第3話  逃走作戦



 今日も、窓の外の世界は移り変わる。



 ファイヤマール王国滞在最終日。


 今朝も暖かい日差しで目が覚めた。

 しかし、吹き抜ける風は冷たく、冬の到来を感じざるを得ない。


「この風景も見納めですね」


 感慨深げ目を細めるトワラにメシャは大きく頷いた。


「一週間あっという間にだったなー」


 窓から見える景色は、季節の移り変わりをダイレクトに写し出していて、いくら見ても飽きない。


「メシャ、トワラ置いていくぞー」


 父親に名前を呼ばれた二人は「今行くー!」と元気に返事をすると、それぞれの荷物を背負い、窓辺から離れた。




 メシャとトワラは今二人だけでサンキント・バザールを散策している。


「メシャ君行きたいところありますか?」


 トワラはメシャの前を歩きながら振り返った。

 あちらこちらにはためく国旗に目を奪われていたメシャは、我に返ったように「あ、おう」と吃った。


「まるでお祭りみたいだな」


 ぐるりと辺りを見渡す。


 遠くから風に乗ってファンファーレも聴こえてくる。

 人通りも昨日までの倍以上いるような気がした。それに、普段よりも笑顔の人が多い気がする。あちらこちらから大小様々な笑い声が聞こえる。


 賑やかなのは好きだ。自然と頬は紅潮し口角は緩む。


「今日が王女様の生誕祭当日ですからね」


「この国のお姫様ってどんな顔なんだろな」


「いいもの食べて、いい衣服を身に着けて、さぞ美しいんじゃありませんか? まあ、王族なんて城から出てきませんからね。近しい人しか御顔なんて知らないでしょうけど」


 楽しそうなメシャに対してトワラはまるで他人事のように淡々と皮肉を呟いた。


「人が多いのは好みませんね」


 そう付け加えたトワラにメシャは彼が不機嫌そうに見える理由を理解した。


「じゃあ三番街のほうが人少ないだろうし、そっちに行こう!」


 メシャはニカッと笑うとトワラの手を引っ張って行った。



 今朝、宿屋を出た後父親のヨンハは二人にそれぞれ硬貨を一つずつ握らせた。

 子供にしたら十分過ぎるほどの金額だ。

 父親は友人の家に行くからその間二人は自由に遊んでこいと言うのだ。

 時間は昼過ぎまで。夕方の便で帰るらしい。


 そう言われた時二人は互いの顔を見合わせて互いに花が咲くように笑った。


「ぃやったー!」


「ちょっと待ってください! メシャ君!!」


 勢いよく人混みに飛び込んでいったメシャを、トワラはあわてて追いかけていった。



「そろそろ昼メシの時間かな」


 遠くの教会から正午を告げる鐘の音が聞えた。


「何食べましょうかね~」


 トワラはワクワクとした口振りで辺りの食べ物屋台に視線を向けた。


 焼きたてのパンの芳ばしい香り。

 肉が鉄板の上で焼ける音。新鮮な野菜、果物のみずみずしい輝き。また他に、故郷では見たことの無いような鮮やかな果物に彩られたスイーツの花々しい香り。


 二人でワクワクしながらあたりを見回していると、ふとトワラが視線を止めた。


「何かあった?」


 メシャの声に、一点を凝視していたトワラは


「食べ物ではありませんが、少し見てきていいですか?」


 と、前方を指さした。

 メシャが頷くのを確認するとトワラは駆け足で人混みの中を掻き分けて行った。



 トワラを追って行くと、そこにあったのは木細工を扱っている小さな商店だった。

 トワラは店頭に並べられた木箱を一心に見つめていた。


「すごい細かく彫り物がしてある!」


 あとから来たメシャが感嘆の声をあげたところで、店の奥から白髭を蓄えた人の良さそうな翁が顔を出した。


「何かお気に召したかい。かわいいお客さん」


 その声にトワラはゆっくりと顔を上げた。

 大きな目をキラキラと輝かせた。


「このオルゴールもう一度流してもらっていいですか?」


「あぁ構わんよ」


 店主は嬉しそうに微笑むと、トワラが見つめていたオルゴールを持ち上げ、背面に付いていたぜんまいを数回回した。


 直後、民族調の軽やかなメロディーが流れだした。オルゴール特有の柔らかな音色がとても心地よい。


 トワラも恍惚とした表情で喧騒の中、耳をすませていた。


「トワラはこういうのが好きなのか?」


 やがてメロディーはぎこちなく速度を落とし、軋んだ音をたてて停止した。


「そういう訳ではありませんが」


 視線をオルゴールからメシャに移す。


「聴いたことあるような気がしたんですよね」


 そう言って、はにかんだ。


「それで……あの、これいくらですか?」


 オルゴールを指さすと首をかしげた。


「これはのう……金貨十枚じゃな」


 店主は老眼鏡をかけると値札を読み上げた。

 トワラは、イマイチその金額にピンとこないらしくメシャの顔を見上げ、ポケットの中をまさぐり、これで足りますか? とヨンハからもらった硬貨を見せた。

 それにメシャは呆れ顔で「それあと一万枚いるぞ」と肩をすくめた。


「ぜ、全然足りないじゃないですか……」


 トワラはうわずった声をあげて後ずさった。


「仕方ないだろ。オレんちただの農家なんだからさぁ」


「知ってますよぉ貧乏~」とため息を吐くトワラ。


 失礼な奴だな! メシャに小突かれると、諦めたように、それじゃあ昼食に行きましょう。

 と踵を返した。

 それでも、やはりオルゴールが気になるようでチラチラと何度もオルゴールに目を向ける。


 ほら、トワラ早く行くぞ!おなか減った! とメシャが急かしても重りが付いたかのように動かない。


 そんな様子を見かねてか店主は「かわいいお客さん」と声をかけた。


「なんですか?」


 トワラはキョトンと首を傾げる。


「手を出しなさい」


 物腰柔らかく翁はそう促した。

 両手を出して、不思議そうな顔で店主を見上げるトワラ。次の瞬間、彼は大きく目を見開いた。


「本当にいいんですか?!」


 トワラの小さな両手に、すっぽり収まるサイズの小物入れがのせられていた。


 サイズこそ先ほどのオルゴールより小さいものの、それに負けず劣らずの繊細で美麗な装飾が施されている。


「大人になって、自分でお金を稼げるようになったとき、まだワシのオルゴールに興味があったら買いに来なさい。それまでこのオルゴールは君のために取っておこう」


 君が大人になってもこの小物入れを持ってきてくれたら君だと気づくから。

 木細工屋の店主は、しわの刻まれた顔を綻ばすとトワラの頭を撫でた。



「よかったなぁトワラ」


「はい、本当に」


 昼食には買えるだけのバターロールを買った。


 焼きたてでふわふわで香ばしい。それを口に運びながら隣をトコトコと歩くトワラを見る。


 彼は、両手に抱えた小物入れを恍惚とした表情で眺めている。

 ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ。メシャが注意をしても、わかってますよー、と気のない返事が返ってくるばかりだ。


 相当あの小物入れに夢中になっている。


 そろそろ、人通りの多い通りに戻ってきた。

 目の前には見上げると首が痛くなるほど高く大きく豪華な王宮がそびえたっている。


 いい加減、前見て歩かないと迷子になっても知らないからな。

 メシャがトワラの腕を掴んだ時だった。


 あ、トワラが短く唸った。


 僅かな衝撃、小路から少女が飛び出してきたのだ。

 トワラはメシャに腕を掴まれたタイミングも相まって避けることができなかった。


 トワラが尻もちをつくのと同時に、するり、と小さな手から小物入れが滑り落ちる。

 往来を規則正しく流れていた人の波が僅かに乱れた。


 少女は両手で紙袋を抱えていた。


 彼女はその勢いのまま、受け身を取ることもなくトワラにぶつかり地面に倒れこむ。


 地面に高級そうな衣服が散らばる。


 少女は何かから逃げているような、焦燥と狼狽の色を見せながら、砂埃にまみれることも厭わず、散らばった紙袋の中身を慌ててかき集めると、転んだ時に痛めたのか、片足をかばうような足取りで人混みに紛れていった。


 あまりに一瞬のことでメシャは茫然とその場に立ちすくんだ。


 時間として十秒にも満たなかっただろう。


 既に往来を行く人々は何事もなかったように人の川を形成している。

 すべてがスローモーションに見えて果てしなく長い時間に感じた。

 しかし、人々はいつも通りの速度で横切って行く。まるで自分だけが違う世界に取り残されたような気がして気分が悪い。そこにいるのに誰にも見えてないような……。


「メシャ君!」


「トワラ……」


 目の前に、真剣な表情で友人の名前を呼ぶ少年の姿があった。

 我に返り、安心する。


「どうしたんだよ」


 一呼吸おき、どこか怪我でもしたのか。

 そう続けるより早くトワラはメシャの袖を引っ張った。


「盗られた!」


 何が、とメシャが問うより早くトワラは今まで歩いてきた方向、先ほど少女が駆けていった方向に袖を掴んだまま走り出した。


 一体なんなんだよ、もう……。



「返してください!」


 ここは、どこにあたるのだろうか。

 四番街、いや二番街まで戻ってきただろうか。

 トワラに引っ張られるまま、この薄暗い小路に来てしまった。

 トワラの声が狭い通路に反響する。

 いつの間にか日が陰って横にいるトワラの姿もぼんやりとしている。


(あーあ、袖伸びちゃったなぁ)


 このシャツ、まだ新しいのに。

 ただでさえサイズの大きい服を着ているのに更に大きくなってしまった。

 王都に行くにあたって「せっかく都会に行くなら少しでも見栄えを良くしないとな」と父親がおろしてくれた。


 ただ単純に嬉しかった。

 普段の苦労を知っているからか、父親はいつも通りの、黄ばんで継ぎ接ぎの目立つ服なのに。


 メシャが他事を考えていることに気付いたのか、「メシャ君も何とか言ってくださいよぉ」とトワラは険しい顔で横、メシャの顔を見た。


「え、あぁ……えぇ、と」


 口ごもり、前を向く。

 二、三メートル離れた場所に紙袋を抱えた少女が俯いて立っていた。


 辛うじて相手が、先ほどトワラとぶつかった相手だとわかる程度の距離で表情まではわからない。もう少し日が射してくれれば見えるだろうが。

 少女の背後は壁だ。そういえば、どうしてトワラは彼女を追い詰めたのだろうか。あ、そうだ。さっきトワラにぶつかった時……。


「あんたは……」


 その時、メシャの言葉を待っていたかのように小路に日光が射しこんだ。少女の顔が顕わになる。思わず、息をのんだ。何故なら少女の顔が


「お姫様……なのか?」


 何度も想像した、大好きな物語に登場する『お姫様』の容姿そのものだったからだ。

 ほどけかけた髪留めをしたブラウンの髪も、深緑の宝石のような瞳も。



 彼は一体何を言っているんだ? トワラはメシャに追撃してほしくて縋ったはずだ。

 しかしメシャは突然、盗人娘に向かって「お姫様なのか?」と問うた。


 一体何が起きたというのだろう。

 トワラが、再び少女の顔を見たとき、更に予想外の事実知ることになった。


 さっきまで、まるで意味が分からないと言いたげに不機嫌そうな顔で俯いていた少女は、顔を上げ、目を見開き、片頬を引きつらせた。


「なんで、そのことを知っているのよ……」


「……やっぱり、お姫様だったんだ!」


「ちょっと、近づかないで! あなた私にカマかけたのね?! 私をどうするつもりよ!!?」


 何故か瞳をキラキラと輝かせるメシャと、動揺を誤魔化すように怒鳴る少女。


「どうするつもりって、守るに決まっているじゃないか!」


 メシャは一切陰りのない純粋な笑顔で答えた。

 トワラは頭を抱えた。


「言うと思った」


 と小さくつぶやく。

 このままだと、何やらややこしいことに巻き込まれてしまいそうだ。


「まっ、守るですって?!」


「だって、あんなに慌てて走ってたし悪者に追われていたんじゃないのか?」


 話しが飛躍しすぎていないか。


 せっかくの楽しい時間が無くなったらどうしてくれるんですか?


 トワラが制止しようとした時、野太い声にかき消された。


 大きくガタイのいい影が二つ、こちらに伸びている。


「そこにいる子供たち! 小路から出てきなさい!」


 ……この小路はとても狭く細い。

 メシャたちの大きさでちょうど通れるほどだ。当然大人は小路に入ることすらかなわない。


「あ! あいつら、城の門兵なのよ!きっとあいつらは私の顔を知ってるから……」


「大変だ! 早く逃げ」


「メシャ君、少し落ち着いてください! ……と言いたいところですが、邪魔が入ってきたようなので場所を移動してから、詳しい話を聞きましょう? ね? 冷静でないとすぐにつかまりますよ」


 お姫様だとかどうか僕はどうでもいいですが、まだ用はすんでいないんですから。


 この時メシャは思い出した。トワラは無表情か笑顔でいる時が多い、だが感情は豊かだ。

 顔は笑っているが、目の奥はとても冷たい。

 相当イライラしているのが伝わる。トワラの怒気を滲ませた口調に気圧され、メシャと少女は一度顔を見合わせると頷いた。


「何をしているんだ! 早くこっちに来なさい!」


 再びの怒鳴り声。


「応援を呼ばれて通路を塞がれたら終わりですね。メシャ君はこのまま裏路地を通って逃げてください。僕は時間稼ぎをしてから後を追いますから」


「だけど、トワラ捕まったらどうするんだよ」


 メシャは心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫ですよ。僕よりもお姫様の心配をしてください」


 何を根拠に……。メシャはそう言い返そうとしてやめた。

 トワラは満面の笑みをしている。

 何か秘策でもあるのだろう。

 トワラの言う通り、今はこのお姫様を守ることを優先させるべきだ。


「……わかった。よし! 作戦開始だー!」


「おー!」


 きっと二人はまだ子供だったのだ。

 まだこの先の展開に期待して楽しむことができた。


 そう、この状況を楽しんでいた。冷静になって考えてみればとても奇妙な状況だ。

 兵士に追われるなど、大人であったら狼狽し不安しかないだろう。


「オレたちはこっちに行こう!」


「ちょっと! 一人でも走れるわよ!」


 賑やかな二人を見送るとトワラはユラリと方向転換し門兵のところまで歩いて行った。


「僕に何か用ですかー?」


 にこやかに近づいてくる少年に門兵たちはすっかり油断していた。


「ほかにいた……、女の子がいただろう? 彼女に聞きたいことがあるんだけどな。呼んできてくれないかい?」


「用事ができたみたいで帰りましたよ。聞きたいことがありましたら僕が代わりに答えますが……」


 少年はにたりと唇をゆがませた。


「……!?」



 思っていたよりもトワラは早く追いついてきた。


「あの門兵は?」


「さあ? でも、もう追ってはこないので安心してください」


 ひどく幸せそうに報告するトワラ。

 一抹の不安がよぎったが、ただの思い過ごしであることを祈ろう。


「不気味な子だわ……」


 少女はトワラに聞こえない小声で呟いた。


 ……否定はできない。



「気がつかなかったわ。悪いことをしたわね」


 少女はそう言うと紙袋をまさぐってトワラの手に小物入れを返した。


 どうやら、先ほど転んだ時に間違って紙袋に入り込んでしまったらしい。

 なるほど、トワラの言っていた「返してください」とは小物入れのことだったのか。


「いえ、こうして無事に手元に戻ってきてくれたので……充分です」


 トワラはオドオドと視線を泳がせ、早口になり、口をつぐんだ。


 少女の名前は、ルーラ・フィアンマ・アーゼス。


 この大国の第二王女だ。


「情けないわねぇ。さっきまでの威勢はどこに行ったのよ」


 ルーラは腰に手を当てるとニマニマとトワラの顔を覗き込んだ。


「んん……だって本当だとは思わなかったんですもん」


「オレお姫様だって言ってたじゃん」


 五番街の路地裏。

 三人の子供は互いに寄り添って地面に腰を下ろした。


 ルーラは使用人の私服を借りたようで、薄汚れたシャツに、綿のスカートを穿いていたが、それすらもうっすらと輝いて見えた。着る人が変わるだけでこうも服の印象が変わるのかと思わず嘆息した。


「それで、お姫様はなんで家出したんだよ」


 見れば見るほど美しい顔立ちだ。メシャはこの美しい姫にはきっと居城を脱出しなければならないほどの深い理由があるのだと考えた。


「飽きたからよ」


 しかし、返ってきた答えは意外なものだった。


 当たり前でしょ。と言わんばかりにルーラは即答した。

 本で読んだ王宮の暮らしは、衣服も、食事も、庶民には想像つかないほど豪華であり、欲しいものも簡単に手に入る。身の回りの世話は、覚えきれないほどのたくさんの使用人がしてくれる……らしい。

 そんな生活に何度も、叶わないと知りながらも夢見てきた。その生活に飽きたなんて。

 呆気にとられたメシャは、トワラの顔を見た。彼は口元に手を当てて黙りこくっている。なんと反応を取ればいいのかわからないようで、考え込んでいるように見えた。


 黙ってしまった二人にルーラはこう続けた。


「お城の中ってね、何もないのよ。勉強勉強ってうるさい家庭教師と、大臣たちへのご機嫌取りに必死な下女。将来必要になるんですって。……私はそんなくだらないものが必要になる大人にはなりたくないわ」


 自虐的に笑ってみせる。


「お姫様なのに、ですか?」


 考えがまとまったのか、口元に手をあてたままトワラは首を傾げた。


「そうよ」


 再びの即答。言い切ると、突然ルーラはパッと花が咲いたように笑顔になった。


「そんなことより、やりたいことがたーっくさんあるの!」


 トワラはあきれ顔で彼女の発言を反芻した。そんな道楽目的で家出するなんて使える人に取ったらたまったもんじゃありませんね。

 口には出さなかったものの、かなり嫌悪の表情をしていたに違いない。

 こんな我儘で傲慢そうな子なんておいていきましょうよ。メシャの名前を呼ぼうと彼の顔を見たとき、トワラは用意していたセリフを諦めた。


 彼は、頬を紅潮させ瞳をまぶしいほど輝かせている。

 そうだ、メシャはこういう人だ。だから、トワラもメシャのことが好きなんだ。真っ直ぐで、素直でお人好しな彼のことが。


「じゃあ、オレたちと一緒にやっちゃおうよ! 何がやりたいんだ?」


 メシャは立ち上がると両手をバっと広げた。


「お城の外の世界のことなら教えてあげられるよ!食事とか、流行ってるものとか、……あと、好きなお店とか、きれいな景色とか!」


 一切陰りのない無邪気な笑顔のメシャにルーラはクスリと笑った。


「一緒に街を見てみたいわ! あと……お買い物もしてみたいの」


「わかった! あ、自己紹介がまだだったな。オレはメシャ。こっちがトワラ」


「メシャとトワラね。よろしく」


「よろしく!」


 メシャはルーラに手を差し出した。

 その手をトワラが遮った。

 顔をしかめるメシャにトワラはあきれたように眉を寄せた。


「さっきまでとは違い、正体が分かった今、王女様に対して無礼が過ぎませんか?」


「ああ、そうか……」

「待って、そのままルーラと呼んでほしい。せめて今だけでも!」


 とあわてて居住まいを正そうとするメシャをルーラは制止した。

 そういえば、彼女は使用人にも呼び捨てで呼ぶように命令したこともあった。もちろん誰も了解してくれなかったが。

 みな口を揃えて「そんな恐れ多いことなど出来ません」と首を横に振った。

 彼女は自分に立場で遠慮をしない友達が欲しかったのだ。


「わかった! そういうことなら! トワラもいいよな?」

「はあ、どうなっても知りませんよ?」


「ありがとう!」


 トワラはまだ納得していないように腰に手をあてたが、無駄だと分かったようでため息とともにメシャの顔を見つめた。


「せっかくの時間を無駄にするわけにもいきませんから、そろそろ街に行きましょう」


「よし! 街を探検するぞー!!」


 メシャが笑顔で拳を掲げる。それに引き続いて「おー!」とトワラも拳を掲げた。


 初めての城下町で、初めて出会った二人の少年。

 素性も何も知らない。彼らが悪人の可能性もあったが、それは城下町を歩いているうちに次第にどうでもよくなった。

 心配や、疑問があったがそれ以上にはじめてに対する期待が上回っていた。


「仕立屋!」「きれいなドレスがたくさん!」

「果物屋!」「宝石みたい!」

「ブリキ細工!」「すてき!」

「木細工!」「繊細!」

「あ、語り部がいる!」「なんのお話かしら?」

「酒屋!」「子供は入れませんね!」

「ケーキ屋!」「食べたい!」

「奇術師がいますよ!」「どんな仕掛けがあるんだ?!」

「古本屋!」「古い本がたくさんあるわ!」

「あ!あそこは?」「何屋でしょう?」「確認しに行きましょ!」「ひとりで駆けださないでくださいー!」「早く早くー!」


 激しい人波の中、それに負けじと三人の子供はキラキラした笑顔で駆け抜けていった。


 何時間走ったのだろう。


 小さな丘の上にたどり着いた。

 眼前のバザールには今もたくさんの人がいるというのに、この丘には数数えるほどしかいない。

 その奥には赤いとんがり帽子をかぶったような屋根が特徴的な王宮が堂々とそびえているのが見えた。


 南の空にいた太陽はいつの間にか西の空に傾き始めている。寝転がって青と茜の混じり始めた空を見上げた。


 三人とも肩で息をしながら芝生の上で大の字になっている。ずいぶん涼しくなってきたというのに、全身から汗が吹き出しベタベタした。

 それでもとても幸せな気分だった。


「……きれいな景色ね」


 土と、草と汗にまみれてすっかり汚れた服を着たルーラは起き上がると手の甲で汗を拭った。


「だろ?オレたちのお気に入りの場所なんだ」

 

 起き上がり得意気に笑った。

 そこへ、水飲みますか。

 トワラがと使い古してデコボコになったボトルを差し出した。


「いただいてもよろしいかしら」


 寝ぐせのついたブラウンの髪を撫でつけながら、無言で水筒を受け取り、浴びるように水を飲みほした。

 ルーラはためらうことなく水筒に口を付けた。庶民の生活に憧れていると公言するくらいだから当たり前と言ったら当たり前だが。基本嫌がる王侯貴族のほうが多い。


 しばらく、互いに口を利かないまま無音の時間が流れた。沈黙を破ったのはルーラだった。


「素敵な街だったわ」


 感慨深げに呟いた。


「皆、とても幸せそうだった」


 思い出すのは、色々な部族の、色々な世代、様々な目的をもって街に出た者たちの笑顔だった。


「誇らしい気持ちになったわ。国王の治めている国の王女でいられたことに。思った通りだったわ。王宮なんかよりずーっと楽しかった」


 話し終えたルーラは、グーッと伸びをすると、西日の反射を受けて煌めく王宮をじっと見つめた。


「あーあ、帰りたくないわぁ」


「じゃあ、ルーラも一緒に……」

「何言ってるんですかメシャ君。誘拐犯として投獄されますよ」


 相変わらず頓珍漢な提案をしようとしていたメシャを遮った。


「じゃあトワラが代わってよ。それに私のことが心配で探してるわけじゃないわ。私が見つからないと首が飛ぶから探してるのよ」


 それに対し、ルーラは不満そうに口を尖らせた。


「代わるなんて、それは無理ですよ」


「なら、どこか遠くに連れてってよ」


「そんな無茶苦茶言わないでくださいよ。メシャ君も何とか言ってくださいよ」


「んー……」


 メシャはしばらく腕を組んでうなっていたが唐突に顔を上げると立ち上がった。


「オレが勇者になるよ!」


 唐突にそう言うと、スクっと立ち上がった。


「突然ね」


 ルーラは口角を少し上げると、メシャの顔を見上げた。


「ルーラは家に帰りたくなくて、オレもルーラに帰ってほしくなくて、でもそれがダメだって言うならオレが勇者になって助けに行けばいいんだよ!」


 あっけにとられるトワラ。


「それは名案ね」


 思わず吹き出すと笑った。


 心の底から幸せそうに笑うのね。思いついたことをすぐ口にした。そうか?そうよ。


「じゃあ、私は王宮に帰らなくちゃね」


 言うが早いか、ルーラもメシャに引き続き、勢いよく立ち上がった。

 意外そうな顔をするトワラに対し、メシャはにっと笑ってみせた。


「なんでそうなるんですか?」


「だって、メシャが助けに来てくれるってことでしょ?」


「もちろん!」


「ね? だからそれまで勇者様が助ける価値のあるような王女になるように頑張ってみるわ」


「オレもいざって時にルーラを助けられるような大人になるように頑張るよ!」


「勇者になるんじゃないんですか」


「違うよ。ルーラを幸せにできる人になりたい。そのためならオレは勇者にでも王様にでもなってみせる」


「王様ってまた、大きくでましたねえ」


「それだけ『カクゴ』があるってことだよ!」


「うふふ、期待して待ってるわ」


 教会の鐘が鳴った。

 会話を止めて、鐘の音が聞こえた方向に視線を向けた。



「そろそろ帰らないと」


 ルーラが溜息とともに口にした。


「あっという間でしたね」


 トワラも遊びたりない、そんな物足りなさそうな表情をした。


「大丈夫よ! きっとまた会えるわ!」


 ルーラが二人に笑顔を見せた。


「そうだよ、こんなに仲良くなったのにこれっきりだなんて神様もそんな意地悪じゃないよな」


 約束だよ。また会おう、そしてこの丘でまた。


 三人とも幼くしてわかっていた。この約束が達成される確率は限りなく低いということを。しかし、それでもまた会えるだろうと、期待していた。



 ほどなくして、三人はそれぞれの帰路についた。

 互いの姿が見えなくなるまで、全力で手を振った。

 メシャとトワラの姿が見えなくなると、ルーラはふう、とため息をつくと腰に手をついた。

 そして今までの楽しそうな口ぶりが嘘のような冷たい声でこう言った。


「隠れてないで出てきなさいよ」


 日の沈みかけた丘の周辺にルーラ以外の人影はない。そこへ乾いた拍手がこだました。


「いやぁ、さすがルーラ様。いつからお気づきで?」


 誰も異議を唱えられない、そんな端正な顔立ちをした少年が、軽薄な笑みを浮かべてルーラに歩み寄った。少年と言ってもルーラより頭一つ分大きく、使用人服を身に着けているが、彼が使用人でないことをルーラはよく知っていた。


「ふざけないで、いったい何のつもりよ。ヒカル」

 

 ヒカル、と呼ばれた少年は不機嫌そうなルーラを前にして、目にかかりそうな赤褐色の髪をかき上げると口唇を引きゆがめ意味ありげなあざ笑いを浮かべた。


「別にぃ? ふざけてるつもりはないんだけどなぁ」


 とても自国の王女を前にしているとは思えない態度の少年こそ、王宮に軟禁状態だったルーラに外の存在を教えた張本人だ。ルーラの三つ年上の情報屋で彼の提供する情報は正確無比であり、若くしてその実力を王宮に認められている。そして……。


「それに、王宮の馬車もちゃんと呼んできたし。おっ、来た来た! 王女様のためとなると早いなあ」


 ヒカルは目の上に手をかざすと、サンキント・バザールのほうを眺めた。


「じゃ、俺は先に帰らせてもらうよ」


「え?! 折角迎えが来たんだから、一緒に帰りましょうよ」


「まだ、仕事が残ってるんでね」


 じゃあね~!と満面の笑みを浮かべると、まるで逃げるようにヒカルは去っていた。


(何しに来てたのかしら……)


 その後、駆け付けた豪華な王宮の馬車に乗せられ、王宮に連れていかれると、メアリーにお小言を言われながらパーティの準備をした。ルーラ王女の失踪により予定通り開催できるか危ぶまれたが、予定通りパーティは始まった。いつもより明るい顔で登場した着飾ったルーラに使用人たちは一同そっと胸をなでおろした。

 こうしてルーラの初めての冒険は幕を閉じたのだった。



「始末書書いたよ~」


 賑やかなパーティを背にヒカルが重い戸を開けて入ってきた。ノックくらいしろ。と言う部屋の主に見向きもせず、彼女の前の机に紙束を無遠慮に広げる。返事のないヒカルに、まぁいつものことか、と彼女は始末書を手に取った。


「おつかれ。やけに量が多いけど」


「ああ~。ちょっと面白いことがあってさ」


「面白いこと?」


 部屋の主は、編み込んだ亜麻色の髪を指でくるくると巻くと表紙を一枚めくった。


「ルーラを探しに行った兵士が二人おねんねした状態で見つかった。しかも二人とも乱闘したような傷はなかった」


 ページをめくっていた指が止まった。


「あと、ルーラと一緒にいたのはシバ族とルフ族の少年だ。……今時珍しいだろ?」


「まさか、純血か……?!」


 彼女はわかりやすく目を見開いた。


「まぁ、時間があるときにじーっくり読んでくれよ」


 それじゃあ、失礼するよ。ヒカルは片手をひらりと振ると部屋を後にした。


 これから起こる物語を私たちはまだ知らない。


 つづく

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姫と永遠の檻(仮)(旧) 宮川あわ @awapple

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