第2話 暗号とワルツを

 はいこれ、とマネージャーの七見省吾ななみしょうごに手渡されたのは、一枚の封筒だった。

「は? 何ですか? ファンレター?」

「おう、わかんないけど、多分そうじゃないかな」

 多分ってなんだよ、と思いながら、俺――飯島英人いいじまひでとはその封筒を矯めつ眇めつ眺めてみる。今はリズム隊のレコーディングの真っ最中だ。リードギターである俺は、自分の出番に向け、レコーディングスタジオのミーティングルームで時間を潰していた。俺のギブソン・レスポール・スタンダードが日の目を見るには、もう少し時間がかかりそうだ。ソファにぐいと身体を埋めて、行儀悪くテーブルに足を乗せてみる。

 受け取ったのは、何の変哲もない、ビジネスシーンで用いるような白い封筒だ。貰う側なのに偉そうなことを言うならば、ファンレターとしては芸がない。こういうものを出すファンというものは、封筒から何から気を遣うものではなかろうか。

 なんて言うと、お前は何様なんだ、と訊かれても仕方がないだろう。

 どちらかと言えば、俺はこういったものを貰う側の人間である。三年前にメジャーデビューを果たし、現在も躍進中である――と信じたい――ロックバンド、アンプリファイド・スクリームのギタリストであるこの俺は、自分で言うのも恥ずかしいが、まあ、それなりの「有名人」ではあるのだ。

 過去には、シールやらイラストやら写真やらで綺麗にデコレーションされたファンレターを貰ったことがある。そういうものをまめにしたためるのは女性の得意分野だ。男性ファンからの手紙はシンプルでそっけないものも多いけれども、それでも少しは見栄えを気にするものではなかろうか。送ったことはないが、そう思う。

 表面には、シンプルに「東京都新宿区西新宿X-X-XX スカイパークビル新宿7F 株式会社ティケ・マネジメント Amplified Scream様」と宛名が印刷されている。差出人の名前や住所は見当たらない。

「怪しいなぁ。これ、本当に大丈夫なんですか? カミソリレターだったりしません?」

「随分と古典的な発想だなぁ」

 七見は苦笑した。まあ、それもそうだろう。かつてカミソリレターを送っていたような連中は、この現代日本ではSNSに罵倒を書き込むほうにシフトしているのかもしれない。俺自身、身に覚えがないわけではない。

 裏返しても、差出人の身元は書かれていない。そして、よく見れば、もう封が切られている。

「あれ、開いてる。七見さん、これもう読んだんですか?」

「まあ、一応は」

 それを先に言ってくれ。

 という俺の内心をわかっているのかいないのか、七見は飄々と煙草を口にくわえた。本当に、アンスクのメンバーよりも遥かにバンドマンらしい人だ。そういえば、大学時代はスーツを着てミッシェル・ガン・エレファントのコピーバンドをやっていたらしい、という話を耳にしたことがある。

「とりあえず、メッシーも読んでみろよ」

 そう言われて、メッシーこと飯島、つまり俺は封筒から四枚の便箋を取り出した。

 その内容を一瞥して、首を傾げる。なんなんだろう、これは。

「これ……何です? 暗号か何かですか?」

「さあねえ。な、お前向きだろ?」

 七見さんはにやっと笑った。

「ファンレターに紛れて、この手紙が事務所に届いてたんだ。内容はよくわからないけれど、もしかしたらメッシーのミステリマニアぶりを知ったファンからの挑戦状じゃないかな、と思って」

 なるほど、そういうことか。

 ファンレターとして送られてきたということは、おそらくファンからの手紙なのだろう。そして、ファンならば俺が無類の推理小説好きであることは知っている可能性が高い。確かに、挑戦状と見るのはそれなりに筋が通っている気がする。

「……燃えますね」

 舐めてもらっては困る。こちとらドイルとクリスティを胎教に育った、邦楽ロック界きってのミステリファンだ。

 俺はもう一度、手紙に書かれた言葉にくまなく目を通した。手紙には通し番号が振ってあり、読まずとも順番がわかりやすい。

 まずは一枚目。


あなたをおい

かけまつよる

、えきまえで

ぼくらいつだ

つてひとりき

りだったそれ

でもつたえよ

うとてをのば

してくうをき

るゆびさきが

さけんでいる

ああ、じゆう

にがつのほし

はひどくつめ

たくててらさ

れたみちのり

にくじけそう

だよわかたれ

たせかいはと

てもまぶしく

てこきゆうを

するのもわす


 何かの詩だろうか。続いて二枚目。


れそうになる

ねがいいのる

かずだけあい

たあなたちが

ただこころを

うめつくして

しろくなつて

ゆくああまつ

ているいまで

もさけんでる

それでもわか

たれたせかい

はただのせい

じやくでこき

ゆうをするの

もいやになつ

てくるよえら

びとるぼくに

はせおうべき

ものがまだみ

たことのない

けしきにああ


 全部ひらがな表記なのがポイントだろうか。そして三枚目。


いまかなたに

きゆしんくの

たいようこの

だいちをしか

とふみしめる

ふけばとぶよ

うなともしび

なればたやさ

ずにどうかも

えつづけろ「

いずれはさら

ばとてをふる

、そのときま

でのみじかき

ひかりのなか

で。」いのり

にもにたこえ

でわれわれは

そううたいつ

づけないとい

けないのだと

ちかううみは


 前の二枚と内容の毛色が違うように感じる。次は最後の四枚目だ。


きよくはとう

はたかさをま

すくだけるし

ぶきがそらに

ひびきわたる

いきよ、とた

だつげて「い

ずれはさらば

とてをふる、

そのときまで

のみじかきひ

かりのなかで

。」よるはあ

わくほしのま

たたきにきえ

やみはたやす

くとけてしま

うだろういき

よ、とたださ

けびつづけて

あけるそらを

みつめている


 これで全部だ。

 ざっと読んだところで、詩っぽいな、以上の感想は持てなかった。

 この暗号文と思しき文面以外だと、一枚目の上部には『Let it be』、下部には『六弦の三フレット 刻む、』と書いてある。いずれもパソコンで印刷した文字であり、字体で書き手の印象を掴むことは難しい。

「……意味わかんないですね」

「だろ?」

 俺と七見は顔を突き合わせた。

「文面を日本語として読むことはできますけど、そこまでですね。縦読みや斜め読みでもなさそうです。あるいは特定の語を抜いたり足したりも考えましたが、ヒントがなさすぎる」

「暗号の外の文字はヒントじゃないのか?」

「『Let it be』と『六弦の三フレット 刻む、』ですか?」

 確かに、わざわざここに書いてあるからには何かしらのヒントなのだろうが、どう使えばいいのかわからない。

「『Let it be』はビートルズだろうか」

 ビートルズについての説明は不要だろう。この曲も同様だ。ポール・マッカートニーの手がけた名曲中の名曲。題の意味は、「あるがままに」あたりだろうか。キリスト教的な背景があるとか、解散寸前のビートルズを歌った曲だとか、様々な解釈が存在する。暗号との関連性は、よくわからないが。

「かもしれません。『六弦の三フレット 刻む、』は、アジアン・カンフー・ジェネレーションの『振動覚』の一節ですか。この読点はなんなんだろう」

 翻ってこちらは邦楽、ゼロ年代を席巻しなおも活躍を続けるロックバンドの名アルバム『ソルファ』収録一曲目。「六弦の三フレット 刻むマイ・ギター」という歌詞が存在するのだ。

「ビートルズとアジカン、共通項あるのか? いや、ビートルズに影響を受けないロックバンドのほうが珍しいけれど」

「アジカンのメンバーが学生時代ビートルズをコピーしていたとか、『ワールド ワールド ワールド』が『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を意識してるとか、その辺ですか? でも、そのくらいはどのバンドにだってあるでしょう。阿佐川もビートルズ好きですし、影響を受けてる曲は結構ありますよ」

「……お前、早口だな。オタクだろ、アジカンの」

 うるさい。

「これがヒントだとして、暗号の本文にどう影響するんでしょう。ヒントを足掛かりに読み方を考えるのは、割と近道だと思うんですが」

「うんうん。で、メッシーのアイデアは?」

「……わからん!」

 俺の言葉に、七見はずっこけた。

 それと同時に、レコーディングブースから他のメンバーが帰ってきた。リズム隊の録音がひと段落ついたらしい。

 ベースの江本恭司えもときょうじは、「いやーめちゃくちゃダメ出しされたわあ」などとドラムの植中将太うえなかしょうたにベラベラ喋りかけている。植中はそれを頷きながら聞いていた。既に両者の人間性が如実に現れている。

「おっ、メッシー来てるやん。どうせ暇してんのやろ。遅刻してきてもよかったのに」

 大阪生まれ東京育ちの江本は、バリバリの関西弁を隠さない。大阪にいたのも十代の頃の話だ、そろそろ方言を忘れてきてもいい頃合いなのに、彼の関西人としてのプライドがそうさせるのだろうか。

「メッシーは真面目だから。お前と違って」

 そう鋭くぶった切る植中は下町育ちの東京っ子だ。ちなみにボーカルの阿佐川は埼玉、俺は神奈川出身である。どうでもいいが。

「まあそれはいいんだけど、録音どう?」

「エンジニアさんにむちゃくちゃ怒られたわ。弾き方雑すぎって」

「俺もアタックが弱いって言われた。この分だとメッシーも絞られるよ」

 今回のレコーディング・エンジニアは辛辣なお方のようだ。身が引き締まる。

 それにしても、怒涛の夏フェスシーズンを終え、バンドとしての体力もだいぶ増強したつもりでいたのに、まだ足りないというのか。音楽の道は険しいものだ。

「ていうかメッシーの曲が難しいねん。アサのシンプルな曲作りを見習え」

 江本はそうぼやく。次のシングルに収録されるであろう新曲は、三曲とも俺が作曲を担当している。既に二曲は完成し録音を終え、嬉しいことにスタッフや友人たちといった周りの人間からも好評を得ている。普段は阿佐川が作曲にあたることが多いけれど、たまにはこういう趣向もいいだろう。

「アサの曲作りがうまいことは認めるけど、俺の頑張りも認めてほしいな」

「俺は好きだけど、メッシーの曲」

 俺のぼやきに、植中がフォローを入れてくれる。気の利く男だ。

 江本も慌てて、「いや、俺も好きやし、今回の新曲」と訂正する。いつ見ても賑やかなバンドである。……大体は江本のせいなのだが。


「あ、そうだ。えもっちゃんもショータも、暗号に興味あったりする?」

「は? 何やそれ。お前やあるまいし」

 一刀両断されてしまった。その言い方はないだろう、という言葉を飲み込んで、経緯を説明する。普段いかに俺の語るミステリ話に興味がなかろうと、自分たちの元に送られてきたファンレターの暗号とあれば話は別だ。江本は目を輝かせ、植中も真剣に聞き入っている。

「俺、わかってもうたわ……解読すると、『江本さん大好き』になるやつやん?」

「脳味噌が自分に都合良く働きすぎでしょ」

 漫才コンビは今日も絶好調である。とりあえず、二人に本文を読ませることにした。

「わっかんねぇなぁ。ひらがななのがポイントだと思うけど」

「それな。ヒントがたぬきでたを抜く、とかそっち系やな」

 二人とも、頭を抱えている。俺は七見とにやにやしながらそれを見ていた。

「この但し書き、『振動覚』やんな。俺、アジカンむっちゃ好きやねん。こういうとこで使われるの、なんやムカつくわぁ」

「アジカン、エルレガーデン、ストレイテナーが青春な世代だからな」

「そ。仲良し三人組やな。俺はやっぱりアジカンが一番好きや。あの独特で文学的な歌詞がええ。……歌詞といえば」

 江本は、暗号の書かれた便箋をひらひらと風に泳がせる。

「これ、フロプリの新曲の歌詞やないの?」

 一瞬、全員が沈黙した。俺は思わず叫ぶ、

「それを先に言え!」

 フロプリ、とは俺たちとも親しいスリーピースのバンドで、正式名称はフロム・ザ・プリクエル。去年メジャーデビューを果たしたばかりだが、インディーズでの下積みが長く、活動期間としては俺たちと同じくらいの同期といっていいバンドである。ボーカルの神崎敏一かんざきとしかずと阿佐川は同郷で、公私問わず親しくしている仲だ。俺もメンバーとは交友があり、時折飲みに行ったりしている。特に神崎とはなんとなく馬が合うので、音楽話に花を咲かせることも多い。ちょうどこの間も、まだデモテープの段階だった俺の曲を聴いてもらって、色々と感想を語り合ったところだ。

「でも、フロプリの新譜ってまだ出てないよな。発売は俺たちの新譜と同じくらいだろ? 歌詞って公開されてんの?」

 俺の質問に、江本は首を振る。

「いや、まだやと思う。神崎ちゃんとラインやってて、『今回のシングルは両A面なんだけど、歌詞の毛色が全く違うんだ~』とか言うて、書いてる途中の歌詞の画像送ってもろたんや。それがこんな感じやった。でも、なんで……」

 江本はそう言ってから、何かを考えるように顎に手を当てる。それから、さっと顔色を変え、急いでスマホを取り出して何かを打ち込んだ。

「えもっちゃん?」

 植中の問いかけにも、江本は答えない。訝しがっていると、江本は気まずそうな表情をしながら、スマホの画面をこちらに向けた。

 そこには「フロプリファン注目! 新曲の歌詞を独占公開!」という文字があった。ただし、それは公式のウェブサイトやそれに類するもの、各種音楽メディアのそれではない。明らかに安っぽい、まとめブログのようなサイトだ。

「今、急いでフロプリの湊ちゃんにライン送った。そしたら、やっぱりそうやった。フロプリの新譜の歌詞、ネットに流出してもうたんや」

 ベース同士で縁があるのか、江本はフロプリのベーシストの湊由紀恵みなとゆきえに連絡を取ったようだ。

 公開前のネットへの流出は、昨今の音楽業界にとっては事欠かない話題だ。バンドの直接の関係者が漏らしているのか、流通の過程で関わった人間が流すのか、ケースは様々だろう。漏れたのが音源そのものでないだけまだ良かった、と思う他ない。

「流出した歌詞を、なぜわざわざ俺たちのバンドに送り付けたんだろう」

 俺の疑問に、七見が低い声をかぶせる。

「フロプリへの嫌がらせか、それともウチへの嫌がらせか。どちらにしても、不可解な行動だ」

 七見もまた、バンドの「関係者」である。同じ立場の人間がしでかしたかもしれないリークに、彼は静かに憤っているようだ。

「これ、送ってきた宛先は、俺たちの公式サイトのファンレター送付先として掲載されている宛先ですよね。俺たち個人の住所だったり、事務所宛のものではない。ということは、業界人じゃないファンとか一般の人が、ネットに流出した歌詞を紙に印刷して送ってきたってことですかね?」

 植中は江本から手紙を受け取って、そう考えを述べた。それに七見が素早く反応する。

「そうかもしれない。だが、それを見越している一般人を装う業界人の可能性もあるだろう。特定の材料としては弱い。……そう思わないか、メッシー」

「ですね。ただ、俺はなんとなく、これは普通の人のやったことって感じがするな。悪意をあまり感じない」

「おいおい。ミステリマニアが勘で推理してええんか」

 江本に突っ込まれる。

「そう言われると、返す言葉もない」

「今日は殊勝やん。さてはお前、エンジニアさんに恐れをなしたな」

「一介のミステリマニアとして、事実を認めただけだ」

 それはともかく、だ。

 俺は江本のスマホを借りて、フロプリのメンバーに心の中で謝りながら、ネットに流出した件の歌詞を見てみることにした。

 まずは一曲目。タイトルは『分かたれた世界』。



貴方を追いかけ待つ夜、駅前で

僕等 いつだって独りきりだった

それでも伝えようと手を伸ばして

空を切る指先が叫んでいる


嗚呼、十二月の星は酷く冷たくて

照らされた道のりにくじけそうだよ


分かたれた世界はとても眩しくて

呼吸をするのも忘れそうになる

願い祈る数だけ開いた穴たちが

ただ心を埋め尽くして

白くなってゆく 嗚呼……


待っている 今でも

叫んでる それでも


分かたれた世界は只の静寂で

呼吸をするのも嫌になってくるよ

選び取る僕には背負うべきものが

未だ見たことのない景色に 嗚呼……



 いつもの神崎らしい歌詞だ。二曲目は『サラバ白波』。



今 彼方に消ゆ 真紅の太陽

この大地を しかと踏みしめる

吹けば飛ぶような灯なれば

絶やさずにどうか 燃え続けろ


「いずれはサラバと手を振る、

その時までの短き光の中で。」

祈りにも似た声で我々は

そう歌い続けないといけないのだと

誓う


海は清く 波濤は高さを増す

砕ける飛沫が空に響き渡る

生きよ、と ただ告げて


「いずれはサラバと手を振る、

その時までの短き光の中で。」


夜は淡く 星の瞬きにさえ

闇は容易く溶けてしまうだろう

生きよ、と ただ叫び続けて

明ける空を見つめている



 一曲目とはだいぶ毛色が違う。ただ、一番に比べて二番を短く収めている構成は似通っている。二番に「Aメロ→Bメロ→サビ」のJ-POP的な構成を持ってこないのは、フロプリの、というか神崎の曲の特徴だ。「冗長な曲はめんどくさい」とか言っていた気がする。「メッシーの曲は長くてもちゃんと成立してるからいいよな。流石は推理小説好き、凝ったことをやると映えるね。俺がやるとただの繰り返しになる。元々メロコア畑の人間だし、短い方が性に合うんだよね」とも。

 暗号と突き合わせてみると、同じ内容であることがわかる。やはり、歌詞の流出と何らかの関係があると見て間違いないだろう。

 それでも歌詞を送り付けられる意味がわからない。これがもし神崎に向けて送られていたら、「お前たちの新譜の歌詞を流出させてやったぞ」という脅迫の意味合いが生まれてくるかもしれない。しかし、俺たちに送られても、というのが正直な感想だ。

 やはり、ただ歌詞を送り付けただけではなく、あれは何らかの意味がある暗号なのだろうか。

「湊ちゃんから返信きた」

 江本がスマホを操作し、ラインの画面を表示する。

 湊からのメッセージだ。「うん。うちのマネージャーもすごい慌ててて、現場が犯人探しみたいになっちゃってる。暫くはしんどい状況が続きそうかなぁ……。あと、新譜は曲名とは別に、シングル全体を『Let it be』って題名にするつもりだったの。そこは漏れてなかったから、本当にピンポイントで歌詞だけ流されたみたいね」とのこと。

 俺たちは息を飲んだ。

 手紙の一枚目に書かれていたのは、シングルのタイトルだったのだ。

「……それがわかったところで」

「だからどうしたって話だよね」

 俺のため息に、植中が言葉を重ねた。

 そうなのだ。片方のヒントの意味がわかったところで、何の解決の糸口にも繋がっていない。「何故フロプリの新譜の歌詞リークがアンスクに送られてきたのか」が課題なのだから。

「やっぱりこれは暗号なんだろうな。だから、ここらでちょっと話を整理しよう」

 俺は改めて手紙を眺めながら、持論を展開することにした。

「暗号は全てで四枚の手紙に羅列されている。全てひらがな表記。枠外に『Let it be』『六弦の三フレット 刻む、』の但し書き。俺たちの事務所に、ファンレターの宛先で送られてきた。送ってきた奴は不明。……こんなところか?」

「うむ」

 腕組みをした江本が頷く。

「ひとつ、暗号の意味はなんなのか。ふたつ、暗号の送り主は誰なのか。みっつ、何故俺たちに送ってきたのか――フロム・ザ・プリクエルではなく、アンプリファイド・スクリームに送り付けてきたのか」

「後者二つは、暗号を解けば目的と一緒におのずと見えてくるんじゃないかな」

 植中はそう言いながら、ミーティングルームに備え付けてあるサーバーから麦茶を淹れている。マイペースな男だ。

「となると、やっぱりこれを解かないことにはわからへんっちゅうことかぁ……」

 大仰に顔を歪めてみせる江本。七見はいつもの冷静さを崩さないが、それでも興味津々といった表情だ。

「もう一度、暗号を検討してみるしかない」

 そう俺が言うと、植中も麦茶の入ったコップを片手に戻ってきた。手紙をテーブルの真ん中に置く。バンドメンバー三人とマネージャー一人、テーブルを囲んで顔を突き合わせる。

「ノーヒントで解くのは無理でしょ。やっぱり、ヒントと思しきこの文面をとっかかりにすべきじゃないか?」

 植中は、人差し指で『Let it be』の文字を指した。

「二つのヒント――『Let it be』と『振動覚』に共通項ってないか? 作ってる側の事情やなくても、歌詞に共通するフレーズがあるとか、そういうの、あるやろ」

 江本の言葉に、植中はすかさずスマホで検索を始める。

「英語詞と日本語詞だからねぇ。……『世界』とか『言葉』とか、そういう歌詞頻出語句だったら共通するけど?」

「『世界』。『分かたれた世界』と通じるな」

 良いことを言った、と言わんばかりに自慢げな顔をする江本に、すかさず反論を入れてしまう。

「それだったらどうなるんだ? 『世界』という言葉を暗号から引く、あるいは付け加える。それで意味のある何かが現れるか?」

「……ないですね」

「そもそも、『世界』というフレーズを浮かび上がらせたかったら、他にいくらでも使える曲はあるだろ。アジカンなら尚更だ。……七見さんには言ったけど、アジカンにはそのまま『ワールド ワールド ワールド』ってアルバムがある。収録曲には『ワールド ワールド ワールド』、『ワールド ワールド』、トドメに『新しい世界』。『世界』を連想させるのに使わない手立てはない」

 江本も相当なアジカンフリークだが、阿佐川にはかなわないものの、こっちのほうが上手である自信はある。しかし、「ワールド」を連呼しすぎて呂律が回らなくなりそうだ。

「『Let it be』、曲名と思わせてアルバム名とか、ドキュメンタリー映画のほうだとか、いろいろ考えたんだけど……どれもとっかかりにならない」

 洋楽に明るい植中はそちらの但し書きから考えを進めているようだが、いまいち進展がないようだ。俺も得意分野から思考を巡らせようと、「振動覚」の歌詞を思い起こす。

「『振動覚』の『永遠の生命』が、オアシスの『リヴ・フォーエヴァー』からきてるっていうのは有名な話だけど、特にここでは関係ないよな」

 いわゆるオマージュである。『夜明けの雨』は、『リヴ・フォーエヴァー』の歌詞の『イン・ザ・モーニング・レイン』というくだりから。『リライト』の大ヒットののち、バンドの快進撃を象徴するような、「今、ここで歌うこと」をそのまま表現した歌詞に、多大なる影響を受けたロックバンドのオマージュを仕込む粋な計らいがなんとも憎い。

 ――それにしても。一方は伝説のロックバンドが解散する直前に発表された、引き裂かれるメンバーのことを思って書かれたともいわれる曲。もう一方は躍進する新人ロックバンドが熱狂の最中で書いた、自分たちの今とこれからを歌う曲。

 終わりと始まり。暗号の制作者が何を思って引用したかは知らないが、これは数奇な取り合わせと言えるのではないか。

「ヒントから推理するのも難しい……か。この二つのヒントは相関するものではなく、それぞれ別個の情報と見たほうがよさそうだな」

 話のまとまらなさに、七見はため息をついた。

「暗号のほうも、さっきから同じ文字抜いたりしててんけど、やっぱわからへんわ。……あーあ、こんな時、アサがいてくれたらなぁ。あいつなら、ちゃっちゃと解いてくれるんとちゃう?」

 江本に阿佐川の名前を出されて、俺は少しむっとする。確かに阿佐川なら、少なくとも俺たちよりはまともな推理を考えだしてくれるはずだ。それでも、俺が持ち込んだものなのだから、阿佐川に頼るのは最後の手段にしたい。

 そうだ、と思いついた。

「ちょっと待って」

 そう言って、俺は鞄の中に放り込んであるタブレットを取り出した。この端末には電子書籍リーダーがインストールしてあって、通勤の電車の中などで読むのに重宝している。俺はそのアプリを立ち上げると、蔵書の中から目的のものを探し出した。

「……あった。江戸川乱歩全集の『続・幻影城』」

 目次からお目当てのページに飛ぶ。横から覗き込んできた江本が「なんやなんや」と囃し立てた。

「乱歩の評論集か?」

 七見もそこに加わる。俺は頷いて、続けた。

「ええ。評論やエッセイを集めたものです。この中でも『類別トリック集成』という様々な作品のトリックの分類を試みた評論は有名で、各所で引用されるものなんですが、この中に暗号の分類があったはずで……」

 有栖川有栖の『英国庭園の謎』で引用されていて知り購入したのだが、こんな場面で使えるとは思っていなかった。暗号を前に乱歩を持ち出してくるギタリスト、中々にカッコいいではないか。――などと自己陶酔している場合ではない。

「乱歩の分類は六種類。俺の説明を入れると……割符のように示し合わせたアイテムをもって解読しなければいけない割符法、手旗信号のように形を簡略化し記号にする表形法、間接的な表現でもって表す寓意法、語句を入れ替える置換法、文字を図形や数字に対応させる代用法、暗号とは別の媒介手段をもって読み解く媒介法。

 この手紙の暗号、俺たちに送ってきたってことは、俺たちが読める可能性のある暗号だと思う。つまり、割符法ではなさそうだ。記号でもないし、形を表してもなさそうだから、表形法も除外。代用法でもない。となると、考えられるのは、寓意法、置換法、媒介法」

「よくわかんないけど、こういうのって寓意法が多いんじゃない? 暗号じゃないけど、『月が綺麗ですね』が『アイ・ラブ・ユー』になるのだって寓意法だよね」

 植中の指摘は鋭い。

「乱歩は和歌を例に出してるし、機械的に解くんじゃなくて考えて解くもので『探偵小説には最も作例が多い』って言ってるから、その通りかもしれない。この暗号が寓意法だったら、一語一語意味を検討しないといけないよ。骨が折れるな」

「待って待って。寓意法ってことはものの喩えなんやろ? そうやとしたら、ひらがなで表記する必要はどこにある?」

 江本は右手を挙げて待ったをかける。言われてみれば、それもそうだ。

「俺はやっぱり置換法推しや。ただ、どう入れ替えても意味が繋がらへん。ヒントはそこのところへのフォローなんやと思うんやけどなぁ」

「乱歩の分類だと置換法にも種類があって、単純にワードを逆にするものから縦読み横読み、全部ぐちゃぐちゃに置き換える、特定の文字を入れたり抜いたりする、と様々なんだ。これはそれらの組み合わせなのかもしれないな」

「やとしたら、やっぱりヒントが重要やねんけど――わからへんな」

「媒介法の線はないか?」

 七見が口を出す。それは俺も考えていた。

「となると、何かしら他のものを参照すべきなんだろうけど、このヒントからそれを見出すのは難しいな。スマホやパソコンのキーボードとも一致しないし。他に、俺たちに読めそうなものってなんだろう」

「それもそうだ。無教養だもんな、お前ら」

 七見の軽口に、江本が「むきーっ」と声を上げた。

「七見さんに舐められて悔しい。絶対に解いてやる!」


 江本がそう口にしてから一時間。俺たちは、ああでもない、こうでもないと唸り声をあげていた。俺たちをおちょくった七見さんでさえ、紙とペンを前に考え込んでいる始末である。レコーディングの休憩時間も、そろそろ終わらせたほうがいい頃合いだ。

 完全に手詰まりになったところで、ミーティングルームの扉が開いた。

「遅くなってごめん。今、どんな感じ?」

 ひょろ長い長身に黒縁眼鏡。およそバンドマンとは思えない、いや、今となってはむしろ文化系バンドマンらしいというのか、そんな風貌を持つ男。我らがフロントマン、阿佐川正之あさがわまさゆきがやってきたのだった。俺たち四人は、まるでフェスで目当てのバンドが登場したときのファンのように顔を輝かせた。

「遅れて来たな、ヒーロー」

 江本が囃し立てると、阿佐川は怪訝な顔をした。

「よくわかんないけど、今日の午前中はラジオ出演だったから、遅刻じゃないんだよ」

「遅刻はえもっちゃんの専売特許だから」

 植中が付け加えると、江本は不服そうな顔をする。事実なのだから仕方がない。

「とりあえず、江本植中はひと段落。休憩したら再開かな。あ、アサは仮歌録りがあるね」

 手帳を繰りながら七見が答える。阿佐川は「ちょっと休みたいかなぁ」と苦笑した。

「なぁなぁなぁ、アサ、暗号に興味あらへん?」

 すっかり件の暗号に魅了されたのか、江本はさっそく例の手紙を阿佐川に差し出す。言葉足らずな江本の代わりに、俺が阿佐川への解説を担当した。

「ふぅん……」

 手紙を受け取ると、阿佐川はしばらくの間それを読んでいた。その間、三人と七見は黙ってそれを見ていた。なんとなく、何かをしゃべるのがはばかられる雰囲気だったからだ。

 それから、阿佐川は「書けるもの貸して」と掌を差し出してきた。すかさず七見が手持ちのペンを渡すと、ありがとうございます、と小さく言って、また自分の世界に没入する。左手で喉をつまむ、何か考え事をするときの癖を発揮しながら、右手は手紙に何事かを書き込んでいる。

「わかった。暗号、解けた」

 阿佐川はそう言って、すぐさま眉根を寄せた。

「でも、これはメッシーへの挑戦状なんかじゃない。……いや、それはそうかもしれないけれど、そんなお遊びで済むものじゃない。マジで喧嘩を売りにきてるものだよ」


「よくわかんないけど……どういう暗号だったんだ?」

 植中の質問ももっともだ。暗号を読み解けない俺たちには、阿佐川の発言は意図がつかめない。

「まず、暗号の四枚をもう一度よく見て。これは何故ひらがななのか、というところには多分思い至ったと思うけど、もう一つ重要なところがある。これ、なんで六文字で改行してあるんだろうね。しかも、全部が全部二十二行ある。ここがポイント。

 六かける二十二。この数字を見たら、俺たちのような人間はすぐ思い至らなくちゃいけない。特にメッシー、お前は気付くだろ?」

 何が……と言いかけて、思い至った。

「ギターだ」

 六弦かける二十二フレット。これはまさしく、ギターの構図だ。

 ギターの弦の数くらいは、誰でも知っているだろう。フレットはギターネックの指板を区切る金属の帯で、これを目安にして音程を測るものだ。弦に垂直に交差しているアレである。フェンダー社のギターは二十一フレット、ギブソン社は二十二フレットが多い。俺の用いるギブソン・レスポール・スタンダードも、もちろん二十二フレットだ。

「ギターを垂直に立てかけたところを想像して、文字をそのまま当てはめる。最初の『あ』が六弦一フレットに相当していて、そのまま一弦二十二フレットまで続く。『振動覚』のヒントが書かれた一枚目の『六弦の三フレット』を見てみると、『、』だろ? あの引用は、そういうヒントだったんだよ」

 なるほど。先程持ち出した乱歩の分類で言うのなら、ギターという媒介要素を用いる媒介法、ということか。言われてみれば、何故気付かなかったのだろう。

「……確かにその通りみたいだな。でも、それがわかったところで、この歌詞が示すメッセージはわからない。ヒントを読もうにも、『Let it be』はシングルの名前なんだろ? もう使えるヒントは……」

「それもヒントなんだよ」

 阿佐川は人差し指をぴんと立てた。

「メッシー。腐るほど弾いただろうから聴くけど、ビートルズの『Let it be』のクソ有名なコード進行は?」

「C、G、Aマイナー、F……のアレか?」

 ダイアトニックコードでまとめられた、シンプルな流れだ。それゆえに訴求力も高いのだろう。

「ギターを模した手紙が四枚。ちょうど当てはまると思わない?」

「……そうか」

 手紙を見ると、阿佐川はいくつかの文字に丸をつけていた。今の流れを経て、その意味がようやくわかる。

 一口にギターコードといっても、ハイコード・ローコード・パワーコードと様々な押さえ方があるが、Cのコードのいちばんメジャーな押さえ方は、人差し指で二弦一フレット、中指で四弦二フレット、薬指で五弦三フレットを押さえるやり方である。

 これを件の暗号表に合わせて読むと、「おまえ」。

「一枚目にC、二枚目にG、三枚目にAマイナー、四枚目にFの押さえ方を適用して読んでいくんだ。Fはバレーコードだから、一フレットの文字は全部読む」

 ギターを始めた人間が最初にぶつかる壁、Fコード。人差し指で一フレットをセーハ(弦六本をすべて押さえること)し、あとは中指で三弦、薬指で五弦、小指で四弦を押さえるのが王道。セーハを必要としない邪道なやり方もいくつかあり、俺はそっちを愛用している。

「……そうして現れた文字を繋げる。そうなると生まれてくる文面が、『おまえがかいたしんきよくはとうさくだ』。お前が書いた新曲は盗作だ、になる」

 ぞっとした。

 軽い気持ちで解き始めた暗号が、そんな意味を持っているとは思わなかった。

「盗作の告発? これを俺たちに送られてもどうしろって言うん?」

 江本がそう言うと、植中もそれに続く。

「一般の人が送ってきた、という説を真だとするのなら、これってフロプリの新譜のことを言ってんのかな。でも、俺たちに言うのはお門違いだよなぁ」

 俺は、阿佐川をちらりと盗み見た。眼鏡の奥の鋭い目線が、ややあって俺を捉える。その目は、安心しろ、と言っているように思えた。

「この手紙の送り主が業界人ではないかどうか、確たる証拠はない。でも、問題は、手紙の送り主が神崎くんでなかった場合、この暗号を仕込むのは不可能だということ。百歩譲って他のコードに対応する歌詞が偶然見つかったとしても、四枚目のセーハの部分、これは歌詞を作る段階で暗号を仕込んでおかなければ成り立たないだろ?

 つまり、この暗号の主はフロプリ、というか神崎くんだ。だから、盗作を告発しようとしているのも神崎くんだろうね。

 では、神崎くんが告発したかった相手は誰なんだろう。おそらく神崎くんは、歌詞と『Let it be』という暗号をもってその相手に挑戦を挑むつもりだったんだろうね。それだけだと難解だから、この手紙のようなものを送り付けたかもしれない。

 ここで気になるのは、『新曲』というワード。あとは暗号。そして、この手紙が俺たちに送り付けられた事実」

 固唾を飲んで、その言葉の続きを待つ。

「神崎くんが告発したかったのは、飯島英人。メッシーだよ」

 その場がざわついた。当たり前だ。それは、俺が書いた新曲が盗作である、と言ったに等しいのだから。

「メッシーが盗作したって、神崎はそう言いたいのか?」

 七見の問いに、阿佐川は頷く。

「少なくとも、神崎くんはそう見ているはず。俺たちの今度の新曲が、盗作だと言いたいんだと思う。それで、匿名のファンレターを装ってこの手紙を寄越した。ネット上に歌詞を流出させたのも、恐らく神崎くん自身だろう。そうすれば、ネットを見た誰かが手紙を送ってきたと誤認させることができるからね。ただ、暗号の内容が作り手を特定してしまうものだったのは敗因だ。

 あとね、本当に流出させたいのなら、それこそ音源データそのものを流すよ。音楽だってストリーミングとフリーダウンロードの時代だ、同じような例は枚挙に暇がないだろう。歌詞だけ流出させる、なんて芸当は、何か目的がないとやらないものだ」

 植中も、江本も、七見も、沈黙していた。

 俺に投げかけられる目線。

 言いたいことは、痛いほどわかる。

「……メッシー。正直に答えてくれ。お前は、盗作なんかしていないだろ」

 答えられない。

 背中に冷や汗をかいているのがわかる。

 阿佐川正之に対して、嘘はつけない。隠し事もできない。

 それは、これまでの経験でわかっていることだ。

 それでも。

「わかってるよ。メッシーが言いにくい理由も。盗作したのは、神崎くんのほうだったんだろ?」

 泣きたくなった。

 この男には、全部お見通しだ。

 あの時。俺がバンドを辞めると言い出したときも。

 阿佐川は、俺が本当は辞めたくなかったことを見抜いていた。だから、俺が翻意するまでじっと待っていたのだ。

「フロプリの新曲、こうして歌詞は目にしたけれど、曲自体は聞いてないんだよな。代わりに、俺たちの新曲は、神崎くんにも聴かせてる。神崎くんはそこから、メッシーの作る曲を真似てしまったんだ。

 それがバレてしまえば、大変なことになる。正式に盗作と認定されなくても、業界にそういう話題が広まってしまえば、もちろん仕事に影響があるからね。だから神崎くんは自分から打って出ることにした。メッシーのほうが盗作したことにすればいい、と。彼は自分が被害者であることを装うために、告発するような暗号を書いて俺たちに送った。バンドメンバーや関係者に広く周知されるように画策したんだ。多分、俺が暗号を解くことも考慮に入れてたんだろう。

 暗号が解かれれば、アンスク、ひいてはメッシー自身に盗作の疑惑がかかる。最悪、解かれなくても、怪文書として処理されるだけだろう。あるいは、神崎くんはただ疑念によって俺たちの仲にひびが入ることを望んでいたのかもしれないな。

 さっきからメッシーが黙っているのは、それに気づいたからだね。自分が盗作したのでなければ、神崎くんが盗作したのだとわかる。神崎くんを庇おうとしてるんだ」

「……」

 その通りだった。俺の浅はかな考えは、瞬時に阿佐川に見抜かれてしまった。

「なあ、メッシー。なんで神崎ちゃんのこと庇うん? 自分の子供に等しい、自分で作った曲を勝手に盗作っちゅうことにされて。しかも自分がパクってるのバレたくないからって……。キレても仕方あらへんどころか、大いに納得する場面やないんか?」

 江本は心配そうに俺の顔を覗き込む。こいつは語調こそ強いけれど、仲間意識が強くて、案外優しいところがあるのだ。

 植中もそれに同調する。

「神崎くんの胸中はわからないけど、それは絶対やっちゃいけないことだろ。メッシーが庇う必要なんてない」

「俺も同意見だ。だからこそ、メッシーの言葉で説明して欲しい」

 阿佐川にまでそう言われてしまったら、答えざるを得ないだろう。

「……だって、友達だろ」

 神崎は、俺の曲を褒めてくれた。

 インディーズ時代、俺が初めてアンスクに曲を持って行ったとき、メンバーの反応は芳しくなかったけれども、当時から付き合いのあった神崎に聴かせたら、「お前、やるじゃん」と言ってくれた。彼は、「アンスクは、メッシーがもっと曲を作っていくべきだ。アサとの相乗効果で、すごいことになるぞ」と常日頃から豪語していたのだ。

 その後も、新曲を出すたびに連絡をくれ、内容を褒めてくれた。今作のギターソロはキレキレでかっこいいとか、すごく耳に残るリフでつい口ずさんじゃうよとか、俺の曲もそうでない曲も、とにかく一生懸命に向き合って、ひとつひとつ感想をくれたのだ。

 メッシーの繊細さが曲の緻密さに繋がってるんだと、彼はよく口にしていた。

「……盗作だけじゃなくて、それを俺になすりつけられて、俺だって本当はムカついてる。でも怒るに怒れない。だって、フロプリはアンスクの戦友で、神崎くんは俺の友達で、大切なファンの一人でもあるんだから」

 呆れられるだろうか。ここまでやられておいて、なんて甘っちょろいことを言ってるんだ、と怒られるだろうか。

 阿佐川は、笑うことも、怒ることもなかった。ただ静かに、

「ちゃんと神崎くんと話し合うこと。その結果が決裂であれ、和解であれ、俺は関与しない。これは、メッシーが決着をつけるべき案件だ」

 と言った。


 ミステリ好きの俺が思うに、暗号とは、「伝えたい」気持ちと「伝わらない」諦観のアンビバレントから生まれるものだと思う。

 そもそも、ミステリ自体がそういう性質を孕むものだ。死人という「伝わらない」相手から、推理によって「伝えたい」ことを読み取る。

 「伝わらない」それでも「伝えたい」。それはあまねく人間に普遍的な感情だと俺は思う。ミュージシャンとて同じだ。俺たちの意図が受け手に百パーセント伝わることなどない。それでもこの瞬間のフィーリングをどうにか共有したくて、なんだかよくわからないものを音楽に乗せて叫ぶ。伝えたいことなどない、というミュージシャンもいるし、その気持ちもわかるけれど、人前で音楽をやる以上、そこには何らかの「叫び」があるはずなのだ。

 なぜ「叫ぶ」のか。誰かに聴いてほしいからだ。

 神崎の「叫び」に、俺は気付くべきだったのではないか。

 あの暗号こそ、彼が発したSOSではなかったか。

 阿佐川が謎を解いた日の夜のことだ。俺はさっそく神崎に電話をかけた。近頃はなんでもラインやツイッターで済むから、電話をかけるのなんて久しぶりだ。

「もしもし。メッシー? どうしたんだ?」

 神崎の声が聞こえて、俺は改めてひとつ深呼吸をした。そして、言いにくいことを口にする。

「……神崎くん。フロプリの新曲の暗号、わかったよ。解いたのは、俺じゃなくてアサだけど」

「……」

 沈黙。電話だから、相手の表情や仕草をうかがい知ることはできなくて、それが酷くもどかしい。

 少しの間があって、神崎は言葉を返してきた。

「じゃあ、俺が何をしようとしたかもわかってるってことだよね。で、メッシーはどうする? 逆に俺が盗作したって告発し返す?」

「おい、神崎くん」

「恨み節のひとつやふたつ投げかけられたところで、俺はもう翻意しないし謝りもしない。こうするって決めたんだから」

「違う。俺は君を糾弾しようとしてるんじゃない。違うんだ。伝えたいことがあるんだ」

 またも沈黙。ただ、今度は表情が見えなくても困惑を感じることができた。

「……説得でもしようっていうのか?」

「君が腹を括っているところに、説得もクソもないだろ。第一、長い付き合いの俺に罪をかぶせるなんてこと、相当な覚悟じゃなければできないことだ。今更口にすることでもないけど、友達だろう、俺たち」

「……お人よし」

 直球の一言に、うぐぐ、と呻く。

「ああそうさ、俺は人を疑うより信じるほうを選ぶタイプなんでね。

 君だってそうだろう。あの暗号、アサが解かなければ、俺がフロプリの曲を盗作したという告発には誰も気付かない。神崎くんも、アサの鋭さは承知の上で、あいつが暗号を解くことを前提に計画を立てていたはずだ。

 だとしたらおかしいんだよ。アサが謎を解くこと自体が君の思惑通りであるというところにまで、アサが気付く可能性に思い至らないはずがないだろ? アサは必ず全ての真相に辿り着く。そう信じていたからこそ、チャンスのあった計画じゃなかったのか?

 それに、暗号を送り付けたいだけなら、いちいち曲の歌詞にする必要ないだろ。わざわざパクった曲の歌詞に『盗作してるのはお前だ』なんてメッセージを、何の考えもなく乗せてるんならバカだ。第一、曲が発売されたら俺たちの元にも届くのに、わざわざ先んじて手紙で送ってくる理由もわからなくなる。

 神崎くん、俺に気付いてほしくて、こうしただろ? 最初から、俺たちが暗号を読み解く前提だったろ?」

 返答がなかろうと、俺は思いの丈を喋り続ける。そうするしかない。

 暗号のような言葉を読み解く鍵は、ただひとつ、必死に理解しようとする努力でしかない。ひととひとの関係性だって、還元していけばそうだ。伝えようとすること、受け取ろうとすること、その悲しいまでの努力なしには、俺たちは分かり合えない。

「盗作した曲に、他人にはわからないように俺への糾弾を乗せる。そうすることで、発売前に俺に気づいてほしかったんだな。手紙というヒントまで送り付けて。

 アサが気付いて、俺に伝えて、俺が君に反論する。最初からそれを求めてたんじゃないのか。あるいは俺に咎めて欲しかったのかもしれないな。その辺の按配は、君に直接訊かないとわからないけれど。

 たぶん、君は俺に言われたかったんじゃないか。盗作なんてするな、自分の力で曲を書け、って。……だったら言ってやる。俺はフロム・ザ・プリクエルが好きだ。神崎敏一のファンなんだ。神崎くんの作る曲が好きで、新作を楽しみに待っているうちの一人なんだ。

 俺は、神崎くんの曲が聴きたいんだ」

 うまく伝えられた自信はない。いつだって言葉は不完全で、思いの丈をそのまま表すことなどできない。

 それでも、だからって、何も言わないでいるより百倍はマシだ。

 ややあって、スマホのスピーカーから、呻くような神崎の声が聞こえた。それはやがて嗚咽になり、彼は苦しげに声をひきつらせた。

「……メッシー。俺さぁ……、曲、書けなくなっちゃったんだよ」

 それは、ものを創る人間の、心の底からの叫びだった。

「フロプリは、俺がバンドにデモテープを持って行って曲を作る。だけれど、ある日、突然作曲ができなくなった。全然アイデアが浮かんでこないんだ。やっとの思いで書き綴ったメロディも、既存の曲にどうしても似てしまって、それが怖くて、何も作れなくなった。由紀恵も総一郎も、俺に気を遣ってくれて、スランプは誰にでもあるから仕方ない、自分たちも協力するから頑張ろう、って言ってくれたんだ。

 それでも、ダメだった。俺は書けないまま、それどころか、セッションの最中にちょっとしたフレーズを持ち出すことすらできなくなっちまった。考えれば考えるほど袋小路にハマるようで、もうどうしようもなくなった。書けなくてもいい、とメンバーは言ってくれたけれど、事務所もレーベルもそれを許さなかった。

 ……新曲を。書けって言われて、メッシー、俺は、お前の曲を……」

「わかった。もういい、もういいんだ!」

「お前の曲を。俺が好きだと思った新曲を、真似てしまったんだ!」

 制止する俺の声に被さるように、神崎の慟哭が響く。

 それはもう、彼自身も止めることができなかった行いなのだろう。彼は絶対に許されないことをした。それでも、そこに至る過程で、何かができたのではないか、と思ってしまう。

 俺が今こうして話をしているのも、気付けなかったことに対する罪滅ぼしなのだろうか?

「本当に……悪いと思ってる。でも、俺はフロントマンだ。このバンドを引っ張っていかないといけない存在だ。フロプリは、アンスクと違ってまだメジャーに出たばかりの、ともすると潰れてしまいそうなバンドなんだ。だからこうしてでも、戦い続けないといけないと思った。例え、友人であるお前を悪にしてでも。

 ……そんなことを考えるからダメなんだよな。俺は間違ってる。間違っていても、そうしないといけないと思い込んでいた。でも、そんなのは思い込みだ。俺がただ自分勝手で、お前のことを何も考えてないだけだった。それを正当化していただけなんだ。

 メッシー、謝っても許してもらえないかもしれないけれど……本当に、悪かった。俺はこの過程を全て、メンバーやマネージャー、スタッフの皆に打ち明けてくることにする。その後の裁定は、皆に任せる。筆を折ることになってもいい。それを俺の、ケジメの付け方にする」

「……うん」

 俺は大きく頷いた。

「神崎くんがしたいと思ったようにすればいい。俺は罪を問うことはしない。ただ、絶対に後悔のないようにして欲しい。それだけは約束してくれ」

「……ありがとう、メッシー。お前、ほんと底抜けにイイ奴だよ」

 そう言って、神崎は笑った。

 イイ奴。その言葉が、俺の脳裏に強く焼き付く。

 俺は決して「イイ奴」なんかじゃない。何もかもを自分に都合よく解釈して、そのくせ他人には強く出られなくて、誰にも好かれようといい顔をしたがる、そんなどうしようもない人間なのだ。

 けれど、それでも、伝えようとしなければ何も起きない。

 思い知ったはずじゃないか、あの時に。

 心に浮かび上がる過去の思い出に急いで蓋をして、目を閉じた。今の状況には関係のない話だ。

「神崎くん。また今度、飲みに行こうな。気分転換して、楽しく音楽の話でもして、アホみたいに酔い潰れてぶっ倒れるまでハシゴ酒しようぜ」

 だからその時まで、どうか自分を諦めないでいてくれ。声には出さないその一言を、俺はそっと心の中で復唱した。

「……ああ。楽しみにしてる」


 フロム・ザ・プリクエルの新譜は、メンバーやスタッフ内での協議の結果、急遽発売中止となった。延期、ではなく中止。流出させたのが歌詞だけだったことは、不幸中の幸いだろう。

 そう言うだけなら簡単ではあるが、そこに至るまで、どれだけの苦労があったかは想像に難くない。CDひとつ出すのにどれほどの人間が関わり、どれだけの金が動くのか、それを思えば今回の決断を簡単に肯定するわけにはいかない。割を食った人だって、たくさんいるだろう。だけれども、それを周りの人間が許容してくれたことこそ、神崎の人徳がなせる業だ、と言えるのかもしれない。

 俺のしたことが正しいかどうかはわからない。神崎が、一度は盗作という罪を犯したことは事実なのだ。本来ならば、新譜の発売を待ち、しかるべき機関に調査をしてもらい、法に則って決着を付けるべき案件だったのかもしれない。

 だけど、俺は後悔していない。

 阿佐川は俺に結末を一任してくれた。彼もまた、俺が神崎とちゃんと対話することを望んでいたからなのだと思う。だとしたら、これはもう、ハッピーエンドで良いではないか。

 いつかまたレコード屋で、フロム・ザ・プリクエルの新譜のポスターを見る日が来ることを、俺は切実に願っている。



   end.

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