第6話

 仁菜が大浴場からほかほかの状態で部屋に戻ってくると、先に上がった真一はテレビを見ながら浴衣姿でビールを飲んでいた。

「気持ちよかった?」

 目だけ仁菜のほうを見て真一は言った。

「うん。足が伸ばせるっていいね」

 濡れ髪を拭きながら、同じく浴衣姿の仁菜は言った。

 タオルを肩にかけたまま、仁菜がリュックの中身を取り出しつつ、真一に質問した。

「何泊くらいの予定できた?」

 明日の洋服を用意しているようだった。

「3泊か4泊くらいかと思ってたけど」

 真一が答えると、仁菜は「うん、わたしも」と言った。

 用意を終えると、仁菜は洗面所へ髪を乾かしに行った。

 ドライヤーの音が洗面所から聞こえてくる中、真一はビールを飲み、かきピーをつまんだ。部屋にあったものだ。

 ドライヤーの音がやみ、洗面所から仁菜が戻ってきた。戻ってくるなり、布団へ入った。

 うつぶせになり、まくらをあごの下にして、真一が見ているテレビを見た。

「聞いてもいい?」

 仁菜が言った。

「ん?」

 真一が振り返ると、仁菜は上目遣いで真一を見た。

「何?」

「ほんとはなんで刑務所入りたいの?」

「え?」

 真一はドキリとした。理由は言ってあるはずである。

「言ったとおりだよ」

 残りのビールを飲み干した。

「あれだけじゃないでしょ?」

 仁菜の言い方には確信が篭っていた。「もっと強烈な何かがあるんでしょ?」

 真一は黙った。

「わたしあなたに殺されるのよ。本当のことくらい知ってたっていいんじゃない?」

 続けて仁菜はそう言った。

 それもそうだな、と真一は思った。この子には全部話そう。

「わかったよ」

 真一は観念して「寝ながら話そう。電気消すよ?」と言った。

「うん」

 仁菜が仰向けに向き直った。

 真一はテレビを消すと電気のコードを引っ張り、部屋は暗くなった。

 仁菜の隣の布団に真一が入る気配がした。

「そうだよな」

 真一が言う。

「ごまかすのはよくないよな」

 仁菜は黙っていた。

「少し長くなるよ?」

「うん」

 真一は話し始めた。



 真一が高校生の頃、付き合っている彼女が居た。彼女と住んでいるところは離れていたが、高校は一緒だった。

 彼女と初めてのキスをし、初めて女性を抱いた。

 極普通の高校生がするような恋愛を二人はしていた。

「絶対に結婚しような」二人はそう約束をしていたし、真一はこのとき初めてプロポーズをしたのだった。

 二人は受験生になり、それぞれ地元の塾に通い始めた。塾の時間まで自習室で。二人で勉強をし、別れて塾に向かう日々を送っていた。

 そんなある日のこと、塾から彼女が戻らないと、真一のうちに電話があった。真一はこの日も彼女とは自習室で別れたきりだった。

 いやな予感がした。

 真一が彼女のうちへ行く用意をしていると、再び電話が鳴った。彼女の親からだった。

 彼女が見知らぬ男に性的暴行を受けたという。

 彼女は今病院だが、行かないでいてやってくれとのことだった。

 真一は頭が真っ白になった。見知らぬ男が彼女を犯した。男を捕まえて、ぶっ殺してやろうかと本気で考えた。

 数日し、犯人は程なくして捕まったが、真一は会うことは許されなかった。


 暫く彼女は入院し、やがて学校に現れた。性的暴行のことは周りの生徒には伏せてあったので、知っているのは真一だけであった。

 彼女は真一を避けた。ショックだった。それでもなんとか二人の時間を作っては、前と変わらずに接しようと真一はしていた。

 そして発覚する。性的暴行による、彼女の妊娠。

 彼女は泣きながらそのことを真一に告げた。真一は頭の血が逆上しそうになった。「俺の子だろ?!俺の子だって言えよ!」そういって真一も泣いた。

 真一は考えた。もう彼女は母親なのだ。おなかの子を殺すことは彼女にとって苦痛ではないのだろうか。それとも見ず知らずの男の子なんて殺してせいせいするのだろうか。

 おなかの子はどうするの?と真一は彼女に聞いてみた。どうしていいかわからないとのことだった。

 真一は腹をくくった。彼女と結婚して、自分の子として育てよう。まずは俺が仕事を始めないと話にならない。受験はやめよう。そう考えた。

 真一は母親にその旨を申し出た。すると母親はヒステリックに、「あんたの人生まで台無しにすることなんてないわよ!」と言った。

 自分が考えに考え抜いたその答えを、こんないわれ方するとは心外だった。真一は彼女を大切に思っていたし、これからもずっと一緒にいたいと思っていたのだった。「レイプなんてされちゃった子は諦めて次の子を探しなさい!それがあんたのためよ!」母親はなおもヒステリックに叫んだ。

 この一言が許せなかった。

 そして真一は冷静に、冷たく、こう言った。

「俺はあんたを心の底から軽蔑するよ。あんたの子になんて生まれて俺はそれだけで不幸だ。この先ずっと恨んで生きていくからな」

 母親は黙った。

 もうこんな母親のことなど無視して、俺は俺の人生を歩いていこう。真一はそう決めて、次の日学校で彼女に結婚しようというつもりだった。

 だが次の日彼女は学校に来なかった。次の日もその次の日もこなかった。

 そして、彼女が死んだという事実がもたらされた。

 自殺だったという。

 真一は、自分も死のうかと思った。でも死ぬ勇気がどうしてもなかった。しかし彼女の居ない人生なんて、真一には考えられなかった。真一は落ち込みつつも、家では荒れた。こと母親には冷たく当たった。「お前がレイプされてお前が死ねばよかったんだよ」とさえ言った。

 真一は、悲しみの淵にいた。なかなか抜け出せなかった。大切な人が死んだのである。しかも自殺で。俺が救うべきだった人なのに、俺は何も出来なかった。寧ろ俺が自殺に追いやったのかも知れない。そのことが真一自身を責めていた。

 そして立て続けに、今度は真一の母親が自殺した。

「私なんて、居ない方がよいのです」という書置きと共に。



 真一は話し終えると、少し笑いながら「全員俺が殺したんだ」と言った。仁菜は黙っていた。

「彼女も、彼女のはらの子も、俺の母親も、全員俺が死に追いやったんだ」

 仁菜は体を起こして真一のほうを見た。暗いので良く見えなかった。しかしそっと、横を向いている真一の肩の辺りに手を置いた。

「誰にも、どうにも出来なかったんだよ・・・」

 仁菜はそういうのが精一杯だった。真一の気持ちは計り知れない。

「優しいんだな」

 そういう真一の声は笑っているように聞こえた。

「というわけで、俺は刑務所に入って一生刑務所で過ごしたいわけだ。充分それに値することをしたんだからな」

 仁菜は手を引っ込めた。そして黙っていた。

「そして更に一人殺して、しかもバラバラにして死体を棄てるんだから、もうこれ以上はないよな」

 真一は仰向けに向き直った。仁菜は布団に入りなおした。

「話してくれてありがとう」

 布団の中から仁菜は言った。

「いや。話すべきだった。もう寝よう、明日は京都だ」

「うん、おやすみ」

 仁菜が言うと

「おやすみ」

 真一もうそういった。

 二人は暫く寝付けなかったが、一言も話をすることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仁菜 キヅキノ希月 @kzkNkzk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る