第1章最終話:魔女モニカ

 突然、視界が鮮やかに染まる。

 突然も突然だ。状況の変化に付いて行けない。

 二度、三度と瞬きを繰り返し、首を横に動かすと、血に塗れた銀色の肉きり包丁が目に映った。

 包丁にはうっすらと肉片の様なものが付いているのを確認して――――。


「いや、もう見慣れたし。この感覚にも慣れたよ。

 あぁ、肉屋のおっちゃん心配してくれてありがとうな。俺は大丈夫だ」


 「お、おぅ。本当に大丈夫か」と言う肉屋のおっさんに、掌を振って少年ヤガミハルトは無事なことを表明すると、

勢いよく立ち上がり、軽いストレッチをして自分の体をほぐすと、さて、と口を開いた。


「何をするにも、リーゼロッテと会ってからだな。資金をもらって装備を整えてみるか………。

 いや、まずは信頼を得るところからリスタートか………かったりぃな………」


 次の行動を考えて、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら歩く。

 何の異常も見られない、身体を動かし、酒場へ向けて両足を動かす。

 ぶつぶつ、ぶつぶつ、と呟くハルトの瞳が酷く濁っていたとしても、少年は気付かない。まだ、――気付けない。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「――おっかしいなぁ………」


 肉屋のおっさんに別れを告げた後、ハルトは大通りに向かっていた。

 道を二、三回間違えたものの何とか無事に見覚えのある大通りに辿り着き、目的の酒場へ歩を進めて、ハルトは違和感を感じていた。


「ここら辺に、酒場が合ったと思ったけど………」


 自分の記憶を探り、酒場があった場所を確認する。

 確認作業を終えると、酒場があるはずの目の前の建物を確認する。

 ハルトの目の前には、綺麗さっぱり何もない建物があった。現在、店内改装中。とかが似合いそうなガランとした建物に首をかしげる。


「おっかしいなぁ、ここじゃないのか?」


 空っぽの建物を見ながら、ハルトは益々首を傾げ困惑を口にする。

 何度も何度も、酒場があるはずの建物を見て、酒場の横にある建物を見つめ記憶と照らし合わせる。

 隅々まで記憶しているわけではないし、酒場の隣にどんな店が立っていたのかは思い出せない。

 だが、おぼろげに覚えている建物の配色は目の前の空っぽの建物と同じはずだった。


 しかし、現実にはこうして空っぽの建物が目の前にはあるわけで………。

 納得がいかずにもう一度首をかしげて、ハルトは自分の記憶の間違えだろうと思うことにした。

 ハルト自身、大通りを何度も訪れたわけじゃない、道を間違えた可能性は十分にある。


 地に張り付く両足を再び動かして――。ハルトの視界に見知った人物が映った。

 その人物は会いたかった金色の騎士ではない。

 世界で一番会いたい白い少女でもない。

 正直、知り合いと言うかも怪しく、どちらかというと出会っても特別嬉しい人物ではない。

 でも、その瞬間、ハルトは喜んで一方的に知ってる男に躊躇うことなく声を掛けた。


「――――おーい! 汚くて変な匂いのするおっさん! 小汚いおっさんじゃないか!! ちょっと、聞いても良いか!?」


 その人物は『二回目の世界』でハルトが酒場に居た時に、リーゼロッテのことを下卑た目で見ていた汚いおっさんだった。

 安い酒と思われる酒瓶をブラブラと揺らす、汚い見た目をした男は見知らぬ少年に声を掛けられ、驚きに目を見開かせた、


「な、なんだっお前! 俺に何か用か!?」


「そんなに怯えなくて良いじゃないか、俺とお前の仲だろっ?」


「お前のような餓鬼しらねぇよ………どっか行け!」


 酒臭い口を開き喚く男に「まぁまぁ」となだめつつハルトは聞きたかったことを聞いた。


「ここら辺に酒場があったと思うのだけど知らない?

 詳しく言うと、荒々しい男が集まる感じの、厳つい顔をしたマスターがやってる店なんだけど………」


「なんだ? お前も酒場の客か? ………その恰好は斥候か?」


「あぁ、そんなものだけど、酒場のこと知ってるのか! ちょっと連れて行ってくれない!? 道に迷ってさ」


 自分の欲しい情報を聞き出せそうなことに安心して、ハルトは矢継ぎ早に言葉を投げかけた。

 ハルトの興奮した様子に、今度は小汚い男が「まぁまぁ」となだめると、酒をあおり酒臭い口をさらに酒臭くしながら口を開いた。


「お前しらねぇのか。酒場なら昨日吹っ飛んだよ」


「………………………は?」


 男の言葉から思いがけない言葉が飛び出しハルトの身体が凍る。

 聞き間違いだろうか? 自分の耳を疑い始めるハルトに小汚い男は言葉を続けた。


「昨日、酒場に騎士が現れてよ。魔女の旅の同行者を探していると言ってたな。

 信じられるか? 魔女の旅だぜ、魔女の旅。

 そんな、自殺まがいの旅に誰が付いて行くと思う? 金も名誉も何ももらえないんだぜ?」


「――――――………」


「そりゃあ、散々仲間と笑ったさ。笑うのは当然だよなぁ?

 それで騎士は何をしたと思う? 怒って酒場を吹き飛ばしやがったのさ!

 クソッタレ! 俺達の憩いの場所を粉々に吹き飛ばしやがった!」


「――――――………」


「お前もあの酒場の常連ならムカつく話だよな?

 だが、この話はこれで終わりじゃねぇ!

 昨夜、その騎士の遺体が見つかったんだよ! 上半身と下半身が綺麗に分かれた状態でよ!」


「――――――………………っ」


「笑っちまうよな!

 魔女の旅なんて夢見がちなことを言っているからそうなるんだ!

 惜しい話は、騎士の鎧を剥ぎ取りに行こうとしたが、既に衛兵に引き取られた後だったことだな。

 あの鎧を売ればしばらくは暮らせるのによ。ちっ、衛兵め」


「――――………………笑ってしまうか?」


「あぁ、笑っちまう話だろう? お前も――」


「――全然、笑える話じゃないだろうがっ!!!」


 ハルトの怒号が大通りに響き渡った。

 大音量の絶叫に、小汚い男が身を縮め、通りを歩く通行人が何事かと辺りを見渡した。

 周りの様子はまったく頭に入らないまま、ハルトは怒りに任せて叫び続ける。


「――お前にリーゼロッテの何が分かる!?

 あの金色の騎士がどんな思いで、何を守るために戦ったか分かるか!?

 あぁ、笑わせねぇよ! お前のようなクズに笑う資格なんかないんだよっ!!!」


「………な、何を言って」


 全身から迸る怒気を滲ませ、ハルトは小汚い男を見下ろしていた。

 身長は小汚い男の方が高い、だが、ハルトは男を上から見下ろしていた。

 自分の中から、これまで感じたことのない怒りが身を焼き尽くしていることが分かる。命を掛けた戦いの場でも感じたことがないほどの怒りだ。


「――おいっ、宿屋はどこにある?」


「………な、何のことだっ」


「――ここら辺で、一番高い宿屋はどこにあるかって聞いてんだよっ! さっさと答えろ! 

 答えて、俺の前から消えろ! 消えていなくなれ!」


 自分より低い身長を持つ少年の溢れる怒気に小汚い男は益々身を縮めると、慌てて方角を指示し、立ち去った。

 自分が通行人の視線を一身に浴びていることには気が付かないまま、ハルトはそのまま男が指示した方角へズカズカと足を進めた。

 頭には見えない火花が散り、何も考えれなかった。

 何も考えが思い浮かばないまま、身体の赴くままに、足を動かし続けた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――宿屋に着いた。

 宿屋に着くまでの過程は不思議と記憶からすっぽりと抜けていた。


 ハルトは高級そうな旅館に遠慮することなくズカズカと入り込み、二階に辿り着く。

 二階に辿り着くと、扉を数えて、右から七番目のドアを開ける。

 開けようとして、鍵がかかっていることに気が付く。


 舌打ちをして、躊躇することなくハルトはドアを思いっきり蹴り付けた。

 一回では、頑丈なドアは壊れない。だが、二度、三度と蹴り付け、やがてドアに小さな穴が開いた。

 小さな穴をそのまま何度も蹴りつけ、やがて子供一人が入れるような大きさの穴になると、ハルトは身を縮め部屋の中に忍び込んだ。


 部屋の中は、シンプルな作りだった。

 大きなベッドに、窓枠一つ、窓枠には花瓶と水差しビンが置かれてある。

 既にこの部屋に住んでいた者の持ち物は回収されたようで、部屋にはそれ以外は何もなかった。


「――――………モニカ」


 ハルトは会いたかった少女の名前を呼んだ。


「――――………モニカ」


 ハルトはこれから会う予定だった少女の名前を呼んだ。


「――――………モニカ」


 ハルトはすでにこの世界のどこにも居ない少女の名前を呼んだ。

 部屋を見渡して、ドアの前の微かな染みの跡に気付いて、ゆっくりと膝を付くと、掌で染みの跡に優しく触れた。

 そこには確かに少女がこの世界に居たことを示す手がかりがあった。

 そこには最後の少女の命の輝きが世界に溶けた跡が確かにあった。


 ハルトの身体から、全身から、熱い何かが溢れてくる。

 熱い何かは胸を絞めつけ、喉から嗚咽を絞り出した、ハルトの顔から涙が溢れ零れた。


 苦しい涙だった。

 何度も世界を繰り返して、それまでの涙が全部うれし涙だったのにハルトは気付いた。

 目からは絶え間なく水滴が流れていると言うのに、全然楽になれない。それどころか心が益々強く締め付けられ、切り刻まれ、血を流している。

 身体を丸め、地面を引っ掻き、苦しい嗚咽を繰り返した。


 一回、二回、三回、四回と繰り返してようやく上手くいきそうな確信があったのに、一体、一体、自分が何をしたと言うのだろうか?

 苦しみすぎて破裂しそうな胸を握りしめ、ハルトは呪った。居るか分からない神を呪った。

 

 これが、これが結末だと言うのなら、あんまりではないか?

 それなら、今までの世界は何だったと言うのか? 今までの喜びも悲しみも驚きも怒りもすべてがまがい物だと言うのか?


「――――――………ざっけんな」


 ハルトは胸を押さえながら、血を流し続ける心からの叫びを放った。


「――………ふっざけんじゃねえぞ!!! くそがぁっ! 俺が何をした! 何をしたって言うんだ!

 俺の何が悪かったって言うんだ! 俺の何が気に入らねぇ! 言ってみろよ! 言ってみろよ、おいっ!

 何でだ、何でだよっ! ようやく、ようやくモニカを、リーゼロッテを救えそうだったんだ!

 一回目は何もわからなかった! 二回目は苦しかった、苦しくて投げ出したくなった!

 それでも、三回目で上手くいきそうだった! そうだろ! そう思うだろ!

 何とか言えよっ! 言えよっおいっ!!!」


 誰に向けて憎しみを吐き出しているのか、誰に向かって悲しみを吐き出しているのか分からないままハルトは叫び続けた。


「――………上手くいくんだ! 四回目ならきっと上手くいく!

 失敗して、失敗して、失敗したけど、次は上手くいくよ! 分かるだろ!?

 分かっただろ!?………じゃあ、何でこんな真似をするんだ………おかしいだろ、おかしいだろうがよ。おいっ」


 ハルトの目からは一向に止まる気配がない涙が溢れ続けている。苦しみが増すばかりの涙だ。今なら血涙を流してもおかしくはない


「――………それなら、それなら、こんな真似をするなら今までの世界は何だったんだよ?

 俺の頑張りは………なんだったんだ………。俺は、みんなは………………。

 こんな、こんな思いをするなら最初から、最初から………………」


 最初から二人とは合わなければ良かった。

 言いたい。それを言って楽になりたい。でも、その言葉が何故か口に出来ない。出るのは嗚咽ばかりだ。

 嗚咽と涙と、地面に倒れ込み、呪詛にも満たない呪詛を言い続ける少年だけ。


 苦しみを紛らわせるように切り裂かれ続ける胸を握り潰さんばかりに握りしめた。

 涙でぐしょぐしょに塗れた醜い顔で宙を見上げて、ハルトは心からの自分の思いを告げた。


「――頼むよ。頼む。もう一回で良いんだ。二人が居る世界に『戻らせてくれ』」


「――――苦しい世界だって分かってる。辛い世界だって分かってる。俺が何も出来ないのは分かってるよ」


「――――――でも、俺は二人の傍に居たいんだ」


 誰にも見せられないような酷い顔でハルトは心からの叫びを口にした。

 

 この辛くて厳しい異世界は現実よりも厳しい現実を押し付けてくる。

 でも、それでも、一回くらいは救われても良いはずだ。何も出来ないゴミ屑同然のハルトの様な少年でも一回くらいなら救われる権利があっても良いじゃないか。

 ――否。自分は救われなくても良い。ゴミ屑当然の自分は救われなくても良い。

 望むのは、心から望むのは、こんな自分のことを友達だと言ってくれた少女が救われること。

 それだけがすべてで、それ以外はいらない。自分が傍に立って救われるのなら、自分のすべてを投げ出しても良い。

 だって、だって、こんな結末じゃ………。


「これじゃあ、あまりに救われないじゃないかよ………」


「――モニカ、頼むよ。また、俺に声を聴かせてくれ、それだけでいいんだ。それだけで………」


 真っ白な少女の声が聞きたい。少年が願うのはそれだけだった。

 世界を救うだとか、自分だけの能力を手に入れるだとか、元の世界に戻らせろとか、そんな大それた願いではなかった。

 あまりにもありふれた、普通すぎる普通の願いを祈る。嗚咽が続き、涙が流れ続ける顔で祈り続けた。


 ハルトの悲痛な叫びを誰かが聞いたのかは分からない。分からないが。


――ふわりと、ハルトの鼻腔を石鹸の香りが漂った気がした。


「――モニカッ!?」


 見覚えのある匂いを鼻腔に感じて、ビクリと肩が跳ね上がった。

 それが、何かの合図だったかは分からない。

 匂いがしたと思ったのも自分が勘違いしただけだったかもしれない。

 だが、ハルトは確実に『自分の死が近づいてくる』のが分かった。

 もはや、慣れすぎた感覚を感じて――――ハルトは笑った。


 自分が死ぬのが分かって、ハルトは笑い続けた。それは心からの喜びであり、心からの笑いだった。


 ――死ぬのが狂わしいほどに嬉しかった。


 常人なら気が狂ったとしか思えない感想を胸にハルトは笑い続ける。涙も流れ続ける。

 だけど、もう涙は苦しいだけの涙じゃなかった、嬉しい方の涙だ。嬉しくてハルトは泣いている。

 ――なぜなら、


「――モニカ、今度こそ君を救ってみせるよ」


 このまま死を迎えれたなら白い髪の少女に会える。それだけはハルトが確信をもって思えたからだ。

 徐々に、徐々に、確実に、『死』の足音は近づいて来て………。


 ――ヤガミハルトは死んだ。


 どうやって、死んだのかハルトには分からない。

 でも、緩やかに死んでいく身体を感じて、それが幸せな、幸せすぎる死だとは分かった。


 ――リセットして 

 ――またリセットして

 ――もう一回リセットして

 ――二人が居ない世界を拒んで


 自分のことを友達だと言ってくれた少女に会いたいと願う。それだけのことを理由に、

ヤガミハルトは再び、血なまぐさい争いが蔓延る世界へ『戻った』


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


――『赤』から『黒』。そして『白』から『七色』へ。


 ゆっくりと、視界が鮮やかな色で染まっていった。

 少しずつ熱を帯びてきた体に心から安心して静かに息を吐き出す。

 二度、三度と瞬きを繰り返し、首を横に動かすと、ふわふわで真っ白な髪を風になびかせる少女の姿が映った。


「――戻って来たよモニカ」


 辛くて厳しくて優しさのかけらもない異世界に。『三回目の世界』にハルトは戻ってきた。

 自分の身体は相変わらず地面に寝転がったままの状態で、汚れたままの傷だらけのままの状態だと分かる。

 頭上にはあんなに会いたかった白い少女が微笑んでいた。


 モニカはハルトを見下ろし、ハルトはモニカを見上げている。

 ハルトは頭の下に柔らかい感触を感じて、膝枕をされているのだと分かった。


「こんなに幸せで良いのかな? 他の異世界の主人公達が血涙流して羨む展開だぜ?

 うん、最初の十ページくらいなら羨むだろう。

 百ページくらいの状態ならハーレムが構築されていて逆にこっちが見下される、かもしれないけどな」


 照れくささを隠す様に自分だけが分かる単語をぺらぺらと並び立てるハルトにモニカはにこっと笑うと、ハルトの顔を優しく撫でた。

 少女の柔らかい掌の感触と体温を感じて、ハルトは再び少女が居る世界に戻れたことに心から喜びを感じる。

 モニカは相変わらず笑顔を顔に張り付かせたまま、喜びをじっくりと噛み締めている、ハルトの顔を撫でると、掌はそのままハルトの首を撫でた、愛しげに首をなでたら、次は胸を撫でる、次は腋を、腹を、太ももの間を………。


 むず痒さを耐え続けるハルトだったが、触れられてはいけない領域まで手を伸ばそうとする少女の手を止めて、慌てて起き上がった。


「ちょっ、ちょっとモニカ。俺が帰ってきて積極的すぎない?

 さすがに、ザ・草食系の俺も意識しちゃうよ?」


 モニカの青い瞳を見つめて、ハルトは大げさな仕草で自分の胸を抑え動機を抑える。

 ハルトの仕草をきょとんとした目でモニカは見つめると、ハルトが無事に動けるのを見て安心したのか口角を吊り上げて笑った。


 ――花が咲く様な笑顔を………見続けていたハルトはそこでようやく異変に気付く。


「――モニカ………だ、大丈夫か?」


 異変に気付いたのは、モニカの『笑顔を張り付けた様な表情』だった。

 どうして、最初は笑っていると感じたのだろうか? 少女のいつもの真っ直ぐな笑顔とは似て非なる歪な笑顔だ。

 思えば、ハルトが帰ってきてからモニカは一言も言葉を発していない。

 異常事態に気付いたハルトは慌てて、周りを見渡して、異様な光景を目にして固まった。


「――――――………えっ?」


 白く輝く鱗を生やした飛竜が静かにハルトを見て佇んでいた。

 黒い鱗を生やした飛竜が自分の鱗を舐めている姿が目に映った。

 そして、その飛竜たちに囲まれて安らかに寝息を立てている。金色の騎士リーゼロッテの姿が見えた。


「――――――――………ここは、一体どこだ?」


 本来なら、あり得ない光景にハルトは激しく動揺する。

 ハルトはモニカの顔を見た時、リーゼロッテが戦っている最中の時間だと思っていた。

 だが、ここにそのリーゼロッテが居ると言う事実は。


「――みんなが殺された後?」


 しかし、それなら飛竜とリーゼロッテが生きているのはなぜだろうか?

 その時間帯なら、確かにハルトも胸と腹に大剣を突き刺され殺されたはずだ。


「――モニッ」


 ハルトは疑問の言葉をおかしな様子を見せるモニカに聞こうとして、


「モニカッ! 後ろだっ!」


 少女の後ろから、正確には少女の後ろの『土の中から』大剣を振り上げ振り下ろす男の姿が見えて、ハルトは叫び注意を促した。

 だが、遅すぎる。ハルトが注意を呼びかける時には既に大剣は振り下ろされている。

 最悪の未来を想像して、ハルトは目を見開く、見開いた目に『大剣がモニカの身体に触れた瞬間、粉々に吹き飛ぶ』光景が飛び込んできた。


「――クソッ! この魔女がぁ!!

 ヴァ・ウィンドッ《吹き切り飛ばせ》!」


 大柄な男は刀身が粉々になった大剣に見切りをつけると、左手と右手から同時に緑の魔力を解放する。

 放たれた風の刃は少女の身体を切り刻もうと吹き荒れ、荒れ狂う風が『少女の身体に跳ね返り、かき消される』と、後方のハルトに当たった。


「――いって!」


 当たった、と言ってもかき消された魔法の一部がハルトの頬を撫でただけだ。

 良くあるような切り傷が生まれ、軽い痛みに顔をしかめる。

 気にするほどの痛みではない傷を拭い、魔法の直撃を受けた白い少女の方を慌てて見る。

 慌てたハルトの目線とモニカの目線が重なり合った。重なり合い、モニカの表情が少し変わったのがハルトには分かった。

 無表情だった少女の顔がわずかに流れているハルトの赤い血を見て、眉をしかめ、少女は――怒っていた。


 白い髪をなびかせ、くるりとモニカは踵を返すと、怒りの矛先を漆黒の男に向けて解き放った。

 掌を向けて解き放った『何か』の魔法が男の脇腹をかすめ、鮮血が噴出した。


「――っッぁ!!!」


 唇を噛み締め、男は『土に潜る』と

 潜った男に向けて、モニカは二度三度と空気を震わせながら目に見えないナニカの魔法を放つ、放たれた地面には突如、円方形の謎の大穴が生まれる。

 ナニカが当たると、その場所に存在していた空間そのものを奪うようだった。

 その魔法の一つが土の中に逃げた男を捉えた。


「――ぐっあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 男は土から地面に転がると、血が流れ続ける右腕を抑えた。

 抑えた右腕は根元から捩じ切られている。

 苦痛に顔を歪める、男に向けてモニカは別の魔法を唱えた。モニカの両手が見えない何かを掴むと、そのナニカを両手で押しつぶそうとする。

 男の口から声にならない絶叫が飛び出した。絶叫する男を見て白い少女は――笑っていた。


「――………だめだ」


 白い少女を見つめてハルトの口からは自然と否定の言葉が出ていた。

 具体的な説明は出来ない。出来ないが、このままでは取り返しのつかないことになる。そんな気がしていた。そんな理屈も何もない焦燥感を感じてハルトは動いた。


「――………やめろっモニカッ! もういいんだっ!」


 白い少女に向かって一歩二歩と駆け出す、駆け出すハルトに少女は反応すると、ハルトの顔の近くを正体不明の魔法が通り過ぎた気がした。

 左耳辺りにある髪の数本が持っていかれたと感じて、ごくりと喉を鳴らす。


「――………モニカ、もう良いだろ? 終わったんだ」


 目の前の少女の瞳を見ながらハルトはゆっくりと歩を進める。

 注意深くこちらの行動を見つめる少女の瞳は青かった。青く発光して闇夜に輝いていた。

 その瞳の輝きに得体の知れない何かを感じて、ハルトの背筋が震える。

 ハルトは初めて、少女の青い瞳が怖いと感じた。


「――………モニカ、終わったんだよ。さぁ、こっちに」


 右手を上げ、少女に触れようとすると。右手の甲をナニカが通り過ぎた。

 皮が引き裂かれ、鮮血が右手を染め上げる。ハルトは痛みを堪え少女の目を見つめた。

 少女の青く発光する瞳からは感情を読み取れない。だが、ここまで一緒に少女と行動してきたハルトなら、その瞳の奥にある感情を読み取ることが出来る。

 ハルトは怖がる彼女にポツリポツリと呟いた。


「――モニカ、俺達が最初に会ったときを覚えているか?」


「――………」


「――モニカは最初に俺の名前を聞いてきたんだ。

 正直、ドキッとした。心臓が高鳴った。初めて話しかけられた異世界人が人形の様な女の子だぜ?

 そりゃ、喜びもするし、意識もしたさ」


「――………」


「――それから、俺達は屋台で食べ物を食べ歩いた。

 覚えてないか? そうか、覚えてないなら俺の妄想だ。

 モニカとこんなことしたんだぞって俺の妄想だと思ってくれ、モニカは揚げドーナツっぽいやつ美味しいって言ってただろ? 覚えてないか?」


「――………」


「――次はなー。次はあんまり良い思い出はないんだ。

 でも、一番印象にも残ってる。そうだな、ロッテのこと話そうか?

 ロッテはー、いやぁ苦戦したぞ? やっぱりロッテはモニカが付いていないと駄目だな! これからも騎士の傍に居てくれ、意外とポンコツなんだあの騎士」


「――………」


「――それから、今回だ。今回は辛かったな。

 一、二を争うほどつらかったし、しんどかった。正直、諦めたくなったことも何回もある。

 でもな、一番今回が楽しかったし嬉しかったよ。初めての友達が出来た。それが一番うれしいかな」


「――」


「――ありがとう、モニカ。俺と友達になってくれて。

 こんな俺の命を救ってくれて。

 俺を呼んでくれて、ありがとう。声が聞こえたんだ」


「――ハル、ト」


「ありがとうな。モニカの声が届いていなかったら俺はここに居ない。

 モニカの匂いが届いていなかったら俺はここに居ない。

 ありがとうモニカ」


「――ハルトッ!!!」


 右手の皮はズルズルに剥けている、身体を動かすたびに『ナニカ』に削られ続けた身体は真っ赤に染まっている。

 満身創痍にもほどがある身体でハルトは優しく白い少女の身体を抱きしめた。


 真っ赤な自分の血で真っ白な少女が汚れるのが分かるが、構うものか。

 それだけの特権と権利はこの辛く厳しい異世界にもあるだろう?

 一人の少女を助けるためにここまで頑張ったご褒美があってもいいだろう?


 ふわふわの身体を抱き締めて、少女の頭を優しく撫でて、幸せを噛み締めながら、溢れる幸せを言葉に乗せた。


「やっぱり、モニカは石鹸の匂いがするよ」


 満足げに言葉を吐いて、血液を失いすぎた身体が少女の体を枕にして意識を失った。


 ――ヤガミハルトが覚えているのはそこまでだ。

 

 でも、目覚めれば、すぐ傍には白い少女の心配する顔が自分を覗き込んでいるのが分かっていた。

 それに、この世界には自分の大好きな人たちが確かに存在しているのが分かる。

 体に感じる温もりが確かな証拠となって安心を与えてくれている。

 

 だから、ヤガミハルトは安らかに寝息を立てる。

 幾多の苦難を乗り越えて辿り着いた少女の胸でハルトは眠り続ける。

 

 愛しげに少年を抱き締める。少女と少年を闇夜に浮かぶ月の光が優しく照らしだしていた――。












 ――◇◇◇◇◇――

あとがき

ここまで読んで下さってありがとうございました。


あー、終わった! 終わった! と言うのが素直な自分の感想です。

結構、長い話になりそうだなー、と思ってたらこんなになっちゃいました。


初めての10万文字!(正確には15万文字くらい)

いやぁ、つらい! 長い! 苦しい! 

と三拍子揃った作者とハルト君の旅でしたが、少しでも誰かの心に届いてくれれば幸いです。


(補足:あと、後日談的な第1章幕間があって本当の終わりです)


 ――◇◇◇◇◇――

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