第6話

 寛太は俺が前の震災のときに長田で拾ってきた不死鳥や。あれから二十年にもなるけども、まだまだ雛で、見た目は人間の大人みたいにはしてるけど、中身はアホな餓鬼んちょやねん。中一の竜太郎とええ勝負やわ。

 俺はこいつが可愛い。神戸で死にかかってた時の自分と似てる。誰かに愛されとうて、いつも飢えてた。その寂しい、辛い気持ちが、俺には分かるんや。

 怜司に愛されたかった。俺も。その時の俺と同じ顔して、寛太は俺を見てる。誰でもいい、俺を愛してくれって。

 あの時にもし、怜司が俺を見てくれてたら、俺は幸せやった。それだけで足りた。他には何もいらへん。そういう自分の幸福を、人の世にも分け与えられる、強い神になれた。

 俺はもう無理やろうな。もうあかん。

 でも、寛太はまだまだこれからや。こいつは神になれる、神戸の不死鳥になれるし、ならなあかん。俺は自分を受け入れてくれたこの街を、あいつに似てる神戸を、好きや。せめてあいつの身代わりに、この街の負うてる傷を癒してやりたい。

 不死鳥が、必要なんや。寛太が。こいつがほんまに不死鳥で、街を救えるていうんやったら、俺が寛太を不死鳥にする。愛してやって、餌やって、お前は神やて信じてやる。

 俺が求めても得られへんかったもんを、せめて寛太には与えてやりたいんや。

 なんでか知らん。

 たぶん、寛太が俺に、微笑んでくれるから。お前が好きやっていう顔で、いつも俺を求めてくれるから。俺はそれに応えるべきやと思うから。こいつに溺れて、他は見ない。お前だけの兄貴になってやらなあかん。

 その方が俺も幸せなはずや。死んだような奴の、青白い顔と、いつまでも見つめ合うて、生きてる相手を見てへん。いくとき死体の名前を呼んでる。俺はそういうんは、嫌やねん。もう嫌や。俺もそこから逃れたい。逃げてええんやったら。逃れるべきやていうんなら。

 俺ももう忘れなあかん。忘れなあかんのに。あの、美しい顔を。怜司の、俺の大事やったあいつ。

 戸口に立ってる寛太を見つめて、俺はそう、自分に言い聞かせてたかもしれへん。

 寛太の顔が、あいつとダブって見えた。微笑んで、俺を見てる。俺が帰ってきて、ほんまに嬉しいみたいに。屈託のない、憂いもない笑みで俺を見て、抱きしめてくれって言うてる。

 あいつの顔。たぶん俺の妄想の中の。あいつの、顔。

 寛太と、似てる。その事に、胸が疼いた。

 そういう目で、見たらあかん。こいつは誰かの身代わりやない。俺はそういう理由で、寛太を抱いてるわけやない。餌やるため。俺もこいつにとっては、いくつかある餌場のひとつや。

 深入りしすぎたらあかん。平常心。

 ちょっと困ってる可愛い奴を、一晩二晩、可愛がってやる。そんなん昔から、なんぼでもあったやろ。俺は中国の宮廷におったんやしな、長年。愛にあぶれた女官とか、後宮の、忘れ去られた妃とか、宦官とか、俺はそういうのに弱いんや。可哀想な奴が! それで怜司にもどハマりしとうのやんか。胸が疼くねん、可哀想やなて思うと。そういう奴を慰めてやって、それがやがて俺を見る、その瞬間が好きなんやろうな。

 はいはい。分かってる分かってる。寒い。俺もそう思う。自業自得。もともと他に好きな奴がおるんを狙うわけやし、しくじったら自分も死ぬんは、しょうがないんや。俺も知っとう。何回やってると思うてんのや? 俺は五百年以上は生きとうで。その虎が、一体何人ぐらいの気の毒な二つ頭の獲物を食うたか。

 正直、己の性悪な性癖を呪う。怜司を舐めてた。めちゃめちゃ愛して、優しゅうしてやって、抱いて喘がせたら、みんな俺が好きになったんやもん。大陸のほうでは。この島の奴、もっとしぶといな。何回いかせてやっても、まだ前のを忘れへんわ。気がついたら、陥落したんは俺のほうやった。

 寛太も二つ頭やで。こいつも時々、間違えて、いくとき別の名前呼ぶしな。それはアホやからやと思うけど。鳥やし、鳥頭やねん。いろいろいすぎて、昇りつめてくるともう、誰とやってんのか分からんようになるんやろう。

 そういうんも、怜司みたいでときめく。

 ……。

 俺もう、あかんのやん。あの鬼に、脳髄まで食われてる。寝てる相手が他の名を呼んで、それにゾクゾク来るのって、変やん。怜司みたいやからやんか。どういう調教された虎なんや俺は。

「兄貴、帰ってたんか……」

 ふらっと部屋に入ってきて、寛太は蔦子さんに断りもなく、さも当たり前みたいに俺の隣の椅子に座った。そうして優しい笑みで俺を見上げた。

 微笑み返すしかない。

 寛太。俺もクソ野郎やで。気をつけや。そういう苦笑やったけどな。

 こいつはまだ新しい神や。今はまだ、俺が餌やらんとあかんけど、いずれは誰か別の、ほんまもんの相手と出会うてほしいんや。せやし今だけやで。俺にあんまり深入りすんな。怜司ですらそう言うてた。お前に深入りし過ぎたわって。

 俺も二つ頭の虎やしな。寛太にはふさわしくない。他のん探せ。

「どないしたんや寛太。お腹すいたんどすか」

 優しい口調で、蔦子さんは寛太の話を聞いてやっている。

「目え覚めたら兄貴の声したから、来てみたんや」

 さすが鳥だけに、寛太は生まれてすぐに見た俺のことを、親かなんかと思ってるらしくてな、ときどき訳もなく後追いするねん。いつまでもそれでは困るんやけどな。なんせ、蔦子さんが神戸復興のために役立てようと飼うてる不死鳥や。俺はその世話を仰せつかってるわけやけど、寛太は餌食うばっかりで、一向に何かの役には立たへんねん。

 まあ、ええけどな。可愛いから。でもそれだけやとなあ。本人もつらいやろ。つらそうにしてるの見たことないけどな。いや、まだほら、餓鬼やから。これから育つんや。

「なんの話しとうのや」

「お前には関係ない話や」

 いきなり首突っ込んでくる寛太に、俺はビシっと言うた。関係ない話やろ?

 寛太はにこにこして俺を見るだけで、何も言わへんかった。

「この子、似てますな」

 蔦子さんが、もう冷めきったお茶で喉を潤しながら、ぽつりと言うた。

 お茶、入れ替えよかなと考えていた俺は、その話についていかれへんかった。

「ん、寛太が? 誰に?」

「怜司や。この子、あんたが拾てきたとき、顔がありまへなんだやろ」

 えっ、そうやったっけ? 寛太、のっぺらぼうやった⁉ そんな記憶はないけどな。顔あったで、ちゃんと……と、俺は思い出そうとしたけど、記憶を遡ってみても、よう思い出されへんかった。今、目の前にいてる寛太と、同じ顔やったはずや。いくら妖怪でも、そうコロコロ顔変わったりせえへんもんやで、そういう特殊系なの以外はな。

「そうやったやろう、寛太」

 蔦子さんはにこにこと、寛太に問いただしたけど、寛太はにこにこして、首を傾げただけやった。

「おぼえてへん」

 ぼんやりと、何も考えてへんみたいに、淡い表情を浮かべている寛太の顔は小作りで、華奢やった。ふにゃっとした細い赤毛が肩までのびてて、炎のようにその白い顔を縁取っている。怜司には、似てへん。あいつこんな顔せえへんもん。いつも怖い顔しとうで、性格キツいんやから。

 そやけど、言われて見れば、薄い唇に、睫毛の長い切れ長の目とか、似てへんこともないんかもしれへん。あんまり似てへん兄弟か親戚ぐらいには似てんのか? やっぱ、あれか、鳥類つながり? 鳥系はみんなこんな感じなんやろか。なんかこう、風吹いたら飛んでいきそうなんやな。

「兄貴、一緒に寝よ」

「俺まだ寝えへんで」

 まだまだ宵の口や。なんで寝なあかんねん、餓鬼か。

 隣りにいる寛太が、俺の腕に自分の腕を絡めてきて、甘えかかるんで、俺は参った。

「アホ言うとかんで、蔦子さんにお茶入れろ、寛太。お前もそれくらいできるんやろ?」

「かましまへん、うちももう湯に行くさかい。二人でゆっくりしなはれ」

 寛太のいれたお茶飲まされたらかなわんて思たんか、蔦子さんは素早く椅子から立った。風呂はいるんやって。そのまま蔦子さんは、いつも身の回りの世話してる妖怪の名を呼びながら、ダイニングルームを出て風呂場の方にいってしもた。着物の帯を解くのに、そいつの手がいるんや。何や、ぼーっとした白い着物きて立ってる、もの言わんやつやで。蔦子さんが京都から連れてきた、子供の頃から居るやつで、着物着せたり、髪結うたり、風呂で背中流したりするだけのやつで、普段はどこに居るんやら、蔦子さんが呼ばな出てけえへんねん。

 蔦子さんから、予言の話、聞きそびれたな。

 まあ、ええわ。またの機会もあるやろう。

「はらへったわ、兄貴」

 俺の腕に食いつきながら、寛太がそう強請った。

 今日の餌まだやったっけ。俺が留守やったし、誰かが代わりにやったやろうと思ってた。

「キス、して」

 頬を寄せてくる寛太の赤い唇からは、かすかに、飴が灼けるような甘い匂いがした。

 拒む理由も別にあらへん。俺は寛太のひょろっと細っこい首を引き寄せて、唇を重ね、餌やるために霊力の口移しをしてやった。寛太の舌が、唇を合わせたまま、それを舐めてる。抱きしめて、深いキスを重ねると、寛太の息が荒くなった。喘ぐような息をつく身体が、すっぽり俺の腕に収まる大きさや。

 あいつも、これぐらいやったらええのにな。丁度ええのに。

 考えるともなくそう思って、俺はふと、今朝のことを思い出した。怜司はキスを受ける時、首をかしげる癖がある。

 キスをほどいて、寛太の顔を見ると、それと二重写しになるような、全く同じ角度で首を傾げた寛太が、濡れた唇で、うっとりと俺を見ていた。

 偶然や。

 そう、心のなかで呟いたけど、何かが腑に落ちへんかった。

 潤んで煌めくような目をした寛太の、上気した肌は扇情的やった。

 昔、誰かが教えてくれた。俺がまだ中国の宮廷の虎やったころや。宮殿ののきつばめが巣を作り、親に餌をねだる声で鳴く。燕の雛の口の中は、鮮やかなあかで、それは燕の親心を煽るんやそうや。雛は可愛い。それは、親に餌を運ばせるためや。

 寛太の赤い唇を見てると、その話を思い出す。

 可愛い顔も、赤い唇も、それは雛の戦略や。餌やり係の、愛を獲得するための。

「兄貴、抱いて。今日は兄貴がおらへんから、寂しかった」

 切なげに言う寛太の甘い息が、俺の耳元にかかり、抱きついてくる肌の滑らかさが、ゆっくりと欲を煽るようなのが、今日はどこか遠くに感じられた。

 辛抱できへんのか、寛太の小さめの手が、俺のベルトを抜きにかかった。せっかちやな、お前。それも誰かを思い出すわ。

 それも無理ないんかもしれへん。俺は怜司と二人で、こいつに餌やったこともあるんや。あいつがどうやってやるか、寛太は見てる。知ってんのや、あいつの手管を。

 寛太がそうやって盗んだらしい手つきで、俺の服ん中に手を入れてきた。

 思わず苦笑が漏れた。やばいな、お前、上手いやん。

 寛太に煽られながら、着実に興奮していく自分のことを、俺はちょっと離れて見てる気分やった。のめり込むには、まだ早い。

 寛太はもう、上気した頬やった。俺に縋り、熱い目で、夢中でやっとう。

 あいつが、こんなんやったらええのにな、って、俺はときどき思ったのかもしれへんな。お前と抱き合いながら。

「お帰り、兄貴」

「ああ……ただいま」

 俺の首筋に唇をつけて、寛太は優しい綺麗な声で言うた。ありがとう、言うてくれて。愛撫する寛太の手を握り、こっちの膝に座らせて、俺も寛太を撫でてやった。

 甘い声で、不死鳥が鳴いた。寛太を嬲るんは簡単や。あの玄人の鬼とは違うて、うぶやもん。床技なんかなんもいらへん。ただ服を剥いで触ってやるだけで、寛太の息ははあはあ乱れた。すぐ気持ちようなるし、すぐにいく。我慢させなあかんねん。あんまりいくと、弱るやん。一晩に何回でもいけるような、精気の有り余ってる色魔の鬼とは違うて、寛太はまだ、精気をもらいたい、弱い鳥なんやもん。

 一回だけやで寛太。何遍もいくなよ。震えてる寛太の耳元に、そう説教して、それでも煽ってる自分に、意地悪やなあ俺はと思った。まるで、あいつの身代わりに、こっちを虐めてるみたいで嫌や。怜司はこんな可愛い声では鳴かへんのやしな、そう簡単には。

 俺の火を煽る声で、寛太は鳴き、朦朧と囁くような小声で、ああ、好きや好きや、兄貴、と言うた。俺が教えてん。とりあえず、気持ちええとき、そう言うといたら角が立たへんやろ。名前間違えたら、気難しい奴は萎えるわ。啓ちゃんとかさ。ただでさえ冷えやすいんやもんな? 寛太がいくとき、別の名前を呼んでまうよりは、兄貴兄貴のほうがマシやん。

 そう思って教えたんやけど、寛太がそう呼ぶんは、俺だけやわ。啓ちゃんは啓ちゃんやし、怜司は怜司やな、こいつ。せっかく教えたのに、分かってへんし、アホやなあ寛太は。間違えたらどうすんのや。

 ああ、あかん、気持ちええわ兄貴、もう入れてって、寛太が泣きながら頼んできた。確かにもうあかん。もう、俺もあかん。抱きたいわ。

「なんで今日遅かったん、兄貴。ずうっと待ってたのに。帰ってけえへんのやもん。俺泣きそうなったわ」

「ごめんな……ちょっと怜司と揉めたんや」

「また喧嘩したん? もうやめて。怜司のとこ行かんといて。俺と居ってよ」

 ダイニングテーブルに押し倒されながら、寛太は俺の胸を柔く掻き毟るような指で、縋ってきた。

 服を剥いで、白い胸を舐めると、寛太は悲鳴みたいに喘ぐ。

「あっ……ああ! お帰り兄貴。帰ってきてくれて嬉しい。心配してたんやで。もう帰らへんつもりかって……いつも、待ってるのに」

 俺の髪に指を入れて、寛太は譫言みたいに、お帰りと何度も言うた。それが俺に効く毒やと思うてるみたいに。

 拙いな。でもまあ効くわ、寛太。ただいま……。お前が居ってくれるお陰で、俺にも帰るところがあるわ。お帰りって、お前が言うてくれる。あいつの代わりに。

 ここが俺の帰るところなんやろか。こういう気分をなんて言うのか、俺には分からへん。

 彷徨う視線の俺の頬を、寛太のもう熱い手がとらえて、自分のほうを向かせた。

「兄貴、こっち見て。俺のこと、見て」

 腕の中から俺を見ている寛太の、宝石みたいな目を、俺はじっと見下ろした。強い霊力を持っている者だけが放つ光が、寛太の目にはある。こいつはただのアホの鳥やない。何か、特別な力を持った、何者かや。

「お前はいったい、どんな化けモンになるんやろな? 寛太……」

「俺は今のままで、兄貴や皆と居れたらええねん。化けモンにはなりたない」

「そんなこと言うな。いつまでも雛のままでは困るんやで」

 ぐしゃぐしゃになってる寛太の髪を撫で付けてやりながら、俺は説教した。

 でも多分、言いたかったのは、そういうことやない。

 お前には、怜司みたいになってほしくないんや、俺は。

 俺があいつを好きなのは、あいつがあんな風やからやない。ほんま言うたら、あいつにも、お前みたいに毎日にこにこしといてほしいんや。幸せでいてほしい。あいつを、そういうふうに変えられるのが、俺でなくても、まあええわ。幸せそうにしててくれたら、そのほうがええねん。

 だから、お前はいつも、幸せそうに笑っててくれ。わかるやろ、寛太。お前の泣き顔は、もう見たくないんや。

 寛太を見つめて、俺はそう祈った。そういう俺を見上げて、寛太はじっと聞いているように、何度か目を瞬いた。

「うん……わかった。俺がんばるわ、兄貴」

 寛太はそう言うて、急にぱあっと、花が咲いたように満面の笑みになった。

 胸の奥が、ぎゅうっと痛くなるような、愛おしい顔やった。

 それを見下ろして、俺は考えないようにした。これがあいつやったら、ええのにな、とは。

「入れよか、寛太」

「うん。早うして早う……いっぱいして、兄貴」

 嬉しげに微笑んで、寛太は俺に抱かれた。

 悲鳴に近い甘い喘ぎが、細い鳥の喉首から出る鳴き声みたいや。首筋を甘く噛んで責めると、寛太はすぐいきそうになる。

「ああだめ! まだ終わるん嫌や……」

 一回だけやしな。

 感じやすい寛太が、必死で堪えて悶えるんを見ながら責めると、俺もすごく燃えた。でも悪いけど、俺はそんな早ういかれへんねん。老練すぎてな、鈍いんやろか。なかなかやで。

 それとも単に意地悪いだけやろか。泣きながら堪えてる、寛太を見るのが好き。もっと死ぬほど気持ちようしたろうかなって、変な気起こって、いつもいろんな手で責めてまう。

 あいつと違うて、全部がええんやしな、寛太は。気持ちええわ。そりゃ、可愛いわ、こっちのほうが、胸に来る。

 でもほんま言うたら思う。

 これが怜司やったらな。お前が俺の名前を呼んで、俺に縋って、泣きながらいってくれたら、俺も幸せやのになあ、って。

 それは悪いことや。寛太が、可哀想や。俺には頭が二つ付いてる。双頭の虎やん。どうにかして、もう一個のいらんほうを、切り落とすことはできへんのやろうか。

「あかん、嫌っ……もうあかん兄貴……! 我慢むり……もう、いっていい? いきそう。もう無理、無理……」

 寛太が急にひいひい言い始め、もうあかんらしかった。可愛いなあお前。まだ全然、始めたばっかりやん。怜司やったらまだまだ半時は頑張らなあかんとこやで。

 そんなん、どうでもええか。お前はお前やもんなあ。

 めっちゃ気持ちよさそうに真っ赤な顔で燃えてる不死鳥を見て、俺はそれが愛おしいなってきて、もう許してやることにした。

 めっちゃ早いけど、もういこか。

 追い上げてやると、寛太はあっさりと飛び立った。ものすごええんか、体の震えが止まらへん。めちゃめちゃいくな、死ぬで寛太。どこかの鬼の死ぬ死ぬは嘘やけど、お前はほんまに死ぬ。早う食わしてやらなあかんな。

「嫌や、もっと長くやって、兄貴。ずうっと抱いといてほしいねん」

 もう終わろかなという構えの俺に、もう行き果ててる寛太が焦った声で言うた。そんなん言うても、お前のせいやん。俺ももういくわ。

 お前の中でいく。

 なんでか今夜は、俺は寂しいねん。お前が俺を抱いといてくれるんやったら、何回でもやるよ。お前が俺を好きやって言うてくれるんやったら。頑張ろか?

 そう言うと、寛太は笑った。俺の腕の中で。

「好き、兄貴。めっちゃ好き。世界一好き。ずっとして。何回もして……お願いやわ……俺、兄貴のこと、宇宙一好きやねん。ほんまやで……」

 もうあんまり会話にならへん俺に、寛太は喘ぐ笑顔でそう教えてきた。そうなんか。ありがとう。その言葉を鵜呑みにするには、俺はちょっと年食い過ぎ。痛い目に、いろいろ遭いすぎてきた。

 でも、お前のその笑顔。ええな。好きやわ、寛太。俺もお前が好きかもしれへんわ。お前がいつもその笑みで、俺を好きやて言うてくれたら、俺もまた、新しい恋ができるかもしれへん。

 見たことない。結局。怜司のこういう顔。あいつが心の底から笑うてる顔は。俺は見たことがない。

 たぶん、あいつも、ほんまに笑うたらもっと綺麗なんやろな。きっと、こんなふうに。愛おしく思えたんやろう。

 それを思うと、俺はものすご切のうて、胸が、潰れそうやった。

「俺の名前呼んでくれるか、寛太。名前のほう。信太って」

 愉悦の残滓に震える寛太の体を責めて、自分も昇りつめながら、俺は寛太に頼んだ。それな、俺の名前やねん。新しい名前。蔦子さんがつけてくれた。その名で生まれ変わって、また幸せになれるって、信じろて言うて、つけてくれた。

 けどまだ誰も、俺はその名前になってからは誰とも、本気で愛し合うたことがない。正体のない朧な鬼と、遊んでばっかりやったしかな……。

「信太」

 また気持ちようなって来たらしい寛太が、堪えられへんふうに、極まった声でそう呼んできた。死ぬで、お前。あんまり精気を吐くと。命がないわ。

 急ごうかって、俺は急いだ。

 寛太が何遍も俺を、信太信太って、好きやって、言うてくれたし。何や頭がぼうっとしたんや。

 俺また日本産のやつに、たぶらかされてる? 怖い国やなあ、ここは。蔦子さんといい、怜司といい、寛太といい。俺が頭おかしなるような奴ばっかりやわ。

「ああもう俺もいくわ。寛太。抱き合おか」

 もう無理や俺も。俺はそう思て、寛太を抱きしめようとしたら、寛太がまさかの抵抗をした。

「嫌! 待ってまだ、俺……またいきそう。二回目。やって兄貴、まだいかんといて!」

 嘘やろ、言うの遅いわ。もうあかん言うてるやん。あかん言うたら、あかんてことやで。無茶言うわ。

 まあ俺、日本産のやつが無茶言うんは慣れてるわ。ほなもう一周走ろうか。しんど!

 でも、またいきそうな寛太が、ものすご可愛いし、もう正気やないみたいやから、あと半周ぐらいか。俺もいく。お前と一緒にいこうかな。

 どこいくんか知らん、お前が飛んでいくところへ、俺も一緒にいこか。

「寛太」

「信太、信太……!」

 呼びかけた俺に、不死鳥が鳴いて答えた。甘く、狂おしい、悶える声で。

 手を握ってきた寛太と指を絡めて、強く抱いてやり、俺は寛太の奥深いところで果てた。強く抱き返してきて、寛太は俺を締め付けた。もう離さへんて言うてるみたいに。

 自分で思うよりずっと興奮してたんか、その時の愉悦は震えるぐらいよくて、長く続いた。俺は寛太の中に、呆れるほど精を吐いた。

 満ち足りた気分やった。寛太の指が、俺の背を抱いてる。

 さすがに息切れたわ。そらそうやで。こっちもこれはこれで必死でやっとうのやしな。

 なんでか知らん。寛太とやると、幸せな気分になるんや。何か変なもんでも出てんのかな、こいつの体。何のせいか分からへんのや。怜司とは全然、そういうふうにならへんのにな。

 寛太はぜえぜえ、息切らしてたけど、満足げな赤い顔やった。腹いっぱいなったみたいな、満ち足りた顔や。それでも俺にまだくっついてきて、寛太はキスして欲しそうやった。

 それとも俺がしたかったんか。

 どっちでもいい。俺は二度三度、寛太に短いキスをした。それを嬉しそうに受ける寛太はもう、あんまり怜司に似てへん。ああいうおぼろなんやのうて、寛太はもっと明るくて熱い、火の鳥や。

「寛太、お前は神戸の不死鳥になるんやって。蔦子さんがそう言うてた。その時まで、俺がお前を、ちゃんと面倒見てやるからな。がんばるんやで」

「うん、ありがとう」

 ぎゅっと俺に抱きついてきて、寛太はまるで、俺がいないと死ぬみたいやった。

 寛太の強い腕に縋りつかれながら、そういう相手がいる者の、罪の重さみたいなものを、俺はじわっと想像した。暁彦様は、あいつを捨てていく時、いったいどんな気持ちやったんやろな。

 そんなもん、全然わからん、わかってたまるかと、昨日までなら思ったやろけど。

 俺も怜司を捨てようとしてた。結局。足掻いてもそこに来た。あいつが俺を捨てたんやもん。俺が一人で足掻いても、どうしようもない。

 愛の残滓が、まだまだ胸に重うて、すぐには立ち上がれんほどや。どうやったら、あいつのこと、俺は忘れられるんやろう。

 忘れたい、忘れられへん思い出が、いくらでもあって、胸が痛い。あいつが泣いてた痛みの訳が、俺にも分かった。

 忘れられへん。忘れたくない。でももう、忘れなあかん。生きていけへん、憶えたままやと。死んだほうがましやって泣くんは、俺は嫌やねん。

 お前とずっと、一緒に居れたらよかったのにな。怜司。

 誰かが、いつか、お前のことを、幸せにしてくれるんやろうか。

 それが俺やのうて、ほんまに悔しいわ。

 ほんまに悔しい……。

 いつの間にか、外は雨やった。あのラジオの言うとおり。暗い窓から、月が見ている。おぼろな影に包まれた月が、空で泣いてる。俺はそれを見つめて思った。

 怜司。お前を幸せにできる誰かが、この世におるんか。

 もし誰もいてへんかったら、お前一体、どうするつもりや。ずっとそうやって、泣いとくんか。さめざめと白い骨のような月の下。

 泣くのやめてよ。もうやめて。お前の笑うてる顔が好きやねん。好き。好きやったんや、ずっと。

 でも月は、なんも言わへん。ただ白々と、濡れた闇の中で、静かに泣いてるだけやった。



【完】

2017/09/25 初稿(「小説家になろう」に公開)http://ncode.syosetu.com/n0191eh/

2017/11/22 改稿(「カクヨム」に公開)

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三都幻妖夜話 六甲アイランド編 椎堂かおる @zero

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