僕が脳味噌だけになってしまってから

ダリ岡

第1話

 僕が脳味噌だけになってしまってからもう数年が経つけれど、別段悲しいとも苦しいとも思ったことはない。外の世界に触れる必要のなくなった世界というのは想像以上に快適で、こういう生き方を選ばない人たちはいったい何が楽しくて毎日毎日つまらない会社勤めをこなしているのだろう、と不思議でたまらなくなる。

 人体バンクに登録したのは僕が二十九歳のときだ。臓器バンクでも骨髄こつずいバンクでもなく、人体バンク――肉体のあらゆる部分の移植提供を担う機関。登録者は提供可能な部位を指定し、手術の必要な患者のニーズに応じて自分の体を文字通り「切り売り」する。いや、無償で譲るわけだから「売る」というのは語弊ごへいがあるか。人体バンクによる肉体提供は一昔前のヤクザな人身売買とは違う。国が推進している公的事業なのだ。

 当時、十年近く無職のままで過ごしていた僕は、人体バンクの登場と共に即座に登録を済ませた。提供可能と指定した部位は、肝臓、膵臓すいぞう、胃、小腸、大腸、肺、心臓、両腕、両脚、胴体――要するに、脳以外の全て。

 より正確に言えば、


〝意識さえ残してくれれば、それでいい〟


 というのが僕の表明した提供意思だった。他に類を見ないケースだったそうだけれど、人体バンクの連中は特に躊躇ちゅうちょすることなく僕の希望を聞き入れ、ほとんど拘留こうりゅうするかのように僕をとある医療施設へと連れていった。臓器や四肢ししを今すぐ必要とする人たちは国中にあふれ返っているらしく、僕は即日自分の体を解体されることになったというわけだ。

 両腕と両脚、それから顔面の皮膚と肝臓を取られたところまでは見たけれど、その後目の玉をくり抜かれてからは確認のしようがなくなった。別に怖くはなかった。全身を余すところなく焼肉の材料にされる牛になったような気分だな、とか、そんなことをぼうっと考える余裕さえあったほどだ。

 やがて頭蓋骨ずがいこつまで丁寧にむしり取られた僕は――というか僕の脳味噌は、何やら特殊な溶液に漬けこまれ、今はその液体に満ちたガラスケースの中にぷかぷかと浮いているらしい。「らしい」と言うのは当然、五感の全てを失った僕にその様子を確認するのは不可能だからであって、ケースに浮いているというのも手術前に医者から聞いた話に過ぎなかった。

 まあ、僕がどういう見てくれで生存を続けているかなんていうのは、考えるに足る問題じゃない。どうでもいいのだ。意識だけがあれば、あとはどうでもいい。


 灰色のかたまりと化した僕は、今日もまた一人で空想する。

 僕の、思い通りになる世界を。


 再開しよう、と思って意識を集中させると、目の前に学校の風景が浮かび上がる。とっくに両目とも失っているのに「目の前」というのも妙な表現だけれど、これは要するに僕のイメージの光景が鮮やかになっていく、という話だ。

 例えて言うなら、夜見る夢を自在にコントロールしている状態。僕にはそれができた。もうずっと前から、そういう技術が僕にはあった。

 十年近くの間、空想の中だけで生きていたから。


 高校卒業とともに就職し、三ヶ月も経たないうちに退職し、それからずっと――人体バンクに登録するまで、本当にずっと、一歩たりとも家の外に出なかった僕だからこそ、簡単に使いこなせる能力。それがこの、恐ろしくリアルな空想世界を生み出す力だ。


 今はこの空想世界の中で、僕は学校中の人間から一目置かれているバスケットボール部のエースになっている。教室に入ると大勢の友達が「おはよう」「おはよう」「おはよう」と笑顔であいさつをよこし、特に僕にむらがる女子たちといったら日に日に数を増していくばかりで、「ねえ、昨日の宿題のここのとこ、よかったら教えてくれない? 私全然わかんなくて〜」と見えいた口実を作っては柔らかい体を押し付けてくる。

 女の子たちの甘ったるい体臭が、本当は存在しない僕の鼻腔びこうに届く度、これはもう空想世界ではなく新しい現実と呼んでしまってもいいのではないかと思えてくる。質感を持つ空想が現実とどう違うのか、説明できる人がいるならぜひご教授願いたいものだ。今や僕は妄想の中に生きているのではなく、れっきとした第二の人生を歩んでいる。ただし、全てが自分の意のままになる人生を。

 その日僕はいつものように、授業中は難しい問題にさらりと回答し続けて教師たちをうならせ、休み時間は快活で明るくしかし僕よりは容姿の劣る友達に囲まれて談笑し、部活中は高校バスケ期待の新人として何度もスリーポイントシュートを決めては観戦中の女子たちから黄色い声を浴びせられ、そして帰宅後は同い年の恋人を部屋に連れ込んで一緒にテレビなんかを見た後、「今日は家に誰も帰ってこないの?」と赤い顔で問いかける彼女をそっとベッドまで





 びぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーー






 みみなりみたいなおとがした。



 ベッドでブラウスをぬいでいるとちゅうのかのじょが、かたまったぼくをみてきょとんとめをまるくする。

 

 なんなのだろう、これは。あたまにかんじがうかばない。

 

 かんじ。かんじって、どんなのだっけ。

 

 かんじをかんがえるちからだけ、だれかにぬきとられたような――






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 またおとがした。かのじょはぼくのこかんにそっとてをのばしていたけれど、ずぼんのなかにあるぼくのあれはふにゃんとやわらかくなっていた。かのじょがぼくのてをごういんにつかみ、あらわになったじぶんのむねにおしあてても、やっぱりぼくのあれはふにゃふにゃのなまこみたいになったままだった。

 

 そもそも、なんでぼくは、かのじょをおしたおしているんだっけ。

 

 ああそうか、セックスだ。

 

 セックス。りくつではわかる。なにをすることなのか、りくつでは。

 

 でもなぜかぼくは、それがきもちいいことだとはすこしもおもえない。

 

 よくじょうするというかんかくだけ、だれかにぬきとられたような――






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 またおとがした。かのじょのかおがぐにゃ、とぼやけて、のっぺらぼうみたいになった。へやのまどにうつったぼくのかおもまったいらなはだいろになっていて、どんなひょうじょうをうかべているのかぜんぜんわからない。


 ひょうじょう。そういうものがにんげんにはある。それはわかるのだけれど、でもぐたいてきにどういうしゅるいのひょうじょうがあって、それがどういうかんじょうをあらわしているのか、いまのぼくにはさっぱりわからない。


 ひょうじょうをりかいするちからだけ、だれかにぬきとられたような――






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 おとがするたび、ぼくのなかから、いろいろなちからがなくなっていく。かんがえるちからとか、かんじるちからとか。ぼくをとりまくせかいは、いまはもうぐちゃぐちゃにつぶれたまっくらなくうかんになっていて、たぶん、かたちとかえいぞうとかをいめーじするちからももうのこっていないのだろうなときづいてしまう。


 だれかがぼくから、ぼくののうみそから、ちからをうばっているのかな。


 じんたいばんくのやつらかな。


 ぼくのからだだけじゃなくて、ぼくのちからもちゅうしゅつして、だれかにわけあたえているのだとしたら。






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 ぼくはもうあたまぐるぐるになってことばもうまくでてこない。まっくら。あたりぜんぶまっくらでこわいとかつらいとかのきもちもばー、ばー、ばー、ばー、っていうかんじだからたぶんぼくはもうぼくじゃないんだろう。でもまっくらなせかいはまっくらまっくらなままでいちおうそこにはずーっとずーっとあるのはなんでだろうなんできえないのかなとおもっていたら、ぼろぼろになっていくぼくのあたまのなかにふわっとうかんだそのことばは




”いしきさえのこしてくれれば、それでいい”




 ああそうだそれいった。じんたいばんくのやつらやくそくはまもっているみたい。ある。いしき。いしきはある。かんがえるもかんじるもりかいするもなにもなくてでもいしきはあるからぼくはいしきだけのいしきだけがきえないあれになって






 びぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーー












 あー。


 あー。あー。あー。あー。

 あー。あー。あー。



 あー。

























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