第3話 錯綜ゲリラレイディオ

「飯島英人の『マジカル・ミステリー・ツアー』のコーナー、今回ご紹介したのは法月綸太郎『頼子のために』でした。読後感がすごいんですよ! いやぁ、法月作品はやっぱり本格の美学があるのが良いよねぇ。俺、やっぱり悩める名探偵が好きなんですよ」

「おっ、語るやんメッシー。シリアスなの好きやもんなぁ。ドラマやと『相棒』好きなタイプやな?」

「大好き。特に神戸くんの時代が」

 ――と、好きなものを語り倒しているわけだが、俺たちは決して居酒屋で管を巻いているわけではない。

 俺――飯島英人いいじまひでとの所属するロックバンド、アンプリファイド・スクリームは、現在ラジオ番組「錯綜ディストーション」の収録中だった。我らがバンド――通称アンスクは、東京のFM局をキー局に全国をネットする音楽番組「ドラスティック・ミュージック」の中の一枠を頂き、一時間に渡って喋らせてもらっている。忙しいこの年の瀬、ツアーのリハーサルの間を縫ってこうして収録に及んでいるわけだ。

 ちなみに先程の「マジカル・ミステリー・ツアー」はリードギターである俺のコーナーで、毎月一冊の本を紹介し、その感想をリスナーとともに語るという、バンドと何の関係もない趣味全開のコーナーである。週に一回の番組なので、一月に四回とするとだいたいメンバー四人のコーナーが順番に回せるのだ。ちなみに他のメンバーはというと、ボーカル&ギターの阿佐川正之あさがわまさゆきがリスナーの送ってきた詞に併せて即興演奏の弾き語りをする「すぐうた」、ベースの江本恭司えもときょうじがリスナーからの恋愛悩み相談を一刀両断する「ラブソングなんてくだらねぇ」、ドラムの植中将太うえなかしょうたがアンスクに関するウソの目撃情報や噂話を取り上げるネタコーナー「リスナーは見た!」を担当している。おもしろ路線なのか真面目路線なのか、メンバーもディレクターも構成作家も掴みかねている、問題児のようなラジオ番組だ。

「それでは、ここで一曲聴いてください。俺、阿佐川がセレクトした、いま聴いてほしい一曲。――ザ・ジャムで『イン・ザ・シティ』」

 阿佐川の一声とともに、尖ったギターのイントロが鳴り響いた。

 曲が流れている間は、ちょっとした休憩タイムだ。マイクを切った植中が、神妙に頷きながら言ってくる。

「ポール・ウェラーね」

「これ、ファーストだよね。パンクっすなぁ」

 俺の言及にかぶせるように江本が割り込んできて、またリズム隊漫才が始まった。

「ゴーイング・アンダー・グラウンドのバンド名、やっぱザ・ジャムからなんかな?」

「wikipedia見ろ、wikipedia」

「wikipedia、結構ウソ書いてへん? 前、俺、既婚者ってことにされててんけど」

「マジかよ。訴えられるぞ。えもっちゃんが」

「俺かよ」

 好き勝手に話している横で、阿佐川は楽しそうに指でリズムをとっている。

 俺たちの番組がスタートしてから数か月。最初は慣れない喋りに緊張し倒したが、だんだん楽しくなってきたところだ。何より、好きな音楽をかけられるところが楽しい。俺はあと五回ほど『NUM-AMI-DABUTZ』をかけたい。

 曲が終わると阿佐川が紹介を繰り返し、番組のジングルであるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『ゲリラ・ラジオ』のイントロを編集したものがかかる。放送では、ここでCMが挟まるタイミングだ。収録のときは、いったん休憩となる。

 阿佐川に何か言おうと思って声をかけようとしたら、彼はスタジオの収録ブースを出て、ラジオのスタッフのほうへさっさと歩いて行ってしまった。ADと何事かを話している。仕方がないので、暇を持て余して台本をぺらりとめくった。次はリスナーからのメールを紹介する、いわゆる「ふつおた」のコーナーである。

 ふと、どこかからエルレガーデンの『ジ・オータム・ソング』が流れ出した。スマホの着信音らしい。

「うわ、こんな時にライン来たわライン」

「電源切っとけよ。収録中に鳴ったらどうすんだよ」

「危ない危ない、全国ネットで最悪音質のエルレを流してしまうところやった」

「エルレといえば、キュウソネコカミの『サブカル女子』、細美武士が好きな層とマック片手にスタバでコーヒー飲んでる層って絶対違うよな。聴く度に思っちゃって」

「あのバンドはそういういい意味での雑さが持ち味やろ。あとその話はいま必要か?」

 植中・江本コンビは相変わらずどうでもいい話がお得意である。

 スマホを手にした江本は、少しだけ画面を睨むと、俺に手招きしてみせた。

「メッシーメッシー、湊ちゃんからやぞ」

 湊由紀恵みなとゆきえは、フロム・ザ・プリクエル――通称フロプリというロックバンドのベーシストで、江本が親しくしているバンドマンの一人だ。フロプリとアンスクは昔から縁があり、先日ちょっとした諍いのようなものが存在したのだが――

 スマホの画面には、湊からのメッセージが表示されていた。

「先日はどうもありがとう。フロプリ、なんとか新曲の予定が決まりそうです。神崎もようやくスランプを脱せそうみたい。ご報告まで。三人にもよろしく、メッシーには特に念入りに」

 その「諍い」の結果で、フロプリは新曲を発売中止にした。その後の動向を心配していたのだが、彼らは無事乗り越えられたようだ。俺はほっと胸を撫でおろした。

「ありがとう、えもっちゃん。湊さんにも感謝しますって言っといて」

「よーし」

 江本は何事か返信している。

「それにしてもえもっちゃん、最近湊さんとよくやり取りしてるんだな」

 何気なく気になったのでそう言うと、江本は「ふふふ」と怪しげな笑みを浮かべた。

「湊ちゃん、いま彼氏いてへんらしいんよなー」

「狙ってんのかよ」

 植中のツッコミにも、ニコニコした笑顔で返すだけだ。これは真面目に好意があるパターンか。

 うちのバンドとフロプリとは付き合いが長いし、その中でそういう感情が芽生えても、まあ、おかしくはない。音楽業界では、どうしても仕事上の付き合いの時間が長い同業者や音楽関係者との恋愛が多いらしいし。それに、倫理の枠を外れない限りプライベートには干渉しない、がアンスクのモットーである。まあ、干渉されるほどのプライベートがない人間もいるのだが。ここに。

 バンドマンはモテる、は、大学に入ったら彼女が出来る、と似たような理屈で、モテるやつは更にモテるし、モテないやつは更にモテないだけなのだ。ファンから嬌声を浴びることと、モテることは別問題である。

「ま、せいぜい嫌われないように頑張れば。えもっちゃん、喋りすぎて鬱陶しがられるタイプだし」

「うわ、ショータ、酷っ。そんな言い方があるかい」

 植中と江本がそんな話をしていると、阿佐川が収録ブースに戻ってきた。先程声をかけようとしていたことを思い出し、再び何か言おうと思ったが、何を言いたいのかを忘れてしまった。

 ほどなくして、再び収録が始まった。


「……続いてのメールは、東京都のラジオネーム『ゆり』さんから。

 『アンスクの皆さん、こんばんは』」

「こんばんはー」

 阿佐川の読むメールに合わせ、三人が茶々を入れていく。

「『最近、学校でアンスクを聴く人が増えている気がします。放送部がお昼の放送で新曲を流したところ、クラスの男子が、これかっこいいじゃん、と言っていて、私まで嬉しくなってしまいました。この調子で、バリバリブレイクしていって欲しいです』」

「ええやんええやん。どんどん布教してこ」

「中学生かな? 高校生かな? 若い子に聴いてもらえるのは嬉しいよね」

 江本と植中は、ここでもコンビネーションばっちりだ。

「『メンバーの皆さんより年上の私も、つい熱くなってしまいます。教師の立場としては大きな声で言えませんが、生徒やご家族にもこっそりお薦めしていきたいです』」

「って、先生のほうかい!」

 江本の盛大なノリツッコミ。若干滑っている感じも含めて、味である。

「幅広い年齢層にウケている、ということで。嬉しいですね」

 阿佐川は笑ってうまくまとめる。しかし、俺はここに食らいつかねばなるまい。

「ミステリファンとして言わせて頂きますけど、このお便り、叙述トリックじゃないですか」

「え? 何や? じょじゅちゅトリックって」

「言えてねぇぞ!」

 江本と植中は無視して、俺は話を続ける。

「文章に直接仕掛けを施して、読者を騙そうとする技術のこと。作中人物が人を騙そうとするための仕掛けのことをトリックと言うけど、叙述トリックはいわば『作者が読者に仕掛けるトリック』なんです。代表的なものだと、読者には男と思わせておいて実は女だったことを明かす、とか」

「なーるほど。よく『ラスト一行であなたは驚愕する!』とか紹介されてるやつか」

「あれ、ホントやめてほしいんだよな……」

 その紹介のされ方だけで魅力が半減してしまうではないか、あの名作とかこの名作とか。

「私見だけど、叙述トリックの基本は『言わないこと』だと思います。伏せるべきことを伏せて、その上で伏せていることさえわからないようにして、最後に明かし、そのサプライズを物語の核とする。さっきのメールの例だったら、伏せられていたのは投稿者の立場。最初に『私は高校生ですが』とか書いてもいい部分だけど、叙述トリックの場合はそこを伏せる。まあ、ゆりさんが意図的かどうかはわからないけれど」

「飯島英人のミステリ講義やな」

「『マジカル・ミステリー・ツアー』延長戦か?」

 リズム隊の二人に煽られて、俺はすごすごと引き下がる。あまり喋りすぎても台本の範疇から逸脱してしまうし、この辺にしておくしかない。ADからもどかしい目で見られている気がするし。

「はいはい。それが言いたかっただけ」

 掌を振り、阿佐川に次を促す。

「……それでは、続いてのメール。神奈川県の19歳、『みそスープ』さん、男性みたいですね。『アンスクのイケメンの皆さん、こんばんは』」

「イケメンか?」

「イケメンじゃないです」

「俺はイエメンや」

 俺の疑問に乗っかる植中と、何が言いたいのかよくわからない江本。

「『えもっさんのコーナーと迷ったのですが、皆さんに聞いてほしかったのでこちらにお送りします。

 先日のイベント、アンスクの出番のときに、僕は気分が悪くなってその場にしゃがみこんでしまいました。ライブハウスの真ん中あたりだったので、周りの方に迷惑をお掛けしたと思います。そんな時、僕を出口まで連れて行ってくれた女の子がいました』」

「おっ、出会いやん」

「ライブ中に体調崩す人、結構いるからねー。気を付けてね」

 江本と植中の目の付け所の違いが明白すぎて、俺は思わず笑ってしまう。

「続き読むよ。『会場を出たロビーで休んでいる僕に、彼女は水を買ってきてくれました。僕がありがとうと言うと、彼女はちょっと待って、というしぐさをして、スマホを取り出し、何かを打ち込みました。はてと訝しがる僕に、彼女は自らのスマホを差し出しました。画面には、ごめんね、私は耳が聞こえないの、と書いてありました。

 なるほど、と理解して、僕は自分のスマホに返事を打ちました。手を煩わせてしまってごめんなさい、そしてありがとう、と。僕らはしばらくロビーで無言のやり取りをしました。アンスクの話とか、他のバンドとか。

 僕は大学で福祉の講義を取ったことがあるので、聴覚障害者にも、ある程度聴こえる人もいれば、まったく聴こえない人もいることを知っていました。だから、ライブに来ている彼女も、少し聴こえるくらいなのかな、と思いました。それで音楽の話を振ったんですが、彼女曰く、自分の聴力は無に等しい、とのことでした。それでは何故ライブに? やっぱり、ベースやドラムの振動で曲を理解しているのかな? と思って訊ねると、曲は全くわからない、それでもライブは楽しい、と。メンバーを見るのが好き?と訊いたら、そういうことじゃないよ、私あんまり目もよくないし、だそうで、それがどういう意味なのかと訊いても、彼女は笑って教えてくれませんでした。

 ちょっと休むと、だいぶ身体が楽になってきました。もう会場に戻っても大丈夫、後ろのほうでおとなしく聴いていよう、と決めて、僕は彼女にお礼を言い、一緒に戻りました。

 終演後、もう一度ちゃんと挨拶をしようと思って彼女を探したけれど、その姿は見つかりませんでした。もっと話したいことがあったし、彼女のライブの楽しみ方も知りたかったけれど、今となっては謎のままです。次のツアーで再会できたら、と思い、こうしてメールを送りました。彼女はラジオを聴けないだろうけど、もし周りの方が聴いていたら、ありがとうとお伝えいただけるかな、と思っています』」

 おお、俺たちが知らない間にこんなことがあったのか。そういえば、途中で抜ける姿がステージからも見えたような気がする。ドラマチックなことがあるものだ。

 予想通り、江本はテンションが上がっていて、「すごいなこの話! もはや小説やん」などと盛り上がっている。

「というわけで、もし先日のライブに来ていたこの女の子をご存じの方がいたら、彼のお礼をぜひ伝えてあげてください。ライブって、こういう予期せぬ出会いがあって面白いんですよね」

 綺麗に繋げる阿佐川の手腕は流石だ。このバンドでただ一人、冷静な人間であると言えるのかもしれない。

「ちゅうか、俺のコーナーに送ってこようと思ったってことは、みそスープ、お前その子に一目惚れしたな? ヒュー!」

「ありえるありえる。ヒュー」

 対照的に冷静さを欠くリズム隊。

「まあ、カップルでライブ来る人もいるし、アンスクのライブで出会いました、なんて組み合わせも今後出てくるんだろうなぁ」

 そう口にしながら思う。そんなカップルが生まれたら、嬉しい反面、悔しいことこの上ない。俺のように長続きせずに破局してしまえ、とまでは思わないが。うん、思わない。

「それにしても、その子の『ライブの楽しみ方』って、なんなんだろうね?」

 植中が首を傾げる。確かに、その部分は謎だ。

「アサ、見当ついてたりして」

「うーん」

 阿佐川は言い淀んで、誤魔化すように言う。

「俺の考えでしかないから、言わないでおくよ」

「何やそれ、俺もリスナーも気になるやろ!」

「尺がないので、また今度ね」

 阿佐川の身も蓋もない一言に、江本は「ぶっちゃけすぎやろ」と、手刀とともにツッコミを入れた。……リスナーには見えないって。

「それでは、俺たちの新曲を……あ、この曲は今日の流れにちょうどいいかもね。飯島くんの曲です。アンプリファイド・スクリームで、『フィニッシング・ストローク』」

 阿佐川はそう言って、俺の会心の出来である新曲の名を告げる。歌詞は阿佐川であるものの、お察しの通り、タイトル案は俺だ。

 渾身のギターリフが鋭い音を刻む。この曲が世に羽ばたいていく日が待ち遠しくて、俺は目を細めた。


 収録が終わった後、俺たち四人は、マネージャーの七見が運転する車で帰路についた。現在は四人とも都内在住なので、彼の車に頼ることが多いのだ。

 シートベルトを着けてから、俺は隣の席に座る阿佐川に声を掛けた。

「アサ。お前、あのメール、どういう意味かわかったろ」

「……あくまで推測でしかないよ」

 その言葉に、後ろの席に座るリズム隊も食いつく。

「アレだけでわかったん? 気になるやろ!」

「俺もわかんないなぁ」

 阿佐川は困ったように笑って、喉元を左手でつまんだ。

「……俺の考えでしかない、ってことを前提に聞いてくれよ。

 まず、件の女の子は耳が不自由だ。それも全聾、つまり、楽しんでいるのは聴覚からの情報ではない。また、彼女の発言が真なら、音の振動を楽しんでいるのでもない――触覚からの情報でもない。となると考えられるのは視覚しかない。でも、俺たちの演奏を見るだけでも楽しい、ということでもなさそうだよね。

 俺たち以外で、彼女に視えるもの、そしてそこから音楽を感じられそうなものは何か。――それは観客だ。彼女の周りには、溢れるほどの観客がいる。それに、彼らは皆それぞれが、思い思いに音楽に合わせて身体を動かしている。音を直接聴かなくても、そこには音楽が溢れている。それを視ることは、音楽を聴いているに近いことであると、十分言えるんじゃないかな?」

 なるほど。音が聴こえないのならそれを視覚にすればいいわけで、周りで踊る人々はまさに視覚化された音楽そのものといえる。彼女の感覚としては、クラブに踊りに来ているようなものなのだろうか。

「でも、それなら、スタンディングのライブじゃなくてもいいんじゃない? 音楽にノってる人がいる場所で、もっと安全そうな場所がありそうだけど」

 植中の指摘を聞いて、阿佐川は人差し指を立てた。

「そう、『安全』。聴覚障害者の彼女がスタンディングのライブに来るとなると、どうしてもそのことが気になってしまうよね。そこで俺は考えた。彼女、一人で来たわけじゃないのでは、と」

「同行者がいた、ってことか?」

 江本の問いに、阿佐川は首肯する。

「そう。介助をする誰かがいたんじゃないか、って思ってさ。全聾の人でも、一人で街中を歩けないわけではないし、実際にそうしている人もいるだろう。けれど、手助けを必要とする場面はあるだろうし、スタンディングのライブとなるとなおさら怖いと思う。だから、もしかしたら介助者がいたんじゃないか、って思ったんだ。

 付け加えるなら、その介助者こそが、彼女の『ライブの楽しみ方』なんじゃないか、と俺は思う」

「もしかして彼女は、その同行者がライブで踊ってるところを見て楽しんでいたのか?」

 俺の問いに、阿佐川は「推測に推測を重ねて、だけどね」と答える。

「彼女がみそスープの問いに素直に答えなかった理由も、それじゃないか、と思う。観客全体の楽しみ方を見て自分も楽しんでいるなら、特に隠す理由もない。だけど、特定の個人を見て楽しんでいる、というのは、私的すぎて初対面の相手には言いづらかったんじゃないかな。まして、みそスープは彼女に結構いい印象を抱いてたんだろ。それが態度に出ていたなら、なおさら言いにくいかも」

 諸手を挙げて賛成、とは言えないが、筋が通っている推理のようには感じる。

「なるほどなぁ。同行者か。そういえば俺ら、なんでその線に思い至らなかったんやろうな。言われてみれば、その可能性はありそうやって気付くはずやのに」

 江本が不思議そうに言うと、阿佐川は笑った。

「それが『叙述トリック』だよ」

 阿佐川は俺に目配せをしてみせる。どういう意味だ、と首を捻った。

「みそスープのメールを思い出してみて。彼のメールでは、女の子に同行者がいるようなそぶりは一切書いていない。代わりに、そういう存在がいないことだって書いていない。彼も一人で来ているような感じを受けるから、自然と女の子も一人だったように思えてしまう。

 あと、みそスープが具合を悪くしたとき、助けたのが女の子一人だったのもポイントだ。同行者がいた場合、一緒に助けている可能性だってある。まして女の子一人に任せるわけにはいかないよね。だから女の子は一人に見えた。

 実際のところ、多分同行者は気付かなかったんじゃないかな。女の子より前で一人で盛り上がってた、とかで、彼女はその後ろにいたんじゃないだろうか。とっさのことだったから、女の子も助けを呼べなかったんだろう。

 みそスープのメール自体が、彼自身意図せず叙述トリックになっていたわけだ。叙述トリックの基本は『言わないこと』、だろ? この場合の『言わない』要素は『同行者の存在』だ。もっとも、言わないんじゃなくて、知らないから言えない、というのが今回だけど」

「そう言われてみたら、そんな気もする……」

 植中が神妙な声を出すと、阿佐川は慌てて補足した。

「繰り返すけど、これはあくまで俺の推測にすぎない。もっとスマートな真実があるかもしれないし、それはこの子にしかわからないことだよ。俺たちに出来ることは、彼女を知る人からのメールを待つだけだ」

 阿佐川は、車窓から夜の街の灯りを眺める。ぼーっとどこか遠くを見ているそのさまは、なんとなく俺の胸をざわつかせた。

「それにしても」

 彼は言う。

「聴覚に障害がある人は、音楽を聴いて楽しめない。至極当たり前のことだけど、ちょっと思い知らされた気がするよ。

 音楽で皆と繋がりたいとか、音楽はなんでも可能にしてくれるとか、そんなことを言う人がいる。でも、それ自体が音楽を聴けない人を切り捨てる傲慢じゃないか、と思う。

 全ての人に等しく伝わる伝達方法なんて、この世に存在しない。だから俺たちは、手を変え品を変え、いろんな手法を試しながら、どうにか伝わる手段を模索するしかない。それを諦めてはいけない気がするんだよ。

 骨伝導で音楽を聴くことにも、空気の振動こそが真の音楽だ、なんて言われるし、その気持ちもわからなくもないけれども、じゃあそれを受け取れない人はどうなんだろう。それを排除することが、真の音楽に繋がるのか。俺はどうしても、そうとは思えないんだよな」

 一人でも多くの人に音楽を楽しんでほしい。阿佐川は、そう思っているのだろう。彼の思想は時に理想主義的で、俺ですらついていけなくなりそうになることすらある。それでも、理想を歌うのが己の仕事だと、彼は頑なに信じているのだ。

 それが正しいことである、と言い切れるだけの知恵は、俺にはない。だけれども、そんな立場の彼を支えたい、とは思う。

 その願望が、どこから来るのかはわからないけれど。

 今まで黙っていた七見さんが、口を開く。

「例えば、ジャニーズのライブDVDにはMCも含めて字幕をつける試みが始まってる。もちろんあっちの事務所が大きいからできることかもしれないけど、ロックバンドでそういうことをやってるところって、なかなか存在しない。だけど、それはいずれ変わっていくことだよな、きっと。

 アサのそういう視点、すごく大切なことだと思うぞ」

 伝えること。

 それを俺たちは、もっと真剣に考えていかないといけない。 


 一週間後。

 スタジオでのリハーサルも、なかなかいい塩梅に進んでいる――と言いたいところだが、そう簡単にはいかない。特に新しい曲は練習も不足しているから、どうしても足りないところが出てきがちだ。

 なるべく多く練習をこなしておきたいところではあるが、新しいシングルの発売が間近に迫っており、我々は多くのメディア露出も同時にこなさなければならないのであった。ラジオの公開生放送では動物園の檻の中の気分を味わい、『スクイーズ』誌の取材では俺の曲について椎木に根掘り葉掘り訊かれ、ついでに作曲時の俺の思惑もズバリと当てられまくってしまい。へとへとに疲れて帰ることになった。これでテレビ出演も多いようなバンドだったら、本当にメンタルがバキバキになっていたと思う。ミュージック・ステーションには、当分出演したくない。

 そんな中、忙しい時期に向けて、レギュラーのラジオ番組である「錯綜ディストーション」も収録をしておくことになった。生放送でないラジオ番組は、何回か分の放送を一気に録り溜めておくことも多い。「錯綜ディストーション」はまさにそのパターンで

、通常二回分、つまり二週間分を一気に収録する。これが結構ハードで、二時間喋るというのは疲れるものなのだとわかる。

 いつものようにラジオ局のスタジオに来ると、ディレクターの菅野が声を掛けてきた。

「皆さん、ちょっといいですか。先週のあのメールのことなんですけど……」

「ええと……みそスープやったっけ? 耳の聞こえない女の子に会った男の子のやつ。あれっすか?」

 江本の返答に、菅野は首肯する。

「連絡がきたんですよ。あの女の子から」

 俺たち四人も、おまけに七見まで驚いた。何か反応があればと思いあのメールを取り上げてオンエアしたのは事実だが、本当に、しかもこれほど早く返答があるとは。

「どんな内容なんですか?」

 阿佐川の質問に、菅野はメールを印刷したものを渡した。

 神奈川県、18歳、ミホ。簡単な情報の書かれた下に、メールの本文が記載されている。


 アンプリファイド・スクリームの皆様、こんばんは。ミホと申します。

 先週のラジオの内容を知人に教えてもらい、いてもたってもいられずメールをしました。神奈川県のみそスープさんのお話に出てきた、「耳の聞こえない女性」本人です。アンスクの大ファンであり、「錯綜ディストーション」のヘヴィリスナーである知人からこのことを伝えていただき、大変びっくりしました。ライブでのことはとっさの判断だったので、ここまでちゃんと覚えていただいていて驚くとともに、嬉しく思います。

 次のツアーにも参加しようと思っているので、その時またみそスープさんや他のファンの皆さんと時間を共有できることを楽しみにしています。乱文失礼いたしました。


 追伸。ここからは私的なことなので、メンバーの皆様に読んでいただくために書きました。もしこのメールをラジオで読まれるときは、どうか飛ばしていただけると幸いです。

 私がライブに行く理由についてです。あまり大きな声では言えないのですが、いつも私を介助してくれる恋人が、アンスクを大好きなのです。私は先天性の全聾で、補聴器や人工内耳も効果がないため、アンスクの音楽をちゃんと聴いたことはありません。それでも、阿佐川さんの書かれる詞と、皆さんの音楽で楽しむ人々を見ることで、私なりにアンスクの音楽を楽しむことができています。特に、彼がライブで踊ったり拳を突き上げている姿は、私にとても勇気をくれるんです。私にも、彼らを通して音楽が理解できるんだ、って。

 音楽には様々な形があって、様々な受け取り方が存在するんだって、私に教えてくれたのは、彼と、アンスクの皆さんです。本当に、ありがとうございます。これからも、素晴らしい音楽を作り続けてください。応援しています。


 メールを読み終わって、阿佐川の推理が的中していたのにも驚いたが、内容にも様々な感情が喚起された。阿佐川が言っていた、音楽を聴けない人にどう伝えるのか――その答えの一つが、このメールにあるような気がしたからだ。作る側の俺たちが思うより、音楽を受容する方法は遥かに多い。

 彼が口にしていた骨伝導の話。確かに骨伝導は、あらゆる種類の難聴に対応するものではない。だけど、そういう聴き方を邪道と笑う奴等よ、彼女のメールを読んだか。あんたたちが思うよりずっと、音楽の「聴き方」は多様なんだ。健常者の側から勝手に判断するのは、思い上がりもいいところじゃないか。

 俺自身も、己に戒めないといけない。俺たちの音楽は、既に発し手である俺たちの元を離れて、様々な解釈や受容が可能なまでに羽ばたいているのだ。

「……それにしても」

 江本はメールを手にして、深刻そうな顔をした。

「みそスープ、こりゃ、失恋やな」

「恋愛とは誰も言ってないけどな」

 植中はそう言うものの、みそスープの立場になってみれば、がっくりはくる内容だろう。

「どうします? このメール、読みますか? 僕としては、前半部だけでも読んであげたい気持ちはあるんですけど」

 菅野の問いに、阿佐川は頷く。

「後半はミホさんの言うようにオフレコにするとして――みそスープくんのためにも――、前半は読みたいですね」

「いいのか? みそスープには真実を伏せる形になるけど」

「真実は、もしツアーで再会したら、その時にでも訊ねればいい。俺たちが関与することじゃないよ」

 阿佐川の言葉を受け、植中は、そういうもんか、と呟いた。

「わかりました。では、ふつおたのコーナーで」

 菅野は俺たち四人に台本を渡してきた。どうやらこのメールの処遇に困ったようで、このメール入りの台本とそうでない台本を用意してあったらしい。ラジオ制作も大変な仕事だ。

 台本を眺めながら、江本が呟く。

「……アサ。お前、しんどくないか」

「え?」

  虚を衝かれて、阿佐川は間抜けな声を出した。普段ならその声に江本が盛大にツッコミを入れただろうが、江本はそうしなかった。

「学生時代からうすうす思っててんけど。そんなに察しがよくて、色々と他の人のことがわかってもうて、しんどくならないんか。お前は本当に、大丈夫なんか」

 どきりと心臓が跳ねた。

 阿佐川は本当に察しがいい。頭の回転が速く、他人の言動や心情に敏感で、いつも俺たちの一歩先を行ってしまう。けれど、それは本当に幸せなのか、と俺も考えたことがある。

 俺だって、知られたくないことを阿佐川に見抜かれてしまったことがあった。その時は頭にきたけれど、阿佐川だって知りたくて知ったわけではなかったのかもしれない。そう考えると、この男はいったいどれだけのものを背負っているのか、と思うことがある。

「褒めてくれてるのか。嬉しいな」

 阿佐川は笑顔を崩さないまま、のらりくらりと交わそうとする。

「俺は本気で言うてるんやぞ。お前、そんな生き方で、しかも音楽の世界なんていう生臭い場所でやっていこうと思ってるんなら――いつか本当に、しんどくなるぞ」

 江本は笑っていなかった。道化の仮面を外して、真剣な面持ちで阿佐川を見つめていた。何か言おうと思ったが、植中が目線を投げかけてきたので俺は黙っていた。

「……大丈夫だよ」

 阿佐川は笑う。こいつはいつも、その鋭い目つきに似つかわしくない不格好な笑顔で場を取り繕おうとするのだ。

「……生き急ぐなよ、正之」

 江本は低い声でそう言った。阿佐川も笑顔をやめて、真剣な表情になる、

「わかってる。俺たちはまだまだこれからだ。ちゃんと地に足を付けて歩いていくさ。約束する」

 けれど、俺はただ。阿佐川はそう言いかけて、なんでもない、と首を振った。その言葉の後に続いたであろう何かがなんなのか、俺はいくら考えてもわからなかった。


「――というわけで、神奈川県の18歳、ミホからのお便りを読ませていただきました。いやあ、まさかとは思ったけど、名乗り出てくれるとは。すごいこともあるもんですね」

「おめでとう、みそスープよ……あとは頑張ってツアーのチケットを取ってくれ……」

 阿佐川の落ち着いた声に、テンションの高い江本のそれが被さるようにして続く。

「これでチケット取れませんでしたってなったらマジでウケるよね」

「ショータ、お前ときどき心ない発言するよな」

 植中のクールな発言を、俺がぶった切る。いつものアンスクのノリだ。

 あの後、江本も阿佐川も、何事もなかったかのようにいつもの調子に戻って、こうして仕事を続けている。江本としては、とりあえず今日のところは矛を収めておこう、といった感じなのだろう。

 だが、俺の内心には、湖面に張った薄い氷のように江本の問いが形を残していた。阿佐川正之という人間は、どうやって生きてきたのだろう。そして、何を考え、何を見て暮らしているのだろう。

 彼は、俺が想像するよりはるかに辛い道を歩んでいるのではないか?

 そんな疑問を振り切る。今はラジオに集中せねばなるまい。

「続いてのメールでーす。東京都のナミさんから。『アンスクの皆さん、いつもお疲れ様です』」

「お疲れーい!」

「おつー」

 やる気のない江本と植中の挨拶を尻目に、「お疲れっす」と付け加える。俺も大概、やる気がなさそうに見える発言が多い。

「『今年ももうすぐ終わりますが、2017年の皆さんはライブに音源リリースに大忙しでしたね。アンスクをずっと見ていた私も、今年はとても楽しい一年でした。今度リリースされる新曲も拝聴しましたが、最高にカッコ良くて痺れます』」

「嬉しいねえ」

「聞いた? メッシー。褒められてるで」

 ファンからそういう言葉を貰えるのは、素直に嬉しい。俺はうんうんと頷いて、「どうもありがとうございます」と礼を言った。

「『2018年も、アンスクの快進撃には期待しています。それともうひとつ』」

「何々?」

 江本が聞き返す。

「『我らがフロントマン、ボーカル&ギター、阿佐川正之くん。二十八歳の誕生日おめでとう。君との付き合いはもう五年ほどになるのかな。どうも放っておけないところのある才人ですが、そんな君の魅力に我々はめためたにやられているわけで、これからもどうか四人で協力し、素敵な音楽をバンバン世に放って行ってほしいと思っています。今後ともよろしく。アンプリファイド・スクリーム、マネージャー、七見省吾』」

「七見さんじゃんこれ」

 メールを二度見しながら、植中が言う。阿佐川も驚いた表情で、きょろきょろと録音ブースの外を見渡した。窓の向こうで、七見が両手でピースサインを作っていた。

 七見、あれでお茶目なところのある人だ。

「まさか七見さんやと思わへんかったわ。これもアレやん、メッシーが言うてた……」

 お、そこに繋げてくるか、と俺はにやける。

「じょじゅちゅトリック!」

「また言えてねぇなコイツ!」

 植中はそう突っ込んで、江本の頭をはたく真似をした。降参です、と江本は両手を上に挙げる。

 ちょうど壁にかけられていたカレンダーを見上げる。奇しくも今日は十二月二十二日、阿佐川正之の誕生日だった。

「ま、それはとりあえず。アサ、誕生日おめでとう」

「俺からも、おめでとう」

 江本と植中に乗っかって、俺からも一言。

「アサ、おめでとう。これからもよろしくな」

 阿佐川は一瞬目を丸くして、それから力の抜けた笑顔に戻って、「ありがとな、みんな」と言葉を返した。

「本当に驚いた。これ、サプライズで台本にもなかったんだよ。嬉しいなぁ」

 驚きながらも、リスナーへの説明も含めてすらすらと言葉が出てくるのが、なんとも阿佐川らしい。

「今度の俺たちの新曲、メッシーの作った『フィニッシング・ストローク』の題は、物語における最後のどんでん返しを表す言葉です。プログレ的に二転三転する曲展開からミステリ好きのメッシーがつけてくれた、彼らしい題名だけど――今日のこのメール、まさに『最後の一撃(フィニッシング・ストローク)』だね」

 阿佐川の言葉に、俺は思わず「うまいこと言うなぁ」と感嘆してしまう。

「えーと、とりあえずそんなところで、最後の一曲です。ベックで『デビルズ・ヘアカット』」

 あっさりと流す植中に、すかさず江本が横槍を入れた。

「この流れで『フィニッシング・ストローク』やないんかい! あと『デビルズ・ヘアカット』って一体どういう意味やねん! ずっと疑問なんや!」

 ゆるいビートに乗ったシンプルながら印象的なギターリフに、江本の疑問が響いた。……何をやってるんだ。いやでも確かに、どういう意味なんだ、悪魔の散髪って。


 そんなこんなでラジオ収録は終了し、その後はラジオスタッフたちの計らいもあって阿佐川のプチお祝い会に発展した。二十台も後半に差し掛かると誕生日がだんだん嬉しくなくなってくるものの、こうして祝ってもらえるのは純粋にいいことだよな、と思う。

 何より。阿佐川の近くには、こうして彼を案じてくれる人が沢山いるのだということが、なんとはなしに嬉しかった。

 俺はちらりと隣に座る阿佐川の顔を覗き見る。祝いの言葉を述べるスタッフたちに、彼は笑顔で応対していた。それが本心からの笑顔なのか俺は知らないけれど、とりあえずは大丈夫そうだな、と思った。

「アサ、二十八歳の抱負は?」

 七見に訊かれて、阿佐川は困ったように眉を下げる。うーん、どうしようかな、と考えながら、彼はぽつりと一言、

「家族に胸を張れるようなミュージシャンになりたいです」

 と答えた。

「家族思いやねぇ、アサは」

「えもっちゃんもたまには実家帰りなよ」

「嫌や。帰ると姉ちゃんが色々うるさいんじゃい」

 ワイワイ言い合っている江本と植中をよそに、俺は阿佐川の肩を叩いた。

「ま、頑張ろうぜ。お互い、やりすぎないくらいに」

「……そうだね」

 俺はアンプリファイド・スクリームのギタリストで、阿佐川のいちばんの相棒……の、つもりだ。だから、江本の言うように彼が「しんどく」なったときには、俺が助力してやりたい、と思う。その方法は、よくわからないけれど。

 誰に言うともなく決意を新たにする。

 アンプリファイド・スクリームは、これからも走り続けていくのだから。




   end.

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探偵ロックンロール 廣野紘志 @hrnhrs

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