前日

 いよいよ明日はイヴという夜、白く染まった街を歩く。

 店頭にクリスマスケーキの予約受付の看板を立てた店の前で、早くもサンタやトナカイのコスプレをした女の子が客寄せをしていた。

 僕はその中を特に急ぐでもなくゆったりと歩いた。

 心なし気持ちは晴れている。今日は相手にすっぽかされる心配はない。もう待っているはずだ。

 僕は目的地に女の子の姿を見つけると、近づいて後ろから声をかける。

「やあ」

 少女は相変わらず樹の上を見たままだが、僕が来た事が当然のようにわずかに首を動かす事で返事をする。

「昨日はごめん。言い過ぎたよ」

 よく知りもしない子に対して乱暴な事を言ってしまった。

 少女は気にした風もなく樹の上を見つめたまま何でもないように言う。

「今日もすっぽかされた?」

「いや。今日は僕から断ったんだ」

 少女の言葉を信じたわけじゃないけど、今日もユキエは来ないだろうという気持ちもあった。

 それにもう明日はイヴ。今日デート出来たからと言って、何が変わるとも思えない。

 それに、こっちかららしてやりたいとも思った。ささやかな抵抗だ。

「じゃあ、なんでここに来たのよ」

 少女は少し楽しそうだ。

「さあ、なんでかな。習慣かも」

 僕も笑って答える。

 案の定というかユキエは『怒った? ホントごめんね。その分明日は楽しいデートにしてあげるから期待しててね』といったメールが来た。

 沈みかけていた僕の心も再び浮きはじめる。

 少女に会うのも今日が最後だ。だから昨日の事を謝っておきたかったのかもしれない。

「あの。……これ」

 僕はニット帽と手袋を差し出す。

 手袋は昨日渡すつもりだった物だ。

 少女はしばらくそれを不思議そうに眺めていたが、やがてゆっくりと手を伸ばした。

 彼女の肌がわずかに僕の手に触れ、その冷たさにギョッとする。

 こごえてるじゃないか。

「早くつけなよ」

 まるでプレゼントだな、と思ったけど彼女の手があまりに冷たかったのでそう言った。

「うん、ありがとう。でも大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないだろ」

 僕は少しそっぽを向くように言う。

 少女は帽子と手袋を胸に抱きしめて笑う。

「もうあったかいから」

 なんだよ。僕は気の毒だと思ってお節介しているだけだ。

 願掛がんかけか苦行くぎょうか知らないけど、こんな事で願いが叶うなら、命が貰えるなら苦労はないよ。

 それに、もし明日ユキエが来なくてもここには来ない。

 少女はクリスマスまでと言っていたから、明日はいるかもしれないけど、僕は違うと思う。

 少女は明日も僕がフラれると思ってるに違いない。

 そしてトボトボやってきた僕は、少女もいない事に消沈するんだ。

 ユキエが僕を騙していると言うのなら。この子だって同じかもしれないじゃないか。

 明日ユキエが来なかったら、僕はもう誰も信じられなくなるだろう。

 でも今そんな事を考えても仕方ない。

 僕は少女の横に立ち、一緒に樹を見上げる。

 相変わらず何も見えないけど、こうして何も考えずただ空を見上げるのもいいもんだと思った。

 心が澄んでいく。

 まるで世間のしがらみから解放されて、自然に溶け込んでしまいそうだ。

 僕は上着の前を留めるボタンに手をかける。

 身体を覆う殻を破って、全てをさらけ出してしまいたい気持ちに駆られたが、ボタンを外した所で刃物のような冷たい風が身体を刺した。

 我に返り、上着の前を合わせる。

 そっと少女を見るが、彼女は相変わらずの澄まし顔で樹の上を見つめている。

 とてもヤセ我慢だとは思えない。

 もしかしたらこの子は本当に病気で、寒さを感じていないんじゃないか?

 そう考えると、途端に恐ろしくなってきた。

「あ、あの……。そろそろ屋内に戻った方がいいんじゃない?」

「どうして?」

「だ、だって……、寒いじゃないか」

 せめて上着の前を合わせるか、マフラーをちゃんと巻けばいいのに。

「どうせ明日までだよ」

 今は笑えない。

「妖精さんは、もう願いを叶えてくれたかもよ?」

「決定は明日。あした全て決まる」

 明日までこうしているつもりじゃないだろうな。

 翌朝、雪の中に倒れている少女が発見される……、というのも冗談ではなくなってきた気がする。

「とにかく、こんな事しても良くはならないよ。明日は来ちゃダメだよ。もう十分妖精さんに誠意は伝わったよ」

「心配してくれるの?」

 そりゃ心配にもなるよ。本当にこのまま死なれては寝覚めが悪い。

「さ、早く帰ろう。家はどこ?」

 少女は僕の言葉など全く聞こえてないように樹の上を見つめたままだったが、

「ねえ」

 わずかに僕の方に顔を向ける。

「明日も、ここに来てくれる?」

 いや、明日は……。

「来てくれたら……、帰る」

 そんな事言われても……。

「絶対来て。それまでずっと待ってるから」

 いつになく真剣な様子に、はっきり断る事も出来ず。僕は曖昧あいまいに返事をして逃げるようにその場を去った。

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