五月闇

綿貫たかし

五月の雨はなかなか止まない

【主な登場人物】



 倉木遼平…主人公。高校二年、放送部員。


 沢村理子…高校二年、放送部副部長。遼平と同じクラス。


 坂井由希…理子の親友、遼平たちとは別クラスに所属。


 木野美咲…高校三年、放送部部長。


 田宮祐二…高校一年、放送部員。


 安本和美…放送部顧問。














梅雨の季節は憂鬱だ。


周りを山々で囲まれたこの箱庭には、気分転換する娯楽施設も少ない。

身体を動かせるようなスポーツ施設は屋外のものだと使用できないし、屋内施設は運動部に占拠される。


文化部のなんとも身の狭いことか。

晴れているなら僕らの城、雨が降れば校内に溢れる運動部系生徒の存在は、向こうに敵意がなくともなんとなく恐ろしい。


休日に外出するにしても、この時期の荒れた天気ではそんな気も起らない。

そもそも雨天時は学園と最も近い町とを結ぶ学園運航バスの本数自体が少ない。

そしてご存知の通り、山の天気は変わりやすい。出かけようと思っていた時間に雨がやまず、やっとやんだ時にはもうバスがないなんてことはざらだ。

なので僕らが如何に出かける計画を立てようが予定通りにいくことのほうが少ない。


つまり何が言いたいかというと、とにかくうちの学園で過ごす梅雨は憂鬱で仕方がないということだ。



「倉木……、おいっ倉木遼平! 問三答えてみろ」



そして、そんな梅雨の午後一の数学は死ぬほど眠い。思考の渦に呑まれていた直後で、教師の言う問三とやらがどこの問三なのかさえ定かではない。



「……」



どうしたものかとぼーっと教科書を眺めていると、隣の席からそっとノートの切れ端が差し出された。



「るーと、さんです」

「……正解だ、ちゃんと集中しろよ」



 念を押すように僕に視線を投げてから、教師はその“るーとさん”とやらになる問三の解説に移った。


 自分から視線が外されたことを確認し、隣の席へ顔を向ける。沢村理子が少々咎めるような表情でこちらを見ていた。



「……答え、さんきゅ」

「うん、でもちゃんと聞かないとだめだよ」

「へいへい」

「もう……」



 沢村は仕方がないなあとでも言うように、ふんわりと笑った。僕はこの笑い方をする沢村理子が好きだった。


 好きだったのだ。





















 沢村理子が死んだのは、その出来事の一週間後だった。



























「嘘だろ……。先輩、洒落にならないドッキリはやめましょうよ……! 俺こういうの苦手なんすよォ……」



 震える声で膝を抱え、虚空を見つめているのは一年の田宮。先程からうわ言のように同じような内容をつぶやいている。


 事件の知らせがあってから三十分後、会議室には放送部員である僕と同年の坂井由希、高三で部長の木野美咲先輩、一年の田宮祐二、そして顧問である安本和美先生が集められていた。


 当然ながらここに沢村理子の姿はない。


 坂井は落ち着きなくあっちを見たりこっちを見たり。

先輩はノートに何か書きこんでいる。

先生はこの中で唯一の大人でありながら一番落ち着きがなく、座ることなく行ったり来たりを繰り返している。

そして田宮はあの様子だ。

先輩のペンを走らせる音、先生のヒールの音、窓の外から聞こえる耳障りな雨音以外は無音。



「なぁ……、いつやむんだろ」

「はぁ?」

「雨」

「……ッあんた、こんな時に」

「いつ、やむんだろうな」



 梅雨入りから一週間と少し、まだ雨はやまない。

 僕の様子に呆れたのか、坂井はまた視線を彷徨わせ始めた。


 先生の会議室内往復がそろそろ二桁に入るかどうかというようなタイミングで、教頭が入室してきた。やけに悪い顔色で、しきりに汗を拭いている。



(それもそうか……在校生の変死体が見つかったんだから)



そう、沢村里子は変死体で発見された。

教頭に続いて、校長が現れる。

教頭よりは幾分か落ち着いているようだが、やはりその表情は硬い。



「えー……君達を集めたのは亡くなった沢村さんについて聞くためなんだ。辛いかとは思うが、協力してください」

「校長先生、普通このようなことは警察がするのではないでしょうか」



先輩がみんなの思っていたであろうことを尋ねる。

いくら辺鄙なところにある学園といえども、車を飛ばせば一番近い町から一時間半。

一般生徒に情報が伝わるまでに教師達の話し合いが一時間はあったので、僕らがここで待たされていた時間から考えても、そろそろ警察が到着してもおかしくはない。



「それが、連日の雨のせいで地盤が緩んでいたようで、学園から三十分ほどのところで、土砂崩れがあったらしい。復旧のことを考えると、到着まで二日ほどかかるそうだ」

「そんな……! じゃあ警察が来るまで理子はあのままってことですか!」

「あぁ……そうなってしまう」



 沢村理子の遺体は、発見された視聴覚室に安置されている。素人が下手にいじるわけにもいかず、せめてもということでシーツが被せられていた。

瞼の裏に焼きついたように、沢村理子の遺体の光景が離れない。



「少しでも事前に彼女の交友関係について聞いておいて欲しいということで、集めさせてもらった」

「……なら、まず僕らだけで話し合う時間をくれませんか。僕らもまだ落ち着けないんです」

「あぁ……では、安本先生」

「は、はい」

「後のことはよろしく頼みましたよ」



それだけ告げて、校長達は退出していった。

ぎぃ……と立てつけの悪い扉が閉まる音を聞いてから、ふっと息をついた。



「なんで、今さら私達だけにしてくれなんて言ったのよ」

「こういう事実確認みたいな作業をするのに、冷静さは不可欠だろ」

「……あんた、なんでそんなに落ち着いてられるのよ」

「落ち着いてなんかいない」

「嘘よ!」

「嘘じゃない!」



気がつけば、みんなの視線は僕と坂井に集まっていた。



「……二人とも、落ち着こう。先生も、とりあえず座ってください」

「え、ええ……」



 先生が着席したことをきっかけに、僕らは場を仕切りなおすことにした。

 議長は木野先輩。そして議題は沢村理子について。



「まずは、彼女の様子がおかしかったってことはなかったかな、ここ最近で」

「別になにもなかったと思いますよ」

「……私もよ」



 先程のやり取りが腑に落ちないのか、まだ坂井は不満げだ。



「先生はどうです?」

「ちょっと待ってくださいよ! なんでッ、なんでッスか……、なんで先輩達みんなそんなすぐ受け入れられるんですか……ッ!」



 急に立ちあがったのは先程まで虚ろな様子だった田宮だ。



「なんでって言われても、落ち着く以外に今できることがある?」



坂井は僕に何故落ち着いてられるのかと聞いたが、この場で誰よりも落ち着いているのは先輩だ。

その証拠に冷静さを失った田宮にすぐ切り返したのは先輩だった。



「だ、だって、理子先輩が亡くなったんですよ!? なん……なんで、ですか? なんで……」

「私達も落ち着いてるわけじゃないの、でもそうしないといけないの。それが沢村さんのためになるから」

「理子先輩の……」

「……少しは落ち着いた?」

「はい……」



 やっぱり先輩は落ち着いている。



「……で、どうするんですか、先輩。私達で話し合ってても仕方ないと思うんです。大体、なんで私達だけなんです? 理子は友達だって多いタイプですし、部活内のコミュニティだけで話し合って、何の意味があるんです?」

「さぁ……? でも実際に私達はここに集められているんだもの。先生方の決定でしょう」



 みんなの視線が一斉に集まり、先生は慌ただしく立ち上がる。



「え、ええ。沢村さん、部活動に積極的だったし、今日、昼休み放送の当番だったし………………それに発見者が二人もいるから」



 気まずそうに、僕と坂井の間を視線を行ったり来たりした後、しゅんと座り込む。



(おいおい……勘弁してくれよ。これじゃまるで………)



「ちょっと、先生やめてくださいよ! それじゃまるで、私が疑われてるみたいじゃないですか!」

「坂井だけじゃなく、僕もね……実際どうなんです、先生?」

「ど……どうって、何が?」

「疑われてるんでしょう、僕ら」



実際問題、疑われるのは仕方がない。

僕らは部活仲間で、同級生で、第一発見者なのだから。



「そんなっ、私が理子を殺すわけないじゃないですか!」

「い、いや! ね? 私だって二人がそんなことするなんて思ってないわよ? でも……」



 激昂した坂井を落ちつかせようと、慌ててフォローを入れる先生だが、言葉尻は自信なさ気に萎んでいく。


 そんな様子を見て田宮は「まさか……」と言葉にならない声でつぶやいた。

 微妙な雰囲気が流れ、先生が助けを求めて先輩を見つめると仕方がないとばかりにため息を吐く。



(これじゃ、どっちが教師で生徒かわからないな……)



「もう、どっちが教師なのよ!」

「……まぁ、落ちつきなよみんな。あくまで第一発見者ってだけでしょ? 先生達だって本気で疑っているわけじゃない。ただ彼女と最も密接であると判断されただけよ。さっき坂井さんが言っていた通り、沢村さんの交友範囲は広かった。全員を呼んで話を聞くって言うのは、頭のいいやり方じゃないしね?」

「だけど……遼平先輩達、なんで視聴覚室なんかに……?」



 先輩の言葉を聞いても、田宮の感じた疑念は振り払えなかったようで最もな疑問を口に出した。

僕らの潔白を示すには、やはりそのことについての説明は必要になってくるだろう。

坂井の方を見ると、ふいっと顔を逸らされてしまった。


(僕が話せってことね……)


 放課後に人気のない視聴覚室を訪れる二人の男女。これだけで聞くとろくなことじゃなさそうだ。



「僕と坂井が視聴覚室に言った理由、ね……」












【沢村理子 発見直前】


 放課後になり、掃除も済んだ教室内に残る生徒は少ない。教室内にいるのは僕と隣のクラスの坂井だけだった。



「なによ、用って」

「そう威嚇するなよ、皺が増えるぞ」

「余計なお世話よ!」



 廊下を通りかかった生徒が坂井の大声にぎょっとする。

この梅雨の時期だ。教室内にいるのが僕らだけでも校舎内にはまだわんさか生徒がいる。



「ふん……回りくどいのは苦手なの。用件をさっさと言いなさい」

「落ち着けよ、話ってのは沢村のことだ」

「理子の……?」

「あぁ………、とりあえず場所を変えよう」



坂井にそう言い教室を出て歩き出す。

後ろで「どこに行くのか」だのなんだの言っているが、どうも坂井には嫌われてしまっているのであまり気にしないことにする。

でないときりがなさそうだ。


 やって来たのは視聴覚室。



「なんでここなのよ……鍵は?」

「この時間じゃここには誰も来ないだろ? そんで鍵は、ほら」

「……それ、部活用のじゃない」



僕ら放送部は映像編集なんかにも手を出していて、その完成したディスクを鑑賞するのに視聴覚室をよく使う。

なのでここの鍵は、わざわざ職員室に行かなくても部室に行けば勝手に持って来れる。

鍵穴に鍵を差し込むと、回らない。



「あれ……、開いてる?」

「前に使った時に締め忘れたんじゃない? いいからさっさと入って用件済ましましょう」



 ぱっと僕を押しのけ坂井が扉を開ける。そして部屋の中を覗き込み、急に立ち止まった。



「おい、どうし……は?」

「ねぇ、私疲れてるのかしら。理子、寝てる? のよね……?」



 坂井を押しのけ床に横たわり胸の前で手を組む沢村へ近づく。



「もしかして、あんたの用件てこれなの? なによ、二人してドッキリ? しかも……、それ趣味悪いわよ。ほらっさっさと起きなさいよ、理子」



 確かに趣味は悪い。胸の前で手を組んで、その手には白百合が握られている。視聴覚室内の窓辺にある花瓶のものだろう。

まるで、これじゃ。いや、まるでじゃない。



「死んでる……」

「は? だからもうドッキリは」

「ドッキリじゃない」

「え……、は? 噓、でしょ?」



 恐る恐る沢村の手を握る。



「………冷たい」

「噓」

「噓じゃない……、職員室に行って、誰か呼んで来てくれ」

「なんで私が……、いや、なんで、理子が…? え?」

「落ち着け! 僕はここで誰もこの部屋に入らないように見張ってるから! いいから呼んで来てくれ」

「……わか、った」



 頼りない足取りだが、職員室へ向かい走り出した坂井を見送り、僕は視聴覚室の外で坂井の連れていた教師達が来るまで待機していた。












「————そういうわけだ」

「ちょ、待って下さいよ! それは経緯でしょ? そもそもなんで遼平先輩は由希先輩を視聴覚室に?」

「それは……」



言ってしまうのは簡単だが、この状況ではなかなかにリスクの高い行いだ。

ただでさえ向いた疑念を深めてしまいかねない。いや、間違いなく深めることになるだろう。



「いや、ちょっと待って? 一つ聞きたいのだけどいいかしら」

「美咲先輩、なんですか? 俺は今遼平先輩に……」

「大事なことなの」

「………」



先輩から思いがけないフォローが入る。

出鼻をくじかれた田宮は、不服そうな子表情を隠しもせず乱暴に会議室の机に肘をついた。



「ねぇ、倉木君。視聴覚室の鍵は開いていたのよね?」

「ええ」

「沢村さんの遺体は、いつからあそこにあったのかしら」

「それは……わかりませんが、たぶん昼休み放送よりは後でしょう」



 本日の当番であった昼休みの放送では、いつも通りの涼やかな沢村の声が流れていた。



「でもね、おかしいのよ。あなた達が視聴覚室に向かったのって何時頃?」



 教室清掃が終わったのが確か四時頃、そこから他の生徒たちが退出してからなので、



「四時半、少し前くらいだったと思いますよ。私が倉木のとこに行ったの、それくらいなんで」



坂井が答える。

先生はきょろきょろと僕らの顔を見渡し、田宮は眉間に深い皺をこさえながらも耳を傾けている。



「なにが、おかしいんです?」

「私のクラス、六限目に視聴覚室を使ったの」

「えっ、じゃあ一時間もない時間の間に理子は視聴覚室に?」

「それに見たんだけど、視聴覚室の鍵は確かに閉められていたの」

「……え」

「ねぇ、倉木君。あなたいつから鍵を持っていたの?」



 またしても、みんなの視線が集まる。ただし、先程と違い疑念が向けられるのは僕一人。



(はは……笑えないな)



「前日ですよ。坂井を呼び出した件ですが、内容は昼休み放送の後、沢村が教室に戻って来なかったことを話そうとしていたんです」

「戻って、来なかった?」

「えっそれってもしかして」

「あぁ、その時は単純にあいつがサボりなんてどうしたんだと思って、何か悩みがあるとか聞いてないか坂井に確かめようと思って呼び出したんだが……」

「じゃあ、彼女は昼休みの後に殺された、もしくは閉じ込められていたってことね」

「そして放課後になり、先輩のクラスが退出してから僕と坂井が向かうまでの間に、犯人は職員室でくすねたかした鍵を使って、沢村を視聴覚室に……ってことか」

「あ、あの……」



 沈黙していた先生が恐る恐るといった様子で挙手をする。



「……なんです? 先生」

「あのね、わたし今日の戸締りの当番で、だから、その……職員室の鍵は確認したんだけど、木野さんの担任の先生が鍵を返却なさってからは、ずっと視聴覚室の鍵は職員室にあったわ」

「じゃあきっと、犯人はスペアでも作っておいたんでしょう」

「で、でもっ視聴覚室の鍵の管理は特に厳しいの。ほら、前にあったでしょう?」



 おそらく先生が言っているのは、二カ月ほど前にあった、三年生の男子グループがいかがわしいビデオを持ち込み鑑賞した件についてだろう。彼らはそのことで停学を食らっていた。



「それじゃきっと、私らの持ってる鍵からスペアを……ぁ、でも」

「……私達が鍵を所持しているのは、部員が漏らしてなければ一般生徒は知らないことね」



 部屋の空気が今まで以上に凍りつく。この中に犯人がいるかもしれないという疑惑が、疑いようのないものへと昇華し始めていた。











 コンコン、というノック音が静まり返った会議室内に響き渡る。

張りつめていた空気が一気に霧散した。



「は、はい!」

「安本先生、ちょっとよろしいですか?」



 声から判断するに教頭だろう。

先生が慌ただしく会議室を出て行く。



「…………遼平先輩」

「……なんだ?」



 だんまりだった田宮が絞り出すような声で僕を呼んだ。

そして、堰を切ったように話しだす。



「俺ッ……、俺先輩のこと結構尊敬してんですよ! でも、だからもうわかんねぇんですよぉ…なんで、何でこんなことになってんですか……ッ? 俺理子先輩のことも好きだしっこの部活大好きですし! 一年俺だけだけど先輩ら優しいし、そうっすよ優しいんすよ! 遼平先輩だってぶっきらぼうなとこも多いっすけど! 優しいの俺知ってます、だからっ信じてますよ! 信じて………、信じ、て……ッ、う……、くッ………ふッ」

「田宮……」



 きっと本人も何が言いたいのか、僕にどうして欲しいのかなんてわかっちゃいないんだろう。

どうにもやりきれない気持ちだけが膨らんで、膨らんで、溢れてしまったのだろう。

 何故、沢村理子は死んだのか。どうして死ななければならなかったのか。

 きっと誰にも理解できないし、僕にもわからない。


 先輩が田宮を宥め始めたところで、先生が戻って来た。



「た、田宮くんどうしたの?」

「いえ………あぁ教頭先生はなんて?」

「あっ、えっとね、放送室の鍵が見当たらないんですって」

「放送室の……?」

「えぇ、それでうちの鍵を貸してくれないかって」



 放送室の鍵は視聴覚室の鍵と同じく、職員室預のものと放送部預かりのものがある。



「それは構いませんが……ねぇ、誰か持ってる? ……ないか、じゃあ部室ね」

「……それじゃみんなで行きません?」

「はぁ? わざわざ全員で行くわけ?」

「気分転換だよ、気分転換」

「それもいいかもしれないわね」

「先輩まで……わかったわよ、行けばいいんでしょうが、行けば」



 やれやれと言った様子で坂井は僕に睨みをきかせ腰を上げた。

田宮はいつの間にか落ちついたようで、大人しく座っている。

ゆっくりと近づき、声をかけた。



「…………田宮、行こうぜ」

「……はい」











【放送部 部室】


 我が放送部部室は、活動の拠点とも言える放送室の隣に位置している。

基本的には放送室の方が“部室”で、部室は“備品室”のようなものだ。

過去の活動記録や機材、空のテープ等が所狭しと並んでいる。



「えっと……あったあった」



 入口に掛けられている放送室の鍵を取り上げ、坂井が僕の方を見る。



「……なんだよ」

「別に。ただ、やっぱあんたが持ってたのはここにあった鍵なんだー、って思って」



 おそらく視聴覚室の鍵のことを言っているのだろう。あれは確かにここから持ち出したもので、普段なら放送室の鍵の掛かった場所は開いている。



「えっと、みんな? とりあえず放送室を開けない? 教頭先生お待ちだろうし… ……」

「……先生、少し待ってくれませんか?」

「え?」

「美咲先輩……?」



 みんなを部室の外へと促そうとした先生の前に、先輩が立ちふさがるように進み出た。



「私、もっと今回の事件についてはっきりさせたいと思うの」



 いつも通りのポーカーフェイスな微笑みで、先輩が真っ直ぐに見つめていたのは僕だった。











【放送室】


「それで? 一体何をはっきりさせようって言うのよ、先輩は」

「……さぁな」



 僕らを放送室に移動させた先輩は、少し待つように伝えると僕らを残して何処かへと行ってしまった。

詳細を伝えられずにもやもやとした気持ちを抱え、坂井は苛立った様子で貧乏揺すりをくり返している。

先生は教頭達への報告をどうすべきかとおろおろ、田宮は先程の乱心後と変わらずぼーっとしている。


 そんな中、僕はただ一つのことについて考えていた。


 僕にとって先輩は味方か否か。

今思えば、僕に疑念が強く向いた時に場の空気を掌握していたのは先輩だった。

誘導とも取れる先輩の行動…そしてあの視線。


僕はどうすべきなんだ。

これからあの人は何をしようとしている? 何故ここに集めた?



「ちょっと倉木、顔色悪いわよ?」

「え……、あぁ、別に何でも………気にするな」

「気にするなって……」

「みんな、おまたせ」



 戻って来た先輩の手には一冊のノートが握られていた。最初に会議室で先輩がなにか書き込んでいたノートだ。



「それを取りに行っていたんですか?」

「ええ、自分なりに考察をまとめてたから。あ、話を始める前に……やっぱり」



 先輩は話しながら放送機材の前に行くと、レコーダーのテープ取り出しボタンを押した。吐き出されたのは何の題も書かれていないカセットテープ。

流すBGMは必ず題が書かれているので、うちの部でストックしている放送用のテープではないことが分かる。



「……そのテープがどうしたんです?」

「再生すれば分かるわよ」



 もう一度カセットをレコーダーにセットし、再生ボタンを押す。



『〜〜♪皆さんこんにちは、お昼の放送の時間です』



「なッ……」「えっ?」「これ……」「…………」



 みんなが思い思いに驚きを露にする。

 流れ出したのは沢村理子の担当した本日の放送だった。



「は……? なんで、こんなものが?」

「えっ、えっどういうことッスかこれ」

「え、えぇえ?」

「………つまり、先輩は今日の昼の放送の時には沢村は死んでたって言いたいんですね?」

「倉木君は理解が早くて助かるわ。このテープの存在でトリックが見えてくる」

「……探偵ごっこですか、いいですよ。付き合います」



 僕にとってこの人はやはり味方なんかじゃない、敵だ。



「ありがとう……じゃあ時系列からはっきりさせていきましょうか」



 他の部員や先生はこの展開についていけないのか、先輩の作り出そうとする場の空気に飲まれ始めていた。


 雨音が少し強まったような気がした。











「まず、午前中の授業だけれど、彼女は確かに出席してたのよね」

「ええ、そうですよ。出席簿にも載ってると思います」

「そして昼休みに入ってすぐ、彼女は犯人と落ち合い、殺された」

「……いきなり杜撰ずさんですよ。ごっこにしても雑すぎるんじゃありません?」



 そんなことは最初から予想していたことだ。放送後かどうかの差でしかない。



「まぁ最後まで聞いてよ。彼女はまさか自分が殺されるなんて思っても見なかった………だって、殺そうとしていたのは彼女の方だったんだもの」

「………えっ?」

「…………は? え、何でッスか」


「あのテープは彼女が自分自身のアリバイ確保のために用意したものだったのよ。そしてテープが流れている間に匿名かなにかで相手を呼び出し、逆に殺されてしまった。でないと説明がつかない。彼女が自分で用意したものじゃないと、過去の放送のデータを引用したんじゃすぐにバレてしまうもの。だから第三者じゃなく彼女じゃないと用意できなかった。………ここまではいいはね? 本来なら被害者になるはずだった犯人は、彼女の用意した凶器を使い彼女を殺害。そして……」


「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 理子先輩が人を殺そうと……? そんなわけないじゃないッスか!」



 聞くに堪えないというように、田宮が喚き始める。

触発されたように坂井も先輩の言葉に異を唱えた。



「そっそうよ! 理子はそんなこと……」

「しないって、言い切れるの? 人は腹の中で何を考えているのか分かったもんじゃない。沢村さんがどんなことを考えて、どうして殺人を犯そうとしたかなんて分からないわ。それは警察の仕事、私のはただのごっこだもの」

「ごっこ……って、そんな」



 先生は先輩のあんまりな物言いに、信じられないといった様子で目を見開いた。

自分の生徒が亡くなるというショッキングな出来事に加えてこんな言葉を聞けば先生の心中も穏やかじゃないだろう。

ましてやこの中から犯人が割り出されようとしているのだから。



「………さっき、先輩は沢村は自分の用意した凶器で殺されたって言いましたよね? 何なんです、その凶器は」

「確証はないけど、沢村さんは眠ってるみたいに亡くなってたんでしょ? 薬物の線が強いんじゃないかしら。彼女みたいに力のあまり強くない女の子が、そもそもナイフとか絞殺するようなロープを用意するとも思えないしね」

「……確かに索条痕らしきものは見当たりませんでした」

「さて、いままでも結構推測ばかりなのだけれど、全体を通してのとある仮説を話していいかしら?」

「……どうぞ」



 沢村理子の死から数時間、雨はまだやまない。












 まず、さっき言った通り彼女は事前に放送の内容を自分で録音しておき、タイマーで時刻通り放送が流れるように設定しておいた。 そして目的の人物を相談があるとか、話があるってここに呼び出して、自分が放送をしていない理由は、何か…例えば喉の調子が良くないから、事前に練習で録音したものを流している…とでも説明してたのかしら。


飲み物を出す、睡眠薬入りね。

きっと彼女はその時に、薬を混ぜるところを見られて争いになった。

 そして犯人は、もみ合いの中で彼女の用意した注射器を発見する…彼女に睡眠薬を無理矢理にでも飲み込ませ、逆に彼女を殺そうとした。

…犯人がどういう思考に陥ってそういう風になったのかは、本人にしか分からないので割愛するわ。


 昼の時間なら、生徒は南館の通常教室か、地下食堂に行っているだろうから東館への渡り廊下を使って移動すれば、誰かに会う可能性も低いわ。

雨も降っているし、中庭で昼食をとる人もいないしね?


 視聴覚室に移動した犯人は、眠ったままの彼女を視聴覚室の奥の準備室に隠した。

それから視聴覚室の扉を施錠すると、何食わぬ顔で午後の授業を受けた。

もしもその間に眠ったままの彼女がどこかのクラスに発見されても、彼女は未遂とはいえ殺人を計画したんだもの。

犯人がしたことを言う心配はない……見つかっていればまた未来は変わっていたのかもしれないけど、残念ながら彼女は見つからなかった。


そして放課後………犯人は放課後視聴覚室に向かうと眠ったままの沢村さんに薬物を注射し殺害、その後教室に戻り、坂井さんを連れて視聴覚室に向かったの。























「ねぇ、そうでしょ? 倉木君」



























「……ええ、そうですよ」



 僕が、殺した。

 好きだったんだ、本当に。



「坂井さんと行ったとき本当は鍵は閉まってた、でも少しでも自分は関与していないとイメージ付けるために開いていた素振りを見せた」

「そうです」

「な、なんでよ!なんで理子のこと……ッ」



 なんでだろうか。



「噓……ッスよね? 遼平先輩……! 美咲先輩も趣味悪いっすよぉ……、ぜ、全部噓だ! 全部悪い夢なんでしょ……ッ!?」



 噓だったら良かった、夢ならどれほどよかっただろうか。



「そ、そうよね? 冗談よね? 倉木君が、そんな……、沢村さんをなんて……」



 みんなが面白いくらいに狼狽えて、先輩だけがいつものポーカーフェイスで微笑んでいる。



「大方は先輩の推理通りですよ……、あいつは僕を殺そうとした、僕はあいつを殺した。最初は正当防衛だったんだ……、でも、魔が差した。あいつが見っかってれば、こんな……」

「ふ……、ふざけないで! 魔が差した? 見つかってれば? 冗談じゃないわよ! あの子は……、そんな………っ、う、ぅぁあああああああ」

「……先生」

「え、ぁ……なに………?」

「教頭先生達に、このことを伝えにいって下さい」

「え、ええ」



 ばたばたと慌ただしく放送室を飛び出て、先生は駆け出して行く。

 坂井はその場で泣き崩れ、田宮はもう大声を出すわけでもなく、腰を抜かしたように床にへたり込んでいた。



「でも……僕はあんな悪趣味な風にはしてない。あいつは、自分で白百合を………」

「それなんだけどね、その百合っていうのは視聴覚室の花瓶のものだったわよね?」

「ええ」

「それ白百合じゃないわ、鉄砲百合よ。鉄砲百合の花言葉は『あなたは偽れない』………。確かに沢村さんは、私達の思っていたような人じゃなかったのかもしれないわね。だって……その花言葉を知っていて握ったのなら彼女は逃げる機会を捨てて自ら死を選んだってことだわ。花をとったってことは、あなたに殺される前に目覚めているんだもの」

「………ぁ、あああ、あああああああああああああああああッッッ!!」



 頭を抱え、わけもわからずやり場のない想いを抱え、口から漏れ出たのは言葉にさえならない叫びだった。

先輩の手が僕の方に触れる。



「……今回の事件では明確な殺意があったわけじゃないんでしょう?きっと、罪もそんなに重くならないと思うわ」



 先輩はやっぱり僕の味方なのかもしれなかった。











 警察が到着するまでの後一日、僕は寮の自室で待機することになった。



(……みんな馬鹿ばっかだ)



 沢村理子は僕を殺そうとしてなんかいない。

 僕は最初からあいつを殺すつもりだった。

 手に入らないと思ってた。

だから、僕の手で殺して僕だけの沢村理子になって欲しかった。


 あのテープは僕が練習に付き合うと言って、録音した方が自分の弱点が分かると唆そそのかして録音させた。

 放送前に緊張がほぐれると睡眠薬入りのお茶を飲ませ、視聴覚室の準備室に寝かせておいた。


 けれど、本当なら。僕は準備室で沢村を坂井と見つけるつもりだったんだ。











【事件当日 視聴覚室】


 坂井が職員室へ走っていってすぐ、僕は沢村理子に声をかける。



「……どういうつもりだ」

「…………」

「なんで、ここにいるんだよ」



 睡眠薬が思っていたより効きが薄かったのか。でも、なんで逃げなかったんだ。



「……私ね、この時期って駄目なの」



 瞳を開き、ゆったりと身体を起こした沢村は突拍子もないことを話しだした。



「は………?」


「ううん、別に季節ってわけじゃないんだけどね。雨が、駄目なの。どうしてもね、生きていけないって思っちゃうの。なんでだろう、いつからだったか忘れちゃったけど。でもいつも思うの、死ぬなら……好きな人に殺されたいって」


「…………」


「ねぇ、遼平くん。私のこと、死なせてくれない?」


「……なんで、初めて………いま、名前で呼ぶんだよ」



 …………なんで。



「由希ちゃん、帰って来ちゃうよ。遼平くん」



 ……なんで。



「なんで、逃げなかったんだよ……」



 なんで?



「ほら、早く遼平くん」



 なんで!



「なん、で? なんでそんな残酷なこと言えんだよ……! 僕は、お前のことが……ッ」



 なんでッ!?



「遼平くん」



 なんで、僕の好きな笑い方で笑うんだ。

 どうして、仕方がないなぁって、言うみたいに。



「ねぇ遼平くん、一回だけで良いからさ…理子って呼んでよ」


「………り、こ」


「うん」


「……理子」


「遼平くん」


「………何回だって、呼んでやるよ……! だから……ッ?」



 沢村………理子の顔が一瞬近づいて。俺の唇に何かが掠めて離れた。



「…………え」


「ひどいよ、遼平くん。私のお願い聞いてくれないなんて」



 いつのまにか理子の手には、僕のポケットに入っていたはずの注射器が握られていて。 キスの時にスリ盗られたのだと一瞬で理解する。



「り……っ!」



「バイバイ、遼平くん」



 スローモーションのように感じるのに、僕は動くことが出来ず、やけに眩しく感じる注射針が理子の白い首筋に吸い込まれていくのを眺めていた。


 その後僕に出来たのは坂井が戻ってくる前に理子を先程の状態に戻しておくことだけだった。










「………僕が、殺したんだ。ちゃんと、僕が」



 僕が理子の最後のお願いをちゃんと叶えたんだ。

 最後まで、僕は偽り続ける。理子の最後と、僕の初恋を。

 雨はいつのまにか上がっていた。




             【END】 

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五月闇 綿貫たかし @nao0415

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