幕間

ユキエ


 ユキエは鏡を覗き込む。

 同年代の女子も羨み、同年代の男子はその魅力に虜になる。

 自慢の美貌はいつもと変わらないはずだが、その表情は心なし冴えない。

 頬に薄く乗せたラメ、控え目な装飾のピアス。

 僅かにピンクの色をしたグロス。

 強調した谷間を寄せて鏡に映し、腰を回してヘソが微妙な露出具合である事を確認する。

 いつもの習慣通りの行動を終えると、鏡を正面から見据えて、何かを吹っ切るように顔を引き締めて気合いを入れた。


 今日は冬休みを終えての始業日。

 服装やピアスを注意してくる教師を慣れた対応であしらい、自身の教室へ向かう。

 遊び仲間と顔を合わせるのも久しぶりだ。

 いつもは休みの間中遊び歩いているのだが、去年のクリスマス以降体調が悪いと引き籠っていた。

 体調と言うか気分は何も回復していないので、休んでいてもよかったのだが、

 ユキエは元々引き籠っていられるタイプではない為、このまま引き籠り続けると反対に二度と外へ出られなくなるのではないかという気がして、思い切って出てきた。

 だが教室の扉を前に心臓の鼓動が高鳴り始める。

 心拍は上がるのに、冷えた汗で体温は下がっていくように感じた。

 意を決して扉を勢いよく開け、

「おっはよー!」

 務めて明るい声を出す。

「あ。ユキエ」

「体もういいのー?」

「珍しいよね。元気だけが取り柄のアンタが」

 いつもと変わらない級友の反応に、緊張の鼓動は高揚に変わる。

「もっちろーん。寝すぎて太ったかなー」

 腰を大げさに回して括れを見せつけ、教室内の男子の視線を釘付けにした。

 自分の席にいつものように座り、他愛のない話に加わる。

 しかしユキエの心労の元は何も無くなっていないので、皆の話はあまり耳に入って来ない。

 問題の話題にそれとなく話を持っていきたかったのだが、

 皆が意図的にその話題を避けているのか、それとも何でもない事なのか判断できずにユキエの心は少しずつ焦り始めた。

「ねぇトシ。あれからなんか面白い事あった?」

 以前ドッキリ遊びの対象、倉木くらき 安士やすしという同年代の男の子を斡旋してきた悪友に何気ないように聞く。

 ドッキリ遊びとは、ユキエが気のあるフリをして誘い、告白してその気にさせ、デートに誘い出してはすっぽかす。

 何回ノコノコとやってくるのか、を皆で賭ける遊びだ。

 皆3回、5回、と賭けて、それよりも多く呼び出す事が出来ればユキエの勝ちだ。

 そして安士は過去最高記録である7回の呼び出しに成功した。

 その安士の知り合いであるトシは露骨に嫌な事を聞かれたという顔をした。

「まー、あんまねーかな」

 ユキエの心臓が大きく脈打つ。

 それを切っ掛けに皆の会話が止まり、表情が消える。

 皆つんと黙って目線を泳がせると、ユキエの顔から血の気が引いていった。

「うっそ、冗談よ。ユキエの勝ちだもん。ちゃんと払うって」

 茶髪のミキが噴き出すように笑うと、皆の表情も崩れた。

 賭けに勝った者は、皆がお金を出し合って好きな景品を得られる。数千円までのリミットは決められているが、ユキエは一番リスクが高い為、勝った時には一万円まで認める約束だった。

「だからみんなして話題避けてたんだけど、思ったよりユキエが焦った顔してるから……」

「お前もそんな顔すんのな」

 ゲラゲラ笑う悪友たちに、ユキエは顔を引きつらせていたが、徐々に苦笑いに変わっていった。

「あ、あいつとはその後会った?」

 あいつって? と聞かれたらどうしようと内心焦りながらも、努めて何でもないような調子で聞く。

「いや? ……でも面白くないのはホントなんだよなー。なんかアイツ最近彼女出来たとか噂でさー」

 うっそ。マジ? んなわけねーだろ、とお決まりの返答の中、ユキエはどっと疲れが抜けたように脱力する。

 最後にクリスマスイブに呼び出して以来、返信が来なかった。

 翌日、呼び出しに使ったホテルが火事で焼けたとニュースで見て以来、気が気ではなかったのだ。

 それ以降のニュースは怖くて見ていないし、友達に聞く事も出来ず引き籠っていた。

 だがもし安士が火事に巻き込まれていたとしても、それは自分のせいではないし、一度会っただけで縁もゆかりもない。

 級友きゅうゆう達は直接的な関わりが少ない分、無関心でいられるかもしれないが、ユキエはメールが履歴に残っているのだ。

 電話局だか何だかに残る記録から、警察がユキエの家に来るのではないかと休み中ビクビクしていた。

 そして悪友達が自分を裏切って知らぬ存ぜぬを決め込むのではないかと、探りを入れるように様子を窺っていた。

「オレも女といるのは見たんだよ。アイツに妹いねーし」

 一気に力が抜けた安心感からか、ケラケラと相槌を打つユキエにミキが意外そうな顔をする。

「アレ? 怒んないの? あんなヤツに彼女が出来るなんて、気に喰わないのかと思ってた」

「信用してねーんだろ。ウソに決まってんじゃねーか」

 案外デリバリーの女かも――そんな度胸あるかよ――と勝手な事を言う級友にユキエも平常心を取り戻す。

「で、カワイイの? その子」

 見たという悪友トシに聞いてみる。

「ん? んー、まあ……。まあまあかな」

 ユキエは眉を曇らせる。

 男がこの状況でこういう反応を示す時はかなり可愛いと思っていい。

「まー、確かに。ホントならちょっとムカつくかもねー」

 元々ドッキリ遊びは不幸な男子を、更にどん底に落とす事に醍醐味がある。

 その後幸せになられたのでは自分達がバカみたいだ。

「もっかい誘ってみようかなー。振り向かせて、間を割いて、その後捨ててやるか」

「やっぱユキエすげーなー」

「そこまでやるかー」

 と教室の一角は沸き立つ。

 あれからメールは一切繋がらない。さすがに怒っているだろうからメールではダメだろう。

 直接会いに行く。

 まだ雪は残っているものの、外は結構暖かい。

 超薄着で押しかけ、そのまま日が暮れて「この格好で帰す気?」と迫ればイチコロだ。

 相手の彼女が現れればしめたもの。正式に別れ話をしていない以上こっちが先。非は向こうにある。

 修羅場を作り出してから相手の浮気を理由に正式に別れてくればいい。

「やっぱお前悪魔だよ」

 と言われてユキエは普段の調子を取り戻す。

「そーよ。わたしは小悪魔。わたしをコケにしようなんて10年早いのよ」

 始業式を終えて早々に家に帰り、支度をする。

 ユキエ持ち前の情報ネットワークを使い、安士が家にいる事を確認。両親は普段から遅くならないと帰らない。

 彼女が来るならよし、彼女の元へ向かうなら追いかける。

 とても冬の格好ではない服装で表へ出て、まだ雪の残るバス停に行く。

 時間を確認すると少し待つようだが大丈夫だろう。

 肌寒いがユキエの体は高揚し、少し熱いくらいだ。

 ユキエは人も少なく、車通りもない屋根付きバス停のベンチに腰を下ろした。

 ミニスカートの下はほとんどTバックなので尻の冷たさに顔をしかめる。

 かといって高いヒールで立ったままというのも足に負担がかかるものだ。

 バス停にもう一人乗客がやってきて、ユキエとは離れた所に座った。

 ユキエと同年代の女の子だが、対照的に凄い厚着にマフラーを巻き、顔の下半分が隠れている。

 まだそこまで寒くないはずだ。かなりの寒がりなんだろう。

 近所で見かけた事もない子だが、自分ほどあか抜けていない普通の女の子だ、とユキエは一瞥しただけで興味を無くすが、その女の子の傍らに雪で作ったウサギがあるのに目を留めた。

 雪を卵型に固めて耳を作り、目の辺りに黒い丸ぽっちをつけただけの簡素なものだ。

 初めからあっただろうか? この子が今作ったのか? そんな素振りはなかったが、と少し気になったもののどうでもいい事なので、バスがやってくるはずの方向を見る。

 さすがに少し寒い、と両手で自分を抱くように腕をさする。

 辺りは雪が降り始めた。

 牡丹雪と言えるほどの大粒の雪がひらひらと降ってくる。

 辺りは明るいので一時的な物だろうとさして気にせず、その美しい降雪を眺めた。

 はらはらと舞う雪は幻想的で、しばし魅入られたようにぼんやりと眺めていたが、ふと我に返ると思ったより積もっている事に気が付いた。

 いつの間にか地面が見えない。

 バス停には屋根があるのでベンチに雪は積もらないが、周りには着実に雪が層を重ねている。

 はっと思わず吐いた息が真っ白に染まる。

 少し変に思い横を見たが、そこには相変わらず厚着の少女が澄まし顔で正面を見据えていた。

 その傍らには雪のウサギ。

 ユキエの膝が小刻みに震え始める。

 バスが遅くないか? いや、それ以前に車が一台も通らない。

 そもそも雪で道路が走れるような状態ではない。

 一体いつの間に?

 これはチェーンを付ける為に一時停車するか運行が休止するレベルだろうか。

 一旦家に帰ろうにも雪の中にヒールの足を突っ込まなくてはならない。歩く速度は普段の十分の一も出ないだろう。

 その間雪に身を晒さなくてはならないし、滑ったら悲惨な事になる。

 そうこうしている内に雪が量を増し、辺りが暗くなる。

 まるで霧の中にいるような降雪量だ。道路の先が見えない。

 ユキエの歯の根がカチカチと鳴り始める。

 ユキエは無表情に座る少女を見る。上着を一枚貸してもらえないだろうか。

 しかしそんな義理もないし、そもそもこんな季節に薄着で出歩いている方がどうかしているのだ。

 凍死するのではないかという恐怖がプライドを上回り、声を掛けようとしたが既に声が出なかった。

 ユキエは体を震わせながら、太陽が隠れて暗いのか、寒さで意識が遠くなっているか判別をつける事も出来ず、

 鼻の下から氷柱が伸びていくのを眺めている事しか出来なかった。

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Fairy Snow Xmas 九里方 兼人 @crikat-kengine

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