人は知った。今でも思い出すよ。あの2人の絶望した顔。ぼくをいじめていた2人が、ぼくに家に帰りたい、親に会いたいと泣きじゃくるのは爽快だったよ。

 ぼくはナイフを取ると、2人を刺した。もちろん死ぬときも苦しませたよ。

 遺体は適当にバラバラにして山奥に埋めた。興味があれば行ってみるといいよ。同封した紙に位置が書いてあるから。

 

 俺は気持ち悪くて吐いた。その告白の手紙からは嬉々として殺人の告白をしているように感じられた。告白の衝動が抑えられないみたいだった。

 だが、一番気持ちが悪いのは、何者でもない箱男の名前も顔も思い出せないことだった。2人と共にいじめていたことも、それに加担していたことも、箱男に関する記憶がまるでなかったのだ。


 ちなみに君をなぜ殺さなかったのか、きっと気になってると思う。君は覚えていないだろうけど、君とぼくは友達だったんだ。

 小学生のとき、君とは同じマンションに住んでた。学校は違ったけど、同い年だったしよく遊んだ。君の家にはゲームがあって、よく対戦したよ。ぼくの家にもたまに来てくれてね。読書を勧めたら、君はハマってくれて、同じ作家を好きになったんだ。翻訳家になったらしいけど、ぼくは君には小説家になってほしかった。それだけの才能があったし、君の書いた本を読みたかった。

 ぼくらは中学も違うところだったけど、よく遊んだ。一緒に映画とか観に行ったんだよ。だから高校で同じになれたとき嬉しかったんだ。でも、君はぼくを守ってくれなかった。良心の呵責はあったのだろうけど、いじめに加担した。

 憎かったけど、君だけは殺せなかった。友達を殺すなんて出来なかったんだ。

 とはいっても、君にもやはりなにかしら失ってもらわなくてはならない。一等大切なものをね。そこでぼくは考え付き、ようやく君から奪うことが出来た。だからこの手紙を書いたんだ。

 考え方によっては、死ぬより一番辛いかもしれないね。君はきっと覚えていないだろうけど。何を失ったか。ぼくを覚えていないように。

 君が築き上げてきたものを奪うのは申し訳ないけど、許してくれ。

 あ、最後にぼくはね、結婚したんだ。良い奥さんだよ。可愛いし、優しい。彼女には娘もいたけど、我が子のように可愛い。立派な子に育てようって思う。

 旦那さんは過去の過ちのせいで、家族を手放さなくてはならなくなってね。ひどい話だよ。

 家族の写真を同封するよ。

 じゃあさようなら。


 その写真に写っているのは3人だった。遊園地で撮ったらしい写真で、箱男、箱男の嫁、そして娘だ。嫁と娘の名前は知らないし、顔も見たことがない。そのはずだった。

 だけど、俺は深い深い喪失感を抱き、涙が止まらなくなった。


〜了〜

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