第60話 さよなら恋心

 眼下の景色が、なだらかな速度で後方へと流れてゆく。

「あーあ、疲れたなァ」

 空の旅もいくらか慣れたようで、ライゼは微かに身を硬くしながらも、一息つくように、ぐーっと伸びをした。

 ハンモックに身を委ねるような体勢で宙を泳ぐジェイたちの傍、白い衣をはためかせているのは、ナフティスの海岸に住む潮風である。

 此度の作戦を遂行するにあたり、他所の土地から来た人間の頼み事に快く承諾してくれた彼の功績は大きい。事件の幕引きにあわせて、人の手には負えぬ逃走経路を確保してくれる存在は、なんともありがたかった。


 三人は、上空を南の方角へと進みながら、言葉を交わした。

「ありがとうございました、いろいろ協力していただいて」

 薄化粧を施した顔を乾いた手巾で拭いながら、ジェイは風に向かって言った。白い手巾には、白粉おしろいやら桃色の紅やらがべったりと擦りつけられている。これも、エドラディを騙すための偽りの仮面か。

 少年から礼の言葉を賜ったナフティスの風は、やんちゃそうな顔で、

『なァに、俺だけのちからじゃないからな』と、豪快に笑った。


 昨夜、ライゼの仕入れた情報を元に、ミキの遺体がどこに隠されているのかを考えた。第一に、より手っ取り早く事の解決を求めた。その結果、闇に葬られた事実を白日の下にさらすには、《言葉無き目撃者》に頼るほか無いという結論に達した。……ジェイのちからが大いに役立つときである。

 本日の早朝、辺りに薄っすらと朝靄が立ち込める町の中を、哀れな少女の亡骸を捜索するため、人気の少ない場所でナフティスの大地と会った。この土地の長とも呼べる大地は、神秘的で聡明な男であった。息を呑むほどの美しい麗貌れいぼうをした彼に真実を問うたところ、確かにエドラディは歳若い少女の遺体を、ある場所に埋めたという。その場所というのが、K通りにある霊園の裏であった。

 ジェイは、大地に協力を仰ぎ、彼女の亡骸を地面からほんの少し露出してもらった。

 り鉢状に凹んだ地中からそっと覗いたのは、白い指の骨。

 長い間、彼女は冷たい地面の底で孤独を過ごしてきたようだ。かわいそうに、あんな男のために命を失うことになるなんて。


 死体を見るのは初めてだった。ジェイは、胸のむかつきが堪えきれず、その場にしゃがみ込んでしまった。込み上げてくる不快感と吐き気、全身が低温の炎で炙られているような感覚。冷や汗が全身をぐっしょりと濡らし、激しい眩暈に襲われた。

「大丈夫か」と心配する二人に手を差し伸べられながら場所を移動し、人気のない広場のベンチで、匿名の文書をしたためた。宛先は自警団である。

 その文書をナフティスの風に託し、結果として、長らく地中に隠されていた真実は明るみになったのである。

 

『あんたらがこの町に来てくれてよかった。そうでなかったら今もミキは、暗い地中で眠っていたことだろうよ』

「あなたたちの協力あっての成功じゃないですか」

 ジェイはにこやかに謙遜した。

『俺たちは、あんたみたいなを持つ人間以外には干渉できないし、こうして意思を伝えることも出来ない。おさだって、あんたのちからの下でなきゃ、地形を変えることなんて出来ないんだ。いくらおれたちが真実を見ていたとしても、あんたがいなければどうすることもできない。声無き自然界の住人と関わることが出来るちからってのは、この世の至宝だぜ。きっと彼女、すごく感謝していると思うよ』

「それはよかったです」

 気の利いた返事が出来ないのをもどかしく思いながら、ジェイは照れたように俯いた。


「ところでお前さぁ」

 ライゼは、必死に下を見ないようにしながら言った。空を飛ぶことに慣れたといっても、流石に高いところから眼下の町を見下ろす恐怖はそう簡単には薄れないのだろう。頑なに正面だけを見つめる瞳が恐怖に揺れている様を見るのは、なんだか心苦しい。

「お前がエドラディに啖呵たんか切るとこ見てたんだけど、すごい迫力だったな。役者の才能あるんじゃないか?」

 ジェイは、「げっ」と顔を顰めた。「見てたんですか」

「少しだけな」

「あれは……」

 妙に気恥ずかしくなったジェイは、言い訳を探して視線を彷徨わせた。あの時は自分でもよくわからなくなるくらい、するすると言葉が出てきたのだ。素顔を隠す化粧をしていたせいだろうか。頭に浮かんだ本音を、さながら台本に書かれた台詞のように吐き出すことが出来た。けれど、今思い返せばよくもまあ、あんな女性口調で、堂々と台詞を吐けたものである。

「女性に酷いことをするエドラディが許せなかっただけです」

 恥ずかしいところを見られたなとばつが悪くなったジェイは、耳まで赤くしながら言い訳じみたことを言った。

 ライゼは、ふっと笑って「そうか」と腕を組んだ。


「それよりも、あなたはよかったのですか?」

「何が」

「……キーリに想いを伝えなくて」

「……」

 ライゼは正面を向いたまま、目を瞠った。相棒から向けられる視線から逃れるようにそっぽを向くと、「うるせえな」と囁くような声で言う。

「いいんだよ、そんなこと。おれに恋人はまだ早いのさ。お前の旅に付き合わなくちゃいけないからな」

「それはすみませんね。僕のために」

 彼の言葉が冗談であると理解しているので、ジェイも軽口で返す。


 そんな二人の姿を見て、小さく笑ったナフティスの風は、

『さ、もうすぐ水星国を抜けるぜ。あんたら、次の目的地はどこだい?』


 ジェイとライゼは、遠くを走る水平線を見つめながら、言った。


「火星国、霧の町・ネーベル」



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ディヴァイン 駿河 明喜吉 @kk-akisame

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