獏の悪夢を誰が喰う
私の鼻は醜い。元の姿の鼻が醜いのだから、人型をとってもやはり醜いだろう。ゆえに、鏡を見るのを好まない。
魔族の中には初めから鏡に映ることをやめたものたちもあるらしい。我々は違うが、見ないのならば同じことだろう。お陰で自分の顔を忘れてしまった。不都合は今のところない。自分の正体さえ見失わなければ構わない。
人型を会得したのなら、エトゥーティナで生きるのが良い。そこは女王の方針により、三つの種族が共に生きる国だ。私は人間がいなければ糧を得ることができないため、魔族の国では生きていけない。他国では種族差別が火種となった争いが絶えず、魔族は入国さえ許されないことなどざらにあった。
失意の放浪を重ね、いく年月。生きることに疲れていた私は、腐臭に満ちた汚い村で死体のように日々を過ごしていた。そこで四つの足の魔物に会った。隣人は私と同じように汚泥のなかにうずくまっていた。私は彼からエトゥーティナのことを聞いた。何ものをも受け入れる寛容な森の国のおとぎ話。希望を見出した私は、ようやく動く気になり、まず水場を探して体を洗った。汚い村から出て、大きな街を探した。狭い隙間を探して入り込み、そこから人々を観察し、人型の参考にした。永く生きていれば、どこをどうすれば良いのかわかるものだ。大切なのは、元の体に戻れないことを恐れないこと。
私の旅はこうして終わった。エトゥーティナには私が求める全てがあった。この国の女王は神族でもあるが、人間でもあり、魔族的なところもある。故に三種を受け入れる。混沌とした彼女を私は敬愛する。彼女が女王である限り、私はこの国で生きるだろう。正体が問われない生活は、思いがけず心地良かった。人間たちは我々を基本的には恐れる。糾弾され、虐げられる日々は苦痛そのものだった。生きるために不可欠な彼らに恐れられるのを悲しく思っていたのだと知った——私は彼らが睡眠時に見る夢を喰う魔物だ。吉夢凶夢悪夢予知夢——言葉はごまんとあるが、なんであろうと構わない。
否。正直なところ、好き嫌いもある。
☆
少女は毎夜現れる。自分から、ふらふらと近づいてくる。
白黒の世界の中で、無垢な瞳をわたしに向ける。
「あなたは誰かな」
「夢喰い」
「まさか……私の夢?」
困惑している。
「とびきりの悪夢は、とてもおいしい」
「……そうだね。悪夢なら、忘れたい。それも良い」
「忘れてはだめだよ」
わからないと言うように首を振る。
目覚めのせいで、世界が暗くなっていく。
薄れていく視界の端、少女の微笑みが——
「思い出して」
☆
この国には学園がある——テクシスリル研究機関付属学園。世間ではテク学、テク研だとか略して呼ぶらしいが、呼び名はどうでもよいだろう。そこは人型を習得したものたちが、この国に住む資格を得るための場所だ。資格がないものは旅客として扱われ、逗留期間が過ぎると国外追放を余儀なくされる。私はここで生きたかったから、資格を取るために入学した。全寮制である。その間の授業料、生活費は国が負担してくれるという破格の待遇である。資格を得るための必修科目は一年で終えられるよう講義計画が組まれているが、それ以後も学園に留まる場合は費用が発生する。そうでない場合もあるが、それは研究者として女王の認定を受ける必要がある。
私はつつがなく資格を得ることに成功し、そして学園に残ることを決めた。資格は得ているので留年ではない。研究者になれるほどの才能もないので、ただの寄留学生である。年に一度、形だけのレポートと一緒に通貨代わりの魔石を提出すれば良い。永く生きているため金銭面に不都合はなかった。
学園における私の住居は〈月の塔〉にある。石材として月を削り出したかのような灰色をした円筒型の建物だ。屋上からテクシスリルの森の一部を見下ろすことができる。教室棟から一番近く、学生に人気の宿舎である。一回生はここに住みたがるが、師弟制度が取られている現状では彼らに選択権はない。森の奥に住む師匠に当たりでもすると大変なことになる。私がそうだった。朝早く家を出たはずが森で迷い、やっと教室棟に辿り着いたら授業が終わっていたことさえある。師匠は親切な良い人だった(今もたまに交流がある)が、引越しを考えてはくれなかった。
私は二回生になるとすぐ、月の塔への移住希望届を提出した。魔石を添えるとたちまち意が通った。学園中枢に腐敗の気配が感じられる。学生代表はその地位について永いため、それも仕方ないだろう。
学生委員会は私に師匠になるよう求めたが、それは断った。安住の地で自由な生活を満喫したかったのもある。しかし、大きな理由は別にあった。
夢の中で出会った、白黒の世界に立つ月銀の少女。甘美な悪夢であった。夢はほとんどが私と関わりなく不可思議なストーリーを見せつけるのみだ。ところが少女は私に話しかけさえする。私は囚われ、その醜くも美しい幻想を夜毎欲した。一目惚れだ。こんなにも焦がれるのだから、そうに違いない。他のことにかまける時間を失った。
☆
白い靴を見ている。見ているのは膝から下だけ、わたしは跪いている。
床の上は綺麗に掃除してあって、塵一つ落ちていない。
丸い靴先も新品のようだ。
膝小僧もつるりと丸い。
頭上から可憐な声が降り注ぐ。懐かしい彼の地の子守唄。
小鳥のさえずりのようで心地がいい。その心地よさは一粒でさえもわたしのものではないのに。
一粒の為に、わたしは頭を床に打ち付けて懇願する。
「お願いします」「どうか」「お願いします」
少女のさえずりはわたしを止める音のようだが、わたしは額が破れても願い続ける。
少女が歩く床を、血で汚し続けている。
☆
テクシスリルでは希望すればどんな勉強もすることができる。学生の目的に合わせて先生ですら呼び寄せてくれる。損得を度外視して学生のしたいことをさせてくれる素晴らしい機関だ。種族差別を滅する目的が逸脱し、多大な国費を教育のために支払っているように思う。それが女王の意思であろうが、私はいらぬ心配をして授業を取らなかった。家としての利用が大きな目的なのだから必要ない。
私は見せかけのレポートのために自身が喰った夢のことを記録し始めたが、これは何の成果も生み出さないだろう。食事の自慢をしているようなものだ。
記録はだんだんと少女の悪夢のことばかりになっていった。読み返してみると、ありありと飢えている様子がわかり、実に卑しい。夜に目覚める魔物のように、人間たちが寝静まるのを心待ちにしているのだ。我慢できずに昼間に寝てみたこともあった。年端のいかない少女の姿をしていたから、昼寝でもしていないかと探し回ったのだ。残念ながら少女は昼寝をしないようで、私は眠りの浅い夜を過ごす羽目になってしまった。その夜の食事は実に味気なかったから、もう二度としない。
ある日、私は衝撃的な体験をする。森で散歩をしようと思いついた私は、部屋を出て共用の廊下を歩いていた。踊り場を横切る白い影が視界に入り、顔を上げた。階段を降りていく足音が軽く、私はそれを夢の少女だと決めつけた。小走りに追いかけたが、もう姿はないのだった。階段の錆びた手摺りを握りしめたまま、私はすんと鼻を鳴らした。残り香。懐かしい、丹桂の——。
月の塔は校舎に一番近い宿舎であり、拓けた場所にある。匂いのある花はこの建物の周囲にはほとんどない。そうならば、この香りは少女のものに違いないのだ。無謀な確信であった。
☆
窓から差し込む陽は、月の塔を燃え上がらせたようだった。日に弱い種族は毛布を被って丸くなっているだろう。
長い廊下の向こうには鏡がある。
鏡を好まないわたしは俯きながら歩いていたが、人の気配がしたので足を止めた。
視界の端に、揃えられた白い靴が入り込む。
「おかえりなさい」
少女の可憐な声がわたしを迎えた。夢を見ている。
「何見てるの」
「向こうに、鏡がある」
「そんなものないよ。夢の中だよ」
「嘘」
「ないよ。顔を上げて」
いやだ。わたしは自分を見たくない。
美しい少女にわたしの気持ちはわからない。
「じゃあ、目は?」
「目?」
「そう。瞳を見たい」
それなら、と思い、言われるがままに覗き込む。
愚かなわたし。
映っているものを見て、喉が裂けんばかりの悲鳴をあげた。
☆
気がつくと見知らぬベッドの上にいた。部屋の中を見回すが、寝室ということ以外何もわからない。あまり使われていない部屋のように思う。体を起こして呆然としていると、鋭い瞳の青年がずかずかと入ってきた。赤い髪の毛がふわふわとしている。私と目が合うと、瞳孔を真ん丸にした。
「気がついたか」
そう言いながら、手に持っていた水差しを脇のテーブルに置く。
「はい。えっと……」
「待て。俺は家主ではない。ただの助手で。呼んでくる」
音も立てずに出て行ってしまった。
所在なく窓の外を見ると、黒々とした森がごく近かった。光の届かぬ暗い家。来たことのない場所だ。月の塔にいたはずなのに、なぜこんなところにいるのだろう。思い出せずに首を傾げていると、眩しいほど派手な姿の道化師がずかずか入ってきて驚いた。ノックをするなどの配慮はやはりないらしい。
「やあ! 調子はどうかな。倒れていたきみを助手が拾ってきたんだ。診たところ、気絶していただけみたい。怪我もないし、異常に痩せてること以外は健康そのものだと思うよ。ボクは医師じゃないけどね」
「……かたじけない、です」
返事に困り、思いつきで返事をするとピエロは笑った。甲高い嫌な声であった。
「失礼。騎士みたいな言い方がおかしくて」
「見てくれに合わせた言動は苦手で。〈金時計〉ではあるのですが」
「ボクもだよ。卒業資格なんて形だけのものさ。人と接しないと、人の創る時代からは置き去りにされる。ところで、お腹は空かないかな」
「いえ、そこまでお世話になるわけには」
「いやいや。夜の森は危険だし、朝まではここにいて欲しいんだよ。助手が何か作るから」
「そうですか。それではお世話になります。ところで」
「ん、ボクは人形師。そう呼んでくれ。きみは、月の塔に住んでいるんだね?」
その辺りに倒れていたのだろうか。ここは月の塔の近くのようには思えない。疑問を察して人形師が頷いた。
「うん。ここからはちょっと遠いんだ。教室棟の救護室に運んでおいたらよかったのに、弟子は気が利かなくてね。きみはどうして月の塔に?」
「部屋があります。魔石を渡して借りました。学園から近い方が、人が多いので好ましいのです」
「ふむ、やっぱり。交渉の術は知っているのに、実態は知らないんだ。まだ若いんだろう?」
この〈若さ〉の意味は、学園に来て何年になるかだ。様々な種族があり、入学時の年齢もそれぞれなので、歳は当てにならない。
「二回生です。実態というのは」
「最近、鏡を見た?」
質問が返ってきた。私は鏡を見ない。首を振って答える。
「そうか。深くは聞かないさ。でも、自分がどれほどやつれているのか気がついてないだろう。怖くても確認した方がいい。年寄りからの忠告だよ。月の塔からは離れなさい」
彼に言われたことは何もできそうにない。私は鏡を見たくないし、塔には銀の少女がいる。
黙っていると、ピエロの眉がしょんぼりと下がった。
「……いいさ、好きにすると。でも話さないのは不親切か。ボクなら月の塔には絶対に住まない。近寄るのも止すね。友人が住むのも絶対に止める」
「何故?」
ピエロの丸い瞳は、ふざけた見てくれと異なり真剣そのものだ。甲高い声も低くなった。
「あの塔には化け物がついてるよ」
☆
腐臭に満ちた汚い街を歩いていた。知らない街だと思ったが、どこか見覚えがあるような気もする。否。確かに見覚えがある。わたしはここで暮らしていたことがある。あまりにも臭いから、違うように思っただけだ。
腐臭に満ちた街を月の精はてくてく歩いてゆく。まっすぐにゆく。きっと、行く末のほかには何も見えてない。
道に撒き散らされた汚穢のことも。
落ちている何かの肉片も。
彼女の靴は汚れない。わたしはその後ろをふらふらとついてゆく。
小さな見すぼらしい家の前で彼女は足を止めた。初めてわたしを振り返る。扉の横の窓を覗くように促した。わたしは従う。
家のなかには、人形がぶら下がっている。
身体が揺れている。ゆら、ゆら、ゆら。
合わせて軋む音がする。ギッ。ギッ。ギッ。
小さな少女たちの身体が三つ。
隣の少女が言う。「あなたの家」
わたしの家。吊り下がる身体。——ああ。
「あれが欲しい」
口に出してしまうと、途端に欲しくて欲しくてたまらなくなった。
どうしても欲しい。そう、そろそろ、いい加減に、必要だ。
「欲しい」
少女は無表情に了承した。
☆
粗末な机に万年筆を放り出す。〈インクが一生なくならない〉と謳い文句のついたこれは、老いた魔女から買ったものだ。いつのことだったか覚えていないほど昔に手に入れた。今のところ順調で、この分だと死ぬまで使うことができるだろう。何かを対価にしていることは間違いなく、私はそれを血液だろうと予想している。書き終えたあと、視界が揺れるような気がするからだ。それに、魔力を消費するのでは安直すぎてつまらないとでも思ったのだろう。
提出するためのレポートを書いていたところだった。取り掛かり始めてもう半年——人形師と出会ってからも半年が経つ。私はあれから二度、彼らに会った。一度目は介抱の礼に。
人形師の家は黒い森にある。呼び名の通り、地面も木の幹も木の葉も何もかもが黒く陰気臭い場所だ。人形づくりに欠かせない良い粘土が掘れるので仕方なくそこに居を構えたそうだ。訪ねて行くと、門の前に必ず赤い毛の助手がいた。気配に敏感な質らしい。魔族のなかでも、私と同じ匂いがする。獣の匂いである。
二度目の来訪のとき、彼はいかにも怪訝そうな顔つきだった。私が訪れた目的がわからなかったのだ。
「依頼に」
そう告げると、初めて会ったときのように目をまん丸にした。
「……人形を買うのか?」
「必要なんだ」
「安くないぞ」
「問題ない。他に使うあてはないし、魔石の蓄えもある。テクシスリルは実に住みよい——我々にとっては」
本来、魔力から生み出す魔石でのやり取りは、魔族に有利すぎるため法律で禁じられている。テクシスリル内部では黙認されているだけだ。
「だろうな。お前は強い魔物だ。じゃなきゃ、死んでいてもおかしくない」
「痩せすぎている?」
彼はぶっきらぼうに肯定した。
「忠告してくれる友人がいないのか」
「いない。私の友は夢だけだ」
「夢は忠告しないものか」
「……するものも、あるのかもしれない」
しかし、私には無関係だ。夢は糧に過ぎず、私が見るのは他人の夢だけだ。他人の夢は私に忠告などしない。
居間にピエロはいなかった。赤い毛の彼が甘い香りのするお茶を淹れてくれた。丁寧に淹れてくれたのが伝わってきて、おいしい。ゆっくりと味わっていると、ギッと階段の軋む音がしてぎくりとした。嫌な音だ。
「やあ。……まだ引っ越してはないみたいだね。また痩せたように見える。最近、あそこは住人が減っていると聞くけれど」
振り返ると、立っているのはピエロではなかった。白いひげをもっさりと蓄えた小柄な老人がいた。優しい瞳が労わるように、私を歓迎してくれた。
「ええ、まあ……今日はピエロではないのですね」
「毎日あれを使っているわけじゃないよ」
「いくつも身体が?」
「もちろん。趣味で作ったものとか、お客様から引き取ったものとかたくさんあるよ。気分によって変えるのさ。それよりもきみの話をしよう。人形が欲しいんだって?」
「はい。お願いできますか」
テーブルに巾着袋を置いた。中の石が擦れてジャラジャラと音が鳴る。
「魔石だね」
「蓄えてきたものです。使えますか」
人形師はきらきらと光る灰色の石を皺だらけの手に乗せ、確かめた。
「申し分ない。どう?」
赤い毛の男が掌を覗き込んだ。
「悪くない。やはり、強い魔物だ」
「そうみたいだねえ。いやあ、詮索はしないとも。では、詳しい注文を聞こうか。人形についてきみは詳しいのかな」
この国の人形のことは何も知らなかった。目の前にいる老人が人形であることも、言われなければわからなかったろう。私は首を振った。
「うん。基本的に人形師が受けるのは〈体〉の製作のみだけど、ボクは魔石を使って〈心〉の植え付けもやっている。この二つがあれば、人形が人間のように振る舞えるようになる。ただし、高価だ。きみが二つを望むなら、この巾着袋は丸ごと貰う。
〈心〉の形成はね、すごく大変なんだ。人と同等の心を持つと厄介だし、そうでなかったら人形でしかない。奴隷としての役割が主になる人形に、強い自我は必要ないからね。その調整が難しくて、誰もやりたがらないんだ。ボクにはそれが面白いんだけど。
ちなみにボクの体は〈体〉のみの操り人形を遣ってる。腕次第ではこの通り、ほとんど見破られることはないよ。〈体〉だけなら、この魔石は半分でいい」
巾着袋を差し出した老人の手を私は抑えた。老人は髭の向こうで微笑んだようだ。
「わかったよ。じゃあ〈体〉のイメージから聞こうか」
私の荷物に気がついていたらしい。恥ずかしい気持ちを押し隠して、スケッチブックを取り出した。デッサンを用意してきたのだ。思い出しては何度も描いて練習した。今ではかなり正確にイメージを伝えられるだけは描けていると思う。色を付ける技術はなく、白黒のそっけないものになったが、それがむしろ夢のなかで見たままで、自分では満足している。
——もちろん、描いたのは私の妖精。あの少女だ。
髭を撫でる人形師の手が止まった。小さな目をぱちぱち瞬かせている。赤い毛の男と顔を見合わせ、またスケッチブックに目を落とす。そうして私をまじまじと見つめるのだった。
「何か問題が? 色については、私にもわからなくて」
「いいや、そういうわけじゃないよ」
「本当にこれが欲しいのか?」
熱を込めて答える。
「夢に見るほど」
この少女に自分がどれほど焦がれているのか。必要なら読んで欲しいと思い、書きかけのレポートも持参していた。本の厚さに人形師は目を瞬かせた。
「本心なんだね」
当然そうだ。私は強く頷いた。
「わかった。参考にしてボクの方で手直しするよ。次に〈心〉だけど——」
☆
銀月の少女は今夜もそこにいる。白い光のベールの中で、この世のものと思えぬほど彼女は綺麗だ。振り返るとやはり無表情で、わたしに気づくと深く頷いた。
「欲しいものをあげる」
少女が言った。きらりと瞳が光った。
わたしは不安になった。
「どうして……」
わたしを捨て置いたのに、与えようとするのが不思議だった。
「死と生の季節。思い出した」
自明のことと言い捨てる。わたしは安堵した。初めて希望が胸に満ちる。
種の芽吹き、奇跡の一粒、悪夢の妙味——わたしのもの!
「何か欲しい?」
わたしは湧き上がる感情に飲まれ、対価を聞いた。
少女は迷いなく指を差した——わたしを。
「傍に、ずっと」
☆
夜の森は静かに見えて、実は賑やかだ。夜を好むものは多い。私たちを含めて——私たちは夢の中で、夜を楽しむ。
しかし塔は月のように、静寂のなかに沈み込んでいた。ただ一室、私が借りた部屋を除いて。
「このくらいでいいかな」
狭い部屋を占領している贅沢品は〈天上の寝心地〉という謳い文句に釣られて購入したものだ。私は気に入っている。ふわふわなマットに身体が半分以上埋まり、雲の上にいる心地がする。ベッドの周りでせかせかと動き回っている少女も気に入ることだろう。私たちは夜に眠る生き物だ。彼女もそうすべきである。そう伝えたいのだが、私の声は夢のなかでしか届かない。
「あなたは醜くなんかなかった!」
花束を脇に置いて、私の身体を好き勝手に触りながら、私が鏡を見なかったことを責める。私の元の姿を覚えていないからだ。私と違って、彼女はもう鏡を恐れない。人形師が作った身体は完璧だ。欠けることなく美しい。彼に頼んで正解だった。
「わたしがそうなら、あなたもそうに決まってるの」
私は本来の姿のことを繰り返し伝えるのだが、彼女は全て突っ撥ねた。初めから美しいとこのようなことになるのだと知った。花束から一輪ずつ抜き取って、私を飾りながら彼女は喋り続ける。
「噂を聞いた——この塔の。月の塔の化け物の噂。双子の幽霊が出るって」
私の身体は動かないので首を振ることもできない。彼女はお構いなしに捲し立てる。
「一人だった頃の噂はあなただったと思う。気づいてなかったね。弱った身体を補うために食事をしすぎたのよ。それが、わたしが生まれてから双子になった。目立たないに越したことはないけど、心配してない。そのうち薄れていくだろうから。この国のやり方は悪くないけど、得体の知れない化け物だらけの場所で馬鹿みたい。わたしたちより怖い魔物はたくさんいるのに」
その姿にぴったりの、ころころと愛らしい声で笑う。笑いながら、また花を添えてくれる。もうベッドの上は花でいっぱいだ。人形師がその噂で私を脅かしたことがあった。どうやらそれが増長しているらしい。彼女の言う通り、気にすることはない。学生たちは一年で入れ替わる。月の塔は教室棟に近い人気の寮舎だ。それまで別の餌場に行けば済む話だ。
彼女は最後に私の髪を耳にかけ、さらに花を差した。白い百合の花。その強い芳香を私は感じない。ベッドカーテンの隙間から入る月の光が、彼女の横顔を照らし出している。
「やっぱり綺麗」
その呟きは自分の見た目に満足していることを明らかにしていた。私も満足した。にっこり微笑むと、ベッドから飛び降りて行った。
「死んでもいっしょ、死ぬまでいっしょ」
歌うように言うのが聞こえたが、私はそれが無理な話だと知っている。この葬儀が終われば、彼女もいずれ私を吊るすのだ。私がしたように。目の前にぶら下がる、輝かしい世界の新しいものに魂を売ることになる——真実の生き様を忘れて。
偽ものの国 青乃郁 @aonoi
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