人格補助AI- ペティゴ
柳人人人(やなぎ・ひとみ)
Pet-ego(ペティゴ)
「……あー、あー。テストテスト」
「私の名前は『
「二月五日生まれ。両親は健在。兄弟姉妹はなし。特技は猫真似。趣味は……」
「にゃーんっ………よし、快調快調♪」
自慢の鳴き真似をひとつ、私は首でライムグリーンに点灯する『装置』をかるく突く。正常に動作してくれている。
最後に鏡のなかの自分を見つめて、再確認。
今日のコーデは、ジーパンにボーダラインの入った白のセーター。最後に黒の帽子がカジュアルに決めてくれる。
「……うん、完璧っ」
私は駅のトイレから出る。
そして、東口から五分ほど歩いたところにあるペットショップに向かった。
店の前には、すでに見知った顔の女性がショーウィンドウを見ながら待ちぼうけをしていた。
「おはよう、アキさん。……ごめん、待った?」
「あ、おはようございます。私も今来たところですよ」
白のワンピースに黒いコートを羽織ったその女性の名は『
自分で言うのもなんだが、私が冬生まれの『ユキ』で、彼女が秋生まれだから『アキ』という、なんとも安直なネーミングコンビだ。これで『ナツ』の名前の知り合いがいればコンプリートできるのだが。
「それに、ペットショップは動物たちとお話できますから、時間なんて気にならないです。ねー?」
『んー? にゃんにぃー?』
彼女がゲージに向かって話しかけると、猫がすくっと立ち上がって喋り返した。
首を傾げて見てくる大きなお目目がくりんくりんっしてて、……ああっ! 最高に
猫の首には首輪のような装置を着けており、そのランプが点灯している。私のものと一緒だ。
それは人格補助人工知能(
動物につけることで人間との軽い意思疎通が可能となる。ペットなど長いこと着用しつづけると、「日常会話」「歌を歌う」「簡単な計算ができる」「二足歩行などの人間の真似」「芸を仕込む」等、いわゆる『人間』らしくなるのだ。うまくいけば、このゲージの中の猫のように可愛さに磨きがかかる。
ただ、本来はペット用に開発されたものじゃない。
私は自分の首筋をなぞる。
ペティゴは元々、精神障害や発達障害持ちの人間の補助を目的として生まれたものだ。
これがないと私は言葉を喋ることもままならない。独立して一人暮らしすることもできなかった。
「いやー、夢のような装置ですね!」
「そうだね。なにより世間的に人間と動物のあいだをぐっと縮めてくれた」
ペティゴが世間に流通しはじめたのはもう六年前のことになる。最初は奇異なものとして見られることがあったペティゴも、今では『AI利用動物に人権を』なんていう愛護団体が現れるほど。
「これで、例の『事件』のことも聞きだせればいいんですけど……」
アキはお店からこちらへ向き直す。
その神妙な顔つきには申し訳なかったが、言葉を遮る。
「その話だけど、ごめん。ちょっと待ってて。先に済ませたい用事があるから」
彼女が到着する前に済ませようとしていたことだが、予想外に彼女のほうが先に着いていた。
ペットショップの中に入ると、新聞を広げていた強面の店主がこちらを一瞥した。
「頼んでたやつ、ある?」
店主は口を開くわけでもなく、頷くわけでもなく、すっ……、と机の下から例のモノを取りだす。
それを受けとり、感謝の言葉を述べて外に出た。
「あ、おかえりなさい。早かったですね」
「まぁね。あらかじめ予約してたことだったし」
「ここにはよく来るんですか?」
「ん? ああ。このペットショップは私の行きつけでね。元々動物は好きだし、無口だけど店主さんとはペットについてよく話すよ。それにコレも売ってるからね」
ただいま受けとった例のブツ、新作ペティゴを見せる。
今のご時世、ペットショップは大抵ペティゴもセットで取り扱っている。ただ、ペット用とヒト用では性能が違うので注意が必要だ。私にとってこのペットショップはヒト用のペティゴも仕入れている良物件なのだ。
ペティゴは首輪ような形状が一般的だ。生体に触れていれば機能してくれる優れものだが、機械なので当然電力で動いている。電力切れは人格の喪失に等しい。できるだけ電力が続くように呼吸、脈、食べ物を喉を通すなどの小さな動力も発電に利用している。
それに、ちょっとした拍子で外れてしまうようでは困る。手術で埋めこむこともできるが、いざという時に取り外せられないのは恐怖だ。
総合的機能を鑑みて、首輪という形状は最適だった。
ソフト面での種類もさまざまで、認知症対策などにも有用である。ペティゴは最初こそ違和感があるが、利用者の思考パターンや人格をトレースしながら補助するAIなので、すぐに慣れてしまう。
ただ、流通はしているのだが健常者には使わないのが一般的、というより使用許可の認定が下りていない人物に使うと違法となる。
だからというわけでもないが、世間の目はまだ……。
「お、ペットショップで『ペット』がペットを見てる〜!」
「えー、マジじゃーん! ウケるぅぅぅ!」
同じハート柄のTシャツに同じ紺色のスラックス、同じ赤い原色のクロックス、さらには同じフレームの眼鏡……『まだ絶滅してなかったのかこのタイプのカップル』と思うほど、典型的なペアルックの男女がこちらを指さす。
「この『ペット』、ここで売ってる商品かな!」
「あー、かもぉぉぉ!」
『ペット』とはペティゴをつけた障碍者という差別用語だ。その見た目の印象と、動物との意思疎通に応用され、世間的にはそちらの目的が主流に流通してしまったことが呼んだ悲劇だった。『
実際、BDSMなどの界隈ではそういった目的で使用されることもあるという。私のような利用者には傍迷惑な話だが。
「……行きましょう」
アキは強引に私の手を引っ張ってその場を離れる。アキの足取りは怒りに任せており、どんどんと進んでいく。
「あんなこと言うなんて、自分と同じ人だと認めたくありません」
「それは、いいんだけどさ」
「良くないです!」
「いや……そろそろ手を離してもらってもいいかな?」
「え、……あ。すみません!」
アキは驚いたように、ぱっと手を放す。
「な、なんていうか、親しみやすいっていうか、あまり男性って感じがしなくて……つい」
「はは、褒められているのか貶されているのか」
「ちゃんと褒めてるつもりですぅ。……でも、本当になぜか男性っぽく感じないんですよ。私よりオシャレだし、一人称が『私』だからですかね?」
「ああ、一人称は使い分けてるんだ。プライベートでは『僕』って言ってる。他の一人称は……趣味かな?」
「趣味、ですか?」
「ええ、三つほどある私の趣味のなかの一環。けど、ヒ・ミ・ツ」
「えー! なんですかそれー! 気になるじゃないですか!」
「はは。いつか教えてあげる。でも、今日はやることがあるから、ね?」
そう言うと、彼女は口を噤んだ。
彼女と待ち合わせをしていたのは、なにもペットショップでデートするためではない。
彼女と私はとある『事件』を追っているのだ。
私たちは最寄りのファミレスに入り、適当に注文を済ませた。
「さて、アキさん。本題に入るまえに、まずざっとおさらいをしておきましょう」
胸ポケットから手帳を取りだして、付箋のついたページを開く。
「県内と周囲近辺にて、ここ半年における捜索願が提出されたのは七十八件。うち、今も行方不明なのは十六名。この内の七名は家出をほのめかす置き手紙や言動が確認されている。つまり、本格的な失踪者は九人前後。事故、事件の両面で捜査しており、連続性があるかどうかは目下調査中、というのが警察の言い分」
「はい」
「そして、その行方不明者のなかの一人に、キミの親友の名前もある、と」
「……はい」
そう、彼女の友人が失踪したのだ。もう、二週間ほど前の出来事だ。
警察も捜索中だが、それだけじゃ彼女は居ても立っても居られず、この事件について独自調査を行なっている。
危険なのは重々承知である。しかし、親友を失ってしまった彼女の気持ちもよく分かる。
それに、家出だったとしても親友がなにも言わずに消えるはずがない、という確信が彼女にはあるようだった。なにか事件に巻きこまれたのだと、そう考えている。
私はその手伝いをしているのだった。
「こちらは私が独自に調査した新しい資料。行方不明の九人の人物像についてまとめたものだ。八歳から四十一歳の老若男女、共通点は住んでる地域が同県というくらいで、関連性があるかは今のところ不明だ」
ファイリングしたスクラップ帳をアキに渡す。失踪者たちの情報はもちろん、関連の新聞の切り抜きなども貼ってある。
身を乗りだして彼女はそれを読みはじめた。
「……綿密な情報量ですね。すごい。……あ、こちらは?」
スクラップ帳のあいだに挟まっていた四つ折りに畳んだチラシをアキは拾いあげる。
「あ、それはね。失踪者の親族が街頭で配ってたんだ」
『さがしています』という見出しに少女の顔写真が一面にプリントされている。ここのご家族も心配で不安で仕方なかったのだろう。
アキはその紙を見て――思うところがあったのだろう――俯いてしまった。
おもわず『私』の中のお節介が口を開く。
「……ねぇ、私たちも作らない? これ」
…。
私たちはファミレスを出た。
次回の予定や課題も計画しおわっている。二人ともこのあとの予定は空いているが、残念なことにこれ以上は『私』が役に立たない。
人間用ペティゴには一日の使用時間の目安があるのだ。一日中使用していたからといってすぐ異常が起こるというわけではないが、二週間ほどずっと使用しつづけた利用者が記憶障害や思考力低下などの精神異常を起こした、というケースが報告されている。便利だからといって、一つのものに頼りすぎるのも考えものである。
もう少しで『私』の一日の活動限界が来てしまう。なので、今日はこれで解散するしかなかった。
「じゃあ、気をつけて。次回までに彼女の顔写真の用意もよろしくね」
「はい」
一応、駅のホームまで見送る。
しかし、改札に入ろうとする時、彼女は振り返った。
「あの、お節介かもしれませんが」
「ん?」
アキは私に一歩だけ近づく。
「あまり気にしないでくださいね。ペットショップでのこと」
一瞬、なんのことか分からなかった。しかし、すぐにペアルックカップルのことを思い出す。
「チョーカーみたいで私は好きですよ、ペティゴ。それに、あなたのは白と黒の二色でバッチリ決まってますから」
そう言って、私の首筋を指さしてくる。
私のペティゴは、二つ同時に取り付けられる仕組みのものを使用している。片方が故障したときにもう片方が予備として機能するという安全性を重視したものだ。オシャレの観点は二の次だが、見た目的にも私は気に入っていた。
アキを心配しているつもりがアキに心配されていたのだと気付いて、私は頭を掻いた。
「……あのさ。今日言ってた私の趣味のことだけどさ。本当に知りたい?」
「え。そりゃ、まぁ。知りたいですよ。三つもある趣味を全部ひた隠しじゃさすがに気になります」
「じゃあ次のときウチへ来ない? ほら、家なら目撃情報のプリントも作りやすいから」
「分かりました。楽しみにしてます! あ、もう電車の時間が」
私は微笑みながら手を振る。そして、彼女の姿が人混みに紛れて見えなくなると、私は自分の首筋をなぞる。
反対側を見ると、夜を拒みもがく表面張力のように歪んだ夕日が住宅街の向こうにあった。ふと、ペットショップでのことを思い出す。
(……そういえば、あのカップル、眼鏡をかけてたな)
私の
人間未満の自分が人の心を満たそうとするのは悪だろうか?
もうじきペティゴは
探偵の真似事ができるのはコレのおかげ。
『風木アキ』と話ができるのはコレのおかげ。
社会的に必要とされているのは、このペティゴの中に入っている『私』だ。私の身体と精神は、いわば眼鏡置きでしかないのかもしれない。
ふっ、と自嘲の笑みを浮かんだのが、自分でもよく分かった。
「でも、それでいいんだよ。『僕』は」
自分の首筋をなぞる。
…。
「いらっしゃい」
三日後、風木アキは私の家に訪れた。
居間まで誘うと、ドリンクを準備しはじめる。
「あ、アキさん。ごめん。冷蔵庫に炭酸系しかないや。コーラで大丈夫?」
「はい。おかまいなく」
二人分のグラスを運ぶと、アキは借りてきた猫みたいにフローリングに正座していた。どうやら他人の家というのに慣れておらず緊張しているようだった。
「なにか私の家に珍しいとこでもあった?」
「あ、いえ。その、壁に並んでいるのってペティゴですよね?」
彼女が指さす方向には、輪っかを広げて部屋の壁から垂らしている状態のペティゴが並べられていた。
「……、六、七、八! 首に着用してるのも合わせると十個も持ってるんですね。へぇー、いろんな種類があってすごいです」
「そこにあるのは私が今まで使ってきたペティゴでね。もう使わないものもあるけど、ゴミにするのは人格を捨てるみたいで気が引けるから。でも、こうして並べてみると色取り取りのミサンガみたいでキレイと思わない?」
「……なんか、いいですね」
「ありがと。……ほら、さっさとプリント作り、済ませちゃいましょう」
彼女の横顔はどこか少女みたいで。
褒められたことが気恥ずかしく感じた。
…。
夕焼けに濡れた二つのグラスの中身が空になるころ。やっと、印刷工程まで終わることができた。
思ったより時間がかかってしまった。一度凝りはじめると際限がなくなるのが私の悪い癖だ。
「ここまで付き合わせてごめんなさいね」
「……あ、いえいえ。おかまいなく……」
アキも疲れて、足を崩している。目を擦って眠たそうだった。
にゃーん……。
そのとき、寝室のほうから猫の鳴き声が聞こえてきた。
「……あれ。ペット、飼ってるんですか?」
「ああ、飼ってるよ。動物は好きだからね。私が飼ってるとおかしい?」
「いえ、……そんな、ことは……ないですけど……」
「けど?」
「いえ、……こんなにペティゴがあるお家……なのに、猫の鳴き声がするなんて………ふしぎだと……」
うとうと……と、体を揺らしながらアキは口から言葉をこぼす。
「……眠たいなら、寝てていいよ。長期戦には休息が不可欠だからね。きっと親友にも会えるよ。夢の中でも、現実でも」
「……でもはやく……『ユキ』ちゃんを………捜し出さなきゃ……。ね、……『ハルヤ』……さん………」
そう呟きながら、アキは眠りの淵に堕ちていった。
「……ごめんね、アキ」
…。
「んっ……」
「あ、おはよう。アキさん。目は覚めた?」
辺りはすっかり日が落ちて、部屋も電気を点けていないので、真っ暗だった。
「……ん。んん、っっ!!」
アキは自分に起きている異変に気付いたようだ。
手足は縛られて身動きが取れず、口にも捻った布を詰められている。そして、一つも衣服を身につけていなかった。
当然、ドリンクに睡眠薬を仕込んだ私がやったことだ。
「ビックリしていると思うけど、別に怖がらせたいわけじゃないんだ。説明が終わったらすぐに外してあげるから、安心してね?」
そう伝えたが、アキは必死に暴れた。
お構いなしに言葉を続ける。
「前に『私には趣味が三つある。』って言ったね。説明したいのはそのこと。アキさんも知りたいって言ってたよね?」
私は手に持っているペティゴを相手に見せる。
「ペティゴは、キミも知ってるように
顔を
「……筋肉って使わなきゃすぐに衰えるよね。脳も筋肉と同じでね。植物状態よりももっと脳の機能を使わずに、AIだけで生きていくとすぐに退化しちゃうんだ。これは実際に実験してわかったんだけど、ペティゴを違法改造したこの人格妨害AIを装着すると一ヶ月も満たないうちに人間性が無くなるんだよ。こんなふうに、ね」
寝室の扉を開ける。
扉の向こうに『
「これが私の趣味だよ、アキさん。人をペットにすること。これが一つ目の趣味」
『
アキはより一層暴れる。しかし、努力虚しく、堅く縛られたロープは決して解けない。
「この違法ペティゴを取り付けられるって思ってるんだね。大丈夫。取り付けたりなんかしないよ。もう必要ないからね。これは次の『ペット』に再利用させてもらうよ」
「っん……っ゙!!!」
「アキさん。キミが家に来てからのこの一ヶ月間は本当に楽しかったよ。さすが私の親友だね。……この違法ペティゴで妨害してたから、アキさんにはその間の記憶はないと思うけど」
アキは目を見開く。
そして、まんまるとした黒目を揺らしながら、ゆっくりと下へ落ちていく。死角になっている自分の首元を見ようとするように。
自身の首に、すでに取り付けられているペティゴに気が付いたようだ。
「今、キミがキミたらしめてるのは人格補助人工知能、その首のペティゴのおかげだ。このペティゴが身体から外れれば、キミは人間性を失い、『ペット』になる」
ふふっ、と私の笑い声が夜に溶ける。
「AIの中の人間性のある
ゆっくりと指先を彼女の首元に近づけていく。イヤダイヤダイヤダ……と首を横に振り、最後の抵抗を示す、が。
ぷちっ
静電気が流れるような音がする。それと同時に風木アキは、風木アキだったモノは、抵抗をやめて虚空を見つめはじめた。
すでに眼前の私がだれかも理解できていないだろう。
それを見届けたあと、居間へ向かった。
そして。
『
「これが二つ目の趣味。人格をコレクションすること」
十個目の『
「さて、と。今日はこれからペットショップにでもお出かけしようかな」
新しいペティゴも欲しいし、ちょうど売りたい
「あー、あー。テストテスト。私の名前は『風木アキ』。十九歳。学生。趣味は―――
―――他人の人格で生活すること」
人並みの幸せなんて要らない。
こんな『
ただ『眼鏡置き』くらいの価値があるだけで、自分は幸せなのだ。
『私』は首筋をなぞった。
人格補助AI- ペティゴ 柳人人人(やなぎ・ひとみ) @a_yanagi
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