恋知らぬ太刀影

北口

第1話

 名もなきその世界には、所謂‘怪奇‘と呼ばれる動物とは桁違いの戦闘力を持った存在がいる。大陸南の外れにある村に住む青年、自警団で門番兼怪奇の間引きを生業としていた彼は、幼き頃から護身術として、太刀――またの名を刀、の扱いを習っていた。

構え方や基本的な戦い方、剣の振り方、抜刀の方法、剣を失った際の体術、間合いの取り方と敵の攻撃への対処方…などを修得し、ようやく『剣技』の修行に入ったのが一年前。


『剣技』とは、原理不明の‘神秘’を纏いし技のことだ。


「何をしている」

彼が師事するのは水月すいげつ 采葉さいはという至高の剣士その人である。世界中を旅し、様々な怪異を討伐。果てには数十年前、国を一つ滅ぼした強大な怪異すら打ち倒し名を馳せた。同時に数少ない刀の鍛冶職人でもある。

「師匠……。いえ、なんでもないです」


師匠宅兼道場。その試合場の中央で青年は己に与えられた刀を、揺らいだ心で見つめていた。


「…一ノ太刀すら、覚えられないのか」

八つ存在する水月流剣技において、彼は1年かけて一ノ太刀すらも覚えられなかった。故に今日、そのことについて話があると師匠に呼び出されていた。

彼は数少ない刀の使い手の…それも免許皆伝の他の使い手でなく、オリジナル…原初の1人に師事した者として、誇りを感じていた。

「北本きたもと 澪れい。察してはいると思うが、今日で剣技の修行に入って一年になる」

「……はい」

「私も、これを最後のお主との稽古にはしたくない。…今日の修行は私との一騎打ちだ。確実に一ノ太刀を物にしてみせろ」

「はい!」


一から八まで。それぞれの技に、習得しなければならない順序なんてものはない。すべての技を試みた中で、最も自分に合うと直感し、師匠もまたそれが一番お前に合っていると言ったのが、一ノ太刀、流撃るげき

それは――水月流の象徴とでも言うべき流れる水のような剣技。


スルリと滑るように鞘から取り出された刀――彼はその刀身を斜めに構える。それも片手で。それから二度程その場を踏んでから――跳んだ。


「ッ――!」


横へ一閃。師匠はそれを素手で簡単に斜め上へと軌道を逸らした。師匠の逃げ道を読み、右へと滑るように移動しつつ斜めに振り下ろす。またも躱されるそれをしかし止めることはしない。素早くも流れるように体を捻り、回し蹴り。顔面狙いのそれは、軽く後ろに下がられるだけで空を切ってしまう。

「…そのような動きでは本当に‘流れる’なんてできはしないよ」

「は、ははは…!」

自分の中でビートが刻まれていく。それに合わせて無意識でも動き続ける。それが流撃の正体だ。

横、縦、斜め、回転しつつ、時には時間を遡るかのように動いて見せる。

相手を逃さぬ海の波。渦潮かのように敵を包囲しつつ切り付ける使い手は、やがて波に乗り始めるという。

(…形は悪くない。というよりも、ダンサーとして食っていけるぐらいには上手い。元々音楽に興味があったみたいだし。…それでも、神秘に近づけないなら……。)


神妙な面持ちで何事か悩む師匠。その顔を見てしまうと…彼は踊るのをやめてしまう。


「…」

「…実戦と行こうか」

「え?」

「‘修行’はもう終わり。今日はもう、散歩でもしようよ」

「……解りました」

「だからー!もう修行は終わりだって言ってるでしょ!」

ムスッ、と怒った顔の師匠。水月 采葉はこういう人だ。年齢不詳…しかし見た目は澪より少し年下か、という程。長い水色髪が良く似合う、身長150と少しの彼女はどこか人を落ち着かせるものを持っていた。

「……うん、解った。それで、どこに行くって?」

太刀を納刀し、彼は乱れた赤と黄色が混じったような色の自身の髪を簡単に直す。一呼吸置くと、揺らぐ心はすぐに静と化す。

「うーん……裏山の神社から依頼が来てて、なんでも大型の怪奇の咆哮が聞こえたらしいから、そこかな」

「了解。行こう」

「はいはーい……んっ」

「はいはい」

差し伸ばされた、似合わない小さな手を握ると、彼は師と共に歩き出した。


普段は恥ずかしがって彼女の方から手を差し出したりはしないのだが…気遣われているのか、最後かもしれないと寂しがってくれているのか。


彼の住む村から徒歩で一時間ほどでそこに辿り着いた。

その神社の神主から情報を聞き、神社から更に歩き始める。

「でも澪、君が望むなら戦士か武闘家、まぁ騎士は厳しいかもしれないけど……私が紹介してあげてもいいんだよ?」

「…いえ。俺は、侍以外に成る気はありません

この世界の主な武器は剣だ。というのも、神秘を扱えるのが剣に限られているからだ。その中にもいくつかの得物、流派がある。

両手剣を扱う衛士、短剣、双剣を扱う戦士、片手剣を扱う騎士。そして水月流の侍。


「……それはまた、なんで?」


「そんなの……っ!」

森を歩くこと数分。数メートル行った先に大型の、さながら狼のような、それでいて熊のような……所謂人狼と呼ばれる2m程の巨体の怪奇がいた。


「まぁ、その理由は後で聞くことにしよう。…頑張ってきて。信じてるから」

「…敢えてそういうこと、言いますか」

信じてる。その言葉が、期待が、一番辛い。胸に刺さる言の葉の刃が、彼に確かに‘決意’を掴み取らせた。


『…必ず、勝とう。でも、勝つだけじゃ駄目だ。この戦闘で、何かを掴み取るんだ』


「……言霊も使おう」

剣技とは、説明不可の神秘。その剣技に付けられた名を唱えることにより、神秘(存在するはずの無いもの)をより強固にすることができる。


腰に携えた太刀を抜刀する。そして、跳ぶように地面を蹴った。


半ば不意打ち気味だったが、目標の人狼は突然の敵襲にも落ち着いて距離を取った。


想定外れた彼は先程まで人狼がいた位置で一度止まり相手の様子を探り、人狼は両手の爪を伸ばすと、同じく相手の出方を伺う。


「ッ…!ガァアアアアアアアアアアアアア!!!」

「三ノ太刀!前裟雨さきさざめ!」


咆哮と言霊のタイミングは、本当に同じだった。

両手で持った太刀を顔の横へ。突きの構えで人狼の懐へと澪は飛び出す。同時に振り下ろされた人狼の爪だったが、それが届くよりも彼の突きが刺さるのが先だった。

細身の剣が人狼の胃に穴を開けるが、痛みなどまるで無いかのように振り下ろされた爪は止まらない。

が、彼はこのタイプの怪奇の性質を既に熟知している。

刺さった刀をそのまま上に九十度回し、腹の傷を広げつつ根本の刀身で右の爪を受け止める。次いで地面と平行へと刀を戻しつつ相手の巨体による包囲から一時逃げようとしたところで、左手の爪が彼の腹に既に迫っていた。

「ッーー!四…いや、流撃!!」

右の爪から太刀を滑らせ、左の爪へと防御対象を以降。同時に膝を折り屈むと、頭上スレスレを爪が過ぎていく。

助走なしにスライディングで更に身を地面へと近づけつつ、なんとか腕の中から脱出。すぐに立ち上げると、人狼を振り返る。

図体はでかい癖に、いや、デカいからこそか、またも超至近距離に既に存在し、今にも爪を振り下ろさんと血まみれの体で彼へと飛びかかる。

「――!二ノ型!追水おいみず

一歩引きつつ言霊を放ち、相手の射程を乱しつつ刀を振り下ろしたが…それはなんてことのない、ただの鉄の一閃だった。


腕を躱し頭を直に叩き切れば、流石に怪奇といえど動けはしない。


「――戦闘終了。…はぁ」


未だかつて戦ったことの無い強敵だった。だというのに、彼の気分は晴れない。それはそうだ。結局…期待には応えられずに戦い終えてしまったのだから。


刀についた血を払い飛ばし納刀しつつ、彼は思う。


思えばずっと、自分の人生はつまらないものだった。義務教育によって隣町の学校に三年程通っていた時も、今振り返れば太刀を習い始めた時も…呑み込みが悪かった。人よりずっと、効率が悪かった。それでも努力すればいつかーーなんて、思っていた。

全人口の凡そ1%が得ているとされる、神秘。いつかどこかへと辿り着くと信じていた彼の道の先には、飛び降りる崖すら無かった。

――ただの白紙。そもそも…ずっと前から進んでいなかったのではないか。だとしたら、自分は一体、どれだけの時間をーー人生を、無為に……?


「澪!七ノ太刀!」


頭に切り込まれようと死なない程、タフな個体だったらしい。タフというよりは異常個体というべきなのだろうが。

頭の中のモヤモヤが取れないままに、師匠の声で怪奇へ振り返る。


――自分が進む道が無かった?なら作ればいい?できっこない。

ならもうやめて、夢の中でだけ夢を叶えて生きるのか?

違うさ。俺は、違う。夢の中だけじゃ足りない。この世界でやりたいこと、全部やってからじゃないと…!


どれだけ痛くて、辛くて…涙を流し、枯らしてしまっても。例え死んでしまったとしても!この心の渇きが満たされるまでは!!「諦めるわけにはいかないんだよ!!!」


水月流七ノ太刀、太刀影。それは唯一の居合剣技。河の流れに沿い滑るような抜刀から放たれる居合の速度は影を残さない。七ノ太刀により抜刀された刀身は鋭い水の刃を纏うとされる。

彼の心臓は決意に鼓動し一度大きく飛び跳ね、脳を始点として全身に一筋の電流を走らせる。


「一ノ閃撃――絶雨たちさめ


―――そこには、何もなかった。いいや、何も見えなかったと言うのが正しい。

その時、彼の抜刀は音速へ至った。空に放てば雨雲を絶つほどの雷撃の太刀。抜刀の次の瞬間には既に太刀は鞘へ戻っている。水月のような剣聖でなくては何が起きたのか捉えることはできないだろう。

横一閃された人狼は上半身と下半身へ綺麗に二つに両断され、今度こそ絶命していた。斬られた箇所は雷によって焦げており、感電のためか全身の体毛も死亡後数分は逆立っていた。


「ーーーーー」


何か、今まで感じたことの無い感覚が体中を駆け巡った。それとは別に大量の疲労感と、それを凌駕する達成感。

これは――たった一度、しかし大きすぎる奇跡を掴み取った男が、未だ足跡の無い世界へと挑む、決意の物語。



「澪――!」

掴み取った名も知らぬ何か。それを右手で握りしめると、背後より心から嬉しそうに駆けてくれる師匠を振り返る。


采葉は澪の目の前で立ち止まると、その両手を小さな手で取った。

「おめでとう…!良かった…本当に」

「師匠…ありがとうございます。でも、あれは…」

「うん…私が教えた剣技じゃない。でも、神秘には間違いない。私が保証する。君は…もしかしたら居合――抜刀術が向いているのかもしれないね」

「…抜刀術。」

「私の流派とは神秘の質が違うみたいだし…君にその気があるのなら、新しい流派として立ち上げられるかもしれない。それぐらい、さっきの剣技は冴えていた」


「…」

「…考えてみてね。――さっ、それよりも、今日はお祝いだね!帰ろ!」

片手を離し、彼の右手と彼女の左手が繋がれる。しかしーー。


「師匠」


「んー?」


「決めたことがあるんです」


手を引き歩き出そうとした師匠が、その言葉でピタリと止まった。


「…なに?」


そして振り返り、何故か少し不安そうにしつつも澪を見上げた。


「…今日から俺は…やりたいことをします。この決意が、今の俺には必要なんです」


「…うん。良いと、思うよ?」


「ですが師匠、嫌だったら突き飛ばしていいのでーー」


「えっ?―――わ、わわっ」


繋がれた手を引っ張り、彼は采葉を自分の両腕の中へと引き寄せる。


「んなぁっ、ちょっと、え?―――」

「―――――」


「ちょっと、澪…?どういう…?」


あわあわと赤面で慌てつつも離れようともがきはしない少女へ向けて、彼は追撃を掛ける。


「師匠に聞きたいんですけど、なんで俺達ってよく手を繋ぐんですか?」


「え?えーっと、それは…」


「初めに手を繋ぎたいって言ったのは師匠でしたよね?」


「う、うん…。…えっと、あのね…怒らないで欲しいんだけど……実は…よくわかってないの」


「…?えっと?」


「なんでかって言われたら…あの日はなんとなく、手を繋ぎたいなぁって思った…ってだけで、それがまたなんでか、っていうのは…よく、わからなくて…」


「…だとしたら、今も多分それと同じです」


「澪は今、誰かを抱きしめたい気分だったの?」


「誰か、じゃなくて師匠…采葉を。…いや?」


「…ううん。嫌じゃない。澪も、私が手を繋ぎたいって言った時、同じ気持ちだったのかな」


「俺は…あの時、ちょっと嬉しかったです」


「ふぇっ!?も、もぅ~…」


「…でも、ならやっぱり…気持ちは同じだったよ」


その後、仲良く下山した。


出会いは特に何でもないものだったと彼は記憶している。偶然出会い、どういうわけか弟子入りした。それだけ。

少女の見た目で剣聖へと至り、加えて当時から全く変わらない見た目の師匠を、人々は畏敬の念で見ていた。

年齢を聞こうものならうまく誤魔化されてしまう。理由は不明だが聞かれたくないのだとしても…いつかは彼女の秘密を聞きたいと、心の底で彼は思っていた。

事実として好きだという感情はある。ただ、今はまだこれ以上受け入れてはもらえないだろうという予感がある。逆に言えば、ここまでは受け入れてくれるのではないかという彼女へのある種の信頼もあった。


逆に采葉がどう思っているのかと言えば…長く生きているだけあって勿論、彼からの好意にも気づいており…好きか嫌いかでいえば好きなのだろう。思わず手を繋ぎたくなってしまったことがあり、その時に初めて意識した。ただ…人肌が恋しくなった時に、偶々彼が居たというだけ。彼のように相手を指定した訳じゃない。


「…うん」


彼から好意を向けてくれたことは…嬉しい。ただ…彼はまだ世界の広さを知らない。


「澪、もし君が旅立った先で人を好きになったら…どうする?」

「…解りません。考えたこともない」

「じゃあ逆に…君が好きだった人が、君と恋仲だった人が、他に好きな人を作ってしまったら…どうする?」

「…諦めます」

「どうして?」

「恋仲になったのに他の人を好きになったということは、自分の目が悪かったのか或いは、他にできた好きな人、が余程素敵だったということでしょうから」

「…なるほどね。うん…。」

「好きな人ができた後に他の人を好きになるって、その後の人の方がより好き、ということだと思うんです。不倫は最低だと思うけど、好きになったなら仕方ないとも思います」


「…私だったら、諦められないと思うなぁ」

「…というと?」

「好きな人が他の人を好きになったら振り返らせればいい、また。もちろんやっぱり、一途な方がずっと良いよ?他の人を好きになるなんて…!って嫌いになるかもしれない。嫌いになったらそれまでだけど、もしまだそれでも…好きだったなら」


「…俺がまだ誰かと付き合ったことがないからかもしれないんですけど……愛を比較して欲しくないし、したくもないんです」


(…要するに中古は嫌だということだ。)


「うん…そうだね。私もそう思う。でも…それでもね?……世界には、君の想像よりもずっと沢山の人がいる。世界中を歩いてみれば…きっと、君のことを好きになる人が…君が大好きになる人が、いると思う。だから、だからね…」


「君には…恋を知ってほしい。」


「私も…それを書物で読んだり、人伝に見聞きしたことがあるだけなんだけどね……恋って、凄いんだって。その人がいない世界なんて考えられない、いつだってその人の事を考えてしまう、いつだってその人と一緒に居たい…好きな人のことになるとその人は‘変わっちゃう’んだって」


「…変わる」


「私はね…ずーーっと、変わらないんだ。生まれた時から…きっと、死ぬ時まで。」


「…?」


何かの比喩だろうか。自分は10年前に比べると大分見た目も性格も価値観も、変わったと思っている。それを…彼女――采葉は、実感したことがない?


「これはただのお節介なんだけどね…私はそれを知ることができなかったから、君にはそれを知ってほしいと思う。君なら…きっと、たくさん頑張ればそれができると思う」


「…私は、君が恋をするところが見てみたいな。私は…それができないから。」


えへへ…と照れたように笑って見せた彼女に、澪は微妙な表情しか返せず…



「…もしかして俺、振られた?」


「い、いや、そうじゃなくて…!って…告白、して…たの……?


「…うーん……」


「こほんっ。だからね、うーん…言い方はよくないかもしれないけど。一つしかないからって決めつけて変な選択肢を選ぶんじゃなくて、たくさんの選択肢を知って、その中から一つを選ぶ方が…きっと、君のためになる」


そして…私以外と恋をしてほしい。いいや、私以外と、君は恋をしなければならない。私の歩む道は…いつ終わるか解らない、儚く脆い足場の見えない生の道なのだから。


「…今、もっと師匠…采葉のこと、好きになりました」


「もう!だめだってば!」


神社へ報告に行き、それからまた山を下り、村の裏手へと辿り着いた。


「…さっきの話なんですけど」

「う、うん」

「俺が侍以外に成る気がないって言ったのは…侍が…いいや、菜葉師匠が、一番かっこいいと思ったからなんです」

「……えっ、私?」


人目があるときに彼女は手を繋がない。事故的に見られたこともない。彼はまだ感じられないが、気配やらなんやらを感じているのだろう。


「流れるような剣技、そこにいることが自然だと思わせる空気、小さいのに凜とした構え、普段の表情と剣を持った時の静かな表情との変貌っぷり、それと…」

「うー…恥ずかしいんだけど…それと、なに?」

恥ずかしいとは言いつつも、誉め言葉は素直に受け取ってくれるらしい。

テレテレと赤くなった頬を小さな人差し指で掻く姿がとてもかわいらしい。


「…俺を、見出してくれたこと。選んで、導いて、支えてくれたこと…。今はそれに加えて、こうして少しでも俺を受け入れてくれていること…本当に…ありがとう、菜葉」


「…うん。…えへへ、えっと…こちらこそ。ありがとね、澪。私についてきてくれて。私を…信じてくれて。―――。」

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恋知らぬ太刀影 北口 @kitaguti

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