第15話
あれから、もう何日たったでしょうか。
女の死体は、河に捨てました。あんな雑な方法で、うまく頸動脈を締められたのは奇跡的でしょう。苦しみの無い女の顔は無垢で童心に帰ったようであり、神々しくさえありました。
今頃、女の家族、友人は女の理不尽な死に対してどんなに悲しみ、怒り、矛盾の思いを抱いていることでしょう。彼らにとって、あの女はかけがえのない存在であり、決して奪われてはいけない大切な命だったはずです。それを思うと、僕はふっと視野が暗くなり、激しい辛さに身を震わせます。
それからどうしたかって?
…ええそうです。神父さんの予想された通り、僕は自分の心のままに、いろいろなことをしましたよ。
ある公園の広場で行われていた小中学生の美術作品の野外展に忍び込み、作品をズタズタに壊して回ったときは、外を出るときに、入り口に居た一人の少女と目が合い、苦しくなりました。その何も知らない澄んだ目に、いたたまれない気持ちになりました。
作品を作った一人ひとりの少年少女は、恐らく小さな手で一生懸命に考えながら長い時間を掛けて作ったのでしょうね。そんな作品を、僕は引き裂き、破り、ねじり、唾をかけました。まるで、あの日、相沢が捕まえた小さな黒猫に行わなかった残虐な行為を、子供達の作品にぶつけるかの如く…。
夕暮れ時、幼く無垢な少年を通り過ぎざまに包丁で刺したときは、彼の母親の姿を想像して悶えました。あの少年は一命をとりとめたのでしょうか。いや、あの出血量ならば、亡くなってしまったでしょうね。
その子の母親はきっと思うでしょう。どうして自分の子が、どうしてあの子が……と。
でも、理由なんか無いんです。たまたまあの時あの場所にいただけ。たまたま僕のそばを通り過ぎただけ。その程度に過ぎないんです。そんな不条理を母親は受け止められるのでしょうか?きっと無理でしょう。できることなら、僕自身がその母親を慰め、励ましてやりたいくらいです。母親の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになってしまいます。
老人ホームに放火したときは、その後駅で見たニュースで十五人が亡くなったと知り、罪の重さに思わずその場で気を失いそうになりました。
よく、今の社会には老人は要らない、老人は社会保障費を食いつぶすだけ、なんていう論を目にすることがあります。とんでもありません。今は老いて社会の足を引っ張るなどと言われますが、人間誰しも老いるものです。その老人達はそれぞれに深い人生があり、それぞれが自らの身、家族、そして今の社会を安定させ、良くさせるために尽力してきたはずです。そういう尊い存在に対して社会のお荷物などと傲慢なことを口にするのは想像力の無さが故でしょう。ニュースで、そういう思考の人間が犯人か、などと報道されたときは、滑稽なことに僕はいきり立って抗議文を送りたくさえなりました。
でも、もし仮にそういう考えを持つ模倣犯が現れたとしても、実際問題、僕に彼を批判する権利も方法もありません。だって、僕の行動原理なんてものは、その犯人よりもずっと奇怪で、醜く、利己的なものなんですから。
「他人を愛しなさい、信じなさい」
幼いころにAの教会でそう言われました。
でも結局、僕はこんな醜い怪物に成り果ててしまったのです。他者を愛せず傷つけ、他者を信じず心を開けない。
叔母は、杓子定規で外付け的な愛しか持たなかったかもしれませんが、人を信じることはできました。相沢もまた、己の激情のままに行動し、他者への思いやりなど知らない男でしたが、正義実行に関わらないところでは他者に対して素直な人間でした。僕は彼らの醜さや卑しさに目を向けるあまり、己の中の決定的な人間性の欠如に気づきませんでした。ひょっとしたら、薄々気づいていても、必死に意識しまいとしてきたのかもしれませんが。
雪晶を失った後、彼女がどれだけ僕にとって大きな存在であったかに気付かされました。ただ、彼女に親愛の情や性愛の思いを抱いただけではなく、彼女の一つひとつの振る舞いによって、初めて僕は信念というものを肯定することができそうだったのです。
しかし、彼女は僕の元から去りました。そして、彼女がそばに居てくれたことそのものが、僕の支えに、心の柱になっていたことを自覚したのは、皮肉にもその後だったのです。
路地裏で老猫を殺したときに、僕は罪悪の快楽を知りました。いえ、本当はもっと前から知っていたことなんです。ほんの幼いときに子猫を叩き殺したときも、相沢の激情に流されて黒猫を団子にしたときも……僕は心に充足感を抱いていました。では、その快楽、その充足感の中身とは、一体何なのか??
先程、罪悪の快楽と僕は言いましたが、そう言ってしまうと少しの語弊があります。僕は、決して快楽殺戮者などではないと思っています。なぜなら、恥ずかしいことに、破壊行為に手を染めるとき、僕には相沢のような己の行為への信仰もなく、ただ嵐のようにその衝動に身を任せるのみです。嵐が過ぎ去った後は、痛烈な罪悪感と自己嫌悪に身を震わせ、無気力な自分に回帰するのです。
しかし、その痛烈な罪悪感こそ、空っぽの僕のただ一つの拠り所になっていったのだとしたら…。
雪晶を失って以来、僕は無意識に心の柱を探し求めました。けれど、物心ついて以来彼女に会うまでずっと確かな心の柱を持つことができなかった僕が、どうしてそれを見つけることができたでしょうか。僕にとって確かなのは、あの黒猫を相沢に引き渡したときの、あの、自分の首を締めたくなるような感情だけでした。
他者に対して悪の行為を働いたとき、僕の心には他者への申し訳無さと自分への強い責めの気持ちが沸々と沸きおこります。その気持ちだけは、生ぬるく燻る僕の中でも絶対に揺るぎません。それは、僕がこの人生において自力で得ることができた唯一の価値観、信念と言っても差し支えないでしょう。
つまり、罪悪感を持つことによってのみ、僕は心の柱を手に入れることができるのです。罪を重ねてこそ、僕ははっきりとした自分の姿を保つことができ、いくばくかの満ち足りた思いを手に入れることができます。そしてその感覚を得ることだけが、今の僕の行動原理となってしまいました。
しかし、僕が拠り所にすべきその柱の形はどうでしょう。
僕には時折見えるのです。それは決して古代ギリシャ建築様式の円柱のように立派な形はしていません。不相応なほど巨大なそれは、下から上までぐにゃぐにゃと歪み、不格好に枝分かれし、不吉な青紫が表面層に滲み、どろどろとした暗黄色の粘液が至る所から血のように流れ出ているのです。まるで呪われた大樹のようです。決して直接見ることはできなくても、罪を犯すたびにその柱のイメージが脳を過ります。僕の背中を押すその醜い姿が、そのときにだけ感じられるのです。
一体いつまで、僕はこの呪われた柱に支配されなければいけないのか。
…いえ、愚問でした。あれが僕の唯一の価値観ならば、それに抗う術は僕には残されていませんから。
ただ、狂った鬼の子のように、ささやかな幸せを楽しむ罪の無い人々を傷つけ、破壊し続けるのでしょう。そのたびに、僕の心の一部は満たされ、他の部分はずたずたに引き裂かれ、苦しみの膿を分泌させるのです。
罪悪感を得たいというただそれだけの理由で他者を傷つけ、破壊する。そこには、対象となる者へのいかなる憎しみも怒りも存在せず、別に誰だって良いのです。これほど対象を侮辱する破壊行為が、他にあるのでしょうか?
命ある限り、この苦しみの行為を続けてしまうのならば、もう僕にはそれほど多くの選択肢は残されていません。
一番恐ろしいのは、僕の魔の手が、いずれ叔母や雪晶に及んでしまうことです。
育ての親であり、感謝の念と後ろめたさを半々に感じている叔母に手をかければ、僕が感じるであろう罪の大きさは計り知れません。そして……雪晶に手をかければ、世界中の誰を傷つけるよりも、僕は痛くなるでしょう。
具合の悪いことに、罪の程度が甚だしければ甚だしいほど、あの呪われた柱は怪鳥のような歪な声を上げ、猛り狂うのです。だから、このままではいずれ、僕は二人を殺めてしまう。
仮にもし相沢が健在だったなら、僕は奴に、僕を殺してもらうしかなかったのでしょう。すべてを打ち明け、この心の中の奇形の柱ごと、正義実行の名の下に、裁かれ、葬ってもらうことができたのに。
思えば、相沢もかわいそうな人生でした。激情に振り回されながらも、理解者が欲しかったのだと思います。
僕は奴が最後に僕のアパートに来たときにそれを知りました。しかし、知りながらも僕は奴を突き放してしまいました。雪晶との付き合いを考えて、奴の存在が億劫になったという、ただそれだけの理由で、です。
人に対しての少しの親愛の情さえあれば、僕は奴を破滅から救えたのに。雪晶のことで頭がいっぱいだったなんて言い訳は効きません。だって、誰か一人を愛しながら、同時に他者に思いやりを働かすことが出来ないのは、僕自身が、燃えるような情熱をかけらほどしか持つことができぬ、寂しく罪深い人間だからに過ぎないからです。結局、そういう無感動な生ぬるさの積み重ねが、今の僕の窮状を形作っているのです。
神父さん、始めの問いに戻ることを許して下さい。
いったい、柱の性質などというのはどのようにして決まるのでしょう……。
……話は長くなりましたが、最後まで聴いて頂いて感謝の念に堪えません。
僕ももう疲れ果てました。
いえ、身の上話をしたことに対しての疲れではありません。心の柱に抗う試みを為すことに対して疲れたのです。
警察に自首することも考えました。しかし、捕まったところで、死刑執行まであと何十年も、後悔と自己嫌悪や罪を重ねたいという衝動と戦わなければならないのが目に見えています。そんなのは、ハナから勝ち目のない戦いです。いつしか僕は完全に気が狂い、無様な姿を晒し続けることになるでしょう。それでは、あまりにも残酷な仕打ちです。
自殺しようとも考えました。しかし、いざビルから飛び降りようとしたり、列車に飛び込もうとすると、シュッと体が縮まり、足がすくむのです。少しの充足感のために散々他者を傷つけた僕が、自殺することもできない臆病者だというのは滑稽な話です。でも、どうしても体が動かないのだから、断念せざるを得ませんでした。
残された手段を考えているとき、ふと、車のトランクスペースにある、相沢が残したあの白い拳銃が頭に浮かびました。まさか、こんな形で相沢の手を借りることになるとは思いもよりませんでしたよ。
インターネットで調べて得た資料を元に、見よう見まねで各所の構造を調べてみると、果たして、拳銃には鉛色の弾が入っていました。どこから弾など調達したのかと不思議に思いましたが、知りようがありません。当の本人は、今も東京の病院で眠り続けているのですから。
後に残された問題は、ただ、誰にこの引き金を引いてもらうかということでした。先程話した通り、臆病な僕には自分でこれを引く勇気がありません。叔母、友人、元の職場の同僚や先輩達も、とても僕を殺してくれそうにもありません。ありふれた説得の言葉を拝聴するか、一目散に逃げられるか、警察を呼ばれるか……いずれかの道でしかないでしょう。
………ええ、そうです。そうなんですよ。
僕は、神父さんにそれをお願いしたいのです。
人を殺すことが、Aの教えでどれだけ重い罪になるかということは把握しています。あなたの立場に対して、どれだけ失礼で不遜なことを申し出ているかということも分かっています。
でも、もし殺すことでその者が救われるならば、どうでしょうか?聖職として他者を救済することを生業としてきたあなたは、僕をも救ってくれますか?
本当にすみません。それしか無いのです。近視眼的に映るかもしれませんが、どうあっても僕は僕の呪われた柱からは逃れることはできません。自首することも、自殺することも禁じられました。ならば僕は、神父さん、あなたの慈悲の心に訴えるより他に方法は無いのです。たとえそれが、Aの教理として絶対に許されないことと知っていながらも…。
…今、件の拳銃をリュックサックから出しました。そちらからは見えなくても、確かに僕の手のひらの上にあるのです。
これから告解室を出て、僕はあなたにこれを渡します。
そして、その後は……あなたの御心のままに委ねます。
慈悲の心で、僕を殺してください。
〈終〉
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ご愛読ありがとうございました!
これで終わりです。信念と狂気、罪悪感の陥る罠を味わっていただけたら幸いです。
黒猫の団子(くろねこのだんご) さなげ @sanage
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