第2話 王国に集いし旅人達



 初めてというのは、とてもワクワクする。



 ルーラが家出をする一週間前、彼女と同じく初めて城下町を訪れた少年がいた。

 ただし彼はどこにでもいる辺境出身の田舎者だった。


 少年の名前はメイアサ・ランジエル。


 ランジエルは自分の国の名前だ。

 ランジエル国は、ファイヤマール王国からずっと西にある山脈の先に位置する、自然豊かで農業が盛んな小国である。

 基本ランジエル国の平民に姓はない。だから皆必要なときは自分の暮らしている国の名前をつけて名乗った。


 こう名乗ると、なんだか国民全員が家族のような気がして彼は気に入っていた。


 しかし誰も彼ことを「メイアサ・ランジエル」と呼ばない。


 皆彼のことをメシャと愛称で呼んでいた。

 堅苦しくなく親しみやすい気がして今では本人も本名で名乗ることより愛称で名乗ることが多くなった気がする。

 

 話を戻そう。


 メシャが故郷を離れはるばるここに来たのには理由がある。

 彼の父親はフルーツ農家だった。

 そのフルーツはとても質が高く、ファイヤマール王国サンキント・バザールまでの運賃を引いても故郷の村で売るよりずっと儲かった。

 そのため、彼の父親は毎年わざわざ馬車で二日以上かかる城下町まで商品を売りに行くのだ。

 それに毎年付いて行きたがっていた少年は今年、年齢がようやく二桁になったというわけで同行を許可された。


 嬉しいのは当然だ。


 家を出た時から心臓の動悸が止まらなかった。喜びが胸から溢れそうになる。


 気分はさながら旅を始めたばかりの冒険者だ。


「おいおいメシャ。そんなにはしゃいでいるとあっという間に迷子になるぞ」


 長旅で疲労の色を見せる父親は、喧騒の中もう一度「メシャ」と息子の名前を呼び、子犬のようにぴょんぴょん走り回っている息子のくすんだ金毛をくしゃくしゃとなでた。



 来年からは首輪とリードを用意したほうがいいのかもしれない。


「なぁ父さん、アレは? アレは何屋? ……あっあそこは何を売ってる店?」


 父親の苦労など露知らずの息子は、興味津々と辺りを見渡し、父親にあれこれ質問を浴びせる。

 そしてメシャは一際目立つ建物を指差した。


「あれはこの国の王宮だよ」


 息子が問うより早く父親は答えた。


「あれがファイヤマール王宮かー。大きすぎて遠いのか近いのか良く分かんないなぁ」


 感心したようにメシャはあいている手を目の上にかざして、そびえ立つ王宮を見上げた。


「父さん、あの中にオレんちいくつはいるかな? 十軒分くらいかな」


「ハハハ、父さんは昔間近で王宮を見たことがあるが千軒は余裕そうだったよ」


「すっげえ! じゃあオレんち三人暮らしだから……えっと千軒入るなら、三千人暮らせるな」


「全く何を言っているんだ?」


「計算間違ってないだろ? この間アンナおばさんが教えてくれたんだ」


 自慢げに無邪気な笑顔を見せ嬉々と語る息子を、父親はいとおしげに見つめた。


 片手で品物を乗せた台車を引き、もう片方の手でメシャの小さな手をつなぎ宿屋に向かった。



 ……のは、すでに今から一時間前のことだ。


(父さん、どこに行った?)


 往来の激しい通りでメシャは一人ぽつんと頭をひねった。


 確か、父さんに連れられた宿屋は木造の二階建てで、入ってすぐ現れたのは豪快な笑顔が特徴的な女将さんが出迎えてくれた。

 その後ベッドが丁度二つ納まった部屋に通された。

 南側に窓があり、メインストリートと王宮を臨むことができた。

 景色は良く、文句はないがベッド以外置くスペースがないほど狭い部屋だった。


 それから宿屋を出て父さんと二人で出店する場所を確認しに行って……。

 その途中にあったブリキ細工を扱う店に気を取られている隙に父親の姿が見えなくなっていた。


(父さんは宿屋から歩いて十分くらいだって言ってたよな)


 そう思い出し父親を探し始めたのだが、一向に父親の姿を見つけられないし、店を出すと言っていた広場にもたどり着かない。


 これじゃあ完全に迷子だ。

 初めての土地でまさか迷子になるなんて。

 だんだん心細くなってきていた。行き交う大勢の人々の間を泳ぎながら「父さん、父さん」と力なく呟いた。


 そろそろ自分がどこにいるのか分からなくなって立ち止まった時だった。



「どいてぇ!!」



 何者かの声でメシャはハッと顔を上げた。その時だった。


 ゴッチーーン!


 と盛大な音を立てて何者かが正面から突撃してきた。

 吹き飛ばされたのは相手のほうだったが。


「あ痛たたた……」


 おそるおそる目を開けると、すぐさま目の前でひっくり返っている相手を抱き起こした。


 年は同じくらいだろうか。

 鮮やかな緋色の髪、そしてぶつかる直前に見た青い瞳、おそらく、彼はルフ族なのだろう。


 服装はよく見る麻のシャツにズボン、くすんだ緑色のマントを纏っていた。

 男かと思ったが、色白の肌と、閉じていても大きいとわかる瞳、筋の通った小さな鼻と無造作にのびた長い髪型も相まって、顔だけ見ると女みたいだった。


「おーい、大丈夫……ではなさそうだな」


 軽くゆすぶってみると相手は「うう……」と短く唸った。

 のびてはいるが生きてはいるようだ。


 それにしてもどうしようかこの子。

 往来のど真ん中に置いていくわけにもいかないし……。

 忙しく通り過ぎていく人々が「大丈夫?」「置いてっても問題ないわよ」と笑っていた。


 いやいや、そういうわけにはいかないだろう。


 どうしよう、父さんも捜したいのに。


 そう思い途方にくれていたところ「よくぞ捕まえてくれた!」とかくしゃくとした老人がこちらに向かって来るのが見えた。


 イマイチ状況が掴めないメシャは


「何が、あったんですか」


 と老人の顔を見上げた。彼は苦虫を噛み潰したかのような顔をして


「万引きじゃよ。まったく逃げ足が速くてびっくりしたわい」


 と言った。


「はぁ、こいつが」


 メシャは気絶している彼……多分男で良いだろう。

 彼の顔を見て、それから老人の顔を見て再び少年の顔に目を向けた。


「たっぷり叱ってやりたいところだが、こうのびていては仕方ないのう。すまんが少年、ワシの店までこやつを運んでくれないだろうか。この通りワシは非力な老人じゃからな」


 老人は落ちていたりんごを拾うとそうメシャに提案した。少しの思案のあと、


「いいよ!じいさんの店ってどこ?」


 このまま闇雲に父親を捜していても埒があかないと思いメシャは快く了承した。




「お、やっと気が付いた。オレはメシャ。怪しいやつじゃないよ」


 満面の笑みを見せる少年に彼は怪訝な顔で頭をおさえた。


「いててて、ここどこですか?」


 声だけ聞いても性別は判断できない。


「ここは、ゴーシュじいさんの家だよ。……お前が万引きした店の主人。なんでそんなことしたんだよ」


「あぁ、捕まっちゃいましたか。お金、持ってなかったので」


 苦々しく言ったメシャに対して赤毛の少年は平然と答えた。

 こいつ罪悪感とかないのかな。


 メシャが首を傾げたところで、二人の会話が聞こえてきたからか老人ゴーシュは少年に近づいてきた。


「ひとつ聞いて良いかの」


「はい、なんでしょうか?」


 さっきまで閉じていた目はすっとゴーシュを見据えていた。


 穏やかな湖面のように澄んだ青色の瞳をしていた。


「名はなんと言うのじゃ」


「僕ですか? 僕の名前は……トワラ、トワラです」


 トワラと名乗った少年は歯切れの悪そうに答えた。

 悪人には見えない、けれども善人にも見えなかった。

 メシャは妙な違和感を覚えた。


 彼はゆっくりと身体を起こすと、ゴーシュとメシャに向かって愛想よく笑い、軽く頭を下げた。

 ゴーシュも万引きの犯人と、目の前で愛想よく微笑んでいる彼が、うまく結びつかないようで数度咳払いを繰り返した。


「まぁ、お前さんに言いたいことがあるのじゃ」


 ゴーシュはそう言うと顔を顰めると腕を組んだ。


 ……ゴーシュの説教は多く見積もっても十分とかからないほどだった。

 それはきっとトワラの不幸な生い立ちを聞かされたからだろう。

 ゴーシュの皺に埋まった小さな瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 すっかり怒る気がなくなっているようだった。


 一方、終始ぺこぺこと頭を下げ、反省のセリフを口にするトワラを見ていたメシャは下手な三文芝居を見せられたような不快な気持ちになり、理由も分からず頭をひねっていた。

 最後にメシャは泊まっている宿屋の名前を挙げ帰り道を教えてもらうと、お礼を言ってゴーシュの家を後にした。


「まさか手土産まで持たせてくれるなんて太っ腹ですね」


 ゴーシュの家を出た後、最初に口を開いたのはトワラだった。トワラは紙袋からりんごを取り出すと豪快に齧り付いた。


「ゴーシュじいさんに感謝しろよ。いくらお前が……宿無しだとしても」


「もちろん感謝してますよ。あとそんな気まずそうにしないでください。僕が困ります」


 トワラはケラケラと曇りなく笑った。


「次の角右ですよ。お父さん宿屋にいると良いですね」


 トワラは食べかけのりんごを紙袋にしまうと前方を指差した。


「分かってるよ。それでトワラ、お前今日どうするんだよ」


「うーん野宿ですかね。まあこんなに食料が手に入っただけ上々でしょう」


 トワラは軽やかな足取りでメシャの前を歩いている。

 海の向こうのアクスティアマーレ王国から来た難民だという。


 どういう事情があったかわからない。


 残念ながらメシャは国際情勢に詳しいわけではなかった。

 しかし本人の態度を見る限り、今の状態にそれほど悲観していないように感じる。

 彼が一歩一歩歩くたびに、ちりんちりん、と金具が擦れ合う音が聞こえた。

 その音の正体はすぐにわかった。風に煽られ、髪に隠されていた耳が露わになると、しずく型で空色の小さな宝石のついたイヤリングが見えた。


「あのさ、じゃあトワラ。お前が良ければだけど、オレらが泊まってる宿にこないか?広いところじゃないけどさ」


 そのセリフを聞いた瞬間、金具の擦れあっていた音が止まった。

 トワラが足を止めたからだ。

 恩着せがましいことかもしれない。

 しかしたとえ自己満足でも彼を放ってはおけない気がしたのだ。


「どう、かな?」


 突然の提案。

 迷惑だと思っているのかもしれない。返答はない。

 やっぱり余計なことを言ってしまったみたいだ……!


「あ、べ……別に、恩を売りたいわけじゃないんだ……嫌だったら」


「本当にいいんですか……?」


 彼は振り返ると目を見開いて心底驚いた、理解できない……そう言いたげな顔をしていた。

 そのリアクションにメシャも少々驚いた。


「もちろん。困ってるなら助け合うのは当然だろ」


 すぐに屈託なく笑った。


「あはは……そうなんですか、ありがとうございます」


 深々と頭を下げた。


「そんな頭下げられるようなことしてないよ。やめろって」


 メシャは恥ずかしそうに頬を掻くと、頭を上げるようにトワラに言った。


 顔を上げたトワラの表情は、子どもらしい純粋な笑みが広がっていた。

 しかし、悲しそうな、どこか戸惑っているような、そんな寂しさがそっと様子を伺っている。


 不思議な奴。メシャは素直にそう思った。

 見た目もそうだが、性格も子どもらしくない。

 かといって大人でもない。


「じゃあ、一緒に宿まで行こう」


 満面の笑みで手を差し出した。


「……はい!」


 トワラは頬を紅潮させると、その手を取った。


 

 ゴーシュの家を出てから数分。相変わらず掴みどころのない少年だが、根っからの悪人ではなさそうだった。

 メシャはそう結論付け、さっきゴーシュの家で聞いた話を尋ねてみることにした。


「トワラ、お前ここに来るまで大変だったんだな。オレには馴染みない言葉ばっかだったけど、家を追われて、家族と離れ離れになって、連行されて、強制労働させられて……命からがら海渡ってきたんだろ」


 なんとも泣ける話ではないか。


 もう一度あの淡々と生い立ちを語るトワラを思い出して……号泣していたゴーシュじいさんまで付いてきた。


 しかし、そんなメシャを嘲るようにトワラはとんでもないことを口にした。



「嘘ですけど」



「はぁ!?」


 なんとも情けない自分の声にメシャはあわてて口をおさえた。


 いや、それ以上に信じられない事実にメシャは思わず足を止めた。


「嘘に決まってるじゃないですか。急に止まらないでくださいよ。危ないですから」


 あっけらかんとした態度でトワラは「全部ホントの事かと思ったんですか」と笑った。


 ……さっき感じた三文芝居のような不快感の正体はこれだったのか。

 どこかに吹き飛んでしまった憐憫の情をなんとか入れなおすと、メシャは気を取り直して確かめた。


「でも、全部嘘ではないんだよな?」


「はい五割がた」


 トワラは悪びれもせず即答した。

 メシャは今すぐにでもゴーシュの家に引き返し、全力で謝りたいところだったが、トワラにはさんさらその気はないらしい。


 やっぱり、こいつ罪悪感とかないのかな……。


「たしかに僕は、海の向こうのアクスティアマーレ王国出身ですし、家族と離れ離れというのは本当ですけど」


 それ以外は嘘です。

 とでも言いたげに言葉を切った。


「お前がアクスティアマーレから来たのは見ればわかるけど、家族とは何かあったのか?」


「あぁ、やっぱり見た目がこうだとすぐわかってしまいますよね。家族とは、えぇまぁ、いろいろ」


 トワラは歯切れの悪そうに言葉を濁した。


「ふーん、なんだか大変そうだな。……父さん無事かな」


 不意に父親のことを思い出し、メシャは心配そうに眉をひそめた。


「じゃあ早く宿屋に向かいましょう」


 トワラは涙目になっているメシャの手を握ると歩き出した。


「そうえば船代はどうしたんだよ」


 宿屋まで後少しというところで歩きながらメシャは再びトワラに問うた。


 それはすでに嘘だと本人が認めている事柄だった。

 返答に全く予想が付かない。


「メシャ君、さっきから質問攻めですね。チケットはごうだ、じゃなくて普通に買いましたよ」


「あ? おい、今、強奪って言いかけなかった?!」


「言ってません!」


 すぐさま否定するトワラ。しかしその頬には汗が浮き出ていた。メシャは目を背けるトワラに詰め寄った。


「言ったよな!」

「言ってません!」

「言った!」

「言ってないです!」

「言っ……」

「言っていませんね?」


 瞬間、首筋に冷たい感触が伝わる。


 その動きはあまりにも早く、一瞬何が起きたか分からなかった。


 身体が冷水を浴びたように竦む。

 メシャはそろそろと視線をおろすと、自分の首を見た。

 そこには刃渡り十五センチほどのナイフの刃があてがわれていた。

 刃の付け根に何か文字らしきものが彫られていたが、それが何なのか考える余裕すらなかった。


 ゆっくり顔を上げるとトワラは満面の笑みでメシャの顔を見つめていた。

 しかしどこか芝居がかった笑みだ。

 眼の奥が笑っていない。

 普通に生きている者の目ではない。

 直感的にそう思った。


 背筋に冷たい汗が伝う。ナイフが無慈悲に鈍く輝いた。


「……言ってない、ですね。はい」


 なんとか震える声を絞り出すと、すでに首もとの緊張はなくなっていた。

 出てきたときと一緒だ。まるで最初からなかったかのように、ナイフを持っていた素振りすら見せない。

 ナイフをあてがわれていた箇所をそっとなぞった。

 血は出ていない。ようやく凍り付いていた四肢がじんわりと温かくなった。


「そこの角を左に曲がったら宿屋ですよ!……あれ? どうしました?」


「あぶねえな! 怪我でもしたらどうするんだよ!」


 思わず、声を荒げていた。


 トワラは大きな目を更に見開いて半歩後ずさった。


 メシャの大声に驚いた訳ではない。


「怪我で済むと思ってるんですか? ていうか、メシャ君でしたっけ? 君が悪いんですよ。素性の知れない者を泊めるならそれなりの覚悟と警戒をしないと、寝首をかかれますよ」


「……だからって、友達を見捨てるわけにはいかないだろ」


 メシャの答えに再び驚いたように瞳を瞬かせた。


「おかしなこと言いますね。僕と君はまだ知り合ったばかりだというのに」


「じゃあ、おまえは出会ってどんだけ経ったら友達っていうんだよ。おまえに出会っちゃったんだから仕方ないだろ。困ってたんだろ。なら助けるのは当然じゃないか」


「困ってません!助けなんて求めてない!」


 今度はトワラが声を荒げた。


「そうだよ。求められてないよ。けどあそこで、おまえをほかっておけるほどおれは『人でない』じゃないんだ。だから嫌なら嫌だって言ってくれていいんだよ」


「君のような人のこと『お人よし』っていうんですよ。君のこと全然知りませんけど、ずいぶん優しい人に愛されて幸せに育ったんですね」


「ああ、おれの父さんも弟も、おれの村に住む人はみんな優しいぜ。おれ今日はじめて村の外に来たんだけど、ここもそうじゃないのか? ……って話逸らすなよ!」


「これ以上天然な君と話しても埒が明かないと思っただけです」


「はあ!? 天然ってどういうことだよ!」


 掴みかかるメシャをトワラはひらりとよけた。


「暴力反対でーす」


「おまえにだけは言われたくない!」




「メシャ!!」


 前方の影から男性が一人こちらに駆け寄ってきた。大柄なシルエット。セットしたことのなく傷んだ茶髪と無造作にのびた髭面、疲労と焦燥の混じった顔は紛れもなく……。


「父さん? ……父さんだ! 父さん!!」


 メシャも父親に向けて走って行った。

 そのまま父親の胸の中に思いっきり飛び込んだ。

 それをなんとか受け止め、膝を折ると息子の小さな身体を抱きしめた。


「あ……ぅ、あ、父さん、父さん……ごめんなさい」


「一体何処に行ってたんだ……。心配したんだぞ。バカ息子」


「ごめんなさい……」


 嗚咽を漏らしながら父親の胸の中でくぐもった声で答えた。

 そこはとても温かくて安心して、緊張していた糸が切れたからか涙が止まらなかった。

 平気な振りをしていても、まだまだ親という安全な場所が必要な子どもだと思い知らされ悔しくもあった。


 メシャはしばらく黙って父親に抱き付いていた。父親は優しく息子の頭を撫でた。


「よし、メシャ帰るか」


 父親はメシャから離れると手をつないで立ち上がった。


「うん……あ、待って父さん。トワラ!」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔を振り向けると、背後でぼう、と宙を見つめていたトワラの名前を呼んだ。


「あ、メシャ君再会できて良かったですね」


 トワラは嬉しそうな寂しそうなそんな複雑な顔をしていた。

 しかしメシャはその表情に気付いていないようだった。

 素直に泣きはらした目を細めると大きくうなずいた。


「彼は?」


 父親は不思議そうに息子に尋ねた。


「こいつはさっき市場で会った……」


「トワラです。アクスティアマーレ王国リグリット出身です」


 と、メシャの言葉尻をうまくつなぐと深々と頭を下げた。その様子にメシャの父親は優しく微笑んだ。


「メシャの父親のヨンハだ。息子が世話になったみたいだな」


「父さん、トワラは宿がないんだ。オレがトワラと寝るから一緒に帰って良い?お願い」


 メシャは父親の顔を見上げるとそう懇願した。


「良いに決まっているだろう。メシャとトワラがそれでいい、と言うなら断る理由なんてないさ」


 そういうとヨンハは息子の頭をくしゃっと撫でた。


「あはっ、くすぐったいよ父さん」


「さぁ、そろそろ冷え込んできた。夕食でも食べに行こう。ほらトワラも」


 そう言うと、ヨンハは立ちすくんでいるトワラの手を包み込むように握った。


「あ……よろしくお願いします」


 トワラはぎこちなく笑い返すとヨンハの手を握り返した。


 温かくて、大きくて、ごつごつした働き者の手。久しく触れなかった感触だ。

 もう一度強く握り返すとヨンハは、どうした?とトワラを見下ろした。


「なんでもないです」


 トワラは俯いて、涙の溜まった瞳を隠した。



 メシャが父親とはぐれ、街を彷徨った挙句、トワラに出会い、例の提案をした経緯を全て話し終えた頃には、すでに時計の針は九時を回ろうとしていた。


 窓から入り込む月光と、寝台の上に置かれた蝋燭がぼんやりと三人の顔をうつし出している。


「時間かかりますねぇ、メシャ君」


「お前がいちいち、ちゃちゃを入れるからだろ」


「メシャ君がいちいち反応しすぎなんですよ」


 ケラケラ嘲笑するトワラに、メシャは「なんだとー!」と飛び掛って、二人してベッドの上に倒れこんだ。

 ヨンハは無邪気にじゃれあっている子どもたちの様子を微笑ましそうに眺めている。


 今、三人は食堂から帰り、宿のベッドに腰掛けていた。

 二つあるベッドのうち、入り口側のベッドに父親のヨンハが座り、窓側のベッドにメシャとトワラが寝そべっている。


「まぁ、働き手が増えるのは良いことだし、リュオも喜ぶだろう」


 ヨンハは腕を組むとトワラを見つめた。リュオとはメシャの二歳年下の弟の名前だ。


「でも、本当にいいんですか? 僕なんかがメシャ君の家にお邪魔して。迷惑じゃありませんか?」


 心配そうにトワラは俯く。


「メーワクなら最初から、誘わねーよ!」


 そこにメシャは勢いよく、トワラの肩に腕をまわした。驚くトワラに、


「初めてのファイヤマール王国でこうやって出会ったのも何かの縁だよ」


 ニヤニヤと笑んだ。


「そういうこったトワラ。こちらが構わないと言っているんだ。トワラはまだ子どもなんだから、甘えるだけ甘えれば良い。うちのボウズみたいにな」


 ヨンハは、大きな手をトワラの頭に乗せると割れ物を扱うように優しく撫でた。


「おい! 父さん、オレ、そんな甘えてない!! トワラもなんか言ってくれ……トワラ?」


 どうしたんだよ。トワラの顔を見てメシャは大いにうろたえた。

 彼の瞳には大粒の涙が浮かんでいた。

 こらえきれなくなった涙の粒がボロボロとこぼれていく。


「あれ……? すみません、悲しくないのに……はは、なんでだろ。嬉しいはずなのに……」


 トワラは涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、おかしいなあ、と首を傾げた。


「なんでですかね……ぶっ!?  えっ?  なんですか、これ? タオルですか?」

「早く涙ふけよトワラ。男のくせにー」


 メシャは遠慮なくトワラの顔にタオルを押し付けた。


「ちょ、やめっ、一人でできますって。というか、メシャ君には言われたくありませんー。お父さんに泣き付いてた分際でよく言えますねー」


「なんだとー!」


 再びもつれ合う二人の少年。年季の入ったスプリングがギイギイと音をたてている。


「おいおい、明日は早いぞ。もう暴れるな。早く寝なさい」


 ヨンハの声に二人は互いの服をつかみ合ったまま「はーい」と口を揃えて言った。その返事を合図にヨンハは蝋燭の火を吹き消した。暗闇が訪れる。不安や恐怖を掻きたてる闇ではない。明日を待ち焦がれる期待を孕んだ闇だ。


「おやすみなさい」


 平気だと思っていたが、想像以上に身体は疲れていたようであっという間に眠りにおちていった。……ただ一人を除いて。




 翌日から、本来の目的である村の特産物の販売を始めた。


「いらっしゃーい!! 梨、林檎、オレンジ! ほかにも今旬の絶品果物が目白押しだよー!」


 晴れ渡った秋空のもと、似たような売り文句が多方面から飛んでくる。

 メシャはそれに負けじと声を張り上げた。


「そこのお姉さん!果物は美容にいいですよ!……はいオレンジ二つですね、毎度ありー!」


 そこに人ゴミを掻き分けながら、父親とトワラが帰ってきた。


「メシャ君、昼食買ってきましたよ。少し休憩しましょう!」


「でも、今がちょうど売り時じゃ……」


「まだまだ二日目だぞ。最初から飛ばしてるとすぐばてる。次は父さんが店番するからメシャは大人しく昼飯をとれ」


 父親に諭されて不服そうに「はーい……」と返事をするとテントの中に入っていった。



「メシャ君はりきってますねぇ」


 テントの中に入ると空になった木箱をイス代わりにして、サンドイッチをほおばっているトワラがいた。


「メシャ君の分はそこに置いてありますから食べてくださいね」


 トワラはそう言うと、幸せそうな顔をして二つ目のサンドイッチを口に運んだ。


「ありがとう。でもなんか悪いなぁ、店の手伝いまでさせちまって」


「構いませんよ。元々一晩宿を借りるだけのつもりだったのが、村まで同行させてもらう事になってしまいましたし。それにこうやって食事まで用意していただいて、メシャ君やヨンハさんが働いているのに、僕だけ暇しているなんて、逆に居心地が悪いですよ」


 苦笑するトワラにメシャは「それもそうか」と笑った。


 朝の店の設営からトワラは積極的に協力してくれた。


 手伝ってもらうつもりなど毛頭なかったメシャとヨンハは、朝食の席で「僕にも何か手伝わせてください」と申し出るトワラに、顔を見合わせた。


 出店する場所は、人通りの激しい道に面した広場で、広場の管理者からの許可証があれば誰でも出店できるのが特徴だ。

 確保してある場所につくとメシャ親子とトワラは早速テントの設営を始めた。

 手前のテントには商品を並べるワゴンと、簡易机とイスを置いて、奥のテントには在庫の商品を積み上げる。


 慣れた手つきでさっさと作業を続けるメシャと、ヨンハに指示を仰ぎながら手伝うトワラのお陰で、いつもより早く設営できたとヨンハは二人を褒めた。

 他にも、顔なじみの同業者数名が手を貸してくれた。


 父親はそのうちの一人の薄幸そうな小柄な男と談笑していた。


「ウォーザさん来てくれてありがとうございます。昨年は姿を見なかったので心配してたんですよ」


「いやー、私は何ともなかったんですが昨年は家内が体調を崩しましてね。子供達も小さいし家内の代わりに面倒見ていまして」


「そうだったんですか。それは大変でしたね。それで奥さんはもう治ったんですか?」


「ええ、おかげさまで今はピンピンしていますよ。おや、そちらにいるのは息子さんですか?」


「そうです。メシャ挨拶しなさい」


 父親に促されてテントの陰で品物を並べていたメシャは、大きな声で元気よく挨拶をした。それを見た男は優しそうに目を細めた。


「ヨンハさんの息子は明るくて、商売にも協力的で羨ましい限りですよ。そういえば確か息子さん、うちの長女と同い年でしたよね。母親の手伝いや、弟達の世話は良くやってくれるんですが、如何せん内向的で困ってるんですよ。作物作るだけじゃ食っていけませんから、客商売もできるようになれといつも口酸っぱく言ってるんですがね。今年は無理矢理連れてきたんですけど親戚の家から出たがらなくて……」


 と愚痴っぽく笑った。


 そしてメシャのほうを向くと「これからも親父さんの手伝い続けるんだぞ」と激励した。

  褒められて素直に喜ぶメシャと、何故か申し訳なさそうにするトワラだった。


「でも、メシャ君たちの足を引っ張ってないか心配です」


 突然ポツリと呟いたトワラに、サンドイッチを咥えていたメシャは顔を上げた。


「ほんふぁふぉふぉ……そんなことねーよ? むしろ、めっちゃ助かってるって父さんもオレも言ったじゃん。それにオレ実は今日不安もあったんだ。初めて来るところだし。でもトワラとしゃべったり、ふざけたりしたおかげで緊張がほぐれたというか……。だからお前もっと自信持てって」


 メシャは、トワラがどうしてこんなに自信なさげにしているか分からなかった。


 どうしたら自信が付いてくれるか考えながらトワラに笑いかけた。

 それを聞いたトワラは手を口元に添えると「フフ」と気恥ずかしそうに顔をほころばせた。


「なんだか、言われ慣れていないこと言われると照れますね」


 顔を赤らめるトワラはどこか少女的な印象を受ける。


「慣れるまで言い続けるよ」と冗談ぽく言うメシャに、トワラは「やめてください」と苦笑すると、ご馳走様と言い立ち上がった。


「ヨンハさんの手伝いしてきます。メシャ君ゆっくり食べてていいですからね」


 テントから出るときトワラは一度、何か言いたそうに振り返ったが結局何も言わず出て行った。

 


 人通りの少なくなってきた夕方、商品を片付けているとトワラは不意に口を開いた。


「やっぱり、僕はメシャ君の村まで同行できません」


「はあ? なんでだよ」


 荷台に荷物積み終えたメシャはシートをたたんでいるトワラのもとに駆け寄った。


「だって、僕文字も読めなければ計算もできなくて、メシャ君たちのなんの役にも立たなかったじゃないですか」


「そんなこと、おれも父さんも気にしてないよ。おれだって村の朝市だけど、はじめて店に立った時緊張しすぎて何度も商品渡し間違えて父さんに怒られたし。それに比べたらトワラの方が優秀だよ。出来ないこととか、分かんないことがあったら手伝うから、そんな思いつめた顔するなよ」


 元気出せと、肩を落とすトワラの背を叩く。

 しばらく納得のいっていなさそうな顔をしていたが、メシャの顔を遠慮がちに見つめると口を開いた。


「教えてほしいことがあるのですが……」




「できるって言っても、簡単な足し算とかしかできないよ。文字は読むのも書くのも苦手だし」


 宿に着くと、メシャが知っている範囲で、簡単な文字と計算を教え始めた。


 昼間、メシャとヨンハがほんの少し席をはずした時におとずれた客の対応ができなかったことがよっぽど悔しかったそうだ。


 夕食を摂っている間も、湯船につかっている時も、ひたすらメシャが教えたことを呪文のように呟いていた。

 メシャが心配しても、ヨンハが声を掛けても、目は虚ろで、周りの声など一切聞こえていないようだった。そこまで集中できることに尊敬よりも狂気を感じる。


「そんな一気に覚えようとしなくていいのに」


 布団に入り、ようやく呪文をやめたトワラは「いつまでも足手まといになるわけにはいかないので」と苦笑した。


「ところで、メシャ君はどこで文字を覚えたんですか? ヨンハさんは教えたことないって言ってましたよ」


「本で覚えたんだよ。近所のおじさんが古い本を集めていて見せてもらってから……好きになっちゃったんだ」


 少し恥ずかしそうに頬を掻いた。


「……それは、どんな物語の本だったんですか?」


 トロン、と眠たそうな目で質問を重ねた。


「勇者が、お姫様を助けに行く話。勇者はとても勇敢で強くてかっこいいんだ」


 メシャは目を輝かせて嬉しそうに語った。


「まさにヒーローですね」


「あぁ、オレの憧れなんだ」


「メシャ君は僕から見たら……」


 そこへ、寝支度を整えたヨンハが帰ってきた。


「今日は二人とも頑張ったから疲れただろう。もう寝なさい」


 そう言うと、昨晩と同じようにヨンハは蝋燭の火を吹き消した。


「トワラ、何か言いかけてなかったか?」


「いいえ、なんでもありません……。おやすみなさい」


「そうか……、おやすみ」


 今日は月が出ていない。だから蝋燭が消えた今辺りは真っ暗闇だ。

 

 それぞれがごそごそ布団に潜り込む音だけが聞こえる。


 すぐに父親とトワラの寝息が聞こえ始めた。

 そんな中、メシャは疲れていたはずなのになかなか寝付けないでいた。


(今日も色々あったなー。想像以上にたくさんのお客さんが買ってってくれたし、おいしい料理も食べさせてくれたし、トワラとも仲良くなれた気がするし、明日も楽しみだなー……)


 自然と口元がほころんでいた。


 ゴソッ


 何かの物音で目が覚めた。

 気付いたら寝てしまっていたようだ。

 あれからどれくらい時間がたったのだろうか。

 いつの間にか顔をのぞかせた月が、ぼんやりと部屋の中を照らしている。


(トワラ?)


 スプリングがわずかに軋んだ。ベッドから降りたようだ。

 何をしているんだろう。

 メシャは気になって、そうっと頭の向きを変えた。


 トワラはこちらに背を向け窓枠に身を任せぼんやりと夜の街を眺めていた。


 眠れないのかな? 


 メシャはそう思ってトワラに声を掛けようとした。

 しかし結局声を掛けなかった。

 メシャがそうするよりも早くトワラが口を開いたからだ。


「昨日も言ったとおり、ここはとても良いところですよ。メシャ君も、ヨンハさんも、ゴーシュさんも、みんなとても優しい。もっと早く来られればよかったです」


(昨日……も?)


 トワラの独白は続く。


「そうすれば、きっと……。みんな僕のことを卑怯者だって思うんでしょうね。でも仕方ないんです。許してください。みんなの願いを為せるほど僕は強くないんです」


 普段よりもずっと小さく弱々しい、卑屈めいた声音だった。


 しかしこの静寂の中だ。

 彼の懺悔に似た独り言は、メシャの耳にはっきりと聞こえていた。その後トワラは、何事もなかったかのように布団に入ってくると、まもなくしてスヤスヤと寝息をたて始めた。


 聞き耳をたてていたメシャには気付いていないようだった。




「おはよーございまーす!」


「……おはよう」


「どうしたメシャ。寝れなかったのか? 顔色やばいぞ。特に目の下」


 翌朝、結局あの後から寝付けなくなってしまったメシャは朦朧とした頭で店番をしていた。


「見てください! メシャ君のおかげで文字書けるようになりました!」


 昨晩の出来事が嘘のようにトワラは楽しそうに店の看板を書いている。

 夢だったのかと疑いたくなるほどだ。


「……トワラ、オレンジはLじゃなくてRな」


「えっ!?」


「あと、林檎がアプリーになってる」


「あ、あれ……?」


「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか」


 トワラは新しい紙を取りに奥のテントの中に入っていった。

 それを見送るとメシャは大きく欠伸をした。


「父さんもトワラもいるから眠たかったら寝て良いぞ」


 父親は心配そうにメシャの顔を覗き込んだ。

 それにたいしメシャは無理やり笑顔を作ると「ちょっと考え事してたら眠れなくなっちゃってさー」と赤く腫れた目を擦った。


「だから心配いらないよ父さん。……あっ!いらっしゃいませー! えっ! 毎年楽しみにしてるんですか?! だって、父さん! ありがとうございます!」


 今日もいい天気だ。眩みそうな青空に目を細めながら、メシャは愛想よく客の応対をして、そう思った。



 楽しい日々というのは、あっという間に過ぎていく。

 わかっていたことだが、この一週間でそう痛感した。


 そう、明日で滞在七日目。


 最終日だ。

 トワラは基本的な文字の読み書きが出来るようになり連日機嫌がいい。

 それと時々、故郷で留守番をしている弟のリュオのことが心配になったり、友達のドニとロアのことが気になったりした。


 それをトワラに言うと、ホームシックですか? と嘲笑ぎみに返された。

 基本的に(変なところもあるが)いいやつなのだが、時々馬鹿にされているような気がする。


 解せぬ。


 いつも通り、もう寝なさい。と父親が蝋燭の火を吹き消す。トワラがモソモソと掛布団を引き寄せて呟いた。


「おやすみなさい」


 おやすみ


 続く

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