第一章 夜明けの空

夜明けの空

 ボオオオオオオオオオオ……


 町が起きる瞬間、というものを感じたことはあるだろうか? 町も、人と同じように夜は眠っているのである。


 ボオオオオオオオオオオ……


 この小さな港町、ガザラを目覚めさせるのは、数日間の漁に出ていた魚船たちの帰還の音だ。まだ日の登らない薄暗い空に、塩の香りとともに響き渡る。


 夏というには少し早いこの季節だか、目覚めたばかりの港には半袖で作業に向かう人々の姿があった。

 レンガ造りの家々にも徐々に灯りがつき始める。既に朝食の準備が始まっている家もあるのだろうか。高くそびえ立つ煙突からは煙が薄く立ち上っていた。





「……! ……イ!」


 声。

 遠くから声が聞こえる。


「はぁっ、はぁっ」


 聞いているだけで苦しさが伝わってくる程乱れた呼吸音。絶えず響くその呼吸音に答えるかのように、スタァン、スタァン、と硬い地面を蹴る音が響き渡る。


――何が起きているのだろう。


 真っ暗な闇の中で起こっている出来事に目を凝らした。


 纒わり付くような暗闇の中、必死に走る人影が一つ。

 その人は、暗闇の中で一際目立つ金色の髪を揺らしながら、簡単に折れてしまいそうな細い手足で闇を掻き分けてゆく。その透き通るような白い肌にはいくつもの汗が浮かんでいた。


――分かった。これは、僕だ。


 怖い。

 苦しい、さみしい、虚しい……。

 そして、懐かしい。


 自分が見ている人物が自分だと分かった途端、色んな感情が流れ込んでくる。

 この入り混じった感情は何と表現したら良いのだろうか。ただ高ぶるばかりの感情が目から溢れ出す。


 今まで第三者の視点で見下ろしていたはずが、気が付けば自分自身が走っていた。

 なぜこんな所にいるのか、何から逃げているのかがわからない。だが、逃げなければ行けないという本能に従い、走り続けている。

 視界は闇でいっぱいで、一メートル先すらも確認できない。むしろ、先があるのかすらわからない。


――僕は、何のために走っているんだ?


「!?」


 ビリリ、と目に焼けるような痛みが走った。

 突如目の前に光の粒子が出現する。そのキラキラと輝く粒子は、一つに集まりはじめる。


――この不思議な光は……?


 その光に吸いこまれるように、手を伸ばした。

 途端、幾数の光の筋が放射状に溢れ……それらが鋭い刃となって自身に襲い掛かる……!





「……わぁぁぁぁあ!!」











 もうダメだ、と目を瞑った。





 だが、暫くしても何か襲って来た気配はない。


「……あれ……?」


 恐る恐る目を開けた。


 窓の隙間から入り込む穏やかな日差しに、生活感のある木造の天井。チュン、チュン、と可愛らしいさえずりが外から聞こえてくる。


 そんな見覚えのある空間に、少年は「なんだ、夢か」と、寝ぼけた眼を擦った。


 奇妙で恐ろしい夢を見た朝はなんだか気分が悪い。はぁ、と溜息を着くと、枕元に置いてある懐中時計を開き、時刻を確かめた。

 父から貰った懐中時計。かなりの年季が込められたその時計の長い針は丁度天を指し示している。一方、可愛らしい短い針は長い針にやや遅れを撮り、十を指していた。


「……ん?」


 その時刻を確認した少年は、零れそうな程大きな瞳をさらに大きくし、動きを止めた。


「えっ……嘘、寝坊!?」


 少年は慌ててはね起きる。ベットの足元に揃えてある靴を見もせずに足を入れ、そのまま椅子に掛けてあったシャツに腕を通す。


「リサ、リサ!」


 ガザラの町のはずれ、小高い丘の上にポツンと建つ小さな家の階段を、悲鳴に近い叫びを上げながら降りる少年。名をライ=サーメル、齢十二歳。

 まさかこれから起こる出来事の主要人物になるとは夢にも思わない、泣き虫な少年だ。


「はぁ……ライ、寝ぼけすぎ」


 その叫びに眉を寄せながら、洗い物の手をとめる女性。彼女は面倒くさそうに階段の折口へと振り向く。女性の視線の先には、先ほどの叫び声の主、ライが立っていた。


 目が眩むほどに素晴らしい金髪。透き通るような白い肌。その中央には大きなエメラルドの瞳――おとぎ話の世界から飛び出てきたお姫様ような風貌の“少年”である。


 リサと呼ばれた人物は、ため息をつきながら洗い物で濡れたままの指でライを指した。


「ん?」


 意味がわからず首をかしげるライ。


「……ライ、あんたは一人で服も着れないお姫さまなの?」


 呆れたように指摘したリサの視線の先を目でたどる。そう、ちょうど自身の胸元の辺りだ。


「ボタン。かけ違えてる」

「あ……」


 急いで着たからだろうか。異様にシャツが引きつっていた。

  ライは恥ずかしさの余り、顔を真っ赤に初めながら慌ててシャツを直した。


「朝ごはん。私は済ませちゃったから。早く食べてちょうだい。片付かないのよ」


 リサはそんなライの赤面は相手にせずに机を指すと、自分の仕事へと戻って行った。

 彼女が指さした先には、冷めきった卵焼きとトーストが申し訳なさそうに置いてある。数刻前からライに食べられるのをそこで待っていたのだろう。

 ライは心の中で、ごめんなさい、と呟きながら席についた。


「頂きます……。あ、ところでリサ。ソウリャは何時頃帰ってくるの?」

「たべながら話さないの! ソウリャの事は昨日も散々言ったでしょう? マリーナ号が帰ってくるのはお昼を過ぎたころだわ」


 半ば母親替わりのリサは、ライの行儀を注意しつつ、きちんと問に答えてあげている。


「そうだったね。むふふ、楽しみだなぁ!」

「その割には、ずいぶんと寝ていたようね」


 リサがエプロンの裾で手を拭きながら、そんな幸せな一場面に微かに微笑み、その柔らかな視線を棚の上に移した。


 そこにあるのは、一枚の写真。

 まだ幼い金髪の少年を真ん中にして、左右に茶髪の少女と黒髪の青年がとても幸せそうに写っている。


「……早く帰っておいで、ソウリャ」

「――あれ? リサ、これ何?」


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グラオザーム・シャイン~伝説の剣を抜いた少年は全ての××として世界を駆ける~ @titose_miharu

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