第5話

 道がすいていたので、猪苗代湖から東京に入るまで3時間ほどで済んだ。

 ちょうど辺りも暗くなっていた。

 犯行を実行するには早い時間だが、雰囲気だけでもわかればと、二人は港に向かった。

 まず向かったのは東京湾であった。東京湾の、なるべく栄えていない、人が寄り付かないところを車から探し、めぼしい所を見つけ車から降りた。

 そこからかなり歩いて、やっと海に面した場所に辿り着いた。

「東京湾って広いねー」

 仁菜はあたりを見渡した。コンビナートが立ち並び、ひとっけはまるでなかった。

「横浜湾はやめて、ここに体二つともどぼんどぼんしようか」

 仁菜が提案した。

「それでもいいの?」

「うん、横浜湾は小さすぎて、逆に見つかっちゃうかなーって」

「たしかにそうかもしれない」

 仁菜の言うとおり、横浜港は東京湾に比べて狭いし、賑わっている。釣り人もそれなりにいるだろう。やりにくいのだ。

「じゃあここに、体二つどぼんするよ?」

「うん、しっかり錘つけてね」

「OK」

「あっあと、腸にガスがたまらないように、おなかずたずたに切り裂いてね。胃もそう。兎に角ずたずたにしてね」

「わかった」

 死んだ後のこととはいえ、自分の体をずたずたに切り裂いて欲しいなんて、本当に仁菜は変わっている。真一はそう思った。

 でもそれが仁菜の望みなら、やるしかないと真一は思っていた。

「じゃあここはここらへんでいいとして、お宿向かおうか」

 仁菜は、ここに自分の胴体が棄てられるというのに、実にあっさりとそう言ってのけた。

「そうしよう」

 真一はなるべく周りの景色を目に焼き付けながら、そう言った。真一は再びここにこなければならないのだ。仁菜がここでいいと言った、その場所に確実に来たかった。

 二人は車へと戻った。


 そこからまた高速に乗り、静岡のあたりで降りた。

 走りながら車の窓から適当に宿を探し、仁菜が「あそこは?」と指差した旅館をたずねてみることにした。

 旅館の前に車を停め、フロントに入ると「いらっしゃいませー」と仲居さんに迎えられた。

「二人なんですが、部屋空いてますか?」

 真一がそういうと、仲居さんは確認のため「少々お待ちください」とひっこんでいった。

 数分後「一部屋だけなら空いてますけど・・・二部屋ご希望でしたか?」

 仁菜と真一は顔を見合わせた。一瞬見つめあったのち、仁菜が「一部屋でいいです」と無表情に答えた。

 真一は「ならほかのとこ探そうか」と言おうとしていたのだが。

「ではこちらへどうぞ」

 靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、仲居さんについて旅館内を歩いた。

 途中、「こちらが大浴場になっております」と説明された。仁菜は「お風呂!」と声を上げた。

 大浴場を通り過ぎて角を曲がると、そこが部屋だった。

「こちらになります」

 仲居さんはふすまを開け、中に入っていった。

 続いて真一と仁菜が入っていき、靴を脱ぎ、畳を踏んだ。

 部屋は一般的な旅館といったところだった。

 畳の部屋に、真ん中に木のテーブルがあり、お茶菓子やポットなどがあった。

「お茶、おのみになりますか?」

 そう仲居さんが言うので、頼むことにした。

 仁菜と真一は背負っていたリュックサックを共に下ろして、床に置いた。そして自然な流れでテーブルについた。

「どうぞ」

 淹れ終わったお茶をそれぞれの場所に置き、仲居さんは「ではごゆっくり」と部屋を出て行った。

 仁菜は無表情でずずずとお茶をすすり「お茶菓子あるんでしょ?」とお湯飲みが置いてあったあたりを探った。

「あったよ。はいどうぞ」

 お茶菓子を二つ手にして片方を真一に渡した。

 真一はいささか緊張していた。まさか一部屋に二人で泊まるとは思っていなかったのである。

「二部屋のほうがよかったんじゃないの?」

 真一がそういうと「なんで!」と仁菜は意外そうにした。

「いい?わたしたちは一蓮托生。恋人なんかよりもっと上の関係。戦友とも言うかな。兎に角男女の中なんかじゃないの。関係ないのそんなの」

 仁菜がお茶菓子を食べながらそう言った。おなかがすいているのだろう。

「なるほど」

 真一は先ほどの緊張が解けてゆくのを感じた。男女の中ではないのか。それなら安心だ。

 真一はお茶菓子の包みを剥がし、口に運んだ。

 やわらかい生地の中に、あんこがつまっている。よくあるお菓子だった。

 仁菜はお菓子を咀嚼し、飲み込み終えると、リュックからスマートホンを取り出し、地図アプリを開いた。

「こんなところに今居るんだ」

 仁菜がそう呟いた。

 真一はナビをみて運転しているので、大体の居場所は把握していた。

「おすし屋さんがある」

 仁菜はいい、真一の方を見た。

「行こうよ。おなかすかない?わたしぺこぺこ」

 無表情でおなかを摩る仁菜。

 真一のおなかもぺこぺこであった。

「じゃあいこう」

 二人は立ち上がり、すし屋へと向かった。


 すし屋は回転すしだったが、海に近い所為か、どのネタも美味しそうだった。

 席に着くとお絞りとお茶が運ばれてきた。

 仁菜はまずそれを熱そうにすすった。

「しらす丼とかじゃなくてよかったの?」

 手を拭き、笑いながら真一がそういうと

「海のものにはかわりない」

 そう言って仁菜は回っているお皿を取り、醤油をつけるとおすしを早速口の中に放り込んだ。

「美味しい!イカ、イカすごい美味しいよ!」

 口に手をやりつつもぐもぐしながら仁菜は興奮気味に言った。

「じゃあイカ食べてみるか」

 そういって真一は回っているおすしの中からイカを選び、自分の前に置いた。

 食べてみると、イカはやわらかいが歯ごたえがあって、確かに美味しかった。

「うん、美味しいね」

 そう言って仁菜をみやると、仁菜は今までで初めて、一番大きく笑った。

 それを見て真一はドキリとした。あまりに可愛かったのである。仁菜はこの下見旅を楽しんでいるようだった。自分のバラバラになった遺体を遺棄するところを下見する旅。

 そんな風にまわりに映るはずも無く、真一と仁菜はおそらくカップルとして見られているのであろう。

 もし仮にカップルだったとしたら、それは美男美女のカップルであった。仁菜は可愛らしいし、真一はイケメンでおしゃれ眼鏡をかけている。二人とも細身で、背のバランスもよかった。

 しかしこの二人は殺人を犯すのだ。一人は被害者、一人は加害者。しかも遺体はバラバラにして、日本各地に棄てる。切り取った頭は早朝渋谷に放置。残忍極まりない事件になる。日本中が湧くだろう。そして犯人はすぐ捕まり、事情聴取が行われる。真一の刑を決める、裁判も行われるだろう。

 イカをほおばりながら、真一は少しそんなことを考えた。世の中は煩いだろうな。早く俺は刑務所に入りたい。静かに過ごしたい。裁判なんてしなくていいのにな。そう思っていた。

 先ほど見た仁菜の笑顔は可愛かった。俺はこの子を本当に殺せるのだろうか。そして体を切り刻み、バラバラにして、持ち運び、棄てる。この子が死を怖がっていたりするのなら、とても酷いことをすることになるだろうが、これはこの子の望みなのだ。残忍な手口だろうけれど、それが望まれていることなのだから、しかたがない。

 恐らく俺と同じような気分で日々を過ごしているのだろう、仁菜は。

 真一は思った。

 自分から愛するものを奪った世間を憎めど憎めど憎みきれず、そんな世間で生活するのがいやなのだろう。そして笑顔を失った。さっきのはまぐれだ。

 真一は次のお皿を取り、ほおばった。青魚だったが、種類までは見なかった。しかし旨かった。

 矢張り一人ではなく、誰かと食べる食事は美味しいなと思った。

 仁菜も二皿目に手を伸ばし、ていねいにネタに醤油をつけ、口に入れた。「えんがわもおいひい」頬張りながら仁菜は言った。


 仁菜は、おすしなんてもう最後だろうな、と思っていた。しかもこんなネタが新鮮な美味しいおすしで締めくくれるなんて、日本人として正しいおすしを食べた、そう思った。

 口の中のものを飲み込み、お茶をすすった。こんなに美味しいものを食べても、いまいち幸せとは何なのか判らない。美味しい、そう思うだけなのだ。わたしを支配しているのはあの時からずっと続いている虚無感。なぜここに彼が居ないの?というやり場の無い疑問。そうして押し寄せる脱力感。何かを感じれば、同時にこの三点も感じることになる。だからわたしは何も感じたくない。早くバラバラになって各地に棄てられたい。バラバラになれば何かを感じることもない。

 仁菜は一層強くそう思っていた。


 二人はそれぞれ考え事をしながら、無言でおすしを食べていたが、三皿目を平らげると仁菜は「もうおなかいっぱい」と言った。

「早いね。少食なの?」

「割とね」

 仁菜はお茶をすすった。

「俺はもう一皿くらい食べようかな」

 真一は最後の一皿をどのネタにしようか、回るおすしを眺めた。

「あっ」

 同じく回るおすしを眺めていた仁菜が言った。

「なましらす、あったね」

 そこには軍艦巻きのなましらすが美味しそうに光りながら移動していた。

「食べちゃえば?」

 真一はけしかけた。「でも」仁菜はおなかを摩り「もうおなかいっぱい」と言った。

「じゃあ半分こしようか?一巻ずつ」

 真一がそう提案すると、仁菜は表情を心なしか明るくした。

「いいの?」

「俺も静岡のなましらすは食べてみたい」

 仁菜の答えを聞くのをまたずに、なましらすのお皿を真一は引き寄せ、テーブルに置いた。

 そのうちの一巻を自分の小皿に乗せると、なましらすの軍艦巻きが一巻残ったお皿を仁菜に渡した。

「はい、食べときな。きっと美味しいよ」

「そうだね、ありがとう」

 仁菜は小さくいい、お皿を受け取った。

 器用にちょびっとだけ醤油をしらすにかけると、仁菜はそのまま一口で軍艦を頬張った。

 真一はそれを見てから、同様に醤油をかけ、同様に頬張った。

「おいひい」

「んまい」

 なましらすは時期かどうか判らなかったが、とても美味に二人には感じた。

 ほぼ同時に咀嚼し終え、飲み込んだ。

「食べてよかった。ありがとう」

 お茶をすすりながら仁菜は言った。そして、お茶がなくなったのだろう、湯飲みの中を覗き込んだ。

「あがりもう一杯飲む?」

 それを見て真一はそう言った。

「いや、もういいや。おなかいっぱいだし」

 仁菜はコトンと湯飲みをテーブルに置いた。そして首を少し傾け、顔だけ真一を見てからこう言った。

「真一さんは優しい男の人ね」

 真一はそんな風に言われたのは意外だった。

「なんで?」

「気が利く」

 仁菜は即答した。少し笑っていた。

「普通でしょ」

 真一はお茶をごくり、と飲んだ。湯飲みを置くと「いこっか」と言った。

 ぶんっと大きく仁菜は頷いた。そして食べた分のお皿を数えた。お財布を開けて千円札を二枚取り出すと、真一に渡した。

「え、いいのに」

 真一が意外そうにそういうと「今度のガス代、わたし出すから」と仁菜は言った。

 これはデートではないのだ。

 殺人を、犯す側と犯される側の協議旅行なのだ。真一が奢る必要などなかったのだ。

 真一は千円札を受け取ると「ありがとう」と言い、お店の人を呼んで締めてもらった。

 レジでお金を払い、外に出ると、仁菜が「いいお店だった」と言った。

「そうだね」

 真一はそういい、しかしもう二度と来ることはないだろう、と考えた。

 海風だろうか、風が強く吹いていた。

「帰ってお風呂入る」

 仁菜がそういい、来た道をずんずん歩き始めた。

 真一はそれに早足でついていった。

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