第3話

三、

 それから、十五年の月日がたった。ワクチンの開発により、全盲色症はうつる病気では無くなったものの、一度かかってしまった者は、もう元には戻ることはかった。ネロは十年もの月日を隔離施設で過ごし、五年前、社会に出てきた。

 ネロは駅前の混雑した道をようやく抜け、改札口の前まで来た。すると、ポケットの中でバイブが鳴った。ネロは歩きながら携帯を取り、液晶画面を見た。そこには、“ブラン”という文字が書かれていた。ネロは少しためらったが、傍らに立ち止まると、冷たくなった液晶画面をぴたりと頬へ押しつけた。

「もしもし、ネロ先輩。今からコウ部長と飲むんですけど、ネロ先輩も来ますよね?それとももう帰られちゃいましたか?」

「今ちょうど駅前。もうすぐ電車乗るけど……」

「ちょっと待って下さい!コウ部長がネロ先輩に話があるって」

ネロはその言葉を聞いて小さくため息をついた。

「……分かったよ。行く」

「良かったです!じゃあ、ドームの中のいつものお店で!すぐ追いかけるんで、先に入っててください」

ネロは液晶画面を頬から離すと、改札口にくるりと背を向け、線路沿いの道の先、ドームと呼ばれる大きな建物へと向かった。

 ドームの中は三階建てになっていて、中心広場を囲むようにずらりとドアだけが並んでいた。それぞれのドアには色とりどりの装飾や、看板がつけられているはずだったが、ネロにはどれも同じにしか見えなかった。ネロは三階に上がると、時計回りに五つのドアを数えて、そのドアの前に立ち止まった。そのドアは他のドアとは違い、何の装飾もしていなければ、看板さえついていない、真っ新なドアだった。誰がどう見ても決して流行っているとは言い難い、こんな無機質な店がネロたちのいつもの店だった。ネロはドアを開いた。案の定、がらんとした店内には、小さなテレビの音だけが響き渡り、ネロは少し戸惑った。しばらくすると、一人の店員がネロに近づいてきた。

「何名様ですか?」

 そう言うと、店員はぎこちない笑顔をネロに向けた。

「後から二人来るので、三人です」

「それでは、こちらに」

店員は、不自然なまでに無駄のない動きでネロを席まで案内すると、おしぼりとお水をお腹の中から出してみせた。それもそのはず、この店員は人間の形をしたAIロボットで、人件費削減のために全国の飲食店に支給されたものだった。

 ネロはふと、ブランに以前、同じ口実を使って飲み会に誘われ、いい話を期待しながら行ったものの、結局部長は来ず、なんの話もされずに帰ったことを思い出した。ブランの奴は妙に口が達者で、ネロは先輩のくせに何を言っても歯が立たなかった。そんなことを考えていたせいで、ブランが店に着くころには、ネロの顔はあの眉間にしわのよった難しい顔となっていた。

「ネロ先輩、待たせてしまってすいません。あともう少しでコウ部長も来ると思うんで」

ブランはそう言うと、例のAI店員に三人分のビールを頼んで横の席に着いた。

「今回はちゃんとコウ部長来るんだよな?話があるから呼んだんだよな?」

ネロはブランを睨んで、低い声で言った。

「もちろんですよ!きっと新プロジェクトのリーダーの話じゃないですかね?ほら、このドームの一階の中心広場で、うちの会社を含めた三社の食品会社合同のフードフェスティバルを開くって話。ネロ先輩が一番可能性あるんじゃないかってうちの部署では話題になってましたし」

「そんな話、こんな所でするか?僕はとてもいい話とは思えないけど」

「絶対そうですよ。ネロ先輩、天然素材だけを使ったフードフェスティバルにするって意気込んでたじゃないですか」

「それはまあ……。今じゃ人工以外の肉も魚も卵も滅多に食べられないからな」

ネロはそう言うと、AI店員が運んできたばかりのビールをグビっと一口飲んだ。

「え、ちょっと、まだ部長来てないのに勝手に始めないでくださいよ」

ブランは目を丸くして言った。ネロはポカンと口を開けて、しまったという顔をすると、ブランの顔と、ジョッキに入った残りのビールを交互に見て、それを一気に飲み干した。

「おう、ネロ、ブラン、すまんな遅れて」

ネロは突然響いてきた低い声に、ピクリとしたが、とっさに空いたジョッキを椅子の下に隠して、立ち上がった。

「コウ部長、お疲れ様です。僕もブランも今来たところです」

ネロはそう言って、横目でブランを見ると、ブランはにやりと笑った。

 ネロは料理を待つ間、あれやこれやと続くコウ部長の世間話や自慢話に耳を傾けたが、一向に肝心の大事な話にたどり着く気配はなく、徐々に飽き飽きとしてきて、ついには相槌をうつのもやめてしまった。

「ちょっと、ネロ先輩聞いてます?もう、酔っぱらっちゃったんですか?」

「いや、そんなことはないけど」

ネロはまた一口ビールを飲んで、ため息をついた。

「お待たせしました。天然鶏卵の玉子焼きです」

「天然鶏卵?!コウ部長こんな高価なのいいんですか?」

「今日は特別だ。ネロ君、君に話があってね」

「はい」

ネロは今すぐにでも卵焼きにかぶりつきたいという気持ちをぐっと堪え、部長の目を真っすぐに見た。

「今度の四月から始まる新プロジェクトあるだろう?ぜひ君をプロジェクトのリーダーにしたいんだ。まだ正式な決定じゃないから皆には言ってないんだが、君さえよければどうかな?やってみないか」

「はい、是非やらせて下さい」

「そうか、それならその方向で話を進めよう。入社してからの君の仕事ぶりはよく耳にする。期待してるぞ」

「はい!」

ネロはさっきまでの曇り顔をパッと明るませ、コウ部長とジョッキを合わせた。

「ネロ先輩、入社五年目にして、平社員卒業おめでとうございます!」

そう言うと、ブランも無理矢理ネロとジョッキを合わせた。

「いや、まだ平社員だよ」

「プロジェクトリーダーっていうかっこいい名前がつくんですよ?!僕も欲しいですよその名前」

ブランは卵焼きをつつきながら、ぐちぐちと小言を言った。

 その時、ネロの背後からテレビのニュースの声が聞こえてきた。

「今日午後四時頃、ラル区のアン拘置所から、感染罪の罪に問われて、拘置されていた女が脱走しました。女は囚人服一枚で脱走した模様で、警察は拘置所近辺を中心に捜査をしています」

ネロは感染罪という言葉に反応して、思わず振り返った。

「女は一五年前に全盲色症を感染させたという容疑に対し、否認していた模様で、そんな記憶はないと言っていたそうです」

「アン拘置所ってここから近いですね。感染罪っていう事は、この女、モノクロですかね?」

ブランはお箸でテレビの中の女を指してそう言った。

「ああ、そうだろう。けしからんねこいつらは。わけのわからん菌をまき散らしやがって」

 コウ部長はそう言うと、AI店員にテレビを消すように言った。ネロは黙ったまま仕方なく前を向いた。

「あ、モノクロで思い出したんですけど、来年度の新入社員の面接から、モノクロじゃないかどうかのテストを導入するって本当ですか?」

 ブランがコウ部長にそう言った瞬間、ネロはむせ返った。

「ああ。近頃モノクロの奴らも社会に出てきただろう?色を判断できないせいでトラブルが多発しててな。特にうちは食品を扱う会社だから、モノクロが間違って、変色した商品を売ってしまったら大問題だろう。何かあってからでは遅いんだよ」

ネロは二人の顔を見ることができなかった。

「近々、今いる社員にもテストが行われるだろう。そこで見つかったモノクロは、即座に首にしろと上からの指示が出ていてな」

ネロはごくりと唾を飲んだ。コウ部長はネロの様子に不思議そうな顔をしたが、ネロは気づく様子もなかった。

「そうなんですか。でも会社にとっては必要なことだと思います。ねえ、ネロ先輩?」

 ネロはびくっとして、持っていた皿を落としかけたが、急いで取り繕うと、ゆっくりと顔を上げて、あのAI店員よりぎこちない笑顔を作った。

「そうですね。僕も、必要なことだと思います」

 ネロはそう言うと、最後の一口となったビールをぐいっと飲み干した。

気が付くともう終電の時間が迫り、ネロは慌てて店を出た。詰まりかけた息がすっと抜けていくような感覚を覚えて、足早に駅へと向かい、最終電車に飛び乗った。


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モノクロ 咲花 小春 @amirocklock

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