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アデリルが公務につくようになり、半年が経った。
一時は騒がれた王女の婿選びの話題も今は下火だ。ラントカルドの王子はアデリル王女には物足りなかったと、わずかな期間人々の口に上っただけで、間もなく忘れられた。
それとは逆に、表に出るようになった王女は順調に評価され、次期女王としての支持をますます増やしていた。
アトラントは冬を迎えた。アデリルの周りには相変わらずチャコール、アルセン、イオディンがいるし、レンデムは式典の時以来会っていない。けれどもし次に顔を合わせることがあったとしても、アデリルは平静でいられる気がした。そしてそれは、クレセントのおかげだった。
アトレイではラントカルドの噂を聞くことも滅多にない。
それでも先月の頭に、クレセントがカルド王室に残れるかどうか、議会と投票にかけられたことは知っていた。結果に注目していたが、果たしてクレセントは首尾良く支持を得、王室に残ることができたようだ。知らせを持ってきてくれたのはイオディンで、彼とは別にハイドロからもそれを聞いた。チャコールもアルセンも結果には注目していて、チャコールだけは不満そうにしていた。
アデリルはほっとした。自分が少しは彼の役に立った気がした。最初に出会った時には考えられない気持ちの変化だった。それを思うと彼女は少し可笑しかったけれど、同時に胸の奥がかすかに痛むことに気づいていた。だが、自分の胸の痛みに気づかないふりをすることに、アデリルは慣れていた。だからその胸の痛みがなんなのか、原因を突き止めることもしなかった。
彼女がどことなく気落ちした様子でいても、慣れない公務に臨んでいるからだと、周りは皆そう思いこんでいた。良く気のつく、そして思ったことはなんでも口に出すフリアナでさえ、アデリルに早く休むように気遣うことはあっても、クレセントのことを口にすることはなかった。
気持ちを引き立てることも、もちろんあって、今月末はチャコールの誕生日だった。彼は年々自分の誕生祝いの規模を小さくしようとしているが、家族がなかなかそうさせない。 今年もキリエール家で盛大な祝宴が催され、アデリルも招待された。ハイドロやトライサとも顔を合わせ、アデリルはとても楽しいひとときを過ごした。
間近に迫った年の瀬に、後を追うようにアデリルも十八歳になる。祝宴が催されるが、チャコールの時のようには行かないだろう。
彼の誕生日の翌日は、今年最後の月のはじまりだ。
アデリルは執務室で秘書官の持ってきた手紙に目を通していた。嘆願や式典への招待や、寄付の依頼など様々だ。事務的に順に目を通し、半ば言われるがままに承諾や断りの署名を繰り返している時、ふとある書面に目が留まる。
差出人はラントカルドの下院議員だ。アデリルは思わず署名の手を止め、食い入るように文面を読む。
この度、正式に大使を派遣し、両国の発展について公的な協力関係を結びたい。そのための会談をお願いしたい。日取りを決めるために、まずは私的に伺いたい。時期も近いので、アデリル殿下の誕生日にお祝いを持参したい。それが丁重な言葉で綴られていた。
「ラントカルドから面会の申し込みが来てる」
秘書官に見せると、彼女は頷いた。
「ラントカルドは今、五国同盟に喰いこもうと必死なんですよ。アデリル様は今年のお披露目式で、確かラントカルドの王子に滞在を許していましたね」
「でも、とっくに追い返しちゃったわよ。それに王子って言っても、あまり重要な立場じゃないみたいだったし」
「他国より近づき易いと思ったのではないですか。外交の一環なので手紙を残しておきましたが、私的な付き合いの申し出に過ぎないので、殿下のお好きになさってください」
アトラントにとってラントカルドは重要な国ではない。だからこそ、アデリルに采配が許される。断ることは自由だった。裏を返せば、承諾することも自由なのだ。
ラントカルドからの使者を招いたら、クレセントのことを聞けるかも知れない。
アトレイではまったく耳に届かぬ話も、彼の地で彼はまがりなりにも王室の一員なのだ。どんなに些細なことでも、きっと自分の知らないことを知っているはず。
その誘惑に、アデリルは抗えなかった。
「会うわ。時間を作る。誕生会に合わせて」
承諾の手紙を送ってしまうと、それから月末までずっと、アデリルは落ち着かなかった。理由は自分でもわかっていた。ラントカルドからの使者を、待ちわびているのだ。
使者の到着の知らせを受けて、彼女は供の者を引き連れて、宮殿の玄関広間に出迎えに出ていた。ラントカルド側はあくまで私的な訪問のため、人数はわずかだと聞いていた。
それでも彼らの姿が視界に入った瞬間、アデリルは飛び上がるほど驚いた。
一行の中にクレセントの姿を発見したからだ。予想もしていなかった。驚きを表そうにも、ここには事情を知る者はひとりもいないし、なにより自分は使者を迎える代表だった。 茫然としてる間に、まずは大使が彼女に丁重に挨拶をした。上の空でそれに答えた彼女の前に、続いてクレセントが立つ。
「どうして…」
なんの前置きもなしに思わずそう言った彼女に、堪えきれなくなったようにクレセントは笑った。半年以上前にふたりきりで別れの挨拶をした時と、同じ表情だった。
「アトレイへの使節団に加えてもらった」
「でも、あなたの名前はなかった。王族なら大使より先に名前が来るはずでしょう」
アデリルは怒ったような調子で尋ねる。クレセントが笑ったまま言った。
「臣籍に下ったんだ。投票結果が出た後に。だからもう王族じゃないし、王室の一員じゃない。カルドの姓もなくなった」
言葉を聞きながらアデリルは目を瞠った。彼が目の前に現れた時よりも驚いた。
「だって、あんなに…」
王室に残ること、王族として認められることを望んでいたじゃないか。
胸に強く湧いたその気持ちを、周囲の目を感じて、アデリルは口にしなかった。
けれどクレセントは心得たように頷く。
「そうだけど、止めたんだ。アトレイに来て、俺の育った因習ばかりの王室とはまるで違う王室を知ってしまったから。国に帰ったら、王室にしがみつく意味を見失ってしまった」
「だからって、臣籍に? モルドやニンフェに止められなかったの?」
「ニンフェはアルセンにまた会えると言って喜んでる」
「彼女のためにアトラントへ?」
「いや、おれはアデリル殿下と面識があるから、俺がいれば多少は有利に話を進められるんじゃないかと判断が下って、ご覧のとおり抜擢されたんだ」
「ずいぶんな自信ね」
アデリルは笑った。そして一行を見渡す。
「ラントカルドからの皆さん。アトラントの代表として、あなた方を歓迎します。でも、皆さんは人を見る目に欠けていたかも知れませんね」
にこやかな表情のまま告げられた言葉に、クレセント以外の人々の表情が固まる。けれどアデリルはそれに構わず、クレセントだけに視線を向けて続けた。
「クレセント、アトレイではあなたは、私の指名を受けて一ヶ月も客として滞在したにもかかわらず、私の気持ちを動かせなかった魅力に欠ける男だと言われているのを、知っているわよね」
「もちろん、百も承知です。でも、これからは王女を振り向かせるために、あの時よりもっと上手くやれると思います。何しろ国のためではなく、自分のためにそうすると決めてここに来ましたから」
クレセントが笑顔のまま頷く。不遜な物言いに大使は青ざめながら、彼に咎めるような視線を向けた。けれど彼はそれを見ていなかった。アデリルも同じだ。お互いに自分の目の中に相手だけを映しながら、先に口を開いたのはアデリルの方だった。
「それではクレセント、これからはせいぜい私に敬意を払ってくださいね。新しい立場を失わないために、アトレイにいる間は、私のご機嫌取りをお忘れなく」
周囲の者が言葉を失う中、クレセントは笑顔で彼女に頷いた。
ラントカルドの使者団は派遣は効を奏し、年明けの彼らの帰国後に、アデリル王女の主導により二国間に正式な国交が結ばれた。もともと商業的な交流は盛んだった国だけに、公的な結びつきはどちらの国からも歓迎された。アトレイにはラントカルドの大使館が置かれ、大使としてアトレイに駐在することになった者の中には、クレセントの名前がある。
公務でアデリル王女と頻繁に同席するようになったラントカルドの大使のひとりが、それから長きに渡って王女のお気に入りの臣下たちから、嫌がらせにも等しい厳しい審査を受け続ける羽目になることや、王女と大使が最初に出会ってから三年後に、晴れて婚約を発表し、ごく一部の家臣に大きな不満と、それ以上にアトラントの民に熱狂的な喜びを与えることになるのは、また別の話。
<了>
◆アデリルとクレセント 挿絵 @fairgroundbee
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