雨は夜更けすぎに
前花しずく
雨は夜更けすぎに
クリスマスイルミネーションが施された駅前広場。その広場の屋根の下で僕は自転車を片手に雨が上がるのを待っていた。冷たい雨が降り注ぐにも関わらず、イルミネーションを見に来ているカップルがちらほらといた。
自転車で帰らなければならないのだが、今日はカッパを忘れてしまい、雨の中を強行突破するのは寒さも手伝って厳しい。降水確率25%と言って昨日の俺を安心させた天気予報を恨んだ。
とは言ったものの、いつまでもここでボケッと突っ立っているわけにもいかない。駅前の百貨店はもうとっくに閉まってしまい、一部の店は既にシャッターまで下ろしている。あと十分もしたらもう凍える覚悟で雨の中を漕ぎ出していくしかないだろう。
やんでほしいと思う俺の願いも虚しく、雨は歩道のタイルに休むことなく打ちつけ、タイルはイルミネーションの光を乱反射させていた。
そろそろ我慢の限界だと、屋根のある部分から出ようと思ったその時だった。ふと、目の前を通りがかった女性に見覚えがある気がした。振り返って今一度じっと見ると、中学の時の同級生だった。ツレはおらず、立ち止まって雨の降ってくる暗い空を憂鬱げに見上げている。
――久しぶりだし声をかけてみるか。
そう、軽い気持ちで彼女の肩を叩いた。
「よっ」
「へっ?」
彼女は何かとんでもないものを見たかのように目を丸くして固まっている。
「おいおい、そんなに驚くことじゃないだろ?」
俺が両手を広げておどけて見せるが、彼女は尚も合点のいかない顔をしている。
「えっと……どちら様ですか?」
「そりゃないだろ、まだ二年と3ヶ月しか経ってないぜ?」
俺も、最初は彼女がふざけてるんだと思って明るく返し続けていたのだが、どうやら彼女の反応を見ていると本当に分からないらしい。今にも不審者がいると通報しそうな顔だ。
「ちょっと待ってくれよ、俺だぜ?中学んとき一緒だった矢口太一」
「矢口さん……ごめんなさい、多分会ったことないと思います」
これだけ知らないと言われ続けると、俺も明るく振る舞うことができなくなってくる。だんだん語尾が小さくなってきてしまった。
「ちょ、ちょっとまて、一回確認させてくれ。お前の名前は坂口里奈だよな?」
何回見ても彼女の顔は里奈だ。世界に3人似ている人がいると聞くが、似ているというよりはそのまんまだ。これで里奈ではなかったら流石に自分の頭を疑う。
俺が聞くと彼女は何かに気付いたらしく、プッと吹き出すとそのままクスクス笑い出した。一体なんだというんだ。
「なんで笑ってんだよ」
「あはは……すみません、やっと分かりました。里奈は私の姉です。私は里奈の妹の香奈です」
――なるほど、そりゃ話が通じないわけだ。
「……なんかごめん」
「いいんですいいんです!私たち、よく間違われますから」
香奈ちゃんははにかんで受け答えしてくれるが、超馴れ馴れしくしてしまった手前、申し訳ないやら恥ずかしいやら。
「帰りはチャリ?」
「いえ、運動の為に歩いてます」
なるほど……まあ確かに歩けない距離でもないか。女の香奈ちゃんが歩きで、男の俺がチャリじゃ、ちょっとかっこがわるいような気もするが。
「じゃあ、帰り送ってくよ。家近いし。女の子一人じゃなんだかんだ危ないっしょ?」
さっきまで不審者だった俺が言うのもなんだが、実際俺や香奈ちゃんちまでの道中は街灯がないところもあるので危ないことは確かなのだ。
突然の申し出だったので断られるかと思ったが、意外にも香奈ちゃんは「お願いします」と人懐こい笑顔を浮かべて了承した。
「お姉ちゃんの友達は信頼できる人ばかりだって、お姉ちゃんが言ってましたから」
香奈ちゃんはそう言うと折り畳み傘を広げた。
「じゃ、行きましょうか」
――完全に傘がないことを失念していた。
調子に乗って「送ってく」などと言っておきながら傘がないのではかっこがつかない。とは言っても言い出したものはしょうがないので、ずぶ濡れになるのを覚悟で自転車を押した。
「あー――一緒に入ります?」
「いやっ!それは流石に大丈夫だよ!俺にも一応デリカシーはあるつもりだから」
「でも、濡れちゃいますよ?」
それを言われればぐうの音も出ない。さっき屋根の下で雨がやむのを待ってたように、俺は雨に濡れるのが大の嫌いなのだ。本音は入れてもらいたい。
「大丈夫ですって。私と矢口さんじゃ付き合ってるようには見えませんから」
――直接的に言っちゃった……。
俺は決まりが悪くなってそっぽを向く。香奈ちゃんは特に気にしていないのに俺が赤くなってどうする。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
香奈ちゃんがさしている傘に屈みながら身体を入れる。折り畳み傘自体が少し小さいので、俺の肩と自転車はずぶ濡れになっている。まあ、ないよりはマシだ。
駅前を外れ、線路沿いからも外れると、街灯は途端に少なくなる。車通りも地元の人が近道に使う程度で、あまり多いわけではない。雨は県道の両脇に生えた背の高い草に打ちつけ、不規則な音を立てている。
「ぶっちゃけ、矢口さんってお姉ちゃんのこと好きだったりします?」
唐突に香奈ちゃんが切り出してきた。それまで会話の一つもなかったのに急に振られた話がそれだ、ビビらないわけがないだろう。
「ど、どうして突然そんなことを?」
「ほら、お姉ちゃんってモテるじゃないですか」
まあ、確かに里奈はクラスで憧れの的のような感じになっていたのは確かだ。俺がさっき香奈ちゃんに駅で声をかけたのも、若干好意があったからに相違ない。でも、恋愛対象か、と聞かれると違うと思う。あくまであいつとは友達としていたい。
というか妹の前である手前、NO以外の選択肢はないのだが。香奈ちゃんは「そうなんですか」と相槌を打つ。
「お姉ちゃんはモテるのに、私ってあんまりモテないんですよね~」
街灯の明かりは傘を通して香奈ちゃんの顔に影を落とし、少しだけそれが寂しそうに見えた。こんな時に格好良いこと言えればいいのだけれど、そんなことができていればとっくに童貞卒業している。
「なんでだろうね」
こんなことを言って紛らすのが精一杯だ。
香奈ちゃんも俺も再び黙って街灯の少ない細い路地を歩いた。たまに左右の家の窓からクリスマスの飾り付けやクリスマスツリーが見える。
「明日クリスマスなんだなー」
もう分かっていることだが、改めて口に出てしまった。部活だとか塾だとかで、正直そんなものを楽しむ心の余裕が減ってしまっている。
「今年も私はクリボッチです」
自嘲気味に笑う香奈ちゃんは、やっぱりどこか寂しそうだった。
「友達とか、里奈とかはいないのか?」
「お姉ちゃんは彼氏とデートだそうです。友達は家が離れているので、遊んだりするのは難しいですね」
どうやら「男と過ごせない」という意味ではなく、本当に一人ぼっちのようだ。
「……だから、矢口さんがお姉ちゃんのこと好きだったら、二番煎じでもいいので一日付き合ってもらおうかな~、なんて思ってたんですけど」
嘘か真かは分からなかったが、香奈ちゃんの顔を見ている限り、それはどうやら本心に見えた。その優しそうな笑い顔に切なさが浮いて出ている。
「二番煎じはダメだろ」
俺にはあまりに香奈ちゃんが不憫に見えた。同時に、既に諦めている香奈ちゃんに腹が立った。笑って流してくれると思っていたのか、香奈ちゃんは立ち止まってちょっと驚いた表情でこちらを見つめた。
「香奈ちゃんと里奈は違う。だから、香奈ちゃんが里奈の代わりなんて、そんなのはおかしい」
俺が説教できるような立場ではないはずなのに、偉そうなことを言ってしまった。香奈ちゃんはすっかり萎縮して、それっきり何にも喋らなくなった。
畑がちらほら見え始めた辺りでさらに住宅街の奥に入り込んでいく。雨はまだ冷たくびちゃびちゃと降っている。俺は何か言わなくては、と考えてはいたが、思いつかないうちに俺たちは香奈ちゃんちの前に着いてしまった。
「送って頂いてありがとうございました」
香奈ちゃんはバカ丁寧にお礼を言って、玄関へ向かう。大雑把でなんでも適当な里奈とは大違いだ。
「あのさ」
俺が声をかけると、香奈ちゃんは腰を回して上半身だけ振り返る。
「傘借りていっていい?」
「あ、はい、どうぞ」
香奈ちゃんははにかみながら傘を渡しに、再び俺の近くに歩いてきた。俺も手を伸ばしてその折り畳み傘を受け取る。
「じゃあ、これ、明日返しにくるわ」
受け取りながらそう言うと、香奈ちゃんは肩を大きく揺らし、目を丸くした。そして、寒いからか赤くなった鼻をすすって、そしてまたにっこり笑った。
「それじゃあ、明日、お茶を淹れて待っています」
俺はそれに笑って返すと、気恥ずかしくって手を振って足早に香奈ちゃんちを後にした。気付けば冷たい雨は暖かい雪になり、ピンクの折り畳み傘に積もっていた。明日はホワイトクリスマスになりそうだ。
雨は夜更けすぎに 前花しずく @shizuku_maehana
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