ウケることなら、誰だってできるんだよね
【005】
「大喜利ってのはぁー、難しいもんだねぇー」
あたしがそうスマホに声をかけると、画面に表示されていたアイドル育成ゲームのオリビアが可愛らしく微笑んだ。ような気がする。オリビアの生きているスマホゲーはいわゆるアイドル育成系カードゲームみたいなやつなので、話しかけたところでカードに描かれた少女は頷くことも微笑むこともない。けれどそこは長年アイドルのプロデュースを続けてきた自分とオリビアとの絆でカバーし、今ではオリビアがあたしに何を言いたいのかが、その変わらない表情からでも読み取れるようになっていた。
今あたしがオリビアとイチャイチャしているのは、大喜利カフェの奥まった部分にあるスペースだった。スタッフルームへ向かう通路の途中にある、ガラス張りの壁に区切られて、ぽっかりと開いたスペースである。スペースの横には男女兼用の個室トイレの扉があり、スペース内の壁には大喜利カフェとは別の会場で行われる大喜利ライブの告知ポスターなんかが所狭しと貼られていた。壁際に沿うようにベンチが置かれていたため、用を足したついでに、カフェスペースに戻る前にオリビアとの逢瀬を果たしているのであった。
「……みんな凄いよなー。お題がパッと出ただけで、すぐにあんな答えが思いつくなんてさー。……あたしだけが才能が無いんじゃないかって、思っちゃうよねえ」
スマホの画面では、尚もオリビアが微笑んでいる。あたしには分かる。彼女はこう言っている。『そうだね。みんなすごいね』と。
そうだ。みんなすごい。答えが出てくるだけでもすごいのに、その上おもしろいことを言えるだなんて。どうしてプロの芸人さんでもないのに、みんなあんなすごいことができるんだろう。
あたしはあれからずっと、一度も答えを出すことができなかった。一応、回答を考えようという意思はある。人の回答を見て、そういうボケ方もあるんだと学ぶこともあり、そこから発想を得ていくこともある。だが、クオリティに自信が無い。出しても、果たしておもしろいのかが分からない。いや、つまらないとすら思える。一度として人前に出しても恥ずかしく無いような、満足のいくクオリティの回答が思いつかず、ついには一度も手を挙げ、ホワイトボードをみんなに見せることもないままに休憩時間を迎えてしまったのだった。
あたしは無意識に、オリビアの頭を撫でていた。画面越しにではあるが。硬く冷たいスマホの画面の感覚が、指に伝わる。
「……やっぱり、才能が無くてつまんないあたしなんて、大喜利なんかやってもみんなに迷惑かけるだけだよなあ……。やらない方が、いいよなあ……」
ガチャリ、と音がした。次いで革靴がリノリウムの床を歩く足音。
あたしはすました顔をして、何事もなかったかのようにスマホを見ている格好のまま固まっている。
コツコツ、という硬い足音はあたしの向かいのベンチに近づくと、入室してきた人物は、そのままそこに腰を下ろす。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………スマホに向かって、話しかける趣味があるのかね?」
聞かれてたんかい!
スペースに入ってきたのは、先ほどまで大喜利の司会を務めていた白梅オーナーだった。友達の前でならばともかく、初対面のお店のオーナーさんに、スマホに向かって話しかけるところを見られるのは少しばかり気恥ずかしかった。
「いや申し訳ないね。別に盗み聞きするつもりは無かったのだけれどね」
そう言って白梅オーナーは、レディーススーツの胸ポケットから煙草を取り出した。一本指に咥えると、慣れた手つきでジッポライターで火を点ける。
「……お客さんの目の前で、煙草吸うんですね」
「吸うんですねも何も、ここは喫煙所だからね。むしろ吸っていない君の方が異端な気もするけどね」
そうだったのか。そう思って見てみると、確かにベンチの横にはスタンド付の吸い殻入れが据え付けられている。
「まあ確かに、今日は吸うお客さんも少なかったからね。気がつかなかったのも無理はないね」
「すみません。出て行った方がいいですか?」
「副流煙が気にならないのであれば、無理に出て行く必要も無いね」
副流煙は気になるな……。そう思いあたしが腰を上げようとするよりも前に、「ただ……」とさらに白梅オーナーは言葉を続けた。
「私個人としては、もう少し君と話をしてみたいとも思うかな?」
「…………」
まあ、わざわざ少し話をしてみたいと言われてしまっているのに、席を立つ理由も無い。あたしは少しだけ浮かしていた腰を、もう一度だけベンチに据え直す。
話をしてみたいと言うだけのことはあり、白梅オーナーはさっそくあたしに向かって言葉を投げかけてきた。
「さっきの、話なんだけどね」
「さっきの……?」
「大喜利なんてやってても、みんなに迷惑をかけるだけ……やめた方がいいかな……ってやつだね?」
「…………」
あたしはさっと目を伏せることしかできなかった。
聞いていたのなら、せめて聞き流してほしかった。触れてなど、欲しく無かった。あたしが不意に漏らしてしまった、弱い心だ。本来ならば、隠し通しておくべき、心の深い闇だ。
白梅オーナーは、ふうっと煙を吐き出してから、言った。
「君は、ウケたことはあるかね?」
「無いですね」
即答した。それは迷わずに答えることができた。あたしは過去に二度、大喜利をしている。サークルに入った時の地獄のようなダダ滑りの大喜利と、今日の何も答えられていない大喜利。ウケたことなんて、一度も、無い。
「ならば一度ウケてみることだね。悩むのは、それからでも遅くはないからね」
「そん、な……簡単に言いますけどね……」
「簡単だからね」
白梅オーナーは。実にさらりと、事も無げに言うのだった。
ウケることなんて、簡単なことだ、と。
「これは私の持論だけどね……」
ふう、と紫煙を吐き出す。その迷いの無いまっすぐな吐息に、あたしの目は引き付けられた。
「ウケることなら、誰だってできるんだよね。ずっとやっていれば、誰でも絶対ウケる時がくるんだよね」
「でも、なら……」
「難しいのは」
あたしの言葉を遮るようにして、白梅オーナーは言った。
「ウケ“続ける”ことさね」
「ウケ、続ける……?」
「そうだね。ずっとずっと、ウケ続けることだね。どんなお題が出ても、どんな状況でも、ずっと面白い回答を出し続けて、ウケて、ウケて、誰よりもおもしろいことを言い続けることだね。私たちはその境地を目指して、もがいて、苦しんで、今日もホワイトボードを手に取るんだよね」
白梅オーナーは、すっかり短くなった煙草を吸い殻入れに捨てると、すっくと立ち上がる。
「『おもしろくなりたい』。その一心を胸に、何度も何度も打ち拉がれながら、夢を打ち砕かれながら、それでも立ち上がり、這いずってでも、前へ前へ……そんな、苦悩する大喜利プレイヤーは、掃いて捨てるほどにいるものだからね」
それでも、とオーナーは言う。彼女の瞳は、もはやあたしのことは見ていない。一介の、初めて来ただけのお客さんの一人に過ぎないあたしのことは、もはや目に入っていない。彼女の見ているものは、どこか遠く。彼女自身もまたその苦悩する大喜利プレイヤーの一人なのだろう。だから彼女は、その足下で……いや、その同じ舞台に上がってすらいないあたしのことなど、見てはいない。眼中にすらない。だからこれは、慰めの言葉ですらない。彼女が、ただ思っていることを、思想を垂れ流しているだけなんだ。
「彼ら、彼女らがそんな死ぬよりも苦しい道を歩んでいるのは……たった一つの成功体験が自らを捉えて離さないからだね。あの夢のような快楽に、もう一度、その身を浸したいからなんだね」
そこでやっと白梅オーナーはこちらを振り向いた。そういえばそんなとこに居たな君は、みたいな顔をして、ひょっこりと顔を向けた彼女は。
「ウケることだね。たった一度だけでいいからね。諦めようとか、迷惑かもとか、そんなことを考えるのは、後ででもできるからね。……この道を往く先輩として、アドバイスできるのは、それだけだね」
それでは休憩の後も、大喜利の時間を楽しんでってくれたまえね。お飲物の追加注文も、いつでも承っているからね。
と、最後の最後でやっと大喜利カフェの店員さんらしいことを言った白梅オーナーは、呆気にとられたままのあたしを喫煙所に置き去りにしてさっさと出て行ってしまうのだった。
回答少女とホワイトボード 鵠 @meteoricswarm
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