第7話 真っ黒なそのお茶碗。
「…いやだ!病院になんて帰らない!!」
先月から入院していた精神病院から、症状が軽快したからと一時的に自宅へと帰宅をしていた母親は、病院に戻る予定の時刻が近づいてくるにつれて突然「帰らない!」と騒ぎはじめた。
突然のわがままに、すっかりと困り果ててしまった私達を目の前に、何故か私の旦那の顔をぶん殴り、風呂場のドアを閉めて立てこもる母。
暴力をふるった側であるにも関わらず、これまた何故か途中で自分で警察に電話しようともしていたが、あれはもう見なかった事にしておこう。
母の様子がおかしくなりはじめたのは、昨年の3月頃。父親の足に腫瘍があるのが見つかり、一緒に介護をしていた最中の出来事だった。
もともと気が強く、何でも一人でこなしていたような強い母親が、今では何か一つでも自分が気にくわない事ができてしまうと、自分の希望が叶うまで泣きじゃくる、まるで駄々っ子のようになってしまっていた。
旦那と二人がかりで何とか精神病院へと連れていき、担当の看護師さんに状況を伝えると、すぐに主治医がやってきた。
「…今本人との面談をしましたが、今は落ち着いているようなので、ひとまず保護室へは移動しなくても済みそうですね。」
主治医のその言葉に、ほっと胸を撫で下ろしたと同時に、認知症でもなくただの軽い精神不安定だという診断に、私達は思わず顔を曇らせずにはいられなかった。
「…やっぱりお墓を一度見に行ってみた方がいいんじゃない?」
帰りの車の中で、旦那がそう呟いた。
実は、母親の様子がおかしくなり始めた時期に、旦那の家系に昔からゆかりのある神社の神主さんに、母親の事を聞いてみた事があったのだ。
その時の神主さんから言われた言葉は、「あなたの母方のお墓に、水が溜まるとか流れ込んでるとか…例えば土砂が崩れるか土が流れたようになった場所がある。墓に塩を持って行って境界を引きなさい。」
母方の墓があるお寺の場所からは往復4時間以上かかる神社に勤めるその神主さんには、母方の墓の場所や状況など分かるはずもない。
もちろん墓参りにはこまめに母が毎月行っていたし、母が倒れてからは、母方の親戚が変わりに時々参りに行ってくれていた。
私達は父方の墓参りを頼まれていた上、父と母との同時介護に追われていた為、なかなか自宅から片道1時間以上もかかる母方のお墓へは、足を運べずにいたのが現状であった。
「…絶対何かあるんだよ!だってこんなに墓参りをしようとしても出来ないなんておかしいじゃん!」
そう言って旦那はさらに言葉を続けた。
…そう…神主さんにそう言われてからというもの、何度も母方の墓参りを二人でしようと試みてはいたのだが、その度に突然急用が出来たり、天気が悪くなったりと、なかなかタイミングが悪く実行出来ずにいたのが実際の所だった。
「…明日は何がなんでもお墓参りに行くから…!!」
そう旦那に宣言されたものの、案の定当日の朝から悪くなる私の体調。
「…今日はちょっと…」
久しぶりの強い偏頭痛に、そう力なく答える私の腕を掴みながら、
「…ダメ!今日行かないと絶対にダメな気がする!車で寝ててもいいから、一緒に行こう!」
という旦那。
いつもは私の体の事を一番に考え、決して無理強いをしない性格のはずの旦那が、珍しく見せるその強い気迫に、すっかりと押された私は、仕方なくしぶしぶ墓参りへと向かっていったのでありました。
「…お墓、どれ?」
母方の墓が置いてあるお寺の敷地内に並べられている無数のお墓を眺めながら旦那が尋ねてきた。
「…どこだっけ~?前に来た時とはかなり様子が変わっているからな~…」
綺麗に舗装されている坂道を登り、すっかりとあがってしまった息を必死に堪えながら私は答えた。
鬱蒼とした竹藪に囲まれていたはずのその墓地は、いつの間にかすっきりと伐採されており、遠くの街並みまで見渡せるようになっている。
まるで獣道のようだった道も、今では綺麗にコンクリートで舗装されてしまっていた。
数年前に来た時とは全く異なった景観に少し戸惑ってしまったが、何とか母方の墓を見つける事が出来た。
「…あ!あの墓だ!」
ようやく母方の墓を見つける事が出来た私が、そう言って指を差すと、母方の墓の側には黒いお碗のような食器が裏返って落ちているのが目に入った。
「…神主さん、水がどうとか言ってたけど、もしかしてあれが実はウチの墓の水入れか何かで、それが落ちてるよって事だったのかな?」
私はその黒いお碗には全く見覚えがなかったが、数年間私がこなかった内に、誰かが新たに使いはじめたのかと思い、旦那に向かってそう言った。
「今年台風多かったしね。確かにそうかも…」
私の言葉に対してそう答えながら、旦那がそのお碗を拾いあげてみると―――――…
なんとお碗が被せてあった場所の地面の土からは、ひょっこりと顔を覗けた骨壷の姿が…
その瞬間、頭の中に神主さんから言われた言葉が蘇ってきました。
…水が溜まるとか流れ込んでくるとか、例えば土砂が崩れるか流れたようになった所がある。
なんと神主さんの言うとおり骨壷の上の土は、まるで大雨か何かで流れたかのようにすっかりとなくなり、その墓自体も土台の土が流れてしまって、母方の墓にでも寄り添うかのように斜めに傾いてしまっています。
もちろんその骨壷は、ウチの物ではなく隣のお墓のものに間違いがありません。
「…こんなに土から外に出てしまっていたら、いくらこんなお碗を置いても絶対この骨壷の中に水が流れ込んでるでしょ。何なら中にあった小さな骨とかも少し流れ出てるんじゃない?」
その瞬間、再び私はその神主さんの言葉の続きを思い出しました。
そして同時にずっと分からずに不思議に思っていたその言葉の意味をやっと理解する事が出来たのです。
多分隣の骨壷からは、旦那の言うとおり骨が流れ出てしまったか、もしくはこの骨壷の上や中を通って、母方の墓の前へと水が流れてきていたはずです。
そして母方の墓の土と、その骨壷から流れ出した土や骨の一部が混ざり合ってしまった事で、その骨壷はもしかしたらどこが自分の墓なのかが分からなくなってしまっていたのではないかと。
そして、毎月お参りに来ていた母を、自分に縁のある人間であると勘違いしてすがりはじめた。
だから神主さんは、『塩で境界を引きなさい。』って言われたワケだ。
つまり、『こちらはウチの墓で、あなたのお墓はあっち。』ときちんと線引きをしてその骨壷に教えてあげる為に…
私達は、神主さんに言われた通り塩で境界を作ると、お寺の方にその骨壷の事を報告して帰りました。
帰り道にふと初めてこの墓地に来たはずの旦那が、
「…あのお碗、ずっとどっかで見たことあるな~って思ったんだけど…そういやあれ、前に夢の中で見たお碗だったわ。」
…な~んて呟いていましたけど、それはもう聞かなかった事にしておきます。
それから母はどうなったかって…?
…さぁ?
ひとまずこれは私達の身に、昨日実際に起こった出来事なので、また何か変わりがありましたら、ここでご報告いたしましょう。
奇怪・雑『見聞』録 むむ山むむスけ @mumuiro0222
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