サルノカミ

武訓

サルノカミ

 人里離れた森のなか、ニホンザルのむれのなかに一頭、平治へいじという名のサルがおりました。

 平治は小柄でおっとりとした、争いごとをきらうサルでした。

 平治には一頭の兄猿がいました。名を忠吉ちゅうきちといいます。この忠吉は、平治とは真逆で図体がでかく、気性もはげしくケンカっ早いことで有名で、よく人里におりていっては人家にはいりこんで食べ物を盗んだり、道行く農民を襲撃したりしていましたので、ふもとの村々ではたいそうな悪猿として名をはせていました。

 さて、ある日のこと、平治と忠吉が森のなかを歩いていますと、茂みの奥に奇妙な石のかたまりが落ちていることに気がつきました。平治はたちどまって言いました。

「兄さん、あすこになにかが落ちてるよ」

「食いもんか?」

「いや、ちがうみたいだ。なにか、石の像みたいだよ」

「ふん、そんなもの、うっちゃっておくのが一等よかろう」

 忠吉は意にかいさず、森のなかをさらにずんずんと進んでいきました。

 常日ごろなら忠吉と同様、そんなものには目もくれない平治でしたが、その日はなぜだか、その石の像が気になってしかたがありませんでした。平治は茂みをかきわけて、石の像をひっぱりだしてみました。すると、どうやらそれは、壊れたお地蔵さまのようでした。

 すっかり苔むして、長年の風雨にさらされたために、あちこちが朽ちてぼろぼろになっていました。

 ですがお地蔵さまはとてもなごやかな表情で、平治の顔をじっとやさしいまなざしで見つめているようにおもわれました。

「なにをしている? ちんたらしていたら置いてゆくぞ」

 忠吉に怒鳴られてはっと我にかえった平治は、あわててお地蔵さまを抱えあげて兄のあとを追いました。

「なんだそれは?」

「お地蔵さまだよ。さっきそこの茂みでひろったんだ」

「そんなものをひろってどうするというのだ」

「わからないけど、放ってはおけなかったんだ。見てよ兄さん。とてもおだやかでやさしそうな顔をしてるだろう」

 忠吉はあきれたようにきびすをかえすと、さっそうと森のなかを歩いていきました。平治はひろったお地蔵さまを大事そうに抱えながら、兄のあとを追いかけました。

 ねぐらへと帰った平治は、お地蔵さまをそっと地面に置きました。すっかりよごれて、いたるところ崩れているお地蔵さまは、まっすぐに立たせようとしても、すこし傾いてすぐに倒れてしまいます。平治は近場から支えとなるような石ころや倒木の破片などをひろってきて、ようやっと立たせることができました。それから川で水をくんできて、まずは苔を洗い落とすと、ついでによごれも落ちるようすみずみまできれいに磨きはじめました。すると、お地蔵さまは見違えるほど見栄えもよくなって、表情もよりいっそうほがらかになったような気がします。そこへ、今晩の食事の調達に行っていた忠吉が帰ってきました。

「おかえり、兄さん」

 忠吉はなにも言わず、今日の晩飯となる収穫物を地面に無雑作に放り投げました。木の実や鳥や魚にまじって、芋や大根、リンゴやミカンなどがどっさり置かれました。

「兄さん、今日も里のほうまでおりたのかい?」

 それは聞かずとももわかることなのでしたが、つい聞かずにはおれませんでした。忠吉は返事をせず、平治のかたわらに置いてあるお地蔵さまのほうに目をやりました。

「ほら、さっきひろったお地蔵さまだよ。こうしてきれいにしてみると、なかなか立派なもんだろう」

 平治は得意げにそう言いましたが、忠吉はふんと鼻を鳴らしたきり、どすんと地面に寝そべってむしゃむしゃリンゴをかじりはじめました。平治もその場に座り、木の実を口のなかへ放り込みました。

「兄さん、前々から言おうと思っていたんだけど、そろそろ里までおりて畑や人間たちから盗みをはたらくのはよしたほうがいいよ。最近は人間たちも警戒心がつよくなって、このあいだも、罠にかけられてつかまったサルが何頭かいるそうだよ」

「ふん、おまえはおれが人間の手にかかるような間抜けだと思っているのか?」

「…………」

 忠吉はにやりと笑いました。

「ならば、つぎからはおまえが食料調達に行けばよかろう」

 平治はにがにがしく顔をしかめて黙ってしまいました。平治は生まれつき体がちいさく、力も弱かったために、日々の食料調達はもっぱら忠吉にたよりっぱなしだったのです。

「この世の悪いことは、みんな神様が見ているんだ。兄さんだって、いつばちが当たってもおかしくないかもしれないよ」

 忠吉は大きな声で笑い出しました。

「おまえの心のうちが読めたわ。そんな石の像を持ち帰った折から、どうも妙だと思っていた。急にわけのわからん信仰なんぞにめざめよって、地蔵だの、神様だの、そんなものをあがたてまつるからこそ、そのような気弱になるのだ。まったく、なさけない弟よ」

 うなだれたまま平治はなにも言い返すことができませんでした。しかし、この豪胆さこそ忠吉のたのもしさでもあったのです。平治はいつもの調子の忠吉をみて、この兄にかぎってそんなことはあるまいと思うのでした。


 ある日、すっかり陽も沈み、夜の帳がおりて、森のなかを静寂と闇がつつむ刻限になっても、食料を調達しに出て行った忠吉は帰ってきませんでした。いつもなら多少帰りがおそくなろうと気にはなりませんでしたが、その日は妙な胸騒ぎをおぼえ、落ち着きなくねぐら付近をうろうろと歩き回っていたのでした。

 その時、背後の茂みでなにかが動いた気配がしました。平治はびくりと身をすくませ、闇の奥にじっと目をこらして、必要とあらばいつでも逃げ出せるように体をこわばらせました。

 闇のなかからぬっと現れたのは忠吉です。それも全身血まみれで、いたるところ傷だらけ、息もたえだえに足をひきずって、茂みのなかから出てきたのです。

 平治はびっくりして、忠吉のもとへ駆け寄りました。

「兄さん! 兄さん! いったいなにがあったんだい!」

 忠吉はその場にぐったりと倒れると、恨みがましくこう言いました。

「ちくしょう……、人間どもめ、執拗しつようにおれを追い回したうえ、罠にかけやがった。からくも逃げ出せたものの、この有様だ」

 またもや人里まで盗みをはたらきに行った忠吉でしたが、業を煮やした人間たちがただ黙って見過ごすはずもありません。この日はいつにも増して罠を仕掛け、見張りの人数も多数配備していました。ほんらいこのような状況ならあきらめるところなのですが、そこは無鉄砲なことで名をはせた忠吉。愚鈍な人間どもめ、おれを捕まえられるものなら捕まえてみろと、大立ち回りをくりひろげたのですが、あと一歩のところで捕まってしまい、メッタ打ちにされてしまったのです。

 平治は泣きじゃくりながらも忠吉を寝床へはこび、必死に手当てをほどこしました。忠吉の苦しげにうめく声は、その晩途絶えることはなく、平治はただただそのそばですがるように様子を見守っていたのです。やがて、気の落ち着かなくなった平治は、ありったけの食料をかかえてお地蔵さまのところへ跳んでゆくと、なんども頭をさげて祈るのでした。

「神様、兄はおろかな猿でございます。今まで罪深いおこないを幾度となく繰り返してまいりました。神様がお怒りになるのも当然のことです。ですが、このたびは、どうかこのたびだけはおゆるしください。兄はもう十分な報いは受けたと思います。どうかお赦しください……」

 平治の赦しをう祈りの声は、忠吉の苦しみあえぐ声とまざりあって、夜の静寂のなかにいつまでもこだまし続けていました。

 やがて夜が明け、平治はいつのまにかお地蔵さまのまえで眠りこけていました。目をさますと、あわてて忠吉の様子をうかがいに行きました。

 忠吉はやすらかな寝息を立て、深い眠りに落ちているようでした。どうやら峠は越えたとみえて、平治はほっと胸をなでおろします。平治はお地蔵さまのところへと戻り、ありがたや、ありがたや、と何度も頭を下げて礼を述べました。

 陽もすっかり昇ったころ、忠吉がようやく目を覚ましました。まだ傷は相当に痛みましたが、なんとか起き上がると、近くにだれの姿もありません。ただ、忠吉の寝ていたかたわらに、ひと盛りの木の実が置かれていました。

 しばらくすると、平治が戻ってきました。

「これはおまえがとってきたのか?」

 忠吉はそばに置かれた木の実をひろい上げて言いました。

「うん、だいぶ頑張ったんだけど、これだけしか採れなかったんだ」

 よく見れば、平治の手にはわずかばかりの木の実と、色とりどりの花束が抱えられています。忠吉はいぶかしげにその様子をうかがいました。

「ああ、これはね、サルノカミさまへのお礼のお供え物だよ」

「サルノカミ?」

「兄さんが早くよくなりますようにって、ずっとお祈りしてたんだ。あれはきっと、ぼくたちの守り神だよ。ぼくはあのお地蔵さまに、サルノカミって名前をつけたんだ」

 忠吉はお地蔵様のほうへ目をやりました。すっかり手入れされてきれいになったお地蔵さまは、にこやかな表情をこちらに向けています。もともと信心深くもない忠吉でしたので、こんな石くれの像にそのようなご利益があろうなどと信じきったわけではありませんでしたが、その日は平治に対して悪態をつくこともなく、ただ黙って痛む体をいたわるようにして、また床にふせってしまいました。


 それから幾月日が経ち、忠吉のケガもすっかりよくなった頃のことです。忠吉がねぐらへ帰ってくると、平治の姿が見当たりません。当初はさほど気にも留めておりませんでしたが、陽がすっかり沈んでしまってからも、平治はなかなか帰ってくる気配はありませんでした。さすがにこれは何かあったのではと忠吉も思うようになりました。とはいえ、どんくさい平治のことですから、おおかた木の実を採る途中で木から落ちてしまったか、夜道に迷ってしまったかのどちらかだと思ったのです。そこで付近の森のなかを捜索してみましたが、どこにも見つかりません。今度は捜索範囲も広げてみましたが、やっぱり平治の姿はどこにもありませんでした。おくびょうな平治のことなので、そう遠くへ行ってはいまいとさまよい歩いているうち、忠吉はいつのまにか人里ちかくまでおりてきていました。

 その時、なにものかの気配を感じ取った忠吉はふと立ち止まりました。かすかではありますが、話し声が聞こえてきます。どうやら数人の男が、近くの森のなかを歩いているようでした。

 忠吉はおもわず身構えました。こんな夜遅くに、人間が森のなかを歩き回っているのは奇妙でしたし、彼らはあきらかになにかを探しているようでした。忠吉は、このまえ取り逃した自分をとっつかまえようと見張っているにちがいないと思いました。そこで、見つからないようにこっそりと引き返そうとしたところ、彼らの仲間らしき男が、別の方角からやってきました。

「おおい、勘兵衛。また一頭とっつかまえたぜぇ」

 男の胴間声が森のなかに響き渡りました。忠吉の胸に、なにか冷たく、重いものがのしかかり、足を止めずにはおれませんでした。

「例のやつか?」

「わかんねぇ、これで五頭目だけんど、どれも少しばかし体がちいさいかもしんねぇ。いつも村を襲ってくるやつはもっと図体もでっかくて、おっかねえやつだもんなぁ」

 その時、銃声が一発、ズドンッ! とすさまじい音を立てて、夜の森に響き渡りました。忠吉は恐怖と不安に押し出されるようなかたちで、一目散に走り出しました。

 ねぐらへと戻っても、平治の姿はありません。忠吉の不安は、よりはっきりとした黒い塊となって襲ってきました。

 しかしどうすればよいのかわからず、かといってじっとしていることもできない忠吉は、しばらくねぐらの周りをただうろうろと歩き回っていましたが、やがてねぐらの奥へ引っ込むと、途方にくれて座り込んでしまいました。

 青白い月の光が、わだかまった忠吉の心のうちを透かすかのように、黒い雲の隙間からぼんやりと差し込んできました。お地蔵さまがその光に照らされて、うっすらと浮かびあがります。忠吉はそのお地蔵さまをじっと見つめ続けました。お地蔵さまはいつもと変わりなく、にこやかに笑っているような表情をこちらに向けています。忠吉にはだんだんとそれが自分を嘲笑あざわらっているようにように思えてきて、むかむかしてくるのでした。

「ふん! なにがサルノカミだ。こいつが来てからというもの、災難続きではないか。守り神どころではない、こいつは疫病神だ。こんなもの、こうしてくれる!」

 忠吉はお地蔵さまを持ち上げると、おもいっきり地面へと叩きつけました。お地蔵さまは今度こそばらばらに砕け散り、吹き飛んだ胴体の破片と頭部がころころと転がりました。

 ところが、いちど火がついた忠吉の怒りはそんなものではおさまりませんでした。ねぐらを勢いよく飛び出すと、一目散に里のほうへ駆けおりていきました。

 村のふもと付近まで来たところで、忠吉は足を止めました。人間どもがたき火を起こして一箇所に集まっていたからです。赤く燃える炎に照らされて、ゆらゆらと揺れる影法師は、なんとも不気味なものに見えました。さらに、彼らのかたわらになにやら影の塊が、小山のかたちをなして横たわっていました。

 忠吉はおそるおそる近寄って、その様子をうかがいました。が、そこで見た光景に背筋が凍り、息がつまりそうになりました。遠くから見えていた黒い影の塊は、銃で撃たれて絶命した猿たちのむれだったのです。

 忠吉の頭のなかは真っ白になりました。平治があのあわれに積まれた猿の死骸のなかに、埋もれている姿が目に浮かんだのです。やがて怒りの炎がめらめらと燃え上がり、忠吉の心を憎悪の色にぬりつぶしていきました。

 つぎの瞬間、忠吉は脇目も振らず、人間たちの集団のなかにつっこんでいきました。

 人間たちもすぐに忠吉の存在に気がつきましたが、あまりの速度でつっこんでくる忠吉の姿をとらえることができず、またたく間にあたりは阿鼻叫喚の地獄絵図。多くの者が引き倒されて噛みつかれたり、するどい爪で引っかかれたりしました。

 ひとりの若者が手にしていた銃を構え、ズドンッ! と撃ちました。銃弾は忠吉のうしろ足を撃ち抜きました。忠吉は少しよろめきましたが、すぐに立ち直ると、銃を撃った若者をにらみつけ、バネからはじかれたように飛びかかりました。

 若者は恐怖のあまりあとずさりして、体勢をくずして尻餅をつきました。その隙を逃すまいと、忠吉は若者の咽喉のどもとめがけて噛みつこうとした刹那、別の方角からふたたび銃声がとどろきました。

 二発目の銃弾は忠吉の右胸あたりに命中しました。忠吉はのけぞり、失速して仰向けに倒れました。

「こ……こいつだ! この大きな猿、おらたちの村をなんども襲った猿にちげえねえ!」

 ひとりの男がそう叫びました。するとほかの男たちも、心配そうに事を見守っていた女たちも、いっせいに忠吉を指差して叫びだしました。

「そうだ、そうだ! こいつにちげえねえ! おらもおっかあも、こいつになんど襲われたかわかんねえ!」

 撃ち倒された忠吉は、苦しそうにもがきながら、地面を這いずりました。

「まだ息があるぞ! しぶてえ野郎だ。おい、だれかはやくトドメをささねえか!」

 しかし、多くの者が躊躇ちゅうちょし、すぐにおれがと名乗り出る者はいませんでした。忠吉のしぶとさと恐ろしさはだれもが知るところでしたから、またすぐに起き上がり、襲いかかってくるのではないかと危惧きぐしたのです。

 やがて、息もたえだえに忠吉が起き上がりました。あたりから恐怖のどよめきと、叫び声があがりました。忠吉はよろよろとよろめきながら、森のなかへ逃げて行こうとしました。

「おい、はやくトドメをささねえと逃げちまうぞ!」

 どこかからむなしく叫ぶ声があがりましたが、みんな呆気にとられて、ただ去りゆく忠吉の姿を見送るだけです。忠吉は森の暗闇のなかへ、しずかに消えてゆきました。……


 朦朧もうろうとする意識のなかで、忠吉はもはや自分がどこに立っているのか、どこをさまよっているのかもわかりませんでした。なんども倒れては起き上がり、ふらふらと森のなかを歩くうち、さらさらとせせらぐ水の音がきこえてきました。

 それはねぐらの近くを流れる沢の音だとわかりました。忠吉はなんとかここまで帰ってこれたことに感謝しましたが、もうこれ以上一歩も動くことができず、その場にばったりと倒れてしまいました。すると、だれかがあわてたように近づいてくる気配がします。

「兄さん! 兄さん!」

 それは平治の声でした。忠吉はわが耳を疑いました。

「平治……、貴様、生きていたのか……」

 忠吉はかすれた声を、喉の奥からしぼり出すようにして言いました。なんとか平治の姿をとらえようと、あちこちに視線を動かしましたが、もう忠吉の目はほとんど見えなくなっていて、ただぼんやりとした影のかたちだけが、忠吉のそばにたたずんでいるのがわかりました。

「人間たちに追い回されて、こわくて森のなかから動けなかったんだ。ああ! 兄さん、なんでこんなことに……」

 平治のすすり泣く声が聞こえてきました。忠吉は平治をしかってやりたく思いました。

 ――そんなことでどうする。これからおまえはひとりで生きてゆかねばならぬというのに、情けないやつめ……。

 しかしそれを言葉にすることはなく、忠吉はしずかに事切れました。



 ある日、あるところのしずかな森のなかを、ひとりのお坊さまが旅路の途中に通っておりますと、道中の茂みのおくに、ぽつねんとたたずむ一体のお地蔵さまが置かれてあるのに気がつきました。

 はて? こんなところに奇怪な、とおもって近寄ってみますと、なんともみすぼらしいぼろぼろに朽ちてしまったお地蔵さまが、人目をさけるようにさびしげに置かれてあります。よくよく見てみれば、一度ばらばらにくずれてしまったものを、無理やりくっつけているような痕跡さえあります。なにより気がかりだったのは、そのお地蔵さまに木の実や花などのお供えものがしてあったことです。

 いったいだれがこんな辺鄙へんぴな場所にあるお地蔵さまお参りしているのだろうと、あたりをうかがっていますと、少し離れた木の上に、一頭の猿がこちらの様子をじっと眺めていました。

 その猿はやがてどこかへ去ってゆきましたが、結局そのお地蔵さまの謎は解けないまま、いぶかしげに首をかしげながらお坊さまはその場をあとにしたのです。

 その後、山をおりたお坊さまは、ふもとの村でふと何気なくその話をしてみると、村人のひとりが、以前この村は猿の被害が甚大じんだいで、一度山狩りをして猿を大量に殺めてしまったことがある、と話しました。

 それ以後、猿はこの村へまったく寄りつかなくなり、いまでは山中でも猿を見かけることはめずらしいということでした。

 ただ、例のお地蔵さまのことをたずねてみても、だれもその由来を知る者はいませんでした。しかし、村人たちのなかには、あのお地蔵さまがあそこに置かれるようになってからぱったりと猿が現れなくなったことから、きっとだれかが猿よけのまじないとして置いていったのだろう、と語る者もおったそうです。

 それからお坊さまは、旅路の帰り道に、ふと何気なくふたたび森のなかのお地蔵さまのもとへおもむきました。すると、またもや一頭の猿が、お地蔵さまの前にたたずんでいました。以前見かけた猿と同じ猿なのかどうかはわかりませんでしたが、お坊さまがそっと近寄って様子を見ようとしますと、気配を感じ取った猿は、お坊さまの姿を見るなり、サッと逃げ出してしまいました。

 あらためてお地蔵さまを確認してみますと、そこにはつい最近供えられたと見える木の実や花の束が置かれてありました。

 するとやはり、このお地蔵さまはあの猿に所縁があるものにちがいない、とお坊さまは思いました。そしてしばらくお地蔵さまの前でお祈りをささげると、お坊さまは去ってゆきました。

 その後、お地蔵さまと猿がどうなったのか、知る者はいません。

 もしかしたら、今もどこかの森のなかに、そのお地蔵さまが名前も所縁も知られぬまま、たたずんでいるのかもしれません。

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サルノカミ 武訓 @takemori

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