Snow. And the beginning of the Christmas.

 運命の日。

 僕にとって初めて女の子とのデートとなる日。

 そして……。

 僕は待ち合わせ場所に指定された建物を見る。

 昨日、ユキエからこれまでの詫びも兼ねてとびっきりのプレゼントを用意するとメールがあったんだ。

 建物が視界に入った時、さすがに足がすくんでしまった。

 真新しい建物の間に挟まれた、縦に長い建物だ。

 初デートにはそぐわないくらい古びて、悪く言えば汚い建物だが、何をする為に作られたのかを意識して、僕の心臓は早鐘を打っていた。

 いわゆる如何いかがわしいホテルと言うやつではないか?

 ユキエはもう部屋を取って中にいると言う。部屋番号をメールで伝えてきた。この番号は上の方だ。最上階かな。そこそこ豪華な割には安くて穴場なんだそうだ。

 すっかりイヴの空気に包まれ、派手な電飾で飾りたてられた街の中、僕はしばし立ちすくむ。

 携帯が着信を告げたので、開いて中を見た。

 僕は唾を飲み込む。早く来るように催促する文面に、写真が添付されていた。

 それはタオルで前を隠したユキエの自撮り写真。

 僕は身体が熱くなるのを感じた。

 完全に怖じけづいてしまっている。心の準備が出来ていない。

 いくら何でも話がうますぎる。いや、それは僕が奥手過ぎるだけで、今時の娘は皆こんなものなのかもしれない。

 大体こんな写真を信用していない相手に送るか? 僕がバラ巻いたらどうするんだ? これは信じていいんじゃないか?

 そんな思いが渦巻く中、今一歩が踏み出せずにいた。

 大きく深呼吸すると少し落ち着きを取り戻す。

 あの少女なら何と言うだろう。

 一度しか会ってない男子に、最初のデートでこんな所に誘うか?

 もっともだ。そんな事は分かっている。

 だから何だ?

 ユキエが僕を騙しているとして、それでどうなる?

 僕はホテルに入り、部屋を訪ねて恥をかく。

 それだけだ。

 何を失う?

 何も。

 何を失うわけでもない。

 なら行かない手はない。行けば可能性があるんだ。僕の人生を変える出来事になるかもしれない。

 薄桃色の汚れた外装をした建物に一歩近づく。

 だがそれ以上足が動かなかった。

 広場の少女との約束はどうなる?

 ――いや、約束なんてしていない。

 それも違う。僕ははっきり断る事もしなかった。

 今日が最後だと言っていた。

 昨日の様子にただならぬものを感じたのも本当だ。

 単に僕が幸せになるのがシャクだとか、そんな感じではなかった。

 命がけの真剣さのようなものがあって、断りきれなかったんだ。

 少女の命は、本当に今日尽きると言うのも信じてしまいそうなほどに。

 確かに心配だけど、そもそも僕はあの子と何の関係もない。

 たまたま通り道にいただけの、名前も知らない子だ。

 通学路で、よく見かけるというだけの相手と変わらない。

 僕はもう一歩踏み出す。

 やはり、足というのは下半身なのだな、というのを実感しながら足が段々と軽くなっていくのを感じた。

 ぴゅう、と突然風が吹き、僕は寒さから身を守るように身体をすくめた。

 少女は……。

 広場の少女はきっと今も待っている。妖精への願掛がんかけじゃなく、この僕を。

 僕がユキエを信じるのなら、少女の言葉も信じなくてはならない。でないとフェアではないような気がする。

 この寒い中、ずっと広場に立って僕を待ってるんだ。

 僕がここで、これからやろうとしている事の、その最中もずっと……。

 僕は足を止めた。

 やっぱりダメだ。そんな事を考えながらでは心から楽しめない。

 回れ右して足を踏み出す。

 心ここにあらずでは優柔不断な奴と思われる。

 少女がいない事を、大丈夫な事を確認しに行くだけだ。

 なに、少しくらい遅れても文句はないさ。こっちは一週間も待たされたんだ。

 最悪破局したら少女に責任を取って貰わなくては。それでなくても、いっぱい文句を言ってやろう。

 怒ったように雪を踏みめながらずんずんと歩く。

 その時、背後で爆発音が鳴り響いた。

 驚いて振り向くと、ビルの入り口から黒煙こくえんが上がっている。

 あれは……、僕が入ろうとしていたホテル?

 そのビルの間に挟まれた細長い建物は、一階から立ちのぼる煙でその姿を完全に隠していた。

 入り口から煙にまかれた従業員らしき人達が飛び出すと、火の手を上げて爆発。辺りから悲鳴が上がる。

 ホテル全体を焼き尽くさんとばかりに火が勢いを増す。

 消防法が徹底されるよりも前からそこにあったような建物は、中に居る者を逃がす事無く、容赦無く蒸し焼きにする事だろう。

 僕は何が起きたのかも分からずに放心していたが、やがて消防やら警察がやって来て、辺りは騒然となる。

「いや、もう中に人はいない」

 従業員と消防とのやり取りが耳に入って我に返る。

 そうだ。ユキエ。

 ユキエは……、あそこにはいない?

 その時、携帯が着信する。送り主は……、ユキエ。

『ねぇ~、まだ~? ずっと待ってるんだよ。あっ、部屋番号間違えたかも』

 2階の番号だ。

 僕はフラフラと後ずさる。

 少女の言った通りだった。僕は騙されていたんだ。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 ホテルに入っていたら、僕は今頃……、あの中で。

 広場の少女は何と言っていた?

 人は、死が近づくと妖精を見る。

 妖精は、その人間が生かすに値するかどうかを見極める為に姿を現す。

 そしてその価値があれば自らの命を与えて相手を生かすんだ。

 僕はフラフラと覚束おぼつかない足取りで広場に向かう。

 死ぬのは……、僕だった。僕は今日、あそこで死ぬはずだったんだ。

 今生きているのは、あの少女のおかげなんだ。

 そして少女に会ったのは一週間ほど前。

 ただの偶然であってくれ。

 まるで過呼吸のように息を荒くしながら広場が見える通りに出る。

 雪が強くなってよく見えない。

 通行人は皆火事騒ぎを見に行ったのか、通りには誰もいない。

 そして段々と近づいてくる広場には……。

「ああ……」

 僕は膝を付きそうになりながら涙を流した。

 そこに少女はいなかった。

 彼女がいつも立っていた場所だけ、穴があいたように黒い土が見えていた。

 まるで今まで誰かがそこに立っていて、突然消えたかのように。

 弱々しい足取りで少女の立っていた場所に近づき、膝をついた。

「うう……」

 あの子は本当に妖精だったんだろうか。

 あれは幻で、僕の夢だったんじゃないだろうか。思えばおかしな事がいっぱいあったじゃないか。

「でも……」

 でも何で僕なんか……。何もしてあげてないのに。何もしてあげられないのに。

「ううう……」

 涙でゆがむ景色の中、少女の存在した痕跡こんせきが消えていく。

 僕は手を伸ばして土に触れた。

 雪が降って、少女の居たあとがなくなったら本当に幻になってしまう。

 手袋を外し、雪の付いた土をつかむ。

 少女の存在した痕跡こんせきを消し去るまいと、しばらく無駄な抵抗を続けたが、降雪こうせつは次第にその量を増していく。

 会いたい。もう一度、あの子に……。会って、せめて一言……。

 切実に願うも、やがて少女のいた形跡けいせきは完全に消えてしまった。

 少女がいたという証拠は、もう僕の中にしか存在しない。それも、時と共に薄れていくのだろう。幻のように。

 誰もいなくなってしまった広場で、ただ呆然ぼうぜんと座り込んでいたが、突然後ろから明るい声がかかる。

「おっそ~い! いつまで待たせるつもりよ」

 何なのか分からず、ゆっくりと振り向く。

「さっきからいるじゃない! 早く気付け! 寒いんだから」

 そこにいたのはいつもの少女。

 上着の前をしっかりと合わせ、マフラーを巻いて寒そうに首をすくめる姿は随分と雰囲気が違って見えたが、間違いなくあの少女だった。ニット帽にも雪が降り積もっている。

 僕は何が起きたのか理解出来ずに少女を見上げる。

「え? ……あ」

「あれ? もしかしてフラれたと思って泣いてた?」

 白い息を吐きながら無邪気に笑う。

「あ……、妖精さんは? いや、妖精? あの……、キミは」

「んーなにー? 妖精? ああ、妖精さん? もしかして本気にしてたのー? ウソに決まってんじゃん。やばー、マジウケる」

 心底面白そうに笑う少女に、少し自分を取り戻した。

 雪の中に座り込んだままだったのを思い出して、慌てて立ち上がる。

「そ、そうだよ。信じたよ。悪いか!」

 病気だと思って、本気で心配したのに。

「ううん、いいのよ。あなたはそれでいい」

 少女が僕のあげた手袋をした手を差し出す。

 僕は触れていいものかと躊躇ちゅうちょした。

「でも、大丈夫なの? 身体は。だって、あんな寒い中に……」

 病気なんじゃ……。

「ああ、あれ? ただの願掛がんかけだよ。もー二度とやんない」

 と言って寒そうに身震いした。

 僕は恐る恐る手を伸ばす。

 僕が手袋をしていない事に気がつくと、少女も片方の手袋を外した。

 手が触れる。

 温かい。幻ではない。人間の温かさ。

「何を、願掛がんかけしてたの?」

「もう叶ったよ」

 少女は微笑んで手を引く。

「早く行こ。寒いよ」

 どこに? というより僕は何をしにここへ来たんだっけ?

「ねえ。これって、デート?」

 半ば強引に引かれながら間抜けな事を聞いてしまう。

 少女は顔だけこっちに向ける。

「何言ってんの。もう何度もしてるでしょ」

「そっか。……そうだよな」

 僕は少女の温もりで感覚を取り戻した手で握り返す。

 でも……。

「名前も知らないんだけど」

「いーじゃんそんなの。私だって一緒だよ」

 それもそうか。

 付き合っていると確認する事が、付き合っている事にはならないように、僕らには必要ない。

 突然僕の前に現れた少女は、本当に妖精だったんだろうか。

 それが、雪女の伝承のように僕の想いで人間になったんだろうか。

 いや、少女が何者だろうと関係無い。

 僕も少女も生きている。

 それだけで十分だ。

 僕達は互いの温もりを確かめ合うように体を寄せ合い、賑やかな街へと歩いていった。

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