何処へ行くのか。あるいは、何処に行けるのか。

HOTARU。

第1話

煙草を薫せながら、彼はこう言った。


「これから女になる君に教えてあげよう。

女のセクシーさは、

どこからくるか知っているかい?」


私の肩にゆったりと渡った腕は筋骨隆々としていて、

人種の壁を表していた。

心臓から血液が太い管を流れて、

それが彼の黒く輝く肌の下を

ドクドクと溢れるように通っているのを

まじかに感じられる。


私はそんな男の顔を

目を大きく開いてじっと見ては、

また目を伏せるように、知りません、と

首を振った。



彼は指をぴんと立てて、

それを頭に突き刺すようにして教えてくれた。



「それはね、ココさ。」



ここ?と同じように頭を指さして、

私はわざとらしいくらいに首を傾げる。


「そう、ここ。知性だよ。」


私の肩をすっと抱き寄せて、

からかうように言った彼の口元から溢れるような白い歯が

暗い部屋の中で光った。


周りの音楽があまりにも煩わしくて、

まとわりつく煙草の煙が気持ちが悪い。

知性、という言葉を頭の中でゆっくりと反芻させて

頷いた。


ホールで馬鹿みたいに踊る男たちの中で、

何人かがこちらにチラチラと視線を送ってくるものだから、

たまに口角を吊り上げるだけの笑みを返す。


こんなことを簡単にできるようになった自分が嫌いだった。


ホールの中央に垂れ下がる、

いくつかのシャンデリアが

煩いくらいに光っている。

ジャラジャラとして、なんて悪趣味なんだろう。


フロアの遠くで

父が誰か分からない女と

ゲラゲラと下品に笑いながら

話している。


グルグルとする視界は煩雑としていて、

もう訳がわからなくなりそうだった。


服に煙草の匂いがうつるかもしれない。

そんなことを心配していた。


上の空の私の肩を彼が優しく叩いた。


「どうしたの?大丈夫かい?」


大丈夫です、と

押し出すように応えた。


「僕の母はね、僕がFive、五歳の時に死んだんだ。生まれた時から父はいなかった。

おばあちゃんと一緒に暮らしたよ、

優しい人だった。」


彼が、何故、

こんな話を私にしたのかは分からない。


「母はね、覚えている限りではとても知的で強い人だったんだ。」


頷くだけの返答をした。

彼は自分を不幸だと思ったことなどない、という顔をしている。

彼が羨ましかった。


「僕はそんな母が理想の女性でね、

母が世界一の女だと思うんだ。」


彼の雰囲気が一変したのを感じた。


お互いに向き合い直す。

彼の真っ黒な瞳が私の瞳とぴったり重なる。

溶ける。

睫毛をなぞるように彼の目を観察する。


「君は何を悩んでいる?」


見透かされた。そう思った。


「なあ、苦しみや悲しみについて深く考えるのはやめようぜ。

悩んだって、朝日は上る。

苦しんだって、毎日必ず朝はくるんだ。」


肩に置かれた腕にぐっと力がこもった。


「敵なんていない。でも、周りは敵だらけだ。」


あやふやな言葉が

ぐるぐると回りながら、足元に転がる。


「人生はね、

行くべきところに行くんだ。

逆にいえば、

行ったところが

君の行くべきところなんだ。

行くべきところにしか

君は行けない。」


自分の中の、

なにか壁が恐ろしい勢いで壊されている。

体がバラバラになりそうだった。


「僕が育った地ではこんな言葉があるんだ。」


息をのむ。

うっかりすると、圧倒されてしまいそうな

彼のその表情や雰囲気に

どうにか持ちこたえようとする。

涙が出そうだ。


「The darkest hour is always just before the dawn.」


流暢な英語は私には聞き取れなかった。

疑問を口にする前に、

私の耳たぶを捕まえて、目を見開く。


「夜明け前は一番暗い。」

「そういう意味だよ。」


悪戯っ子のように笑った。

彼はこんな風に笑うこともできたんだと

気づく。


心に空が広がるような思いになった。


どこかに行きたくなった。

何かしたくなった。


膝に置いた手をギュと握って、

ぎこちなく笑う。


「さあ、君は、どこに行く?」



どこかに行きたい。すごく、遠いところ。


ああ、泣きそうだ。


「どこにだって行けるさ。」



でも、誰かに邪魔をされてしまうかも。


視界がぼやける。


「人間は誰にも勝てない。

だから、誰にも負けない。」



途中で泣いてしまうかも。

立ち止まってしまうかも。


溢れ落ちそうになる。


「怖がる必要はない。

ただ、足を止めないだけで前には進めるんだ。」

「さあ、君は、」



私は、


ゆっくりと温かく伝う。


「どうやって生きる?」




溢れて


落ちた言葉が


反響した。



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何処へ行くのか。あるいは、何処に行けるのか。 HOTARU。 @hotaru0821

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