第3話 その名はビッグサイト
「前にも言ったが、俺と南野は、とあるイベントのボランティアスタッフをやってるわけだ」
「うん」
長くなるのを察した寧々は椅子を引いて南野の隣に座った。
「そのイベントってのが、いわゆるオタクの祭典、コミケってやつだ」
「そこまでは知ってるよ」
俺は数週間前を思い起こした。
目の端に先輩の姿が映ったが、科学哲学の問題は後回しにした。
「俺は、そろそろ疲れてきたなぁと思いながら、通路、館の中央の太い通路を、列の整理に使う資材、三角コーンとかバーとかだ。それを持って、太陽がじりじり照りつけるトラックヤードに向かって歩いていた」
まだ本題に入らないうちに、寧々がすっと手を挙げた。
「ラノベ調なのが笑えるからやめてほしいんだけど」
「ラノベとは違うだろ、ラノベ調ってのは」
南野が一席打ちそうになったので、俺は改善策を提示した。
「分かった、もっと翻訳文っぽく話す」
「いや、普通に話してよ」
難しいことを言う。俺たちは文章から言語を学習する。ラノベと翻訳文、あるいは純文学しか読まないとどうなるか。普通が分からなくなる。
「とにかく、俺は外に出ようとしていた。その時、目の端に妖精が映ったんだ」
今度は南野が挙手した。
「その妖精ってのは、広義の妖精?詩的形容?」
哲学科生あるある。定義に厳しい。
お前には話したはずだ、と思いながら俺は頷いて話を続けた。
「コスプレだ。知っての通り、あの場にはコスプレイヤーがたくさんいる。その中でも彼女は抜きん出て可憐だった」
「可憐って表現は気持ち悪いかも……」
寧々は申し訳なさそうに指摘した。
「そうか?」
俺は可憐に類する表現をひねり出そうだ考え込んだが、出てきた単語はこれだった。
「尊い」
「教祖かよ」
南野と寧々の声が重なった。
俺としてもこの言葉を使うのは不本意だが、サークル仲間が使っているのを聞いて、こう言う時に使うのだと学習していた。
「可愛いんだが、それだけではなく、凛とした美しさもあり、何と言っていいか……」
「好きになっちゃった、と」
寧々は訳知り顔で腕組みをした。
「それで、その子がポスターが剥がせなくて困ってたから、手伝ったんだ」
俺は南野がまだ思い出さない様子なのに驚きながら続けた。
親友の恋バナだぞ。2週間かそこらで忘れるなよ。
「ほら、シャッター横の壁、コンクリだからポスター貼れるだろ。剥がしたのはいいけどテンパってさー」
寧々はシャッターやコンクリの壁、という単語に困惑していた。
「え?それどこでやってるの?」
「東京ビッグサイト」
「え?その規模でボランティアなの?」
俺と南野は静かに頷いた。
三角コーンとA0ポスター もくた くも @philo1129
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