自殺ボックス
能無し芳一
許容される“死”
2022年、“五輪後の不況”と呼ばれる経済状況の悪化に対し、日本政府はいくつかの対策を講じた。
そのうちの一つが、自殺に伴う様々な損害を軽減するための国営施設。
通称「自殺ボックス」。
年間4600億円を超えるといわれる日本の自殺による経済的損失。そこへ国が目をつけた形である。
“ボックス”は、駅の構内や、建物の屋上など、自殺の多い場所に設置されている。
施設では、機械の画面に表示される同意書にサインをするだけで、誰でも簡単に安楽死のための薬剤投与を受けることができる。
また、遺体はできる限り本人の希望の形で処理される。
“ボックス”は、無人・小型の“医療施設”である。真っ白で直方体の形のものが多く、大きさは駅でよく見かける立ち食い蕎麦屋の大きさを想像してもらうと分かりやすい。
法律上の建前としては、日本国憲法第13条 ※を解釈改憲することで、尊厳死を合法化した上で、国民の尊厳死を援助する目的で作られた施設ということになっている。
(※日本国憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」)
施設の設置については、当然のごとくマスメディア、人権団体を中心に批判の対象となったものの、衆参両院であっさり可決された。
メディアでは、この法律の可決についての批判の声が大きく取り上げられた。
“ボックス”の導入から一年。批判の声はほとんど見られなくなった。理由は簡単、誰の目にも明らかな程、ボックスの設置による恩恵が絶大だったから。
人身事故の減少による鉄道運行ダイヤの安定化、死体処理にかかる人員、費用の減少など、多くの損害が軽減。
さらには施設利用時に同意した者の臓器提供による移植待ち患者の激減や、身寄りのない自殺者の遺産を国が受け取ることによる税収の増加など、損害の軽減にとどまらず、直接的な利益をももたらしたのだった。
そしていつしか、自殺ボックスは、日本になくてはならない存在となったのだった。
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ここまでの話は全てただの妄想。フィクションである。
こんなもの、現実になる訳がない。そう思う人がほとんどだろう。
しかし私は、決してそうは思わない。
「人を殺してもいいか」この問いに多くの人はNOと答えるだろう。
では「この世から車を無くすべきだ」という意見に賛成する人は一体どれだけいるだろう。
日本では年間、4000人以上の人間が交通事故で亡くなっている。
これは車やバイク、自転車の使用を完全に禁止すれば、確実に無くすことのできる死である。
しかし現状、「車を無くそう」と言い出す人はいない。
これは多くの人々が、たとえ無意識のうちにであれ、車を使うことによる恩恵が、4000人の命の重みを上回ると判断しているということに他ならないのだ。
線路で人身事故が起きたとしても、ろくに人の死を悼むこともなく、会社に遅刻することを嘆き、あまつさえ、その怒りをを死者に対して向ける様な者が散見されるこの日本。
自殺ボックスは、いつ私たちの前に現れても、決しておかしくはないのだ。
自殺ボックス 能無し芳一 @toumeina
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