暑い、引退、台風

受験は、苦手だ。


受験、就職、世間的に進路と呼ばれるものが俺は苦手だ。


先のことを考える程の頭が無いからだ。


高校3年になり、季節は夏。一年の頃から続けていた部活も引退し、本来は進路について考える時期だろう。


考える時期というか、実際は考えるには遅い時期なのだが。


ほとんどの3年が受験勉強やら就職活動やらしている中、俺は何もしていなかった。


ふらふら、人生の迷子と化していた。


皆将来に向けて動いていて、部活仲間だった森でさえ受験勉強をしている。


皆大人になろうとして、


俺だけが子供のままだった。



「大体さ、たかだか18の少年に将来を決めることを求めてくること自体間違いなんだ」


夏休みの土曜日、図書館で受験勉強している森に俺は愚痴をこぼしていた。


「……あのさ、勉強のジャマするなら帰ってくれない?凄い気が散る」


相当集中しているからか、森は本気で迷惑そうな顔をした。


まあ、それで帰る俺様ではない。


「どうせ受験なんて落ちる時は落ちるんだ。もっと肩の力抜けよ」


「受験生に落ちるとか言うなよ!」


軽いブラックジョークを挟むと周囲からの敵意に満ちた視線を感じた。


同じ受験生達らしい。過敏な反応、結構だことだ。


「大体お前何しに図書館来てるの?マンガなら家で読めよ」


目の前でマンガを読まれているのが気にくわないのか、いつになく機嫌が悪い。


「家にエアコンが無いから涼みに来てるだけだ。他に理由はいるか?」


「勉強してる目の前で読まれるのがイライラするんだよ」


受験でイライラしてる奴らを見ながらマンガを読むのは気分が良い。


今の現状に焦りを感じてないといえば嘘になるが。


「大体高3になって急に進路を決めろと言われても困る訳ですよ。自分のことをそんなテキトーに決めれないし」


「今の現状はテキトーではないのか?」


図星を突かれ少し黙る。


テキトーもいけないけど、大事なことを決めないのもまずいのだ。


「と言っても、なんでお前らはそんな早く順応出来たのか本当に分からないんだよ」


もしかして順応性皆無か俺!


「高3の夏にでもなれば誰だって順応する。お前が順応性皆無なだけだバカ」


なんだとーっ。


事実なことに変わりは無いが、それを人に言われるとめっちゃ腹立つ!


腹が立ったので、俺は森のノートのページを破いてグシャグシャに丸めた。


「あーっ!!何すんだこのバカ!」


「そのバカの報復だ。恐れいったか」


「お前もう帰れよ!俺が何したってんだよ!」


俺と森は皆が勉強している中でポカポカ殴り合って喧嘩した。


当然図書館の人に怒られ、追い出された。


その日は森は口を聞いてくれなかった。



日曜日、暑い中暗い自室でゲームをしていた。


しかしあまり身が入らなかったので数分で電源を落とした。


それは暑いからか、進路を気にしているからか。


おのれ進路め。


進路さえ決めてしまえば、このもやもやからも解放されるのだろうか?


この焦りや不安を抱えなくてもよくなるのか。


しかし、俺の未来設計図は真っ白だ。


今までは勝手に設計図が描かれていたのに、今更それを自分で描けと言う。


俺には、周囲の人間がそれを簡単に決めれる理由が分からない。


どうして先のことを見据えることが出来るのか、分からないのだ。



「あら?」


暑さに負けて図書館に避難していたら、そこでクラスメイトの美佳子さんが勉強していた。


皆真面目だなぁ。


「あなたも受験勉強?志望校決まったの?」


「それは嫌みですか」


未来設計図真っ白の俺に言うかこの女。


「知ってるかしら?高3の夏になってもふらふらしてる人間に人権は無いのよ」


恐い女。


こんな女と付き合う男は大変だな。


「じゃあ勉強頑張って」


そそくさと帰ろうとしたら、美佳子さんが呼び止めた。


「ちょうど勉強も一段落したし、これからお茶しない?」


「遠慮します」


「お茶しない?」


「やめてください、大声出しますよ(裏声)」


「女子か」


コントも終えたことだし、本当に立ち去ろうとすると、腕を掴んできた。


「付き合え」


「はい」


顔は笑顔だったけど、腕を掴む手は離さんとばかりに力が籠っていた。


捕食者ですかこの人。



「だからね、進路が決まらないのは何も行動しないからよ。あなた、この半年間何かした?」


「何もしてないです」


今近くのファミレスで美佳子さんとお茶をしている。女子とお茶してると言えば華やかに聞こえるかもしれないが、実際はただの絡み酒である。


酒じゃないけど。


「まずは何かしないと。興味あるものなんてどこかから降ってくるものじゃないのよ」


「はい」


美佳子さんは何かと俺に世話を焼く。世話焼きのお姉さんを通り越して最早口うるさい親戚のおばさんである。


「……ねぇ、今何考えてる?」


「台風で進路吹っ飛ばないかなぁって」


「人の話を聞きなさい。台風で進路は無くならないわ」


なんで俺説教されてんだろう。


「あのね、どんなに進路から逃げようとしても逃げられるものじゃないの」


「逃げるつもりはありませんよ。ただ決まってないだけです」


「このままズルズル卒業まで行っちゃうわよ」


「その時はその時よ」


美佳子さんは呆れた。ゴミを見る目付きだ。


「……もし良かったら、一緒の大学に行かない?」


「は?」


いきなりの申し出に少し戸惑った。


「俺が美佳子さんと同じ大学に行ってどうするんですか?」


「あくまで選択肢のひとつとして考えてほしいの。今ここで決めないより大学に行ってから考えても良いじゃない」


「それはまあ……」


確かに理にかなった話だ。


しかしそれでは、問題を先送りにしている気もするが。


「でも、ちゃんと自分で考えて決めてね。提案はしたけど、決めるのはあなただから」


そう言って美佳子さんは立ちあがり、レジで会計を済ませて出ていった。


さらっと2人分払って。


その後特に長居することなく、俺もファミレスを後にした。


ほんの少しのもやもやを抱えながら。



月曜日、外は台風で忙しい。


…………。


いやまあ、確かに台風で進路が吹っ飛べばいいって言ったけど。


本当に来ることは無いだろ。


これで学校に行く日であれば行かなくても良かったのだが、生憎今は夏休み。元々通学しなくていい時の台風はただ迷惑なだけだ。


気温も高いのでただじとじとして気持ち悪いだけだし。エアコン無いから家にいるのが不快で仕方ない。


むしろ外の方が気持ち良いくらいである。


……いっそ外出するか。


俺は革命的なアイディアを思い付いた。普通に考えるんだ。暑いなら外に出れば良いんだと。


俺はカッパを着て外へ出た。



外は雨がざんざん降っていて、


風もビュンビュン吹いていた。


雨と風の音で周囲の音は掻き消されていて、とてもじゃないが外に出られるものじゃない。


それに気付いたのは、外に出て一時間経った頃だ。


「おおおおおおおおおおおおおっ、寒い寒い寒い!」


中は暑すぎるが、外は寒すぎた。


バランスが取れてない。


しかし戻ろうにもかなりの距離を歩いたので大変だ。進むも地獄、戻るも地獄。


ならば俺は進むことを選ぶ。


格好よく言ったものだが、実際はムシムシした自室に戻りたくないだけだ。


しかし、外に出たはいいが、どこに行くか決めてなかった。


自分の進路みたいに。


………………


とりあえず、今はどこも目指さず漠然と歩くことにした。


しばらく歩くと、雨も風も気にならなくなった。


寒いのも慣れた。


そういえば散歩というのは血流を上げて脳の働きを活発にする効果があるらしい。


だからか、色んなことを考えてしまう。


主に進路のこと。


いくら斜に構えていても、頭の隅に追いやっても消えてはくれなかった。


どれだけ逃げても、決断の時は訪れる。


昔は学校に行って、部活をして、遊んでいればそれで良かった。


行くべきところが用意されていた。


それを急に自分で決めろと言われた。今までそれで良かったものを変える時になった。


自分で決めないことを無責任と言われると言い返せない。


しかし、急に責任を求められても困る。


俺は、自分のことは何も知らない。自分が何をしたいのか、何に向いているのか、自分が何をしているのか分からない。


自分がどこへ行きたいのか分からない。


今まで何もしなくても動いていたエスカレーターが止まった気分だ。


今まで何もしなくても生きていけたのに、急に自分の人生を自分で決めろと言うんだ。


そんなの、無責任だ。



翌日の火曜日、風邪を引いて寝込んでいた。


昨日長時間雨に身を晒していたからか、今は身体がダルい。


自室で大人しく寝ていたら、どこから嗅ぎ付けたのか美佳子さんが看病に来た。


森がバラしたのか?余計なことをする。


「美佳子さん、受験勉強はしなくていいんですか?」


「今日は休みにしたわ。休むことも必要よ」


それでわざわざお見舞いに来ることはないのに、お節介だなぁ。


「あなたこそ、台風が来てるのに外を出歩くなんてバカなの?」


美佳子さんは呆れた様子だ。子供ねとでも言いたそうに。


「しばらく大人にはなれませんね」


簡単に大人になれたら苦労はしない。


「……なぁ美佳子さん。進路ってなんで決めなくちゃいけないんだろうな」


「何よ突然」


何がおかしいのか美佳子さんはため息をつく。


「なんとなく、自分の将来を自分で決めるのは大変だなって思ってね」


自分のことを自分で決めることが、こんなに面倒臭いとは思わなかった。


「そうね。確かに大変ね。でも私は他人に自分の人生を決められたくはないわ」


「えっ」


美佳子さんは神妙な顔で言った。


「自分の人生は自分で決めたいもの。他人に決められた人生だと、きっと笑顔でいられないわ」


美佳子さんはとても大切で、とても当たり前のことを言った。


「どうしても決められない時は私の言った通りにしても良いけど、でもそれは問題を先送りにしているだけだわ」


「出来るなら自分で考えて、自分で動いて、自分で決めて欲しい。そうじゃないと後悔するから」


美佳子さんは優しげな表情でこちらを見た。


決断を人に委ねていると、自分で決断する大切さを忘れがちだ。


「……俺、今まで自分で決断することから逃げていたんだ」


失敗するのが恐くて。


自分で決めたものが間違いだと、大切なものまで否定される気がして。


「でも、逃げても逃げても、逃げ切れなかった。どこにも行けなかった」


でも本当は、自分で決めたことだから失敗を受け止められて、成功したら喜べるんだ。


「だからもう、逃げるのはやめるよ」


必要なのは覚悟だった。


自分の責任を持つ、覚悟だ。


「だから、勉強教えてくれないかな?」


そう言うと、美佳子さんは静かに微笑んだ。




おわり

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