081→【君と知らない未来の先へ】(終)
《24》
着替えを済ませ、荷物番の手筈を決めて、それぞれが思い思いに行動を始めた。
ちーちゃんは年相応の無邪気さ全開で初めての波に挑みかかり、タケセンと真尋の鍛錬大好き組は、せっかくお機会だからと砂浜でランニングを初め、そして山田は遥かナンパの旅に出た。
はい。もうおわかりですね。
そうです、杜夫くんが荷物番です。
ディスイズ、生殺し!
「……手に入らないからこそ、尊い輝きって、あるよね!」
移動販売のお姉さんから買ったかき氷をしゃくしゃく食べる。
さすがは夏休み期間中だけあって、海水浴場は多くの客で賑わっている。
その様子を見ながら、ふと、考えてみる。
ここに至る、それぞれの人の、それぞれの事情。辿ってきた道、これからの先。
今日という日は、この人たちにとって、どういう意味を持つ一日なのか。
「――――んー、無理だな」
勿論、すぐにギブアップした。たとえば、さっきかき氷を売ってくれたお姉さん一人ですら、自分には荷が重かった。
「つうか、そもそも大きなお世話って感じだよな、これも。俺に出来ることなんて、結局たかが知れてるってのは、嫌というほど痛感したわけだし」
「ちょうど良かった」
ゆらり、と震える影が来る。
「お世話、してちょうだい、がらくん」
その、【黒森さんと勉強をして町の服屋に買いに行った】という、実に攻め攻めなビキニを着た彼女――氷雨芽々子は、戻ってくるなり倒れ伏し、膝枕をせがんでくる。クーラーボックスの中のスポーツドリンクの缶を開け、ストローを差して渡すと、赤ん坊みたいにちゅうちゅう吸い出し、団扇で仰いでやると、『う゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ~』と極楽が口から洩れたみたいな声を出す。
「なんだなんだ。もうギブアップか、メメ子。部屋に篭もりっきりな御山の生活で身体が鈍ったか?」
「絶対それもあるんだけど……あの子、千波ちゃん、スパルタすぎよ、スパルタクスよ……全人類が心の中に、自分だけのヒレを持っていると信じているわ……」
ここで耳寄りな情報をひとつ。
氷雨芽々子は、泳げない。
子供の頃からそういう機会を与えられてこなかった彼女は、今回、海に行くに際してその克服を自らの目標としており、名乗りを上げたものこそがJOC出場の競泳選手、千波岬。
だが、悲しいかな。優れた選手が同時に優れた指導者であるとは限らない。
メメ子の話を聞くに、ちーちゃんはどうやら根っからの感覚派であり、
『泳ぐのなんて簡単ですよ、めめこねーさん。まずはそうですね、水の中でどう身体を動かせば効率的に進めるのかを知る為に、十回ほど溺れてみましょうか? 大丈夫です、何回だって助けますから!』
「死ぬかと思ったわ。死んだと思ったわ?」
ウフフフフ、と一種の達観を含んだ笑いを見せるメメ子さん。この妙な余裕、というか悟りが、臨死体験故のものでないことを切に願う。しかしこの口振りでは、どうにも苦戦中らしい。
「ねえ、がらくん。あたりまえに生きるのって、あたりまえに大変なのね」
自分が何かを出来ないこと、不自由であることを、宝物のようにメメ子は言う。
その理由を知っているのは、この場だと俺だけになる。
「手とか足とか、自分の身体で出来ることしか出来ないのって、こんな気分だったんだ」
氷雨芽々子は、超能力を失った。
あの日、七月十九日――相楽杜夫を殺そうとする、【この世のものではない隕石】を消滅させるのに、彼女は、曰く、一生分の力を使い果たした。
全てが終わった後、メメ子は俺にそのことを、まったく後悔も惜しみも感じさせず、さっぱりと打ち明けた。
「メメ子」
「なぁに、がらくん」
「もしも、まだおまえに不思議な力が残ってたら、どうしてた?」
「あら。そうね。……それでも私は、使わないでいたと思う」
「どうして?」
「だって」
伸ばされた手が、俺の頬を撫でてくる。
「あなたの隣で、同じ景色が見たいもの」
自分の力を抑えていた九歳メメ子、即ち、この八年間目撃されていた岐神権現は、事実上、行方不明となった。
その後、人里に降り、人間としての身分を取り戻す必要に迫られた氷雨芽々子は、現在、黒森香苗准教授が後見人となり、身元を保障されている。
そこいらには、例の詐欺師、征流院浄権があらかじめその為の準備を進めていたらしかった――自分の取り分はいらないと言ったメメ子に、きっちりと八年分の働きの稼ぎ、即ち、これから生きていくのに十分な財産も残して。
山におわす岐神ではなく、町に過ごす人間。
何よりも大切な目的に使っていた八年間を、その為に失われた時間を、これから彼女は、取り戻していくことになる。
「がらくんは、手のかかる女は、嫌い?」
「まさか」
苦笑して答える。
「何の因果か、そういうヤツにばっかり縁があるんだ。更に言うなら、そういうのが好きな性分で――」
その額に、手を当てる。
「何でも一人で出来ちまう、厄介な女に惚れたもんだから。そんじゃあそいつに頼られる、助けられる男になろうってのが、差し当たって、今一番の目標だよ」
「――――がらくん、」
「今日のも、その為だ」
「え?」
「先に身軽になられちまったからな。俺のほうも今日でさっぱり、抱えてたものを降ろさないと」
海へ来たのも、何より、それが目的だった。
十一回繰り返した、七月十九日。
その中で得た、本来の自分が持っていなかった、情報や、関係。
「宙ぶらりんのままだった、出逢いとか、約束とか、きっちりやりきっちまおう。知るべきことを、ちゃんと、手順を通して知り直して、お互いに知り合おう。そうすりゃあまた明日から、これまで通り、あの日までと同じ通りの、『聞いてないことは知らない』状態だ」
明日から、先。
七月二十九日からは、文字通り、正真正銘、ちゃんと、【俺たちの知らない未来】だ。
「何が起こるかわからない。あたりまえだが、それってよ」
「うん」
身を起こす。
メメ子と俺は、同じほうを見る。
砂浜。
波打ち際。
海。
その向こう。
果ての見えない、水平線。
「「わくわくする」」
意図もせずに声が重なり、そうして俺たちは、ようやく、みんなと同じ世界に、みんながいる場所に、今こそ、遅ればせながら合流する。
「そんじゃあ、差し当たってはさ」
海を指差す。彼女は意を汲み、頷いて立つ。
「出来ないことに、挑みに行こうぜ」
「ええ。最っ高に、望むところだわ」
時間通りに戻ってきた先生に荷物の番を変わってもらい、俺とメメ子は、並んで歩き、海に向かう。
果ての無い青に、臆すことなく、見果てぬこと、困難であることこそを喜びながら。
生きることとは、叶えたい何かを、叶うかなんてわからないまま、それでも目指して進む旅だ。
あたりまえに大変で、平凡の中に刺激があって、辛いことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、何だって起こり得る、どうとでも選び得る、いつ死ぬかどう生きるか予想もつかない、だからこそ面白い人生が、味わっても味わっても味わい切れないぐらいに広がっている。
だから、俺は、俺たちには、いつだって。
生きることに精一杯で、【今日死ぬとしたら】なんて、考えている暇も無い。
【メメントモリオ 了】
【To be Next Your《000》】
メメントモリオ!!!! 殻半ひよこ @Racca
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