トローチ

 説明しよう! 須田尚人は凄いヘタレである。勘違いしてはいけない。「凄く」ヘタレなのではなく、「凄い」ヘタレなのだ。頭脳明晰、才色兼備、高学歴、高身長、特技はバイオリンで、趣味はワーグナーを聞きながらお茶をすること、実家は開業医で一人息子、などなど。この世に存在するステータスの全てをこね合わせてからオーブンできつね色になるまで焼き上げたような男である。だが何度も言おう。須田尚人はヘタレである。


 大学生活四年目の春、尚人は一人の女性に恋をした。彼女は研究室に入ってきたばかりの二年生。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、整った口元から滔滔と美しい理論が紡ぎだされ、早くも須田の次を担う期待の星として、将来を期待されている。しかしながら彼は困った。言い寄られたことは星の数ほどあっても、自分から求愛するなど初めてだったからである。悲しきかな、物は物理式に従って世界を動くが、心の機微を解く計算式はまだ存在していない。そこで彼はどうしたか……。


 説明しよう! これは千葉が生んだ大天才須田尚人が4か月を掛けた世紀の大発明、S0231である。この飴に似た錠剤を飲んだ者は、数分のあいだ昏睡状態に陥り、どんな質問にも正直に答えるようになるのだ。これを使って彼女の気持ちを聞き出し、好きと言われれば告白すればよい。真の智者は勝てる戦しかしないものだ。

 

 彼はさっそく、チャンスをうかがって計画を実行に移した。実験がひと段落して教授は帰り、休憩室には彼女と二人。

「一宮さん、これ……」

 その刹那、彼の脳内に雷が走る。なんの脈略もなく異性にプレゼントをするなど、もはや求婚と同義ではないか。もしいらないと言われようものなら、かの白村江の戦いに勝るとも劣らない大敗北である。彼は瞬時に解決策を導き出す。そうだ、冬まで待とう。寒くなれば、彼女が咳こむ場面などもあろう。その時に、トローチとして渡せば大義名分も立つ。動かざること山のごとし。彼は緊張から解放されてほっとしたのか、彼女が淹れてくれたコーヒーをゆっくり啜った。


 説明しよう! これは21世紀を代表する女性科学者が発明したM4120である。コーヒーのような見た目と香り、そして味を実現することで、自白剤を用いる時にネックであったばれやすさを克服。これを使えばどんな相手も簡単に秘密を吐露するであろう。



 さて、冬の陣の結末については説明する必要もないだろう。彼女がなぜこんな発明をしたのかに思いを馳せるならば、非常に惜しいものではあるが。しかしながら歴史にもしは存在しない。歴史家がこの事件を書き記すなら、この一行で済むことだろう。須田尚人は凄いヘタレであった。


 ★トローチ(troche)

 口の中に含んでゆっくり溶かし、口内の殺菌・消炎、咳 (せき) 止めなどに用いる錠剤。この時期、僕も大変お世話になっております。

 「吐露/徒労の知」でトローチ。最初は「吐露血」で考えてましたけど、血なまぐさくなりそうでやめました。やっぱコメディが書きたい。

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1000文字外来語辞典 灘田勘太 @nanndakannda

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