第二章 (5) イジメをなくするには?
明見は、議員会館の会議室で『BI調査研究会』のメンバーと憲法特別委員会の国会中継を見守っていた。
その間も、ひっきりなしに電話が掛かってきた。
テレビ出演の依頼、いろいろな団体からの協力申し込み、あるいは脅迫のような反対声明、シンポジウムやワークショップへの出席の打診、マスコミとの質疑応答、他の議員との意見交換、など。
手分けをして、なるべくどんな依頼にも応え、ベーシックインカムとは何かを広めて行く方針だった。
時間の許す限り、いろいろな場所に出向いて討論を行ったり、テレビやネット番組などに出演したりした。
その日の午後は、東亰郊外にある、とある小学校に呼ばれていた。
大きめの教室に、四年生から六年生が60人くらい椅子に座り、その周りには先生や保護者が立ち並んでいた。
廊下からは、教室に入りきれない人たちがガラス窓から覗き込んでいた。
教室のいちばん後ろではビデオカメラがその様子を映していて、他の教室でも大勢の子どもや大人たちが見ていた。
もちろん、その様子はネットでもライブ配信されている。
黒板の前で、子どもたちに向かい合って座る明見たちが挨拶をする。
明見「皆さん、こんにちは。私は、明見晃一郎と言います。この国のことを考えたり決めたりする国会というところで仕事をしています。今日は東京のある小学校にお邪魔して、皆さんといろんなお話をしたいと思っています。どうぞよろしく。私も他にも、教育や社会の研究をしている専門家の先生方にも来てもらっていますので、どんなことでも自由に話して下さい。後ろのカメラでネットにも流れていますから、顔が映らないように注意して下さいね」
園原「どうも、こんにちは。私は教育について大学で教えたりしている園原真琴と言います。よろしくお願いします」
大泉「はい、こんにちは。僕は社会学というこの世の中はどうなっているのかということを研究している大泉靖晴と言います。みんなから、どんな質問が飛び出すのか、ちょっとドキドキしています。どうぞお手柔らかに」
明見「では、さっそく子どもたちの声から聞いて行きましょうか。誰か質問はありますか?」
たくさんの手が上がった。
その中の一人の女の子を明見が指名する。
六年生の女子「はい。私は六年二組の西野です」
明見「あ、お名前はいいから、質問する人は学年だけ教えて下さい」
六年生の女子「あ、はい、すいません。六年生です。えーと、質問なんですが、イジメをなくするにはどうしたらいいですか?」
明見「はい、ありがとう。最初から難しい問題が出ましたね。じゃあまず、園原さん、どう考えますか?」
園原「はい。ほんとうに難しい問題だと思います。まず、どうしてイジメが起きるのかを考えなければならないですね。私は、イジメっていうのは、差別意識っていうのが根底にあるんじゃないかと思います。だから、学校の中だけじゃなく、大人の世界、会社とか村とか町とか、どんな集団でも起きるし、国の中でも起きることなんですね。ちょっとした違いで仲間はずれにしたり、軽蔑したり、ひどいことをしたり。つまり、自分と同じ人同士が仲間になると、それ以外の人は敵になっちゃうんですね。仲間同士で何かをしようと思うと、そうじゃない人が邪魔になる。じゃあ、やっつけちゃえって。そうしたら自分たちは仲間同士で好きなようにできるし、他の人に言うことを聞かせることもできる。学校では、何人かのグループで気に入らない誰か一人をいじめる。国同士だと、それは戦争になっちゃうんですね。そういうのを分かっていながらも、世界では戦争が絶えない。学校でも、なかなかイジメはなくならないんですね」
大泉「って言うことは、イジメをなくすことはできないということ?」
園原「基本的には、そうですね。集団の中では、放っておけば、どこかで必ずイジメは起きるんじゃないかと思います。大人も子どもも。だからこそ、それをきちんと糺す人が必要だと思うんです。見て見ぬふりをしないで、それはダメなことなんだよって言える勇気が必要ですね」
大泉「う〜ん、なんか優等生的な回答で、僕なんかは、それじゃちょっと甘いんじゃないかと思うな」
明見「というと?」
大泉「まあ、差別意識が根底にあるっていうのは、ある意味賛成なんですけど、それをなくせって言っても無理だと思うんですよ。誰だって、好きな人と嫌いな人っているじゃないですか。どうしても仲良くなれないとか、仲良くしたくないなっていう人。生理的にも、なんとなく感覚的にも。そういう人とも無理矢理仲良くしなさいって言ってもねえ。やっぱり、気の合う人とか同じ意見の人と仲良くなって楽しく過ごしたいわけですよ、誰でも。だからと言って、嫌いな人をいじめたり無視していいわけじゃない。さっき園原先生が言ったように、仲間じゃない人をやっつけちゃえっていう、そういうふうになっちゃうことが問題なんですよね。なんでそうなっちゃうかと言うと、仲間はみんな賛成しているから自分たちは正しい、相手は間違っているって思っちゃうわけですよ。自分たち以外は悪だって。でも、それは我が儘なんですよね。自分の目でしか物事を見ていない。自分たちの利益や欲望、楽しさとか快適さとか得するだとか、そういうことしか考えない。相手が傷つこうが損をしようが泣こうが死のうが関係ない。そういう自己中心的な考え方しかできない。そこがいちばんの問題だと思うんですよ」
園原「ああ、それはそうですね。他者目線で見れない。そういう子どもたちが増えている感じはしますね」
大泉「それは今に始まったことじゃなくて、自分たちの利益最優先というのは大人の世界にもあるし、大昔からそのために戦争が起こってきたわけですよね。まあ、それが人間の行動原理でもあるし、資本主義と民主主義のギャップにもなっているんですよね。だからこそ、ベーシックインカムという話にもなっていくわけですけど」
明見「ベーシックインカムはまた後にして、そういう自己中心的、利益優先的な考えって、悪いことなんでしょうか?」
園原「まあそれは、生存本能から生まれてくるものだから、どうしようもないとも言えるし、利益を追求することは一概に悪いこととも言えないでしょうね。でも、現代社会では、相手をやっつけなければ生きて行けないというような世界でもないし、たくさんの人と平和に共存して行かなければならないわけですから、そういう感情を抑制することが大事なんじゃないでしょうか?」
明見「といっても、小学生にそう言い聞かせるのも難しいですよね。大人でさえ出来ないことなんだから。親や先生が監視していても眼界もあるし、えてして、そういうイジメは人目につかないところで起きるものだしね。お互いが監視し合うようなギスギスした世の中はイヤだなあ。えーと、質問してくれた子、あなたの周りではイジメはあるのかな?」
六年生の女子「いえ、特にないですけど。でも、低学年の時を思い出すと、あれはイジメに近いことだったんじゃないのかなって思うことはあります。あ、私のことじゃないですけど」
明見「そういうことがあったらイヤだなって思うんだよね」
六年生の女子「はい。ニュースとかでも見るし、中学に行ったらそういうことがあるんじゃないかって心配です」
明見「ああ、そうだよね。いじめる側にもいじめられる側にもなりたくないよね」
六年生の女子「はい」
明見「僕はね、やっぱり一人一人の心の問題だと思うんだよね。さっき言っていたように、自己中心的な、自分たちさえよければそれでいいっていう考え方を変えなくちゃいけないと思うんだ。はい、あなたの考え方は間違っているから変えなさいって言っても、簡単には変わらないでしょう。逆に、何言ってるの、じゃああなたは損ばっかりしてもいいの、そんなの絶対にイヤ、って反発するだけだよね。だから、人をイジメても楽しくない、それで自分が得するわけじゃないってことを知らないといけないんだ。というよりも、もっと他に楽しいことや嬉しいことがいっぱいあるってことを知らなきゃいけないんだよ。学校のクラスとか、会社なんかでもそうだけど、そういうひとつの集団の中だけじゃなく、もっといろんな世界を知れば、他にも楽しいことや素晴らしいことやいろんな価値がたくさんあることが分かるはずなんだ。そうしたら、誰かをいじめて気を晴らしてるヒマなんかなくなると思うんだよね。もっといろんなことを知りたいとか、行って見たいとか、会ってみたいとか、自分もやってみたいとか。そういう好奇心というか、わくわくするような心の広がりを持つことが大切なんじゃないかな。小さな世界で、どっちが損か得かなんてチマチマ考えていると、どうしても自己中心的になっちゃうからね」
大泉「ああ、なるほど。新しい世界に触れることで、自分の中に意識改革を起こすということですね。閉じられた中で歪曲した自意識がイジメを生み出す。だから、意識を外に向けて自己実現を目指すことが必要だと。ふむふむ」
明見「いや、そんなに難しい話じゃなくね、世界にはもっともっと素敵なことがいっぱいあるんだっていうことが分かれば、イジメなんかつまんなくなっちゃうんじゃないかなって、そういうことなんだ。それは、マンガでも、アニメでも、本でも、映画でも、テレビでも、ゲームでも、一枚の写真でも、誰かのちょっとしたひと言でも、きっかけはなんでもいいんだよね。わっ、すごい、って思って、もっと知りたいって思えるような何かに出会えれば。学校とかクラスの外には、そういうことがいっぱいあるんだって思えれば、イジメなんてバカらしくなるんじゃないかな?」
園原「それって、すごく素敵な考え方ですね。勉強だけが教育ではないということに繋がりますよね。教育とは、そういうきっかけを見つけるためのいろいろな知識を身に付けるためのものなんですよね、本来は」
明見「僕なんかは、そういう世界はどうなってるんだろうって思いながら、ずっと学生時代を過ごして来たんだよね。北海道の小樽っていう小さな港町で育ったんだけど、ああ、この海も空も世界のいろんな場所に続いてるんだって、いつもそう思って眺めてたんですよ。いつか、絶対この町を飛び出してやるぞってね。でも、今考えると、別にその町に居たっていろんなことを見たり知ったり出来たし、その町のいいところやすごい人やきれいな景色に出会うことが出来たし、学校を卒業するのを待ってる必要もなかったんだよ。だから、ここにいる小学生のみんなだって、今からでもいろんな素敵なことを見たり知ったり教わったり出来るし、学校の外のいろんな場所に行ったり、いろんな人に会ったりも出来るんですよ。大きくなるにつれ、行動範囲も広がって、さらに発見が増えるし、出来ることも増えてくる。そうしたら、学校で話す話題も広がるし、クラスメイトと過ごす時間も大切で貴重なものになってくる。勉強だって、新しい発見の役に立つようになってくる。いろんなことに好奇心が湧いてくれば、学校ももっと楽しい場所になると、そう思うんです」
園原「そうですね。学校はそのための知識を学ぶ場であるべきですね。今はカリキュラムに縛られて、子どもたちを画一化するものになってしまっていますよね」
明見「まあ、そうなると教育制度の改革という話になってくるんですけど。その前に、もう少し開かれた学校であってもいいんじゃないかなと。例えば、週に一時間は、先生じゃなく、町の誰か、陶芸家とか、畑を作ってる人とか、昔の町を知っているおばあさんとか、交番のおまわりさんとか、普通のサラリーマンのお父さんでもいいですし、そういう学校とは違う世界を知っている人に来てもらって話を聞いたりね。そういう時間があるといいですよね。子どもたちも楽しいと思うし、いろんな考えや価値観を知ったり、先生にとっても勉強になるんじゃないかな」
大泉「それ、ちょっと校長先生にも聞いてみましょうよ」
校長「いや、すごく有意義なお話で、身につまされる思いです。私どもとしましても、子どもたちになるべくそういう機会を増やそうと思いまして、月に一度、土曜日に自由教室というのを設けていろいろな方にお話をしに来ていただいているのですが、あまり参加者が多くなくて、却って来ていただいた方に申し訳なく思うことが多々ありますね。できれば通常の学習時間にそういうことを組み込めればいいんですが、なかなか難しいというのが本当のところです」
園原「やっぱり学習指導要項のカリキュラム優先になってしまうということですね」
大泉「う〜ん」
明見「さっきのあなたは、どう思いますか?」
六年生の女子「私も、そういう時間があれば楽しいと思います。大人の人が、いつもどういうことを考えているか知りたいと思います」
明見「もしそうなれば、イジメはなくなるかな?」
六年生の女子「それは……、よく分かりません。あんまりマンガとかゲームとかしてると怒られるし、楽しいからってそればっかりやってちゃいけないんだと思います。あと、イジメは、いじめるのが楽しくてやる人もいるんじゃなかと思います」
明見「なるほど、あなたはしっかりしてるね。僕も、あなたの言う通りだと思う。いくら他に楽しいことを発見しても、イジメが全部なくなるとは思わないし、楽しいことばっかりしていてもダメだと思います。そこで重要なことはね、感受性だと思うんだ。感受性って言うのは、つまり、きれいだなとか、素敵だな、とかすごいなって思う気持ちのことね。例えば、ある花を見て、きれいって思う人と何も思わない人がいる。ゴッホの絵を見て、筆使いが上手いって思う人、構図が素晴らしいって思う人、色が見事って思う人、ただただ感動する人、そして別にただの絵じゃんって思う人。いろんな人がいるよね。たとえゴッホの絵を見て何にも思わない人だって、激しいロックを聞いて心を震わすかも知れないし、ゴッホが好きな人だってロックには感動しないかも知れない。そういう感じ方っていうのは人それぞれだけど、そういう感動した体験がいっぱいある人は、感じ方は人それぞれだっていうことが分かってくるんだよね。そういう人は、たとえ嫌いな人に対しても、私は好きじゃないけど、自分が知らない何かいいところがあるのかも知れないって思うことが出来ると思うんだ。つまり、感受性っていうのはそういう心の柔らかさのことなんだよね。だから、感受性の豊かな人ほど、優しくなれる。自己中じゃなくなってくる。そしてイジメの気持ちから離れて行く。そういうことなんだ。いや、そうなればいいなって思っています」
六年生の女子「全部はなくならないんですか?」
明見「そうだね、はっきり言って、それはムリだと思います。人は、やっぱり自分がいちばんだからね。でも、かなり少なくなると思うよ。イジメが少なくなれば、イジメをしている人の方が居心地が悪くなるから、どんどん少なくなるんじゃないかな」
六年生の女子「分かりました」
そこで、他の子が手を挙げた。
五年生の男子「だけど、楽しいことを見つけるためには、いろんな遊びをしないと見つからないと思います。あ、僕は五年生です」
明見「そうだね。だけど、勉強の中にも興味が湧くことが出てくるかも知れないよ。遊びだけじゃなく、勉強もそのひとつだと思うんだ。勉強って、何かを発見するためのすごく役に立つ知識なんだよ。君の今いちばん楽しいことって何かな?」
五年生の男子「ゲーム」
明見「ゲームをしてて、何が楽しいかな?」
五年生の男子「ん〜と、強い武器を揃えたり、いっぱいモンスターをやっつけてゴールに着いた時とか」
明見「なるほど。強い勇者になれるのが楽しいんだね。でも、その途中にはいろいろな苦労することもあるんじゃないかな?」
五年生の男子「はい。武器を買うために、たくさんやっつけてお金を貯めたり、罠に嵌まって死にそうになったり。でも、それも楽しいです」
明見「困難を乗り越えるからこそ、喜びがあるわけだね。君はゲームをしながら、自分は何が楽しいと思うんだろうとか、このモンスターを作った人はどういう人だろうとか、この罠はどうしてここに仕掛けられてるんだろうとか、勇者は何を目指して冒険をするのかとか、そういうことを考える?」
五年生の男子「あんまり……」
明見「そうか。モンスターをやっつけるのが楽しいだけじゃ、ただの暇つぶしの遊びでしかないんだけど、興味とか好奇心っていうのは、その一歩先にあるんだ。どうやったらこんな楽しいゲームを作れるんだろう、誰が考えたんだろう、ゲームを作るにはどういう技術や知識が要るんだろう、とかね。そういう興味が湧いてくると、もっと知りたくなってくる。いろんな本を読んだり、プログラミングを覚えたいと思ったり、自分だったらもっとかっこいい武器をデザインするのにとか。そうやって、普通の人は知らない知識や技術を覚えてくると、ゲームの楽しい方も変わってきて、ただの遊びじゃなくなってくる。お父さんやお母さんにそういう話をすれば、きっとびっくりして、あんまりゲームするんじゃありませんって言わなくなるかも知れない。将来は、ゲーム作家とかキャラデザインとかシナリオとか音楽とか、そういう道に進み始めるかも知れない。ゲームを作るためには、数学とか英語とか美術とか歴史とか、いろんな勉強が必要なことも分かってくる。もちろん、そうじゃなくて、建築家になりたいとか、学校の先生になりたいとかでもいいんだけど、ゲームで身に付けた知識や情報や技術は、絶対にどこかで役に立つし、ムダにはならないんだ。あとね、例えば、小さい子が道で転んで泣いてるとする。勇者としては、それを放っては置けないよね。助け起こして、擦りむいた膝をきれいにしてあげて、誰かを呼ぶか、どうすればいいかを考える。もしゲームの勇者の心を持ってなかったら、関係ないやと通り過ぎてしまったかも知れない。自分がその子を助けようと思ったのは何故なのか、自分にとって正義とは何なのか、それは本当に正しいことだったのか。そんなことを考え、行動するきっかけになったのかも知れない。ゲームはただのゲーム、現実とは違うと思っていたら、そこまでは蚊が獲られないよね。何が言いたいのかと言うと、遊びは楽しい、楽しいから遊ぶ、それだけじゃダメだっていうこと。そこで何を思い、何を考え、何を見つけ、何を学ぶか。それが大切だということなんだ。例えば、このゲームはつまんないなと思ったとしても、何が、どこが、なぜつまらないと思ったのか、そういうことをちゃんとを考えると、つまらないゲームでも自分にとって意味があるものになってくるんじゃないかな」
五年生の男子「なんか、今すごくゲームがやりたくなってきました」
その言葉に、子どもたちも大人も、にこやかに笑った。
園原「今のお話は、すごく分かりやすかったです。物事に対するそういう取り組み方を、学校教育の中に取り入れられればいいですね」
大泉「それは、まさしく価値観の多様化であって、価値基準がお金というものに一元化されている現代の社会構造を変える方法だと思います。そこから、またベーシックインカムの果たす役割がクローズアップされてくるわけですね」
明見「ベーシックインカムという話が出ましたが、この中にベーシックインカムのことを知っている人はいるかな?」
四、五人の子どもの手が挙がった。
明見「じゃ、そこの君。ちょっと聞かせてくれるかな?」
四年生の男子「んと、ええと、子どもにもお金が貰えること」
明見「うん、そうだね。他の人はどうかな?」
五年生の女子「働かなくても、子どもも大人も、国からお金が貰えるようになることです」
明見「うんうん。でも、そう決まったわけじゃないからね。そうなったら日本はどうなるだろうって、今みんなで考えています。もし、あなたが毎月八万円貰えたら、どうしますか?」
五年生の女子「え〜? そんなに使い切れないです。でも、好きなものをいっぱい買えるから嬉しいです」
明見「例えば、何を買う?」
五年生の男子「お菓子とか、マンガとか、あとは服とか」
明見「じゃあ、君は?」
四年生の男子「ニンテンドーSWITCHといろんなゲーム、あと、チョコとか、ポテチとか、ケンタッキー」
明見「なるほどね。でも、そんなにお金を使って、お父さんやお母さんに怒られないかな?」
四年生の男子「あ、ブッ叩かれる!」
六年生の男子「でも、自分が貰ったお金だから、自由に使ってもいいんじゃないですか〜?」
明見「うん、そうだね。でも、君が今着ている服や家にある服、靴やランドセルや鉛筆や床屋代やクリーニング代、毎日の食事や給食費。そういったお金は誰が払ってるかな?」
六年生の男子「親です」
明見「自分のお金がいっぱいあったら、そういう自分のものは自分で払わなきゃいけないんじゃないかな?」
六年生の男子「え〜、それは困る」
明見「どうして?」
六年生の男子「だって、そしたら遊ぶお金がなくなるから」
明見「自分のお菓子やゲームはいっぱい買って、服やごはんのお金は親が払うの?」
六年生の男子「パパは仕事して給料を貰ってるから、それで払ってもらう」
明見「でもそれはパパのお金だから、パパが自由に使っていいんじゃない?」
六年生の男子「だけど、親は子どもの面倒を見なきゃいけないでしょ」
明見「そうだね。でも、子どもも自分のお金があるんだったら、自分のものはそれで買いなさいって言うと思うよ。お金じゃないところ、ごはんを作ってくれるとか、朝起こしてくれるとか、勉強を見てくれるとか、学校に通わせてくれるとか、そういう毎日の面倒をちゃんと見てくれてるよね。中学に行ったら、また新しい制服やカバンやいろんなものを買わなきゃならないけど、そのためのお金もお父さんやお母さんが貯めていてくれてるよね。なのに、自分のお金は、お菓子や遊びにばっかり使っていいだろうか?」
六年生の男子「じゃあ、半分出します」
明見「半分か〜。ということは、毎月四万円も遊びに使うの?」
六年生の男子「え〜、じゃあ、一万円だけにする」
明見「それでも小学生には多すぎると思うけどなあ。そこはちゃんと家族みんなで話し合って、どう使うかを考えないといけないね」
六年生の男子「な〜んだ、結局、親に取られるのか〜」
明見「取られるんじゃなくて、預けるということなんだ。みんな、こうして毎日不自由なく暮らしているけど、電気や水道やガス、食事や着るもの、電車やバス代、車やガソリン代、家の家賃とかローン、外食したり旅行に出かけたり、習い事とか塾のお金、ノートや参考書、歯磨きとか掃除用具とかトイレットペーパーとか、いろんなものにお金が掛かっているのを、みんなちゃんと知っているかな? お母さんが毎日スーパーで買ってくるものを知ってるかな? 誰かがケガや病気をした時のために保険を掛けているのを知ってるかな? 君たちが高校とか大学に行く時のためにお金を貯めているのを知っているかな? そういうのを全部足すと、毎月いくら掛かるか知ってるかな? 全部を知ってる必要はないけど、何十万円も掛かるということくらいは知っておいた方がいいかも知れないね。だから、月に八万円貰えるとしても、ムダに使うことは出来ないんだ。ちゃんと計画を立てて、上手に使わないといけないわけだね。それは、分かるかな?」
六年生の男子「……はい」
四年生の男子「じゃ、今までと何にも変わらないの?」
明見「そうかも知れない。でも、お父さんやお母さんが、今までよりちょっと休みが多くなるかも知れないよ。そうなると、どうかな?」
四年生の男子「パパと遊べる時間が増える?」
明見「うん、それは君がパパと相談してみないとね。他には、どう変わるかな?」
五年生の女子「はい。たまにしかドライブに行けなかったのが、もっと行けるようになると思います」
六年生の女子「え〜、うちのパパは休みの日はパジャマのままでゴロゴロしてるから、そういう日が多くなるのはイヤです」
明見「あはは、そうか。きっとパパは仕事で疲れてるから、休みの日はゴロゴロしたいんじゃないかな? 休みが増えれば、そんなに疲れることもなくなって、ゴロゴロしなくなるかも」
六年生の女子「あ、そっか〜。元気になるんだったらいいと思います」
明見「あとね、今よりもあんまりお金の心配をしなくて済むから、イライラしたり、怒ったりしなくなるかも知れない。気持ちに余裕が出来て、もう少し優しく、ニコニコするようになるかもね。まあ、それは性格によりけり、人それぞれだけどね」
六年生の男子「じゃあ、僕たちはどうすればいいんでしょうか?」
明見「そうだねえ。勉強も、遊びも、いろんな体験をいっぱいすればいいと思うよ。そして、一生懸命考えること。いろんな体験に出会って、自分はどう思ったか、他の人はどう思ったのだろうか、そう思ったのは何故なんだろうか、それって本当に正しいんだろうか、ってね。そうやって考えることに、答えはないんだ。一度これが正解だって思っても、みんながみんなそう思わないかも知れない。あんな考え方も、こんな考え方もあるって、また悩まなきゃならなくなっちゃう。それは大人になっても一生続くものなんだ。そうやって考えていると、やりたいこととやりたくないことが分かってくる。やりたいことをするためには、何をしなきゃいけないかが分かってくる。自分に出来ることと出来ないことが分かってくる。自分と人のつながりとか、社会とのつながりとか、世界とのつながりが分かってくる。その中から、自分にとっての大切なものが見つかるんじゃないかと思います。それが喜びとか幸せに繋がるんじゃないかと思います。自分だけよければいいっていう自己中な幸せじゃなくてね。人によって大切なものは違うから、そういうのも尊重しないと、自分の大切なものも尊重してもらえないからね。そうやって自分の大切なものをいっぱい見つけて、幸せに向かって生きて行って欲しいなと、僕はそう思います」
六年生の男子「はい、分かりました」
明見「うん、僕も頑張ります。じゃあ、最後にもう一人、何か言いたいことがある人は?」
四年生の女子「はい。私は、ピアノと習字を習ってるんですけど、ママが塾にも行きなさいって言います。やっぱり塾に行った方がいいですか?」
明見「あなたは、あんまり塾に行きたくないのかな?」
四年生の女子「金曜がピアノで、水曜が習字で、塾は月曜と木曜と土曜日だから、遊ぶ時間がなくなるので行きたくないです」
明見「そうかあ。じゃあ、ママはなぜ塾に行きなさいって言うんだろう?」
四年生の女子「中高一貫の学校に行った方がいいからって」
明見「なぜ、中高一貫の学校に行った方がいいんだろうね?」
四年生の女子「う〜ん、分かんないです」
明見「よく分かんないのに行きなさいって言われても困っちゃうよね。たぶん、中高一貫の学校は、高校受験もないし、優秀な子が多いから安心して通えるからじゃないかな?」
四年生の女子「あ、そんなこと言ってました」
明見「じゃ、ちょっと園原先生に聞いていましょう」
園原「はい。そうですね、中高一貫校に通わせたい親御さんは多いですね。特に、生活に余裕のある家庭ほど、その傾向が強くなっています。その理由としては、今、明見さんがおっしゃったように、高校受験がない。そのために大学受験に向けての授業体勢を取っている学校が多いです。でも逆に、それについて行けない生徒が、却って勉強嫌いになってしまうという現象も問題になっています。親心としては分かりますが、子どもの意志に関わらず選択肢を決めてしまうのはどうかという意見も、最近では増えてきています。やはり、親はお子さんときちんと話し合って、理解・納得した上で決めた方がいいのではないかと思います」
明見「でも、たいていの子は、友達と違う中学には行きたくないって思うんじゃないかな? 結局、親に説得されてしまうことになってしまわないかな?」
園原「まあ、そういうケースもありますが……」
明見「大泉くんは、どう思う?」
大泉「そうですねえ。実は、僕も中高一貫校だったんですよ。今となっては良かったなと思ってますけど、小学生の時はよく分からずに受験させられましたね。だから、いいとも悪いとも言えないですし、どんな学校に進んだって、そこでどう過ごして何を見つけるか、どんな人と出会うかっていうことじゃないでしょうかね?」
明見「うん、やはり自分の経験となると説得力がありますね。つまり、どんな学校に行っても、そこに何があるか、どんな友達が出来るかは分からないし、別の学校に行っていればどうなったかなんて誰にも分からない。自分のいる環境の中でどう過ごし何を考えるのかは、自分次第っていうことですね。まあ親は、なるべくリスクの少ない、可能性の大きい方向に行かせたいのは、無理からぬことでもあるわけですが。でも、いちばんいいのは、本人の、子ども自身の希望を叶えてあげることですかね?」
園原「と言っても、12才の子どもにちゃんとした判断力があるのか、将来のことまで考えたり、はっきりした目標があるのかと言えば、やはり、友達と一緒にいたいとか、すぐ目の前のことでしか判断がつかないと思うんですよね。やはり、親としっかり話し合うことが重要なのではないかと」
明見「なるほど。でも、親も子どもも、どっちが本当に正しいのかなんて分からないですよね。そもそも正しい道なんてあるのか、という問題にもなってしまう。結果として良かったとか悪かったでしか語れなくなってしまう」
大泉「その通りです。僕のクラスにも、途中でついて行けなくなって他の高校に転入して行った人もいました。もちろん、勉強でもスポーツでも恋愛でも青春を謳歌してる人もいましたしね」
明見「ああ、そこがポイントかも知れないですね。たとえそこで失敗したとしても、それでお終いになるわけじゃない。そこで上手く行っても、その後全てが上手く行くわけでもない。失敗から学ぶこともあるし、成功がずっと続く保証があるわけでもない。そいうことを知って、また次の道を歩き出す。周囲も、そういうことを認められる寛容な世の中であって欲しいですね。話を戻すと、さっきの子は、遊ぶ時間がなくなっちゃうから塾に行きたくないっていうことだったよね。それは、どうすればいいですか?」
大泉「友達と遊ぶ時間っていうのは大切だから、塾とか習い事でそういう時間が失われてしまうのは可哀想だと思いますね。だけど、逆に見れば、塾とか習い事でも、また新しい友達が出来るだろうし、それを楽しみにするのもいいんじゃないかな」
園原「そうですね。学校以外の友達っていうのは、世界が広がるし。出来れば、学校の友達と遊ぶ時間もある程度残して、塾にも行ければいいんじゃないでしょうか?」
明見「うんうん。例えば、お試しで一ヶ月くらい塾に行ってみて、そこが楽しかったら続ければいいし、もっと友達と遊ぶ時間が欲しいと思ったら、塾の時間を減らすとか辞めるとか、ママと相談してみたらいいんじゃないかな? お母さんも、将来のために絶対に行かなくちゃダメと、子どもの今を苦しくしないようにしてあげて欲しいなと、事情はそれぞれおありでしょうが、そんなふうに思います」
四年生の女子「分かりました。ママとお話してみます」
明見「あなたも、自分はどうしたいか、ママはどうしたいか、よく考えてみて下さいね。じゃあ、時間になってしまったので、今日はここまでにしましょう。少し難しい話もあったと思うけど、今の話はネットでいつでも見れるから、それを見ながら、またおうちの人といろいろ話をしてもらえたら嬉しいなと思います。皆さん、今日はどうもありがとうございました」
園原「ありがとうございました」
大泉「今日は、みんなの声を聞いて、僕もいろんなことを考えさせられました。とても楽しかったです。どうもありがとう」
明見「では、この後は十五分の休憩を挟んで、先生や保護者の方々と、さらに意見交換をしたいと思っています。ご参加をお待ちしております。ありがとうございました」
一時間の予定をオーバーして第一部が終わった。
子どもたちは明見たちの前に並んで、ニコニコと握手を交わして教室を出て行った。
BIの国 ーベーシックインカム社会はユートピアか?ー 高祇瑞 @miz
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