日記(1992)

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日記(1992)

           日記(1992)



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光太郎


       高村光太郎 智恵子抄----“脳回虫説”



 自分がこう思ったのは自分がこういう患者の主治医となったからである。智恵子は脳回虫だった。




 そして今たくさんの脳回虫の患者が精神病院のなかで精神病として誤診され苦しんでいる。彼らは精神病ではない。回虫が彼らの脳の中でうごめいているだけだ。

 

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 長崎県北高来郡飯盛町


大久殿 


 大久君。君の死体が長崎港に打ち上げられる日は近い。

 もし打ち上げられたくなかったらすぐにこの事件から手を引くことだ。

 君だけでなく、内の若い者は君の家族もそうするらしい。

 そうなりたくなかったら早く手を引くことだ。      

 もしこの手紙を警察にばらしたら君の家族の誰かがいけにえになると思うことだ。


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                        星子さん

 

 真冬の海だ。でも僕の頭はボーッ、としている。もうあれから何年が過ぎただろう。もうむかしのことだと思いつつもボーッ、とした僕の頭はそれがいつだったのか、現実だったのかさえ、忘れようとしている。

 バイクでの事故は今も僕の頭をボーツ、とさせる。もう一年以上も経つ。今も全く退院したときと変わらないくらい、いや毎日の激務に退院のとき以上に僕の頭はボケている。

 今年の正月も終わりに近づいている。厳しい毎日が正月があけるとまた始まる。僕の病気はそのままでなかなか治らない。


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          死んだら

                    高見敏郎


 僕たちは死んだら仏界へ行く。ある人は地獄へ行くかもしれないけど僕らは仏界へ行く。自分の事しか考えない人や冷たい人は地獄へ落ちると思う。でも僕らはみんなを幸せにするために毎日活動したりしているから僕らは仏界へ行くと思う。人の幸せを考えない心の冷たい人はーーエゴイストな人はきっと地獄へ行くと思う。でも僕らは世界の人たちの幸せを思って毎日を送っている。批判の声の方が多いけど僕らは僕らが信じているこの哲学というのか信仰というのか日連大聖人様の教えを信じて生きている。不幸せな人を幸せにしてやりたいと思いながら毎日を送っている。今、僕は活動する時間がなくて偉いことを言えないけどその代わり金銭的な援助をしたり社会的に偉い人間になってこの信仰を広めるために役に起とうと思っている。


 みんなは批判的なことをよく僕らに言うけどでも僕たちはそうだとは思わない。御本尊様の前に座って題目をあげるととてもすっきりするから。それに御本尊様の前で題目を唱えられなくても僕たちの心のなかの悲しみや寂しさはすぐに消える。


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           吃りに対する治験(星状神経ブロック)



 吃りは思春期の男性に好発する。ある人には一時的に、またある人にはそれが思春期を通じて付きまとう。一生これに悩まされる人も多い。そして吃りに対する治療方法は今まで無いものとされてきた。

 現在、星状神経節ブロックがさまざまな疾患に対して効果があることが分かってきた。自律神経を調整する作用が星状神経節ブロックにある。特に、交感神経更進状態によく効くことが分かってきている。

 吃りもかなりの部分は交感神経高進状態であることが多い。我々はまだ一例の症例であるが星上神経節ブロックが奏功した(また奏功している)症例を経験した。まだ一例に対してだけ行ったのみであるので奏功率は100%であるとも言える。

 

【症例】

 患者(A)は高校一年のとき吃りを自覚した。中学時代や小学時代も話し方がおかしいと人から言われてきたがそのころはまだ軽かったのか


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 一晩、考えました。やめさせてください。自分は脳外科には向いていません。それに毎日のハードな仕事にもうついてゆけません。裏切り者として去ってゆくことにものすごくひけめを感じています。本当にありがとうございました。こんな自分を医局員として扱ってくださって本当にありがとうございました。

 平田先生、本当にありがとうございました。自分を一人前の脳外科医になるように本当によく教えてくださってありがとうございました。

 安永先生にも本当に迷惑のかけどおしでした。本当にありがとうございました。

 笠先生、ありがとうございました。ほかのみんなにも迷惑のかけどおしでした。本当にありがとうございました。

 柴田先生、本当にありがとうございました。こんな僕に怒りもせず優しくしてくださって本当にありがとうございました。


 自分は新しい道を進んでゆこうと思っています。頭のぼんやりとした僕でもやってゆける新しい道を進んでいこうと思っています。そうしてこんどこそは病気で苦しんでいる人を救ってゆくつもりです。本当にすみません。ありがとうございました。


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 自分は若杉文吉先生の星状神経説ブロックに魅せられた。しかし次第にその限界にも気が付いてきた。背骨の矯正が自律神経などを整えるのに一番なのではないかと考えてきた。しかし、低出力レーザーの生体に及ぼす効果にふたたび魅せられた。背骨の矯正はかなり熟練した達人でないと非常にむずかしい。

 低出力レーザーは結合組織などの変化も生じさせリュウマチなどにも効く。また低出力レーザーは鍼治療では不可能な場所にも使用することができる。頭のなかにも使用できる。自分が以前考えていた脳定位手術による分裂病などの治療が簡単に副作用を起こすことなくできる。


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 ぼんやりした頭で思い返せば、僕が創価学会に戻ろうと思い始めたのは学2の頃のことだった。その頃、僕は毎日の虚しさや倦怠感に疲れ始めていたような気がする。心の充実感をどこかで得たいと思いつつも、寂しさに疲れ果て毎日ため息をつきつつも(たしかあの頃僕は夕方になるとため息をついていた。それも寂しいため息をついていた。)

 あの頃、僕は洋服に目覚め、クルマもホンダのプレリュードを買い、外見は立派になっていた。それにレキソタンなどの抗不安薬が吃りに劇的なほど効き、なめらかに喋れるようになることを知り、2週間に一回、精神科に通って薬を貰っていた。

 あの頃、僕は外見だけはかっこよくなっていた。でも心の中は精神科に通っているひけめと薬が切れると喋れなかったり対人緊張が強くなることに悩み苦しんでいた。また友だちが少ないことも悩みのひとつだったような気がする。

 あの頃、たしかに僕は夕方になると人恋しさや生きることの寂しさなどに苦しんでいたと思う。たしかあの頃、僕は酒を毎日気絶するまで飲んでいた。気絶する寸前のところで小説を書いて孤独や寂しさなどを紛らわしていたと思う。


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         死後の科学


            ----命限り惜しむべからず。ただ願わくは仏国なり----



 法華経には『法華経を信じ生前法華経弘通に尽くした人は仏国へ行き、法華経を信じなかった人、とくに法華経を信ずる人を軽蔑したり悪く言ったりした人は地獄へ落ちる。』と書いてある。もしそれが本当なら、大変なことだと思うこの頃である。

 自分は中学時代より大学一年の途中まで、身命を投げうつ覚悟で創価学会(法華経を現代に於いて最もよく実践している団体)の中で生きてきた。厳しすぎるほど苦しい幼年・少年時代だったが、自分はそれ故に法華経を信じてきた。小学三年のとき苦しみに耐えかねて母が勤行(*法華経でのお祈り)している姿をまねて自分も毎日夕方するようになった。十五分、二十分と正座しているのは小学三年生の僕には辛かった。でもそのうちに三十分、四十五分と正座できるようになった。また、方便品、寿量品も読めるようになった。

 運命は本物の信仰を始めたとき、宿業が深かったなら、その宿業が出てきて、かえって信仰を熱心にするに従って悪いことが起こると言われる。法華経にそう書いてある。でもその苦しみ、災難も、法華経の故に軽く受けることができると言われる。


   *(なお、これは書きかけであり、以後、次々と補足してゆく。)


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 柴田教授 安永先生 堤先生 平田先生 笠先生 そのほかの先生たち それにほかのみなさん 本当にお世話になりました。僕は疲れきりました。僕には一生脳外科を続けてゆく体力も能力もありません。ここ何ヵ月間かずっと考えていました。僕には他の道が向いていると思います。これだけお世話になりながら裏切るように去ってゆくのはたいへん気がひけます。僕は気力のみで今まで一年近く頑張って来たつもりですけどもう気力が続きません。僕は疲れきりました。

 僕は僕だけしかできない道を進もうと思っています。僕ができる道があると思います。すみません。本当にお世話になりました。


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 自分はときどき精神病院にアルバイトに行くのだがそこでつくづく思うのはそこの患者は心の病ではなく神経の病だと思う。精神科の病棟から長崎の空を眺めながら思うに、心の病はこの精神科の病棟に入院している人たちを馬鹿にしている人たちがそうだと思う。

 自分は長崎の空を眺めながら、ここの病棟に入院している人たちの心の清らかさ----清らかであるがゆえに神経が病んでしまったことをつくづくと感じる。

 ここの病棟に入院している人たちは天国へ旅立てると思う。しかし、社会で弱者をいじめながら生きている人たちは地獄へ落ちると思う。

 ここの病棟へ入院している人たちを馬鹿にする人たちは地獄に落ちるし、人の迷惑も考えないで生きている人たちも地獄に落ちると思う。

 心が純粋で、青春期に善の心と悪の心と戦い疲れた人たちがここに居る。善の心を持たなかった人たちは社会で成功している。

             


              

              浦上川

              僕の前を流れる浦上川

              黒い黒い浦上川 


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 前回も書いたが、ここに居る人たちの心は清らかで純粋である。ここには平和が存在する。それに比べて世の中の人たちの心の醜さ、いがみ合った社会、----たしかに精神科病棟は狭く不潔で住みにくい。しかし豪華な整った家や部屋に住んでいる人々の心はこことは逆にきたなく汚れている。

 ここは部屋や周囲こそきたないが、人々の心は美しく純粋だ。青春期に葛藤し、遂に精神の錯乱を来した人たちがここに集まっている。葛藤しない要領のいい人間はここにはいない。そういう人間は幸せで恵まれた生活を送っている。

 しかし、これは死後、逆転すると思う。人生の哲学、死後の哲学というものを現代の人々は忘れているし、またそういうことを言い出す人を狂人扱いにする。

 でも真実は死後の哲学にあると思う。       


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          運命の科学


 たとえば僕は去年も今年も同じ日に交通事故を起こした。去年は大学を卒業延期に

なってその試験の終わったすぐ後の頃、9月7日の午後5時5分頃、大学の図書館で

国家試験への勉強をしての帰りに事故を起こした。今年は社会人一年目のときで仕事

が非常にきつく、9月7日、仕事帰りに午後8時頃、本河地付近で居眠り運転をして

事故を起こした。去年は2ヶ月入院した。一週間、意識不明だった。いろんな夢を見

た。自分は中国にいて山蔵法師のお供をしていた。

 頭蓋骨の陥没骨折だった。腰の骨も折っていた。頭は今もぼけている。今が春か夏

かも少し考えないと分からない。それなのに相手方の保険は50万しか慰謝料は出さ

ないと言う。(相手方が100%悪かった。)今もまだ未決のままでいる。

 今年の事故はほとんどこっちが悪かった。相手は大きなクルマだった。でも相手は首が

痛いと言って病院へ行った。眠っていた自分は何ともなかった。相手のクルマはこっちの保険で全て修理され、自分のクルマは廃車になった。

 運命とはやはり繰り返すのだろうか。


 今年の事故でもし僕があとほんの少しでも早くハンドルを右に切っていたら大事故

になるところだった。僕はそのときほとんど夢を見ていた。なぜか無意識のうちにハ

ンドルを右に切っていた。もしあとほんの少しでも早くハンドルを右に切っていたら

正面衝突をしていた。小さいクルマの方の自分は大怪我を負っているか、去年の事故

の傷跡も頭蓋骨にあるのだから頭蓋骨を骨折して死んでいたかもしれない。


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           2035年


 2035年というと僕は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。遠い未来のような気もするし、すぐ近くのような気もする。

 2035年、僕はアフリカに居るかもしれない。もう、日本なんか飛び出して、少年の頃よく言っていたようにアフリカの難民キャンプで働いているかもしれない。少年の頃、僕はアフリカなんかの医療に恵まれない所で医者として働くのだとよく人に言っていたし、自分でもそう思っていた。しかし現実の自分は長崎の大学病院からほとんど外に出られないほど、仕事に追われている。この前なんか仕事帰りに居眠り運転して事故を起こしてしまった。新しくクルマを買ったり、新しい医療法の機械を自分で購入しようと考えたり、それに僕が信じる宗教団体のために寄付をしようと考えたりしていて貯金は底をつこうとしている。結婚なんてずっと先のことだろう。もう僕は30になる。自分でもびっくりするけど、本当に僕はよく30年生きてきた。小さいころはどうしようもない自閉症のような子供だった。一日に一回は必ず泣いていた。それに家も貧乏だった。毎日、貧乏ゆえの夫婦喧嘩が絶えなかった。そんな中を僕と姉は辛抱して生きてきた。辛い苦しい少年時代だった。大学に入ってからも5年留年した。最後の年、9月7日にバイクで交通事故を起こして2ヶ月入院した。頭蓋骨骨折などだった。それから頭はぼんやりし、過去の記憶を部分的に無くし、それはいいけど、物覚えがものすごく悪くなり、また今が春か秋かなどということなどがあまりすぐには分からないようになってしまっている。でも今年の医師国家試験にはこれでもギリギリで合格した。3年も最終学年を送っていたから国家試験の勉強はとてもたくさんしていたから。それにこんなに留年したのも勉強をさぼったりしたか�轤ナはなく、あまりにもまじめで人づきあいが悪かったからだったから。

 僕は今、信仰を心の支えにして再起しようとしている。一年前の事故以来、頭はぼけていてよく今度はこっちが交通事故を起こすようになってしまったけど、僕は再起しようとしている。交通事故の後遺症か体が鉛のように重たいけど、生きていただけ僕は幸せだった。今も頭蓋骨は凹んだままだけど、僕はアフリカに行こう。アフリカはちょっと遠いから中国か東南アジアに行こう。いや、やっぱり中国に行こう。中学生の頃、中国語の勉強をしていた遠い昔の思い出がある。元気だった頃の思い出がある。中国で今自分がしている脳外科をしよう。日本ではいろいろ制約が多くて自由なことができないけど、中国でなら自分が考えている脳神経外科をできるような気がする。精神病者を治す治療法を作りだしたりなどできると思う。

 中国に行けば贅沢なんかできないだろう。テレビなんて見れないだろう。でもどうせ今もテレビなんてほとんど見れないし、(F1だけはどうしてでも見たいけど)僕が信じる宗教の布教活動に全力を尽くそうと思っている。いやそれよりも脳神経外科の新しい治療法を見つけて、病気などで苦しんでいる人たちを助けなければならない。



              完

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