最終話 「暖かい風に包まれて」
■■■最終話 「暖かい風に包まれて」■■■
今日は、肌にさわる空気はほんのり暖かくて過ごしやすい天候だったけど、日差しは強くて夏場を思い出させるほどに熱を帯びている。
座っている車椅子の金属部分には熱気が溜められ、触れば火傷しそうなほどに熱い。
「いい天気だな……」
ボクが甲州 蛍(こうしゅう ケイ)さんと共にビルから落下して、かれこれ一週間が経とうとしていた。
ボクは、5階の高さから蛍(ケイ)さんを抱えながら落っこちたにも関わらず、幸運にも両足を強く捻った程度で済んだのだ。もちろん蛍(ケイ)さんも腕にちょっとしたケガを負っただけで無事だった。
なぜこんなにも軽傷で済んだのかというと……
ちょうどその頃ビルの下に、プロレス団体の物資を運ぶトラックが停まっていたことが幸運の始まり。
そのコンテナ内には、プロレスの会場を設営する為に必要な大量のマットを積んでいた。そして、居合わせていたその団体のプロレスラー達が、それらを積み重ねてクッションを作り上げてくれたのだ。
ボクはその上に着地したので、幸運にも大けがを負うことはなかった。
後で聞いて驚いたのだけど、そのプロレスラーの1人とはボクの財布を拾ってくれたマッチョなお兄さんだったのだ。
須藤 大葉(すどう おおば)って言う名前で、この前お見舞いにも来てくれた……
とてもきさくな人で「今度試合を見に行きます」と伝えたら……
「オレは悪役(ヒール)だから、そんときゃめいっぱいブーイングしてくれ」と親指を立てながら笑顔を見せてくれた……アメリカンプロレス嗜好のボクも、その考えを改めさせるほどの破壊力だった。
そして、結果的に人生二度目の飛び降りをしてしまったボクは、父さんに泣きながらこっぴどく叱られてしまった……ボクはこの時ほど強い罪悪感を覚えたことはない……
他人を救う為とはいえ、命を投げ捨てるようなことをしてしまったのだ……これは3年前、ボクの為に必死に戦ってくれた家族を裏切ったのも同然だ……もう二度とこんな無茶はしない……と心に誓った。
今回の事故は家族をはじめ、多くの人を心配させてしまったワケだけど……ちょっとだけイイこともあった。
ボクがビルから落っこちたことを知って、離ればなれになった母と妹も病院に駆けつけてくれたのだ……ボクの見舞いと共に、ちょっとした近況報告の場となった病室には、久方ぶりの家族の団らんになった……
こうやって集まれば……みんなで笑い合うことも出来たんだ……
ボクは死んだ方が良かった、だなんて思っていた自分を殴りたくなったな……みんな……ホントにごめん。
そして……
ボクが助けた蛍(ケイ)さん……
ついさっき……同じ病院でケガの治療を受けていた彼女に屋上に呼び出され、二人っきりで話をしていたところだった。
彼女はボクにこう伝えてくれた……
■ ■ ■ ■ ■
「舞台くん……まず謝らせて……私のせいで、こんなに迷惑を掛けてしまって……本当にごめんなさい」
「いやいや……いいんです、ボクが勝手にやったことですから……」
「…………あなたが無事でいてくれて……本当に良かった……そうでなかったら私……」
「ボクも……蛍(ケイ)さんに大きなケガがなくて、ホッとしました……」
「…………舞台くん……」
「はい? 」
「正直に言うとね……飛び降り自殺をしくじって死ねなかったコトが分かった時は……あなたのことを…………恨んだよ……なんて余計なコトをしてくれたんだ。って……」
「……そう……ですか……」
「でも……今はちょっと違う」
「違う……? 」
「あの後ね……私、両親と大喧嘩したんだ」
「喧嘩? 」
「うん……生まれて初めての、親子喧嘩…………私は若い頃から大病患って両親には心配させまいと気遣ってたし……母と父も娘に嫌な思いをさせまいと……って感じで、お互いに本心をぶつけ合う機会が無かったんだ……私たち親子3人は、その時初めて家族として本当に分かり合ったのかもしれない……」
「…………わかります……ボクも、家族の大事さを知ったのは自殺未遂をした後でしたから……」
「それでね……とことん話し合って……一つ決めたことがるの」
「なんですか? それ」
「そのことで……私……もう一度舞台くんに謝らなきゃならないんだけど……」
「はい……」
「ごめんなさい……もう、病気の治療はやらないことに決めたの……」
「……え……? それってつまり……」
「辛い抗ガン剤治療はもうやめることにした……残された命を、家族と一緒に大事に過ごそうって……だから……私を救ってくれたキミには申し訳ないんだけど……もう……」
「謝らないでください……」
「ごめんなさい…………本当に……」
「蛍(ケイ)さんが決めたことじゃないですか……ボクは……それを尊重します……」
「舞台くん…………」
「はい」
「……もしも……キミがあの時私を助けてくれなかったら……この決断をすることも出来なかった……家族と分かり合うこともなかった……」
「いえ……」
「ありがとう…………舞台くん」
■ ■ ■ ■ ■
深く、どうしようもない絶望に陥った人間の自殺を止めることが、正しいのか、間違っているのか…………自分の中では未だにハッキリと答えを出すことができない……
コレには、倫理的、社会的、感情的に見ても……真に正しい答えなんて存在しないのだろう……
死にたがってる奴をなんでワザワザ止める必要があるんだ? っていう人もいる。
でも、蛍(ケイ)さんが家族の話をしていた時の、少し照れくさそうな笑顔を見た時……それらの考えは全て頭の隅に追いやられてしまった。
その時その時の一瞬の輝き……
人生に点在する火花のような活力の光……
その一つだけでも、守ることができたのなら……
それはそれで良かったのだろう……
蛍(ケイ)さんが立ち去った後も、ボクは雲一つない青空を眺め続けてそんなコトを考えていた。
誰もいない屋上……遠くの方で響く自動車の走行音と、物干し竿に掛けられたシーツがなびく音……それらが生み出す生活音にしばし聞き入っていいると……誰かが後ろから近寄ってくる気配を感じ取った。
「舞台くん……駄目じゃない、1人で屋上になんていちゃ……また……ホラ、誤解されちゃうよ? 」
「あ……! ごめんなさい。でも、もうそんなことしませんって! 」
「はは、冗談ですよ。はい、コレ……飲む? 」
その人は、冷たく冷えたペットボトルのレモンティーをボクに手渡し、自分も同じモノを幸せそうに喉の奥に流し込んだ。
「ありがとう、大沢さん。いただきます」
「どうぞどうぞ」
ボクも彼女にならってゴクゴクと音を鳴らして爽やかにレモンが香る紅茶を飲み込んだ。
「フゥー……」
大沢さんはこの病院に勤めている看護師……(正確には准看護師)で、両足が動かせないボクは、この人によくお世話になっている。
ちょっと天然で頼りなさげな面もあるけど、優しくて明るくて……患者からも同僚からも愛されてる……何というか、太陽みたいな人だ。
「……いい天気だね舞台くん。風も気持ちいいよ」
「はい……とても……」
彼女は大きく背伸びをして、リラックスした表情をボクに向けた。熱を帯びてなびく髪がとても艶やかだった。
「…………舞台くん」
「はい? 」
「…………凄いね……キミって」
「え? いや……何のことでしょうか? 」
「ごめん、さっきまでここで甲州 蛍(こうしゅう ケイ)さんと話してたでしょ……その……あのね……」
「聞いてたんですか? 」
「ごめんね! たまたまここで休憩してたら……キミたちが来て……違うんだよ! はじめから盗聴しようだなんて思ってなくて! ゆっくりこの場から出て行こうと思ったけど、気配を悟られて空気を乱しちゃ悪いかななんて思って、あの……その……」
「……はぁ……」
大沢さんは、別に黙っていれば良かったのに、わざわざ盗み聞きしたことを自己申告して、勝手にあたふたし始めた……その仕草が妙におもしろかったし……何というか……可愛らしかった……自分より年上の人に言うのもなんだけど……
「……で、でさ……キミ……飛び降りようとしたあの子を、止めようとしたじゃない……それが凄いな……って思って」
「……別に……そんな……」
「ううん……わたしがもし舞台くんと同じ状況に立たされてたら……助けに行ったかどうか……分からないから……」
「……え? 」
ちょっと意外な発言に戸惑う……いつも明るい話題しか口にしない彼女が、そんなことを言うだなんて……
「ごめんね……こんなこと言っちゃ看護師失格かもしれないけど……でも、わたしも分かるからさ……飛び降りたくなる気持ち……」
「……大沢さん……」
「わたしも飛び降りたことあるから……3年前に……」
「え? 」
「…………わたしさ……下の名前がちょっと……独特だからさ……それが原因で……ね」
「美徳(ぺぱーみんと)……でしたっけ? 」
「へへ……よく知ってるね」
「いえ……」
彼女のことを色々知りたくなったので、他の看護師の人にワザワザ聞いたりしていたことは秘密にしておく。
「だからさ……どうしても逃げ場が無いって時はそういうことしちゃうって気持ちも分かるの……」
「それは……ボクも一緒です……ボクも、前に飛び降りたことがあって……」
「……知ってるよ……舞台くんのお父さんがそのこと喋ってるの、聞いちゃってさ……」
「はは……父さん、声デカイから……」
「……色々さ……似てるんだよね……わたしたちって」
「そう……ですね……自分も、名前がちょっと変わってるんで……その辺も似てるかも知れないです。舞台(ぶたい)……ってどうなんだ? って思いますから、自分でも」
「そう? 清水 舞台(きよみず ぶたい)……イイと思うけどなぁ……映画俳優みたいでカッコいいし。好きだよ」
「そ……そ……そうですか? 」
「うん」
大沢さんに「好き」という単語を投げかけられ、自分の脳はその前の文脈関係なしに好意として勝手解釈してしまったらしく……体を火照らせ……鼓動を高鳴らせてしまった……ええい、情けない!
「うわっ! 」
動揺したボクは、ペットボトルをひっくり返してしまい、その中身を下半身にぶちまけてしまった……その液体の色的に、恥ずかしさは倍増である。
「ちょ! 舞台くん! 」
「あわわ……す、すみません! 」
「ままま待って! すぐ拭くから! 」
派手にそのまき散らされた紅茶は、ボクだけでなく大沢さんの手まで濡らしてしまった。彼女は物干し竿に干されていたタオルを一枚拝借してボクのズボンに付いた紅茶をふき取ろうとする。
「うわッ!? 」
しかしどういうワケか彼女は足下に何もないのにも関わらず、その体勢を崩して転びそうになってしまった! なぜ?
「危ない! 」
とっさにボクは座りながら両手を動かし、彼女の両手を掴んで転倒を阻止する。
「あっと……ごめんね……舞台……く……ん」
気が付いたらボクと大沢さんは……お互いに向き合って両手を組み合っていた……
「あ……舞台くん……あの」
「う……うん……」
「……アレ……? おかしいな……? 」
彼女は……どういうワケか突然、両目からポロポロと……大きな粒の涙をこぼし始めた……そしてそれは……
「……変だよね? 舞台くん……困ったな……涙が……」
「……そ……そうだよね………………ボクも……その」
ボクも同じだった…………止めようと他のコトを考えても……瞼を閉じても……涙が溢れ出すことを止めることが出来ない……
この涙は……本能的に……脳の奥で忘れ去られたスイッチが押されたかのように、止まることを知らなかった。
「……変なの……舞台くん……なんか今……凄く……」
「はい……」
「わたしね……」
「はい……」
「凄く…………うれしいの」
ボクはこの暖かい風に包まれながら思った……
どんなに頑張って報われなくても……
他人に指さされて笑われるような毎日でも……
終わりの見えない苦難に飲まれ込もうとも……
やりきれないことばかりで薄汚い世界であっても……
この人の笑顔が見られるのなら……
ずっとずっと……
生きていたい。
THE END
自殺ランブル 大塚めいと @ohtsuka_mate
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