play of life  

 

 あの演奏会から十ヶ月ほどが過ぎたある日の午後。

 澄みきった青空の下で、リュートとニーナは一つの墓碑に向かっていました。

 修復された旧教会の裏手にある墓地。

 以前は教会同様に管理する者もなく野ざらしの状態でしたが、今回の修復と合わせて整備され、今は柔らかな芝生が陽光に青く映える綺麗な教会付属墓地チャーチヤードとなっていました。

 その中にある、まだ新しい白く美しい墓に二人は花束を手向けました。

 墓碑に刻まれているのは人名ではなく、調律師という言葉。それがあの老人が遺していた意志でした。


 背後から芝生を踏む音と微かな振動を感じ、二人はゆっくりと振り向きます。

 そこに立っていたのはジェイクとアリア。そして見知らぬ一人の男性でした。

 その六十歳前後と思しき身なりの良い男性は、二人に断って墓の前に立つと、静かに膝を落とし享年の刻みを指でなぞりました。それは今から約一年前……あの演奏会よりちょうど二ヶ月ほど前の日付。

 彼はそれを確かめながら微かに震えだすと、胸の前で両手を強く握りしめて祈りを捧げました。

 その傍でジェイクが二人に教えました。彼があの老人のたった一人の息子であることを。


 十ヶ月前のあの演奏会を体験した観客の中に新聞記者がいました。

 彼は前代未聞の奇跡のような演奏会を翌日の紙面で大きく取り上げ、それは町の外にも流れていきました。

 耳の聴こえないピアニストという見出しは目を引き、そして内容はさらに話題を呼んで各地に広がりました。

 同じ日に隣り合って生まれた二人の天才音楽家。

 悲劇的な別れと感動の再会。

 舞踏会と化した奇跡の演奏会。

 その後注目の二人が結婚したことも新たな記事になり一層の話題を呼びましたが、遅ればせながら手にした一番初めの記事のある部分に大きく動揺した男性がいました。

 彼が何度も読み返したその部分とは、ピアノタウンという名前と修復された旧教会という下りでした。

 よくよく読むと最後の演奏では年季の入ったピアノが使用され、それは数十年の間ひとりの調律師に手入れされ続けた最高の逸品らしいと書いてありました。

 その記事を読んだ直後に帰郷することを決意したその男性が、いま墓に祈りを捧げているあの老人の息子でした。


 ようやく落ち着いた彼は振りかえるとニーナを見つめ、自己紹介の後に、父の話を聞かせてはもらえないだろうかと頼みました。

 ニーナは微笑みを浮かべて快く応えました。実は彼女は、生前の老人にそれを託されていたのです。


 老人がニーナに聞かせてくれた話の中で、一人息子に対する拭えない後悔の物語がありました。

 最高の調律師と呼ばれていた若かりし頃、彼は一人の天才ピアニストと結婚しやがて子供を授かりました。

 しかし彼女の悲劇の死から彼はいつまでも立ち直ることができず、彼女の影を見続け毎日あのピアノを調律して過ごしました。

 息子は母の記憶をほとんど持たないというのに、彼の成長を差し置いていつまでも亡き妻のことしか目に映さない父親。

 調律の仕事を教えるときも何度も妻の話をくり返し、息子が完全に一人で仕事をこなせるようになった頃には働くのもやめていました。

 妻の生前は引く手あまたの調律師で仕事に真面目だったために、蓄えだけは十二分にあったのです。

 そんな父のことを見限って遂に息子は町を飛び出してしまいました。

 きっと、欠片ほどの愛情も持てず、ただただ憎しみを抱いて離れていったのに違いない……。

 老人は朽ちかけた教会に手向けるような悲しげな息を吐いてニーナを見つめました。

 そして、もし自分が死んでしまったあと、息子を名乗る者が現れた時はこう伝えてほしいとニーナに言いました。

 “すまなかった……”

 “母親がいないお前のことが不憫だったが、私は彼女以外の妻を娶ることはできない……”

 “だからせめて、お前には世界一の母親がいたのだと、教えたかった……”

 ……と。


 ニーナは記憶の限り一言一句違えず彼に伝えました。

 老人がそのあとに続けたこの言葉も。


 “辛い想いをさせてすまない。私はお前を愛していたのだ……”


 それをニーナが言い終えたとき、彼は墓の前で大粒の涙をこぼしました。それは父の眠る墓石を叩いて幾百の粒に散りました。

 彼はあのころ父を憎んでいました。自分など父には必要なく、この存在をきっと疎ましく想っているのだろうと……怒りを抱え続けていました。

 ですが同時に、自分が居るせいで新しい恋ができないのだろうという憐れみも抱いていたのです。

 生まれ育った部屋を棄てて町を出て行く時に願ったことは二つ。

 父が激しい後悔に苛まれること。

 そして、やがて新しい恋愛をして母の死から立ち直り幸せになること、でした。

 しかし今やっと知った父の心は自分が思っていたようなものではなく、そしてあの選択は父を一生孤独にしてしまっただけだったと理解しました。


 彼は冷えきっていたであろう父の晩年に一握のぬくもりを与えてくれたリュートとニーナに深く感謝しました。

 特に最期を看取り最初に弔いをしてくれた彼女には何としても恩を返したいと言いました。

 二ヶ月後に迫る演奏会では町中の期待を集めてニーナとリュートが共演します。さらに外の土地からもたくさんの人が来訪を希望しており、すでに全ての宿の予約までが埋まっていました。

 二人はあのピアノで演奏するつもりでした。それを聞いた彼は今後定期的に調律をさせてほしいと申し出たのです。

 父に劣らず押しも押されもせぬ調律師に成長した彼も今は会社を後継者に任せていたので、これからはこの町に永住し父のあとを継ぎたいと決意しました。

 ニーナも、そして彼女から手話ですべてを伝えられたリュートも心から喜びました。あのピアノは二人にとって何よりも大切な宝物。あのピアノがあったからリュートは心というものを知ることが出来たし、ニーナは枯らさずにいられたのです。


 ジェイクとアリアに感謝を告げ、そして若い二人にもう一度深く礼をすると、彼は父の墓に背を向けて青く輝く芝生の上を歩きだしました。

 しかし教会を目にしてふと思い出したように足を止め、最も驚いたことを話し忘れていたと振り返ります。

 それは初めてあの新聞記事を読んだ時でした。

 天才ピアニストと評されていた十八歳の少女ニーナ……

 その部分を見た直後、しばらく言葉を失いました。

 なぜならそれは彼の母……つまりあの年老いた調律師が愛した妻の名と同じだったからです。

 そのことを伝えると彼は、きっと母は君のように美しかったのだろうと言って彼女に微笑みました。


 ニーナは初めて聞いた事実に驚き、同時に一つの出来事を思い出しました。

 旧教会の存在を知り一人でこっそりと入ってみた幼い日、朽ちかけた床を軋ませながらあの老人は冷たく追い返そうとしましたが、彼女の名前を聴くと驚いた顔を見せ、それからとても優しく穏やかな眼になりました。

 彼女をピアノへ導き、目の前で調律を仕上げ、奇麗に埃を拭き取ってから自分の隣に座らせました。

 そして鍵盤に手を添える彼女を見つめながら呟いたのでした。

 人生はまるで一曲の演奏のようだ……と。

 

 

 

 

                                 fin.

 

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Play of Life 仙花 @senka

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