第18話 猫と幼女と霊感少女 ⑤

「桜井さん……」

「ああ、近藤さん。ご家族は心配してなかった?」

「あ、ウチは大丈夫です。それより、モカちゃんは連絡がつきましたか?」

「うーん、それが……。ご両親はまだ帰ってないみたいなんだよね」

戻ってきた近藤が、心配そうに桜井さんに尋ねる。


「その……。チロのことなんですが……」

「近藤さんもチロのことが気になっていたのかい? 今、結城君ともその話をしていたんだ」

「そうなんですか」

「まあ、とりあえず警察で保護すると話していたところなんだよ」

やっぱ、近藤も気になっていたのか。


「そのことで、今、母と話をしていたのです」

「話……?」

「はい。チロをウチで飼ってはいけないかと……」

「近藤さんの家でかい?」

「はい。ウチは元々猫を飼っていましたが亡くなってしばらくたちます。ですので、いずれまた飼うつもりでいましたから」

「そう……。それで、お母さんは何て仰ってた?」

桜井さんの問いに近藤はすぐには答えず、チロを抱いてパイプ椅子に埋もれているモカの顔を覗き込んだ。


「モカちゃん……。チロをウチで飼いたいと思うの。良いかしら?」

「……、……」

「ウチで飼えば、どんなに悪い人がいてもチロがいじめられることはなくなるわ」

「う、うん……」

「それに、チロも安心して寝られる家があれば、食べるものにも困らないし寒い思いをしなくても済むと思わない?」

「うん……」

「ウチの家族は皆、猫が大好きだから、きっとチロを歓迎してくれるわ」

「……、……」

「モカちゃんさえ良ければ、毎日でも会いに来てもらって良いのよ」

「毎日でも?」

「ええ……。モカちゃんはチロの大切なお友達なのだから、これからもずっと仲良くしてあげてね」

「ず、ずっと……。モカ、……」

そこまで言うと、モカの目から大粒の涙が溢れた。

 涙は、ポロポロと零れ落ちる。


 な、なんだよっ!

 泣くことないじゃないか。

 モカだって嫌なわけじゃないんだろう?

 おまえ、涙は流しているけど、笑ってるじゃないか。


 ああ、そっか。

 嬉し泣きだな。

 そうだよな……。

 近藤ならきっとチロを大切にしてくれそうだしな。

 チロが今まで辛い想いをしてきたことを思えば、涙が出るほど嬉しいってことなんだろう?


 だったら、もっと気持ちを表して泣けよ。

 モカ……。

 おまえのその泣き方は、嬉しいけど悲しいみたいに見えるぞ。

 それに、全然、子供っぽくない。


 毎日逢えるんだってさ。

 餌にだって困らないぞ。

 モカが好きなときに遊びに来て良いらしいぞ。

 良かったな、チロ……、モカ……。


「母は、モカちゃんが納得してくれれば……、と申しておりました」

「そう……。モカちゃん、どうかな? チロが近藤さんの家でお世話になっても良いと思う?」

向き直った近藤に、桜井さんは大きくうなずく。

 そして、近藤と同じようにモカの顔を覗き込むと、優しく頭を撫でた。


「チロ……」

そう一言呟き、モカは首を大きく縦に振った。


 チロは自身のことなのに、あまり興味がなさそうな感じで大人しくモカに抱かれている。

 もしかすると、チロにとっては飼われていてもそうでなくても、どちらでも構わないのかもしれない。

 俺が心配するようなことは、今まで散々くぐり抜けてきたのだろうから。


 ただ、モカが心配しているのは分かるのか、さっきまであれほどもがいて逃れようとしていたモカの小さな腕の中に、身じろぎもせず収まっているのであった。





「では、チロのことは頼むね、近藤さん」

桜井さんはそう言うと、チラッとスマホを見た。


「いけね。もうこんな時間か。ご家族が心配するといけないから、急いで送るね」

「ウチは最後でいいっすよ。まず、モカを送ってやってくれないっすか?」

「ああ、そのつもりだよ。だけど、モカちゃんのお家がどこか調べないと分からないんだよなあ……。電話番号があるから、何とかなることはなるんだけど」

「大友が知ってるんじゃないっすか? 電話番号も知ってたんっすから」

桜井さん……。

 そもそも、モカを連れていたのは大友だぜ。

 電話番号を知ってるんだから、家を知らないわけがないじゃないか。


「そっか……。大友さん、ナビをしてくれるかな?」

「……、……」

「助かるよ。じゃあ、これで今日はお終い。ご協力感謝いたします」

「……、……」

大友っ!

 おまえ、うなずくだけじゃなく、何とか言ったらどうなんだよっ!


 チロのことも無事収まるところに収まって、皆、気持ちよく帰ろうってのに、おまえだけがいつも通りじゃないか。

 相変わらず何を考えているのか分からない不愛想な表情をしやがって。


 俺はおまえのそういうところが苦手なんだよ。

 もっとちゃんと自分の考えてることを口に出して伝えなきゃ、誰にも分らないぞ。

 おまえだって本当は良かったと思ってるんだろう?

 だったら、一言くらいそれを言ってみろよ。





「桜井さん……。待って下さい」

「ん? 大友さん、まだ何かある?」

「女性の警察官の方を一人連れてきていただけないでしょうか?」

「じょ、女性の警察官? あ、ああ……。連れてくるのは構わないけど、どうして? 僕じゃダメかい?」

「すいませんが、桜井さんではダメなのです」

「うん……。分かったよ。ちょっと待ってて」

「理由は来ていただいた女性の警察官の方にお話しいたします」

「……、……」

って、突然喋りだすなよっ!

 今まで置物みたいだったくせに。

 おまえ、もしかして俺が心の中で思ってたことが聞こえたのか?


 それに、女性の警察官?

 桜井さんじゃダメって何だよ?

 もったいぶらないで、まずは理由を説明しろよっ!


 ほら、桜井さんだって不思議そうな顔をしてたじゃないか。

 なあ、近藤?

 おまえだってそう思うだろう?


「結城君は会議室の外に出ていてくれる」

「はあ?」

「あなたと桜井さんが外に出ていないと、用が済まないから」

「どういうことだよ、大友っ? まずは説明しろよっ! 俺にはおまえの言っていることが全然分からねえ」

外に出ろだと?


 そりゃあ、出ろと言われれば出るよ。

 だけど、何でそんなに男はダメなんだ?

 それに、用って何だよ?

 ぼそぼそと喋ってるだけじゃ、訳が分からないんだよっ!


「私はモカちゃんのお父さんに頼まれたの」

「モカのお父さん?」

「……、……」

「何を頼まれたんだ?」

「……、……」

「なあ、大友っ!」

大友は、それきり何も言わなかった。

 まるで、俺なんか関係ないとばかりに……。

 ただ、目がせわしなく動いているところを見ると、色々と思うところはあるらしい。


 そうか、こいつがこういう態度をとるときって、大抵、霊の話を聞いているときなんだよな。

 祖父ちゃんか?

 それとも、警察に関係のある誰かか?


 俺はさらに聞いてみようと思ったけど、諦めた。

 大友が言うわけがないから……。

 多分、俺では役に立たないのだろうし。


 不愛想でぼそぼそ喋ってるだけのこいつだけど、実は俺の何倍も色々なことを考えているのを俺は知っている。

 その大友がわざわざ言い出したことなのだから、俺は黙って従うしかない。


 モカは何を思うのか、大友を見つめている。

 まだ濡れたままの頬を少し赤く染めて。

 不安なのか、目をパチクリとしながら……。





「きゃっ!」

「……、……」

近藤の声が会議室の中から小さく漏れ聞こえる。


 婦警さんも何かを言っているようだが、内容までは分からない。


 俺と桜井さんは、会議室の外でただ立ち尽くしているだけだ。

 ただ、桜井さんは何が起こっているか見当がついているようで、目を細めて沈痛な表情をしている。


 そういえば、長谷川の事件で事情聴取をしていたときも、桜井さんはこんな顔をしていたっけ。

 ちょっとノリの軽い人だけど、桜井さんも一応は警察官なんだよな。

 普通に話していると、ついつい忘れそうになるけどさ。


 制服を着た婦警さんが来てから、もう十分くらい経つ。

 桜井さんが言うには、婦警さんは少年課の人で任せておけば大丈夫なんだそうだ。

 若くて綺麗な人だけど、すごくしっかりしていると言っていた。


「桜井さん、ちょっと……」

出てきた婦警さんが驚いたような顔で会議室のドアを開け、桜井さんを呼んだ。

 そして、深刻そうな顔で耳打ちをする。


 なんだよ、俺だけのけ者か?

 近藤も、大友も会議室の中にいて事情が分かっているみたいなのに……。


 だけど、近藤のあの声は一体何だったんだ?

 ここまで聞こえてきたってことは、かなり大きく叫んだのだろうし。


「結城君、悪いけどここで待っててもらって良いかな?」

「はあ?」

「僕は関係各所に連絡しないといけないんだ」

「……、……」

「詳しいことは、田畑さんに聞いて」

「はあ……」

な、何が起こったんだよ。

 桜井さんの様子を見れば、警察が動かないといけないような事態だってのは理解できるけど、そのこととモカに何の関係があるんだ?


 桜井さんは慌てた様子で廊下を走っていく。

 そして、婦警さんはそれを見送ると、おもむろに俺に向き直った。


「あの子、モカちゃんって言うのね。可哀そうに……」

「可哀そう?」

「背中に、痣があるの。背中からお尻にかけて、びっしりと無数の痣が……」

「それって、蒙古斑じゃないんっすか? 子供には誰でもあるやつっしょ」

「違うわっ! 真っ黒に内出血した蒙古斑なんてあり得ないわ」

「真っ黒って……。だけど、何でモカにそんな痣があるんっすか?」

「これは虐待ね。まだ誰にやられたものかは分からないけど、間違いないわ」

「ぎゃ、虐待……?」

ど、どういうことだ?

 モカの身体にそんな痣があるって……。


 もしかして、チロを庇ってヤンキー達にやられたのか?

 だけど、モカは見えるところに痣なんてなかったよなあ。

 ヤンキーが殴ったり蹴ったりしたのなら、背中側にだけ痣があるなんて考えられない。


 それに、モカは虐待されてるとなんて一言も言っていなかったぞ。

 いじめられていたのはチロだとハッキリ言っていた。

 だとしたら誰が……。


 まさか、大友なわけはないよな。

 いくらもめ事に首を突っ込みたがるからと言って、痣が出来るような暴力を振るうわけがない。

 そもそも、婦警さんを呼んでくれって頼んだのも大友だしなあ。


 んっ?

 そう言えば、あいつ、

「私はモカちゃんのお父さんに頼まれたの」

って言ってなかったか?

 その頼まれたことって、モカの身体に痣があることを警察に知らせることなのか?

 だとすると、モカのお父さんは虐待されているのを知ってたってことじゃないか。


 だったら、何で自分で虐待を止めてやらない?

 カワイイ娘だろうが?


 いや、待てよ……。

 虐待を止めたくても自分では止められないってことか。

 つまり、大友がその頼みを聞けたと言うのは、大友が霊感少女だから……。


 俺は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 多分、俺の推測は間違っていない。

 そうだよ、モカの父親はもう死んでるってことだよ。

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 霊感少女は事件がお好き? てめえ @temee

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