愛子(桜雪)

@mmm82889

愛子(桜雪)

 愛子(桜雪)             


                          カメ太郎



 僕は愛子の手紙をほとんどすべて捨てちまったこと、胸元が張り裂けるほど後悔している。僕はあの頃狂っていたんだ。自分の過去を塗り変えようと躍起になっていて狂っていたんだ。

 でも愛子とのあの頃が僕にとって最高の青春だったんだなあとばかり思ってため息ばかりついています。今の僕は死にかけています。死神にとり憑かれていて明日にも死にそうなほど元気がありません。

 あの頃の愛子との元気いっぱいな明るい日々に戻りたい気持ちでいっぱいです。そしてまた僕は“愛子と結婚しようかな?”とこの頃本気で考えています。再生のためには、生き続けるためには愛子と結婚するしか方法がないような気もします。


 


 僕はまったく生きる意欲をなくしかけています。3度目の留年は僕を強く強く叩きのめし僕を確実に死へと導いているようです。もしも進級できてたら僕は吃りの人たちなどのために研究と治療に没頭する決意で毎日を燃える決意で送っていたのにちがいありません。でもこれから一年間の暇な日々を考えると僕はいたたまれません。

 明日にでも柔道場へ行って柔道の帯で首を吊って死のうかな、とも考えています。


 


 


 


 


 愛子、僕たちが始めてデートしたとき待ち合わせていたあの商業高校の裏の護国神社のこと憶えているかい。あれは6月終わりのことだったね。愛子は明日から試験っていう日だったのにね。呼び出してごめんね。

 あの夕暮れのとき、僕は愛子が始め解らなかった。綺麗な女子高校生が護国神社の坂を登ってきて誰かを待っているようだったので、僕らのほかにもここをデートの待ち合わせの場所にしているのがいるんだな、と始め思っていてそれで愛子を10分近くも待たせておいてごめんね。僕が柔道の合宿のとき見てた愛子と違うようだったから。やっぱり体操服のときと学生服のときはちがうんだね。

(なぜ今ごろ愛子とのことがこんなにも思い出されてくるのかな。僕の魂はすでに急降下を始めていて過去の記憶が走馬燈のように蘇るという現象がすでに起こりつつあるのかな。そして愛子の手紙をほとんど捨ててしまったという罪悪感と悔やみが僕を朝から何かに憑かれたようにしてこんなに夢中になって書かせているのかな)

 僕たちが始めて出会ったのは合宿第一日目の夕暮れだった。その日ボクは留年の通知が家に行っているかも、と思って夕方の練習が終わってすぐ愛車のセルボで家に帰ったんだ。夕方だから混んでいて行って帰ってくるのに一時間半以上もかかった。そうして当然夕食に遅れてもうあと片づけをしているところだった。

 僕はその頃ようやく衣服に目覚めかけ……4ヶ月ほど前のクリスマスイブの夜からの手痛い失恋が今もまだつづいていたから。そして僕は今まで母の着せる自分の店の服ばかり着てたのを町の若者向きの店で買うようになったばかりの頃だった。僕は5800円したズボンと2800円の長袖のシャツとそして水害のあとに友だちと浜ノ町に出かけて買ったたしか2000円ぐらいの丸っこいメガネを掛けていた。靴は母が知り合いから買ってきた以前からの靴のままだった。

 食堂は2階だったけど調理室は1階で愛子たちそこで食事をしていた。入口に立ちつくしていた僕に愛子は駆け寄ってきてそうして中のみんなに叫んだ。何と叫んだっけ。愛子の声はかん高くて大きくて叫んだように僕には聞こえた)

 僕は愛子に促されるまま中に入り、そしてみそ汁などをついで貰って食べ始めた。僕は始終うつむいていた。


 


 


 


 


※(あの頃、愛子たちと出会った春休みの合宿のときクルマの中で書いたもの。まだ残っていた)

 ボクは明るいあなたたちを見ていて、生きよう、と思いました。

 ボクはあなたたちを見て自分の少年の頃を思い出しました。そうしてとても懐かしくなりました。ボクの少年時代は暗かったけど、でもボクもあの頃はあなたたちのように純粋でした。美しく生きようと思いました。


 


 


 


 


 愛子たちの明るさはクリスマスイブの夜以来、意枯地になっていた僕の魂を大きく大きく揺り動かした。僕は揺れた。夕食を食べながら。僕は大きく揺れた。僕の胸の中は揺れてた。生きようと思いながら。

 僕があの頃口癖にしていた言葉、愛子、知ってるかい。僕はそのころ『ダメダ、ダメダ』とばかり口にしていた。本学での合宿のときもずっとその言葉ばかり口にしていて先輩たちからあきれられていたっけ。合宿所のなかに真夜中2時3時頃から目覚めたボクが『ダメダ、ダメダ』とばかりブツブツ言うものだからほかのみんなよく眠れなくてとても迷惑していた。

 僕の『ダメダ、ダメダ』という独り言が止まったのはあの夕暮れ、愛子たちの明るさにボクが触れたからだ。それ以来ボクは『ダメダ、ダメダ』という口癖をほとんど口にしなくなった。僕は元気になった。そして生き返ったような気分になった。

(世の中にこんな明るい元気のいい生命っていうか女のコがいることを知って、そしてそのコとお友だちになれそうで、僕は急に生きる意欲が湧いてきたのだろう。僕は生きようと思った。クリスマスイブの夜以来、奈落の底に落ちかけていた僕の魂は愛子たちの元気さによって救い出された。ボクが陥っていた奈落の底から)

 愛子たちは天使さまだったんだ。僕が陥りかけていた地獄の底から僕を救い出してくれる天使さまだったんだ。ちょっぴりポッチャリとしたでもとても元気のいい天使さまだったんだ。


 


 


 


 


            (一回目の手紙)

 僕は毎晩毎晩父と母の会話に階段のところからソッと聞き耳をたてている。僕は僕が留年したことを親に内緒にしているから。でもそれが何時何処から親に知れるか解らない。僕は毎晩恐怖に脅えている。早く芥川賞を取りたいなあ、と思っています。芥川賞取ったら留年したことを親に言おうと思っています。

 愛子。僕は寂しい留年生活を送りながらつくづく“自分は果たして生きる価値のある人間なのだろうか?”ととっさに不安に駆られてしまいます。そして愛子の所に走っていきたくなります。250ccのバイクに乗って愛子の住んでる香焼の夜の闇を突き破るようにして。

 僕は高校の頃からよく“ピストルが闇の中に浮かんでいてそれが僕のこめかみを突き破る”幻想に悩まされてきました。でも僕の手元にはピストルはありません。そんなに簡単に死ねる道具があったらどんなにいいでしょう。それに死んだら親が可哀相です。


 


 


 


 カメ太郎さんへ

 お手紙どうもありがとう。でも私びっくりしています。カメ太郎さん、死ぬのだけはやめて下さい。私、とってもびっくりしています。

 私も今までとっても辛い経験をしてきました。私の母は私が4歳のときに死にました。それからずっと2つ下の弟と生まれたばかりの妹の面倒を私が見てきました。小学校の頃は友だちと遊べなくてとても辛かったです。中学になると下の妹がどうにか家事をやれるようになってそれでテニス部に入ったんですけど。

 小学校の頃は本当にきつくって私何度母と一緒に死んでたら良かったのに、と思ったことでしょう。

 それに私が中学二年のとき継母が来たし。

 話は変わって今私たちはクラスマッチの練習で大忙しです。放課後遅くまで練習したりしています。私はテニスにでるんですよ。そうしてダブルスでは優勝候補に挙げられています。私、中学の頃2年のときからレギュラーで私たちの中学(香焼中学)は2年連続で県大会で優勝したんです。そして私、3年のときはキャプテンしていました。


 


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テニスしている少女の絵


 


 


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        ※(二度目の手紙だろうか)


 愛子へ

 僕はこの頃、愛子の手紙に元気づけられて毎日をなかなか元気いっぱいに生きてきたつもりです。しかし僕はやはり落ち込んでしまいます。とくに夕暮れから夜になる頃。

 僕はもうほとんど沈んでしまっている山の端の太陽のところまで走っていってそこで(※消去されている)という衝動にやはり駆られてしまいます。まるで狂気でしょう。僕は発狂寸前の男です。アルバイトをできない留年を繰り返しているそしてそれを親に言えないでいます。


 


 


 僕はその頃愛子と僕との恋が成り立つことが世の中のためみんなのためにプラスになることかマイナスになることかと考え込んでは悩んでいた。愛子と僕とがつき合うようになると恋人の居ない者が減り恋人の居ない者たちが余計焦るようになる(マイナス)。そのマイナスと僕たち二人だけの幸福(プラス)とどちらが大きいだろう。

 つき合わざるべきかそれともつき合おうかと迷った。

 僕と愛子が犠牲になるべきか、それとも二人の幸せを悪魔のように追求してゆくか。僕は迷った。しかも二人だけの幸せにもそこへ行きつくまで多大の困難が待ち構えていて他の人たちにはマイナスとなるところをそれらの困難を克服してまでも突き進むべきか僕は迷いに迷った。それとも友だちを紹介してほかの人たちへの幸せになるのかもしれない。


 


 


 


 愛子とボクの連絡が途切れたとき、ボクはNBCの夜11時15分からあるプレゼントアワーにボク出しただろう。そうしてすぐ愛子から手紙が来た。でもボクその手紙、どうせ『迷惑しました。もうあんなことしないで下さい』とか書かれた手紙だと思って怖くて怖くて読み切れなかった。

 そしてそれから一ヶ月ほどしてまた手紙が来た。そして僕はやっと読んだ。2つ連続して来るのなら迷惑なため断りの手紙だと思っていたのは僕の邪推だと解った。

 でもその手紙を読んだときもう遅かった。一回目の手紙のとき愛子は県外就職にしようか県内就職にしようかとても迷っていた。○○○○のため愛子は県外就職するつもりでいたけど僕のためになら○○○○だけど県内就職に変えるつもりだった。そして『できるだけ急いで返事を下さい』と愛子は書いていた。

 でも2回目の手紙には『私、もう県外就職に決めました』と書いてあった。僕からの返事がないので愛子はあきらめて県外就職にしたんだ。あのとき愛子はせっぱつまっていたのに、僕はその手紙が『迷惑です』などと書かれているものとばかり思って怖くて読みきれなかったんだ。

 やっぱり僕らの間には悪魔が働いていたんだ。僕らをひっつかせまいとする悪魔が。

 そして愛子は福岡へ行った。僕が浪人の頃2ヶ月ほど住んだことのある福岡市に。 そしてそれから3年が経とうとしている。僕には寂しい3年間だった。

 でもまだ3年経つには3ヶ月ある。

 まだ3カ月。そして今12月30日だ。愛子、帰って来るのではないのかな。そして帰ってきたら僕に電話をくれないかな。そして浜ノ町で会おうよ。僕は愛子と結婚するつもりだよ。ボク、死にたくないから。死の代わりに愛子と結婚しようか、と考えているんだ。

 リンリーン、リンリーン、と電話のベルが鳴っていた。僕が福岡の愛子の寮に電話したのだった。

『あの、○○愛子さん呼んでください』

 僕はそう言った。タバコを吹かせて気分を落ちつかせたあと。

『愛子ちゃんは今日帰るそうですよ』

 少しの沈黙が流れた。

『あの、○○愛子さんは今居ないんでしょうか?』

『はい、いま会社に行っています。今日帰るそうですよ』

 明日だ、明日だなあ、と思った。僕が久しぶりに愛子に会える日は。3年ぶりになるだろう。愛子が高校3年生のとき雪の降る寒い12月に本屋で待ち合わせてデートしてから。どんなに変わっているだろうかなあ、と思った。綺麗になってるかな?、それともブスくなってるかな?

 たぶん明日か明後日、浜ノ町で待ち合わせて3年ぶりのデートをしよう。そして良かったら結婚の申し込みをしよう、と思った。

 僕のノイローゼ状態はいっぺんに吹き飛んでいた。力が湧いてきたのを感じとっていた。僕は死なないゾ。僕は決して死なないゾ、と思い始めてきた。そして隣りの隣りの千恵子の部屋にいた喜文に『今から浜ノ町に行くゾ。やっぱり一日じゅう家にいたら頭が変になってくるな。俺、さっきまで欝状態だったけど急に元気が出てきた。今から浜ノ町に行くゾ』

 僕はいつの間にか死ぬことを考えなくなっていました。3年前の元気だったあの頃を思い出したからでしょうか。僕は元気になっていました。愛子の明るさや元気さを思い出したからでしょうか。


 


 


 


 


 僕は今でも忘れられない。合宿最後の前の日のことだった。僕はこの日もいつものように夕方の練習が終わるとセルボに乗って家に帰りまた留年の通知が来てないことを知るとすぐに商業高校へと引き返した。そしていつもの通り一階の愛子たち四人のマネージャーのいる調理室で遅い夕食をとった。

 その日最後の夕食で先生が特別にビフテキを御馳走することになっていた。僕の心はそれを聞き重くなった。今日は夕食に遅れずにちゃんと合宿所にいなければならないかな。また先輩も僕に『今日は○○先生が特別にビフテキを御馳走するそうだから帰るなよ』と言われた。僕はそれで煩悶した。

 僕は黙々と考えた結果、昼食が終わって愛子たちが後片づけをしているとき、調理室に入っていってたぶんリーダー格である(愛子は柔道部のマネージャーでなくて香焼中出身の仲間が3人柔道部のマネージャーなため合宿のときお手伝いをしていただけだった)窪田さんに『あの、今日も遅れます』と吃り吃りもじもじと言った。僕はもう4日連続で夕食に遅れ愛子たちやあるときは野球部の奴ら、またあるときは女子高生とばかり思っていた女性の教師と一緒に夕食を食べていた。僕はいつもうつむき続け無口な僕だった。

……僕はそう言うとうつむきながら調理室を出ていき始めた。すると僕のうしろに愛子たち3人が入口で手を振って僕を見送っていた。何気なく振り返った僕の目に映ったその光景はとても美しく、僕は久しぶりにこんなに美しい光景を見た。僕はこの冬自殺を決意してセルボで雪の降り積もる雲仙岳に登りそこで見た霧に包まれた打ち続く樹氷の光景、あああれよりも美しかった。彼女たちの手のひらは春の花びらのようだった。

 入口のドアから3人の女子高校生がうつむき歩き去っていこうとしていた僕に手を振ってくれている。無口でいつもうつむいている僕に対する彼女たちのいじらしい意思表示のようだった。ああ僕は好かれてるんだなあと思った。でも口を開けばきっと幻滅される。

 僕は彼女たちに微笑み返しながら立ち去っていった。僕は久しぶりに本当の微笑みをしたようだった。いつも『ダメダ、ダメダ』とばかり言っていた傷つき果てていた僕の心は彼女たちの笑顔ときらめく手のひらによって魔法のように癒された。


 


 


 


 


 愛子のあの手紙、もう永久に戻って来ないのか。愛子のあの手紙、もう永久に消えてしまった。ただ僕の胸のなかに残っている。愛子の胸のなかにも残っていることを願っているけれど。

 正月明けの戸石のゴミ棄て場で山のように積もったゴミの山を前にして僕と愛子の文通の手紙の束を捜すのは不可能だった。僕たちの愛は消えてしまった。僕のちょっとした気まぐれのために消えてしまった。僕たちの青春を刻んだ手紙の束。僕たちの青春の苦悩を刻んだ手紙の束。もう戻って来ないのか。思い出としてだけでも残しておきたかった。

 愛子のあの手紙、いつもいつも落ち込みがちの僕の心を明るくランプのように照らしてくれて僕をいつもいつも自殺の一歩手前のところで救ってくれていた。それなのに、それなのに僕は自分の虚栄心のため、醜い醜い虚栄心のために捨ててしまった。

 愛子の手紙はもう2ヶ月まえ、僕の醜い想念とともに黒いゴミ袋の中に入れられて清掃車の中にギリギリッと押し潰されて戸石の清掃場に持っていかれてもう焼かれてしまった。いや、もしかしたらまだあるかもしれない。あの山のようなゴミの山のなかに。

 僕は捜そうとした。でも清掃場の人から止められた。無理だ、と。それにもう焼いてしまっている、と言われて。

 夜、僕は捜しに来ようかと思った。外は真冬の冷たい風が吹いていたけど、捜しに来よう。僕はそう思った。   

 ゴミの山のなかを真冬の真夜中の大気のなかで探し回っている狂人に僕はなってもいい。また浮遊霊のようにゴミの山の中に愛子の手紙の束、僕が迎えに来るのを待っているかもしれない。

 でもあの巨大なゴミの山のなかから愛子の手紙の束を捜し出すのは大変だ。不可能だ。だから僕、必死に書くつもりだ。愛子のあの優しさと真心を無にしないためにも必死に書くつもりだ。僕の魂はあの頃の愛子の魂となって愛子の手紙を必死に再生するんだ。僕は純粋だった愛子の心に成りきって、立派に愛子の手紙を再生してみせる。


 


 


 


 


 愛子。僕らの手紙の中継点となっていた中川町の○○さんのアパート、取り壊されて新しくビルが建とうとしていただろう。だから僕、それだから愛子からの返事が来ないのかなあと、とも思ってラジオのプレゼントアワーに出したんだ。僕は2度目の手紙で本当にメチャクチャなことを書いていたのにごめんね。『結婚して下さい』とか、初恋の話など書いたりして、本当にメチャクチャなことばかり書いてごめんね。

 僕は本当にバカでした。○○さんの住所がちょうど中川一丁目でしかもそこは今取り壊されている最中なのをFTでドッドッと振動を受けながら学校への行き帰り見て知っていたから。

 一年間の空白が流れた。僕もちょっと愛子のことあきらめかけていた。僕は今思う。僕はすでにあの頃自分の青春をあきらめかけていたのではないのかと。僕はすでにあの頃死霊のとりこになっていて死の道へ死の道へとまっしぐらに落ちていたのではないのかと。

 僕には今見えてくる。近いうちに僕が平和公園の平和記念像の前でソビエトの核実験に抗議するために焼身自殺する光景が。でも苦しいだろうな。焼身自殺なんて。やっぱり首吊りじゃないと苦しいだろうな。それに焼身自殺のような苦しい死に方をしたら親をますます悲しませてしまう。やっぱりひっそりとした所で静かに眠るように柔道の帯で首吊り自殺をしようと思う。

 それに僕はいま哲学的にも行き詰まっている。2日前、民医連の奨学生の書類を柴田さんに手渡したけど、僕は創価学会に戻ろうかとも思っている。宗教がアヘンなら共産主義もアヘンだろ。経済的にいくら救われても魂は救われない。共産主義はちょっと不十分だ。間違っている所がある。もっと宗教を重視した共産主義でないとダメだと思う。


 


 


 


 


 僕は中学3年から高校1年にかけていろんな理想境を夢見ていた。そしてそれはブラジルのアマゾンの奥地にしかないと思っていた。それが女子高校生の胸の中にあるなんて。僕は知らなかった。

 理想境はすぐ近くにあった。それなのに僕は遠くばかりを見つめていた。そして僕は最近、理想境のことなど忘れていた。理想境なんてあってたまるかって、少しやけっぱちになっていた。 


 


 


 


 


         3月21日

 僕はその日朝からずっと家に居た。途中昼寝を2回ほどしたりしてずっと自分の部屋でいろいろな本を読んでいた。オナニーも二回した。夕方5時50分ぐらいの時だった。僕は相対性理論の本を読んでいた。頭は本の読みすぎで疲れていた。すると電話のベルが鳴り始めた。

 僕はどうせ松尾徹さんかケーシーだろうと思い、出るまいかと思った。しかし僕は少々退屈でもあった。僕は機械的にただ電話の所まで歩いていって受話器を取った。電話のベルが鳴っているからだから受話器を取ったのだという衝動的行為だった。

 ベルの8回目で受話器をとった。切れるか切れないか危ないところだったろう。僕は機械的に受話器を耳に当てた。ものうい動作で。

 すると若い女性の声が聞こえてきた。『_商業の_です。カメ太郎さんですか? 憶えてますか?』

 僕はドサッとうしろへ倒れた。


 


 


 


 


 愛子。半年近くの空白が流れた。僕がめちゃくちゃな2回目の手紙を出してから。10月11月12月1月2月と完全に僕ら空白だった。秋と冬のあいだ僕ら完全に空白だった。

 すると電話がかかってきた。僕は驚いた。ちょっとカン高い声で僕は始め愛子のことが解らなくて鎌田さんかなって思った。始め『00__』っていうのが僕気が動転していてあまり良く聞き取れなかったから。でも『商業の__』っていうことはよく聞き取れたから。

 僕は吃り吃り喋ったろ。ものすごく吃り吃り喋ったろ。

 僕は電話を切ったあと電話機の前の廊下にずーっと寝転び続けた。夕暮れの暗い廊下に。

 でも愛子、ものすごく吃って話にもならない僕とよく15分ぐらいも喋ってくれてありがとう。僕はとても嬉しかった。愛子が僕の2回目の手紙のことを許してくれて再び僕を懐かしく思ってくれて電話してきてくれてありがとう。


 


 


 


 


 カメ太郎さんへ

 私には二つの顔があります。カメ太郎さんの前や学校での明るい私と、家に帰ってからの暗い私が。

 どっちが本当の私なのでしょうか。私、つくづくこの頃考え込んでしまいます。どっちが本当の私なのだろうかなって。


 


 


 


 


 太陽を見つめていると、毎日の生活の苦しさと言おうか、クルマのこと、バイクのこと、学校のこと、父や母に対すること、などのことが僕の頭の中を駆け巡ってゆく。そして悲しくなってくる。

 そして僕はバイクで学校へと走りながら深いもの思いに沈んでしまう。生きること。生き抜くこと。


 


 


 


 


(5月18日消印)

 カメ太郎さんへ

 今やっと英語の勉強が終わったばかりです。今中間試験で明日国語と英語の試験があります。

 今夜の12時です。明日6時に起きなくっちゃならないからもう寝ないといけないけどどうしてもカメ太郎さんに手紙を書きたくなって。

 私、今、県外就職にしようか、県内就職にしようかとても迷っています。このまえまで絶対に県外就職にするつもりだったけど。

 なるべく早く返事を下さい。こんなこと言っていいのか解らないけど。すみません。


 


 


 


 


(6月1日消印)

 カメ太郎さん。お元気ですか。返事が来ないから私とっても心配しています。私の手紙、着かなかったのかなあ。もしカメ太郎さんからの返事が来ないのなら私はこのまま県外就職に決めようと思っています。でもカメ太郎さんの返事が早く来たら、私、県内就職に変えるつもりです。

 毎日、カメ太郎さんからの手紙が来ないかなあと考えています。


 


 


 


 


 こんにちは。手紙が遅れてすみません。今は13日の午後10時17分です。今、風呂からあがりました。愛子の手紙は先週の土曜日に来ました。それから僕の心はなにか夢でも見ているようにボーッとなっています。

 でもその手紙が愛子のものだったのを知ってとてもびっくりしました。実はボクはこのまえの愛子の手紙をまだ読んでいませんでした。今もまだ読んでいません。読むのが恐くて読めないのです。恥ずかしくて恥ずかしくてとても読めません。それにこのまえの手紙は別れの手紙なのだろうと思っていました。あの電話以来電話がかかってこなかったし、そしてボクが伝言板のコーナーを使ったことを迷惑がって『これ以上つきまとわないで下さい』という手紙なのだろうと思っていました。それに裏から透かしたりしてチラッと見たところ『手紙が遅れてすみません』や『__を大事にして下さい』『これが最後だと__』というのが見えたし、いやに丁寧に書いてあったようだったから、間違いなく“別れの手紙”だと思いました。そのためますます読むのが恐くなりそれに傷つくのが厭でもあったので読まないでおいたらもう一ヶ月半近くも過ぎてしまいました。愛子のことを忘れるんだ、と思って努力してこのごろとても学校が忙しくもあったので正直いって忘れかけていました。


 


 


 


 


 カメ太郎さん、写真ありがとう。とっても大事に学生手帳のなかに入れてます。

 でもその写真、大事な写真だったのではありませんか。


 


 


 


 


 愛子へ

 僕は生きる価値のない人間かもしれません。しかし僕は卒業したらドイツの吃りを研究している研究所に入ろうかな、と考えたりこの頃しています。そのためには英語ができなければならないそうです。ドイツ語はできなくてもいいそうですけど。

 だから僕は現在は生きている価値のない学生ですけど卒業したら吃りで苦しんでいる人たちを救うために頑張るつもりです。そうして僕の生きる価値がそのとき始めて生まれるのだと思います。

 だから今は苦しさに耐えて何の楽しいことがなくても生きています。毎日毎日苦しいことみじめなこと口惜しいことばかりです。でも卒業したら僕は吃りの研究のためにドイツへ渡って世界中のたくさんの吃りで苦しんでいる人たちを救うんだ。だから僕はいま根性で生きているんだと思います。

 朝方は僕は憂欝です。でもバイクに乗って外に出ると気分も晴れて生きる勇気が湧いてきます。

 バイクに乗ってそよ風に打たれながら太陽の光を浴びてると、そのうち愛子をバイクのうしろに乗せて海へ活きたいな、と思ってきます。今度、良かったら電話して下さい。僕はいつでもOKだと思います。


 


 


 


 


 眠れなかった。愛子との痛恨のデート故に僕は昨夜ぐっすりとは眠れなかった。そして悪夢ばかりを見ていた。それは主に過去の失敗に関しての(大学入試失敗などの)悪夢ばかりだった。

 ああ、これから毎夜、ふたたび僕を悪夢が襲い始めるのだろうか。今から一年半前の日々のように。悪夢にうなされる日々が続くのだろうか。

 ああ、僕はいいとしても愛子が可哀相だ。僕はいいんだ。僕はどうでもいいんだ。ただ、愛子が可哀相なだけなんだ。

 愛子。やっぱり僕らの間には悪魔が暗躍していて僕と愛子の恋が成り立つことを阻もうとしているんだ。きっと僕らの間には悪魔が暗躍し続けているんだ。僕らが出会ったときからずっと。でもその悪魔の正体は何だろう。

 僕らはまた再び会わなくなるだろう。そして再び空白の月日が、僕らの青春の大事な大事なときに、白いページが次々と造られてゆくだろう。僕らの青春のページに。

 僕らの大事な青春のノートはそうして何も書かれずにめくられてゆくのだろうか。僕らは再び虚しく大事な青春のときを送ってゆくのだろうか。

 僕らの金箔の青春のページはそうして薄っぺらなノートとなって初夏のそよ風に舞っていって消えてしまうのだろうか。僕は厚い厚いノートにしたかった。僕と愛子の恋のノートを。

                  S59・7・2


 


 


 


 


 愛子が泣いていた。夢のなかで愛子が泣いていた。愛子を傷つけた僕は、そうして夜空を見上げて自分の病気をとても呪った。僕の病気のために愛子を傷つけて、そして僕まで淋しい思いをしている。今ごろ愛子はちゃんと眠れてるだろうか。愛子は泣いていないだろうか。僕も星空を見つめながら泣こうとしている。愛子のことを思って僕も泣こうとしている。


 


 


 


 


 僕には生きることへの怖しい懐疑感がある。僕はまったくお酒なしには眠れない。そして朝、いつも二日酔いでぼんやりとして起き上がる。そしてコトコトとカワサキの250ccのバイクに揺られて学校へ行く。

 僕は怖しく孤独だ。学校へ行けば緊張して先生の講義を理解できない。

 教室に座っていて何故そんなに集中できないのかというと、これは“自我漏影現象”と言って分裂病の一つの徴候であるのかもしれません。僕は極度に緊張し、顔はこわばり、周囲に迷惑をかけているようです。そして僕は人の居る処を避けて一人ひっそりと座るのです。

 僕は淋しい。僕は6月、愛子と会ったときも顔がのけぞっていたろ。どうか気にしないで下さい。あれは口臭のためでも何でもありません。ただ癖として僕の場合ああなってしまうのです。


 


 愛子。僕は生きれるか心配だ。毎日襲ってくる譬えようもない不安感と孤独感。愛子。僕は生きれるか心配だ。

 愛子の胸の中に抱かれて過ごしたいという気持ちでいっぱいです。


 


 


 


 


 もう夏になった護国神社で、僕は一人佇みつづける。愛子の居る商業高校を眺めながら、僕は一人淋しく佇み続ける。


 


 


 


 


  (夢での会話)

※(これは現実のことではない。僕らは_僕らは手を握り合ったことさえないのだから。これは現実のことではない)

『解けるかい? 愛子、僕の呪いを』

『いいえ、カメ太郎さんの強すぎて解けないみたい。少なくとも私には無理みたい』

(僕はそして俯く愛子の肩をそっと抱いた。愛子は無力な自分を責めているようだったから。でも僕も苦しんでいた。治らぬ病気に僕はずっと苦しんできた。もうずっと前から。愛子と出会う十年以上も前から)

                学一・八月


 


 


 


 


『愛子。僕らを出会わせた赤い糸は、僕らはお互いあまり恵まれてなかったけど、でもそれ故にこれから僕らは幸せな家庭を築いてゆけると思うんだ。僕ら今までちょっぴり不幸だったけど、僕の場合はちょっぴりどころでなくて大変不幸だったけど、今から僕らは二人で幸せな世界を築いてゆけるんだ。これから僕らは。

(愛子はちらっと僕に視線を遣った。愛子は僕の今までの苦しみをよく理解していないようだった。僕の幼い頃からのとても辛かった毎日のことを。でも僕も愛子のこと理解していないのかもしれない。愛子は僕以上に本当は辛い毎日を送っていたのかもしれない。愛子も幼い頃からの辛い毎日を_


 


 


 


 


        (幸せの黄色いヘルメット)

 僕が愛子に被せるのは幸せの黄色いヘルメット。ナバの黄色いヘルメット。僕たち、カワサキのFTに乗ってそれで野母崎まで『ダッ、ダッ』と音をたてながら進む。潮の香りをいっぱいに浴びながら。

 そうして僕ら、野母崎の岸壁に寄り添って座っていろんなことを語り合うんだ。人生のこと。高校のこと。将来のことなど。

 僕ら、潮風を頬に受けながら幸せいっぱいに語り合うだろう。愛子はとても明るくていつも沈みがちになる僕を励ましてくれる。


 


 


 


 


         (夕陽を見つめながら) パート2

 愛子。僕には中学・高校時代、激しい恋をしたことがある。遂に一度も生きているときは手をつなぎもしなかったのだけど、あれは少年の頃の燃えるような激しい恋だった。今、夕陽が照ってるだろ。あの夕陽のような紅い燃えるような恋だった。

 でもその女の子、この野母崎の港をちょっとちっちゃくしたような網場の青い海の中に、僕に長い遺書を書いて、そして最後に僕にお別れの電話をくれて、沈んでいった。僕が夜の闇の中を必死に走っていって、そのコを救おうと必死にそのコが身投げをするはずの網場の桟橋まで必死に走っていったけど、もうそのコ、夜のまっ暗い海面にプカプカ浮いて死んでいた。一度きっと沈んで海藻の生えてる海底に『ゴンッ』と当たってそれから再浮上したのだろうけど(だから最初5分間ほどは何も見えなかったのだろうけど)浮かび上がってきた杏子さんを見て僕は5月の凍てつく夜の海の中に無我夢中で飛び込んだ。その日は5月の始めだったけど寒の戻りというのかとても寒い夜だった。僕の飛び込んだ夜の黒い海はまるでオホーツク海のような海だった。僕は海中を泳ぎながらそう思った。『僕はオホーツク海を泳いでいるんだ。そして月の光に照らされてポッカリと浮かび出た杏子さんはアザラシのようだった。まるで水の上で孤独に吠え続けるアザラシのようだった。黒い黒いまだ幼いアザラシのようだった』


 


(第1章終わり) 


 


 


        (夕陽を見つめながら  パート3)

 生きているのは何故。カメ太郎さん、生きているのは何故なのかしら。私たち何故生きているのかしら。私たちの存在って何なの。

 私、カメ太郎さんの思想にかぶれたのかしら。私、以前、カメ太郎さんと文通し出す以前はこんなことこれっぽっちも考えたことなかったのに。毎日毎日をなるべく楽しそうにノホホンと過ごしていたわ。カメ太郎さん、手紙に書いてたでしょ。『毎日をノホホンと過ごすようにしなくっちゃいけない。毎日をノホホンと過ごせるようにならなくっちゃならない』って。

 私、今までノホホンと過ごしてきたつもりよ。でもカメ太郎さんと出会ってから私、もうノホホンと過ごせなくなっちゃった。私の胸はいつも心配で潰れそうになるようになっちゃった。そして自分の存在は何なのかって。私って何のためにいきているのかって私、この頃本気で考えるようになってきちゃった。きっとカメ太郎さんの影響だと思います。

 愛子はそう言って僕の肩に頭をもたげた。高校三年生の愛子の体ははち切れそうで僕は思いきり抱きしめたくなった。紅い夕陽に照らされながら。


 


 


 


 


                       学一・八月

 全く、死の谷のようだった。僕はここへ商業高校の愛子と来たかった。ちょっとブスだけどとても明るいあの愛子と。沈みがちな僕の心にランプの火を灯してくれるような明るいあの愛子と。

 でも現実には僕はたった一人で、この谷間の青い草叢の中を歩いていた。僕は朝から誰とも口をきいてなかった。そしてカワサキの250ccのFTの鼓動だけが僕の友達だった。


 


 


 


 


 マリンブルーの真夏の海が僕の目を幻惑し出し、もし隣りに愛子がいたらなあ、という後悔とも悔恨ともつかないものを僕に抱かせた。

 僕はただ一人、岸壁に腰掛けていた。僕はそっと横を振り向いた。でも誰もいない。ただ僕の視界の端に僕のカワサキの黒塗りのFT250が寂しげに見えるだけだった。僕は孤独だった。

 僕は孤独に座っている。潮風が僕の胸腔をわびしげにわびしげに通り過ぎていっているようだった。

                      学一・八月


 


 


 


 


 愛子。僕は寂しくってたまらない。この夏はとても淋しい夏だった。こんな虚しい夏は始めてみたいだ。海には一回友だちとチョロッと行っただけだった。なんにも思い出になるようなことがない夏だった。

 ボクはこの夏、愛子の胸に抱かれて過ごしたかった。愛子のふっくらとした胸に抱かれていたかった。


 


 


 


 


           (10月23日消印)

(一枚目)

 カメ太郎さん。元気にしてますか? 永く手紙を書かなくてすみません。私、このまえの期末テストで社会で赤点を取ってしまいました。テストを返してもらうとき先生は私に『どうしたの?』ととても心配そうに声をかけてくださいました。今度のテスト、就職に一番響くテストだったのですけど。

 私それで希望していた福岡の会社に入れないかもしれません。でも私それでもいいわ、と思っています。長崎の会社に勤めようかな、とも考えています。

 カメ太郎さん、今ごろどうしていますか? このまえもこのまえも電話したけど居なかったから。何回も何回も電話したけど居なかったからもう電話するのが億劫になって。

 私、明日、福岡のその会社に面接に行きます。たぶん駄目だろうとは思うけど先生は大丈夫だって。でも私、行っても駄目だろうからわざわざ福岡まで行くのがもったいないような気がしています。

 私、そしてこのまえ長大祭に友だちと3人で行って『スティング』を見て来ました。カメ太郎さんが居ないかな、と私カメ太郎さんの姿を捜していましたけどカメ太郎さんの学部坂本町にあるからやっぱり違うのね。



                        (二枚目)

 カメ太郎さんへ

 長く手紙ほったらかしにしていてすみません。私、県外就職に決めました。そしておととい試験を受けて帰ってきたばかりです。先生は、きっとあがってるよ、と仰るけど私には自信ありません。

 私昨日から、自動車学校に通っています。私あんまり行きたくなかったけれど、家の人が行け行けって言うから。本原自動車学校です。カメ太郎さんもたしかそこに行ってたのではありませんか。

 私、今度こそは絶対電話します。24日の6時頃になると思います。家に帰ったら電話しにくいから帰りがけ公衆電話から電話します。電話をする、するって言いながら今までしなくてすみません。

 でも私、福岡に就職することになったらカメ太郎さんと滅多に会えなくなる訳だから落ちてればいいな、と思っています。本当に落ちてればいいな。でもそれもカメ太郎さんの気持ちしだいなんですけど。


 


 


 


 


    (突然湧いてきたけど思い出せない愛子の手紙)

 私、カメ太郎さんの家に何回も何回も電話したんですけどいつも留守だったから。

 だからそのうち電話するのが億劫になってきて。ずっと電話しないでいましたけどごめんなさい。

 でも私、10月24日の日には必ず電話します。学校帰りに必ず電話します。

 カメ太郎さん、本当に勉強頑張って下さいね。本当にもう留年なんかしないで早くお医者さんになって下さいね。

 話は変わりますが私このまえ長大祭に友だちと4人で行ってきました。『スティング』を見てきました。私、カメ太郎さんが居ないかなあといろいろ辺りを見ていたんですがカメ太郎さん居なかったみたい。


 


 


 


 


 愛子、ゴメンネ。僕はあの日、むさ苦しい頭のままで会うのはダメだなあと思って床屋に行ったんだ。東邦生命ビルの地下にある『モグラの床屋』っていうシャレた床屋に。

 そうして意外と時間がかかってしまった。それにそのまえに愛子とのデートのコースの下見をしたからそれでますます遅くなった。

 ゴメンネ、愛子。散髪には一時間10分もかかった。僕は始めそわそわしていて早く終わってもらおうかな、と思っていたけど途中で眠ってしまっていた。そして気がついたらそこの床屋のちっちゃな女の子が僕の肩をもんでくれていた。僕は『そんなことしないでいいのに。』と言おう言おうとしたが、もうそのとき一時間が過ぎていた。

 いつもは散髪が済んだあとコーヒーを出されてシャレたカウンターで『ポパイ』などファッション雑誌を10分から15分くらい読むのだが僕はその日コーヒーを出されるのももどかしくコーヒーが出されたらすぐにグイッと飲んで料金(2500円)を払って外へ出た。

 そうして僕は夕暮れの街角に出た。愛子との約束の時間はもうとっくに過ぎていた。11月の夕陽が僕を哀しく照らしていた。

 まるで風が孤独のように吹いていた。この風は僕の胴腔をかすめてゆく秋の肌寒い木枯らしを含んだ風のようだった。そうだ。孤独のように吹いていた。すぐ帰って愛子からのTELを待つべきかカルチャーセンターへ行って天使さまのような木村さんと会うか僕は街角に立ちつくし木枯らしに吹かれながら考えつづけていた。

 帰るにしてはもう遅すぎた。そして木村さんの美しさは愛子の存在をはかないものにするほど輝いていた。

 でも愛子にはひたむきな純な心で僕を慕ってくれている。でも時間はあまりにも遅かった。

 そして僕も統一教会に行ってみようかと思った。赤レンガのクリエーター長崎ビルの中にあるカルチャーセンターに行くといつもいるそのお姉さんを僕は好きだった。

 せっかく散髪されて綺麗にセットされた頭だった。このままヘルメットを被って家に帰るのはもったいなかった。それに愛子は6時に電話すると言ってたけどもう6時10分近くだった。もう間に合わなかった。

 このまえ午後の授業が面白くなくて昼過ぎ頃カルチャーセンターへ行った。夕方は多いが昼は人が少ない。それで僕と木村さん二人っきりになった。二人で座っているとき木村さんは目を潰った。90°の位置関係だった。なぜ潰ったのかあまりよく解らなかった。眠いのかな、と思った。また、僕と喋るのが退屈なのかな、と思った。

 それで僕は『ビデオ見てきます』と言って立ち上がった。すると木村さんはさっきまで潰っていたデメキンみたいな大きな目をパチパチと開けて『あっ、そう、そうね』とびっくりしたように言った。何日かしてから気付いたけどあれは僕を誘っていたんだ。

 くの時型のソファーに僕の斜め横に座っていた木村さん。木村さん、もしかしたら僕を誘惑していたんだ。教義では男女関係を厳しすぎるくらい戒めているけれど。

 僕は愛子からの電話にはもう間に合わないと思って木村さんのいるクリエーター長崎ビルの方へ歩き始めた。僕は背中で夕陽に向かって手を振っていた。紅い夕陽の中に愛子の顔が見えた。でも僕は愛子に手を振って年上の統一教会のお姉さんのところに向かって歩いていた。愛子、ごめんね。遅れてごめんね。もう間に合わないから僕は今日カルチャーセンターへ行くよ。愛子、今度またね。そのうちきっとまたデートしようね。僕は今日時間の配分を甘く考えすぎて愛子との約束の時間をすでにオーバーしてしまっている。ごめんね、愛子。また、会おうね。ごめんね、愛子。


 


 


 


 


 カメ太郎さんへ

 寒さも厳しくなってきましたがどうお過ごしですか。

 さて、私このまえカメ太郎さんを見たように思います。たぶんカメ太郎さんだったと思います。

 私たちがバスを待ってたら銀色のヘルメットを被ってバイクに乗ってる人がカメ太郎さんにそっくりだったから私、手を振ったのだけど。カメ太郎さん、気付かなくて信号が青になるとそのまま行きました。


 


 


 


 


『見て、あのオッサン、肩悪いんやろか。ぜんぜん小石も投げきれんね』

『私、弱いの好き。たとえばあなたのように』

(そう言って愛子は僕を見た。雪の降る12月の寒い夕暮れだった。僕らの2度目のデートのときだった)


 


 


 


 


 君に無理難題を押しつけて君を困らせたボクの気持ち解ってくれるかい?

 君が好きだから。

 君を困らせて、君の困った顔を見たいと思った僕の気持ち。

 君の可愛いあどけない笑顔が見たかったから

 君を困らせて眠ったふりをするボク。


 


 


 


 


 僕は

『なんだ。これではダメだ』と吐き捨てるようにボールを愛子のグラブへ力まかせに投げたのですけど__するとその白球は公園の片隅の階段に腰かけていた老人に激しく当たりました。僕も駆けて行って『すみません』と謝ったのですけどその老人は目も見えず耳もとても遠いらしく口をもがもがさせながら亡霊のように立ち上がると、僕たちに深々と礼をして夕暮れの住宅街の方へ消え去るように歩いてゆきました。

 ボクと愛子はそしてポカンとして護国神社の中でボールとグラブを手にしてその老人の夕陽に紅く染まった後ろ姿を見つめていました。

 その老人は誰だったのだろう、と僕たちはそのあと不思議そうに語り合ったのだが、あれは僕らの守護霊ではなかったんだろうか、とこの頃再び宗教関係の本を読み漁るようになった僕には思われた。


 


 


 


 


 その日はものすごく暑い11月の終わり頃だった。まるでその頃の僕の胸の中のように(その頃どんな真冬の日でも250ccのバイクに乗って駆け回っていた元気だった僕の胸の中のように)夕陽がもう暗くなり始めた護国神社の中を赫赫と照らしていた。

 夢の中の亡霊のようにその老人は夕陽に紅く染まらされながら揺れるように歩いていた。それがもう何年もたったこの正月に急に思い出されて来るのは何故だろう。まるでその老人の記憶は夢か幻のように人生の終鴛を告げるかのように、暮れてゆこうとしている。僕の人生の終鴛はかかって来ない愛子からの電話とともに静かに僕に近寄って来ているらしい。そして僕はとても不安だ。足音を忍ばせながら布団の上にずっと朝から(一度、愛子からの手紙がまだないかな、と思って400ccの赤いバイクに乗って戸石のゴミ焼却場まで行ったけど、そしてそこでその森で首を括って死のう、という誘惑に猛烈に襲われたけど)横たわり続けている僕のところに近づいてきているその死神の影が、とても心配だ。


 


 


 


 


 カメ太郎〜 カメ太郎〜 と鳴いている声が聞こえてくる。これは主に母の声だ。なぜか江戸時代末期の島原の農村地帯で叫ばれている光景だ。

 それが今こうしてバイクに乗ってペロポネソスの丘へと山の中を通っているときに湧いてきていた。周囲は吹きすさぶ寒風。ススキやカキの木の葉が寒風に揺れ湧き水をたたえている円形の石器が冷たい湧き水を少しづつ溢れさせている。『カメ太郎〜 カメ太郎〜』その悲しい響きがバイクのマフラーから発せられる爆音に混じって何故聞こえてくるんだろう。あまりにも悲しい響きで僕は谷底があればそこからバイクもろとも突っ込んでしまいたくなるような響きだ。

 坂をすでにかなり登りつめており視界の下方にカキの木がその茶色の木を使い女を傷ぶって服を脱がせるように無惨なふうに脱がせ鈍色に光るその鉱石のような肌のところどころに木片がまだ付いておりそれが傷ぶられ辱められた女の衣服の切れ端のように見える。


 


 


 


 


 あれは寒い冬の日だった。僕が愛子を待っていたのは。雪がコンコンと降っている12月の寒い日だった。ボクはFTに乗って愛子が来るはずの本屋の前を行ったり来たりした。でも来たのは愛子と同じクラスの女の子らしい2人連れだったようだった。

 愛子、なぜ来なかったのかい? 僕、待ってたよ。生徒会の仕事があってたのかい? 僕待ってたよ。FTに乗って本屋の前を行ったり来たりしながら。


 



        (小雪の降るなかボクは愛子を待った)

 やがてバイクのスタンドをカタッ、と音をたてて立てて、僕は本屋から道一つ隔たった通りの上に立った。愛子は寒がりやだから、それにコートを持たないから、寒いから来ないのかな、と思った。道一つ隔てた本屋には依然として愛子から送られてきた愛子のクラスメートたちの写った写真の中にいたと思われる可愛い女の子が2人、ちょうど待ち合わせの6時5分前に来ていた。僕は彼女たちに話しかけるべきだ、とも思ったけど、僕は恥ずかしかったので、僕は茫然とかかしのように、そして地縛霊のように道一つ隔てた通路の上に小雪に顔を凍らせながら立ちつくしていた。

 僕は喋れなかったので_吃って_吃ってしまうので。彼女たちに笑われてしまう。変な人だと思われてしまう。

 僕は茫然と立つくし続けた。そして彼女たち2人は美しくて(とくにそのうちの一人はとても美しくて)僕は愛子が僕にその子たちと僕をつき合わせよう、私のようなブスとつき合うのはボクに似合わないとかそんなことを思ってそうしたのかな、とも思った。


 


 


 


 


 愛子へ

 家へ帰ると孤独感に猛烈に襲われて、まるで今外で舞ってる吹雪のように孤独感に襲われて、いたたまれなくて、そして大げさに言えば死にたくなるから、だから僕はいつも帰りは夜10時ぐらいになって、愛子に手紙を出すのがこんなにも遅くなってしまったけどごめんね。

 僕は今日も夜の吹雪の中を僕のあの黒いカワサキの250のバイクで駆け抜けてきました。母は『とても寒かったろ』と言っていました。

 でも僕には自殺した人たちの死後の世界の方が何倍も何十倍も寒いんだ、そして寒くて辛いんだ、っていうことを知ってるから我慢していたというか。

 実は今夜も統一教会の所に9時半までいました。もちろん僕が信仰しているのは高橋信二という人のGLAですけれど。でも統一教会は明るくて楽しいから。    

            学一・二月


 


 


 


 


 冬も終わりに近いある午後のことだった。度の強そうな完全にまんまるいメガネをかけた青年が浜ノ町をユラユラと歩いていた。つい最近2500円で買ったUOMOのトックリセーターとラングラーのスリムジーパンと黒のコンバースを身に付けていた。

 昨日留年の発表があり、今朝そのことを知ったのであった。進級できるんじゃないかなという考えがあったのでやはりショックだった。

 ボクはアーケード街をフラフラと歩きながら、国家上級の試験を受けることを考えていた。泥沼だった。耐えられないほどの心の渇きと言おうか焦りに苛まれていた。国家上級の試験に受かって国立考古学研究所にでも入ろうと考えていた。それは東京にあるだろうから試験に合格すると東京に住むことになるだろう。ああ、淋しいなあ。とっさに僕の頭に愛子のことが浮かんできて愛しさと言おうか淋しさと言おうかそんなものに耐えられなくなった。愛子のボクへの思慕が急に思い浮かんできたのだ。ああやっぱり思われれば思われた人はその人を恋しくなるのだろうなあと思った。このように木村さんもボクが思慕していることを知ればボクを愛しくてたまらなくなるんだろうなあと思った。

 でもボクが東京に出れば親も淋しいだろうなあと思った。親にとってはこのまま長大の医学部に通ってそして卒業したあとも長崎に居てもらいたいのだろうなあと思った。

 ホントに東京に出れば淋しいなあと思った。一人ぼっちになったボクはいったいどうしたらいいのだろうと思った。東京で彼女をつくろうかなあ。でも愛子が淋しいだろうなあ。愛子を東京に呼んで一緒に生活しようかなあ。

 東京に住むことを考えたらなぜこんなに愛子が愛しくなるのかなあと思った。なぜ木村さんのことが思い浮かんでこないのだろう。木村さんは適当にボクを思っているだけだけど、愛子は18才の純な心でひたむきに思うからだろうなあと思った。(木村さんは29才だから)

 愛子に誕生日のプレゼントをやらなければならないなあと思った。4月3日まで日日が迫っているので急がなければならないなあと思った。


 


 


 


 


 愛子へ

 僕はまた落第してしまいました。これで2度目です。愛子に会いたいなあと思います。愛子は福岡へ行ってしまったんですか。それとも長崎なのですか。長崎のどこに行ったら愛子に会えるのですか。

 僕はちょっぴり愛子の人生を狂わせてしまった後悔とそして淋しさに包まれながらこれを書いています。長崎の新地店に宛ててこの手紙を出そうと思っています。今日浜ノ町を一人でぶらぶらしているとき何度かベスト電器へ行ってみようとも思いましたけど恥ずかしくて行けませんでした。それで家に帰ってきてからこれを書いています。


 


 


 


 


 春の風が吹いてきたのに、僕は淋しさに打ちひしがれ、愛子に手紙を書いたり、留年の通知が来ていないかと毎日ポストの中を確かめたり、淋しさに打ちひしがれて浜ノ町を一人で歩いてきたりしているけど、僕の心のなかにポッカリと空いている淋しい空洞には何も満たされない。そして僕は淋しさをこらえたまま、ただ黙々と毎日を送っている。ビデオを見たり何をすることもないまま。


 


 


 


 


 愛子へ

 愛子。僕は今たまらない不安に襲われている。また留年した。また学一をやり直さなければならないようになった。


 


 


 


 

 

 まるで僕と愛子の恋のようだね、桜雪


             


 


 


(桜の散る絵と、散る桜の下にいる僕の絵)


 


 


 


 


 昭和60年4月4日記す


 


 


 


 


 待ってます。でもボクは愛子を束縛したくありません。ボクは愛子に楽しいOL生活をしてもらいたいのです。

 待ってます。楽しいOL生活をしてもらいたいのです。でも、最後には、ボクの元に帰ってきて下さい。


 


 


 


 


      (愛子との電話。4月5日のことだ。)

 元、元、元気、ん、元、元気かな?

 うん。

 うん。また留年してしもうたもんね。

 いや、ま、また、また、りゅ、留年したけん、やっぱい落ち込んではおったけど、うん

 うん。

 うん。

 うん。

 うん。

 いや、いや(いやや)

 うん。

 うん。

 えっと深夜料金は8時からやったかな。8時やったかな。9時かな。

 うん。

 うん。

 _

 _

 _

 うん。あれ、3日誕生日やったやろ。いや、4月3日

 うん。

 うん。

 あっ、あっ、うん、うん、(チャリン)


 


 


 


 


        (結局出されなかった手紙)

 愛子へ

 僕が日に日に廃人になりつつあること知ってるかい?

 2度目の留年は僕の不眠を更にひどくし、僕はもうお酒なしでは眠れなくなった。そして中二の頃のように夜の2時半ぐらいになると驚いて起き出すようになってしまった。

 もし愛子が長崎に残っていてくれたのなら僕は今こんなに苦しまなければならないようにはならなかったのにと思うと残念でたまりません。僕は今、愛子が恨めしい気持ちでいっぱいです。

 夜眠れない辛さは僕を発狂の渦の中へと巻き込んでしまいそうです。夜いつも2時半ごろ目が醒め、それから4時半または5時半ごろまで眠れません。きっとそのころ愛子は気持ち良く福岡の寮のなかで眠っているのだろうなあ、と思うと、長崎は地獄で福岡は天国のような錯覚も湧いてきます。そして現役のとき、また浪人のとき、九医に入っていたならという口惜しさとともに。

 そして僕は空が白々と明けてきた頃ふたたび眠りに就いています。悔しさと淋しさで心をもみくちゃにしながら。

 あの日、僕が愛子への誕生日のプレゼントを手に持って、浜ノ町のベスト電器へと行ったとき、僕は愛子に似たちょっとポッチャリしたまだ高校を卒業したばかりのような女の子に尋ねた。するとその女の子は愛子が福岡勤務になったことを悲しげに伝えた。そしてその女の子が福岡の愛子にすぐ電話したのだろう。2日後の4月5日の夜、愛子から寂しげな電話が掛かってきた。僕は吃り吃り喋ってほとんど話をできなかった。

 愛子のその寂しげな電話ののち僕は受話器を握りしめながら立ちつくした。黙ったまま立ちつくした。悲しみに耐えながら、いつもいつもの悲しみに耐えながら。

 心をいつものように打ち震わせながら耐えていた。悲しみに耐えるのには強い僕だった。

 夜はだんだんと更けてゆき僕は親子電話になっている僕の部屋の黒電話の前でずっと畳に手をついて俯き続けた。


 


 


 


 


       (春だから)

 春だから、君の所へ飛んでゆこう。春だから愛子の所へ飛んでゆこう。


 


 


 


 


       (汽車の中で、愛子は)

 春なのに、悲しみの風が吹いてきて、長崎から博多発の急行列車の上に、桜の花びらが、僕の涙のように落ちていっていた。そして愛子は、いつも明るすぎるほど元気な愛子は、泣いていた。しくしくと春なのに、泣いていた。明るすぎる春なのに。

 そして僕は博多へ向けて走ってゆく愛子を乗せた汽車を、護国神社の丘からずっと見送っていた。


 


 


 


 


 愛子を乗せた電車はもう帰って来ない。

 僕は護国神社のベンチに座って俯きながら愛子と出会ってからのこの2年間の日々をとてももの哀しく振り返っていた。2年間、僕らはいつもすれ違ってばかりでろくにつき合えなかったけれど、愛子が卒業してからは僕らは毎日のように会ったりすることができるよう_ノなれるような気がしていたのに。

 でも、愛子は福岡で僕と離れて楽しいOL生活を送ってくれればいいなあ、と思っていた。愛子が幸せになってくれるなら、そうしたら僕の心も軽くなり罪悪感も薄れてゆくのだけれど。

 愛子が幸せに福岡でOL生活を送ってくれるなら僕は心配しないのだけど。きっと明るく活発な愛子のことだからきっと楽しく福岡でOL生活を送るだろうと思っていた。


 


 


 


 


 帰っておいで、愛子。桜の花びらと一緒に福岡に行ってしまった愛子。帰っておいで。帰っておいで。そうして僕を慰めてくれ。愛子の元気いっぱいの明るさで、落ち込んでいる僕を慰めてくれ。


 

(第2章終わり) 











 


   愛子へ

 桜の花とともに福岡に行ってしまった愛子。戻っておいで。戻っておいで。そして淋しくて落ち込んでいる僕を救っておくれ。 

 僕は愛子が燕のように長崎に舞い戻って来てくれないかなと、または僕の家が以前飼ってた文鳥のように戻ってきてくれないかなと、窓の外ばかりを見つめています。

 僕の部屋の窓に愛子が小鳥になって飛び込んできてくれないかな?と夢のようなことばかり考えています。

                  学一留年期間中 4月 家にて


 


 


 


 


      (結局出さなかった手紙)

 愛子へ。僕は落ち込み果てて何もする気が湧きません。もう一回解剖実習をしなければいけないと言うし愛子は福岡へ行ったと言うし。

 愛子。僕は落ち込み果ててコタツの中でずっと午前中を過ごしていました。

 明日から解剖実習が始まります。僕は幽霊になって愛子の傍に、明るく福岡のベスト電器でお客と応対している愛子の傍に、居たいなあ、という気持ちでいっぱいです。そうしたら楽しいだろうなあ、と思います。

 愛子の傍で何も喋らなくてもいいから時間を過ごしたいなあ、という気持ちです。

                      (途中、逸損)


 


 


 


 


 愛子へ

 僕は廃人になりました。2度目の留年をして僕はもはや廃人になりました。

 愛子。

 僕は灰になって長崎でひらひらと春風に吹かれて飛んでいる。愛子の居ない長崎で。淋しい空で。

 僕は一人ぼっちで飛んでいる。でもやがて僕は福岡へと飛んでゆこう。途中で疲れて、疲れつきて、佐賀の辺りでおっこちてしまうような気もするけれど。


 


 


 


 


 生きる。僕は生きる。愛子がいなくても。一人でも僕は生きる。

 僕はそう思った。窓を開け外を見た。創価学会に戻ろうかとも思った。淋しさにやはり僕はやりきれない気がした。


 


 


 


 


 愛子。愛子のいないこの長崎で生きてゆくのは辛いことです。長崎では“空を見上げても一人”という変な言葉を空を見上げるときに思い出す変な僕です。

 でも本当に長崎では空を見上げても一人です。寂しい空が僕を覆っています。あまりにも寂しすぎるようです。でもこの寂しさに耐えなければいけないと思っています。


 


 


 


 


 愛子は福岡に旅立ち、僕はこの長崎に一人淋しく残された。誰か愛子に代わる女の子が、この丘を飛んでいる燕のように、春になって暖かくなった空を燕となって、現れてくれないかなあ、

 僕は浦上川の方を眺めながらそう思っている。


 


 


 


 


 愛子はツバメと交代に長崎から去っていって、僕は思い出のこの丘にただ一人取り残されている。愛子が楽しいOL生活を送ってくれることを、僕はただそれだけを願っている。幸せであれよ、愛子。幸せになれよ。今まで苦しかった辛かったかもしれないけど、これからは幸せであれよ。楽しい幸せなOL生活を送れよ。


 


 


 


 


 春なのに、愛子は福岡に一人、僕は長崎に一人、福岡の空も長崎の空も青く染まっていて同じようだけど、僕らはお互い別々にその空を見つめている。僕も愛子も孤独な心を胸に秘めて、4月の空を見つめている。

 春なのに、悲しみの風が吹いてきて、僕と愛子を悲しみでいっぱいにしてしまう。こんなに明るい春なのに。

 春なのに、悲しみの風が吹いてきて、その風に僕は包まれて、愛子、僕は発狂しそうだ。


 


 


 


 


 人生には出会いと別れがあるというように、僕らも出会って2年して別れることになった。でも愛子、僕が早く卒業して医者になったら愛子の住んでる福岡まで行くからね。早く卒業して、もう留年なんかしなくて。


 


 


 


 


 福岡の空は青い空。僕と愛子の恋を溶かし込んでゆく青い空。

 僕は長崎から、遥かな北東の方角の福岡の空を一人ポツンと眺め遣ってるけど、一人でポツンと眺め遣ってるけど、愛子は今頃仕事に夢中なんだろうなあと思う。新入社員で大変なんだろうな、と思う。


 


 


 


 


 もしも僕が九医に入ってたら愛子と会わなかっただろう。

 もしも僕が柔道部に入ってなかったら愛子と会わなかっただろう。

 でもその方が良かったような気がする。

 愛子の幸せにとって良かったような気がする。

 一人ぼっちの護国神社に僕は今居るけど、冷たい北風が吹いてきていて僕らがここで待ち合わせた6月の終わりのあの暑い日と全く違っています。もう愛子は福岡での生活にも慣れて青春を謳歌しているんじゃないかな、と思うと一人ぼっちの僕はとても寂しい心地に陥ってしまいます。

 浪人の頃、2ヶ月半住んだ福岡の町。自転車で駆け回った福岡の町。そして元気いっぱいだったあの頃の僕。

 今は寂しいけど、本当にぬるま湯に浸かったような楽な毎日です。あの頃は辛く厳しい毎日でしたけどとても充実していました。とても楽しかった。友達もたくさんいたし、創価学会の同志もいたし、そして希望に溢れていたし、

 愛子はあの頃の僕のように新しい生活に戸惑いながらもとっても楽しく毎日を送っているんじゃないのかな、と思います。僕もあの頃苦しかったです。愛子も仕事がきつくて苦しいと思うけど、頑張って下さい。

 明るい愛子だから、とってもとっても明るい愛子だから。


 


 


 


 


 愛子へ

 愛子が去ってから、2度目の解剖実習をしたりなどで、とても辛い毎日ですけど、愛子も新入社員で今はきついのだと思うと、僕も負けずに頑張らなければならないな、と反省しているこの頃です。

 僕は愛子の手紙に、夕暮れになるといつも悲しくなります、と何度も書いたことがあると思うけど、やはり今も夕暮れ時になるととても悲しくなります。愛子は福岡で元気にやっていますか。僕は2度目の留年で落ち込み果ててはいますけどまあなんとなく毎日を僕なりに一生懸命に過ごしています。たしかに辛い日々ですけど、このくらいの辛さは僕が高校生の頃までの辛かった日々に比べたら何でもありません。ただ元気がなくなったと言うか、そんな感じがしているだけです。


 


 


 


 


 もしもボクが力を喪くして倒れそうになったとき、福岡に行ってしまった愛子の名前を叫ぼう。もしもボクが毎日の生活に挫けそうになったとき、福岡の愛子の名を叫ぼう。5月の青空へ向かって、ちょっぴり涙ぐみながら。


 


 


 


 


 愛子へ。

 僕は寂しいから、長崎の空は寂しいから、僕は福岡の空のなかへ溶けてゆこう。そうして四六時中元気な愛子の姿を見ていよう。----そうなるととっても楽しいだろうなあ、って僕は思ってしまう。長崎の空を寂しく見上げながら。


 


 


 


 


 愛子へ。

 愛子が長崎を去ってから僕はとても寂しくなりました。もともと寂しがりやの僕だったけど。

 僕はこの手紙を長崎の夜景を眺めながらクルマの中で書いています。あのでっかい白いマークⅡでです。まえ暴走族が乗ってたというタコ足付きのボコボコという凄い排気音のする奴です。

 僕は今、立山の空き地にクルマを停めてこの手紙を書いていますけど、僕は淋しくって淋しくって。


 


 ボロボロッと凄い音をたててたマークⅡも愛子が長崎を去って福岡へ行ってしまったのでとても寂しそうです。一度は愛子をこのマークⅡに乗せてドライブかそれとも愛子を学校帰りに家まで送り届けてやりたかったけど、このマークⅡももうすぐ車検でもう廃車にしようと思います。そうしてこれからはバスで学校に通おう、と思っています。

(僕も鳥になって飛びたい。この立山の丘の上から。そしてできれば夜景を突っ切って福岡の愛子のところまで一直線に飛んでゆきたい。福岡までたいへんだけど、長崎から福岡の南区の高宮寮までとってもとってもきつそうだけど、僕は鳥になって飛んでゆきたい。できれば白い白い鳥になって) 


 


 


 


 


 愛子。明日から解剖実習が始まるけどそれが厭でふと霊界へ、と思ってしまいます。本当に自殺したら地獄なのかな? この頃そのことを疑う僕です。

 僕は今日、雨に濡れながらバイクで学校へ行くときとても悲しくなり泣きたくなった。また親に内緒の留年生活で、本当に自分はどうなるんだろう、また、どうしよう、と僕はバイクの上で涙がにじんできそうになりました。

 僕は一人ぼっちです。そして今、辛い二度目の解剖実習を週に三回ほど受けています。

 でも愛子も新入社員だからきついのだろうけど頑張って下さい。僕も頑張るつもりです。

 僕は親への罪悪感とそして友人も少なく、恋人もいない寂しさが今朝バイクの上で僕をあんなにも悲嘆に沈めたんだと思います。


 





 僕は風に揺られて飛んでゆきたい。誰にも知られずに、愛子の住む福岡の町へと、誰にも知られずに、飛んでゆきたい。

 空を見上げると“孤独な青春”という言葉がぽっかりと浮かび出てくるようです。実は半年間、浜ノ町の統一教会というところに通っていてそこの6つ年上の(僕は始め3つぐらい年上だと思っていた)お姉さんも4月の終わりに佐賀に行ってしまって。

 だから僕は今とっても孤独で、福岡の方の空ばかりを見つめて毎日ため息をついています。


 


 


 


 


 カメ太郎さんへ

 福岡の空は寂しいです。とくに会社が終わる頃になると福岡の空は私に涙を出させるみたい。私はやっぱり長崎に残っておくべきじゃなかったのかな、と思って(カメ太郎さんのことが忘れられなくって)とても寂しくなります。

 長崎にはそれに友だちもたくさんいます。福岡にも何人か高校の頃の友だちも来ているけど、でも

 やっぱりカメ太郎さんに会いたくって、それでこんなに寂しいんだんなあと思います。私、毎週でも長崎に帰りたいです。そしてカメ太郎さんに会いたいです。

 カメ太郎さんが迷惑でなかったら私毎週長崎まで帰ります。でも、きっとカメ太郎さん迷惑でしょ。


 


 


 


 


 愛子。愛子が福岡へ行って僕は一人っきり長崎に残されたけど、そして僕は寂しくて僕の胸は孤独感で今にも破裂してしまいそうだけれど、とくにこの頃曇り日が長く続いているし、でも僕は負けないでもう二度と留年しないように頑張ってそうして卒業したら福岡へ行こうと思っている。僕は、孤独な僕は寂しさに打ちのめされそうになっているけれど。


 


 淋しさに打ちのめされそうになったとき、僕は福岡の北の方の空を眺めよう。僕の心のように空はどんよりと曇っているけれど、寂しくなったときはいつもこうしよう。そうしたらなんだか少し僕の心も慰められるような気がする。


 


 愛子が、元気な愛子が福岡から長崎にいる僕に向かって手を振ってくれているような気がする。とても明るい元気な愛子が。


 


 愛子、僕はこの手紙を酒を飲みながら書いていることお許し下さい。

 愛子、僕の不眠症は愛子が長崎から去って行ってから更にひどくなり、僕は夜、淋しさや孤独感や焦りにさいなまれて苦しんでいます。もし、愛子が長崎に居てくれたら(夕方、いつも夕方になると沈み込む僕を、愛子のふっくらとした胸で優しく抱き締めてくれていたなら)僕はこんなに苦しまずに良かったのにと思うと、愛子が福岡に去って行ったことが口惜しくてなりません。

 愛子、だから僕は毎晩酒ばっかり飲んでいます。孤独感を癒すため、焦りや寂しさを癒すため、

 そして遠く福岡の空を、窓辺からまるで星に向かって吠えるように淋しさでいっぱいになりながら眺めています。僕より孤独な人間はほかにはいないのじゃないのかと思うこの頃です。


 


 愛子へ。

 僕は夕方になるといつも言いようのない悲哀感にとらわれてしまいます。毎日いつも空が紅く染まる頃、カラスの鳴き声とともに僕は悲しみに打ちしおれてしまいます。

 愛子と会った護国神社の夕暮れの光景を、僕はよく思い出してしまいます。そして僕は後悔と自責感にさいなまれ、なんだか涙が溢れてきそうになります。

 僕は愛子を傷つけたことを思うと、僕も夕陽に向かって飛ぶカラスのようになりたいな、と思うこの頃です。

 僕はカラスに変身して、僕は愛子に対して行った罪を償いたい気持ちでいっぱいです。


 


 


 私もふと何処かへ消えてしまいたい気持ちに襲われます。この頃毎日残業続きできつくてきつくて私もカメ太郎さんの胸の中に飛び込んでいきたくてたまりません。

 でも生きることって誰も辛いのだと思います。私もきついし、カメ太郎さんも辛いのでしょうけど、でもみんな同じなんだと思います。でもみんな明るそうに振る舞ってるでしょう。


 


 


 僕はボロボロと音をたてる白いマークⅡに乗って、僕は会いに行こう。福岡の愛子に会いに行こう。もう夏なのに寂しすぎるから、こっそり愛子の姿を見るだけでいいから、僕は愛子に会いに行こう。もう廃車にするボコボコと音をたてるタコ足とスポーツマフラーの付いたマークⅡに乗って、とても幅の広いタイヤを履いたマークⅡに乗って、僕はこっそりと愛子に会いに行こう。そうして知らないふりをして愛子を物陰から覗いてみよう。


 


 


        (出されなかった手紙)

 愛子へ。なんだかいつものように夜眠れないでウツウツとしていると博多の港が透視されるように思い出されてきます。そしてあの頃元気だった僕の姿も。

 あの頃の元気だった僕に戻りたいな、という気持ちでいっぱいです。寂しくて一人ぼっちだった福岡での2ヶ月間だったけど、あの頃の僕はとても元気で自転車競技や勉強に炎のようにものすごく燃えていて、愛子よりも元気だったかもしれません。

 そして僕はいつも港で自転車を近くに立てかけて潮風に吹かれながら勉強してました。自転車競技の練習の合間を縫っての勉強でした。

 また愛子、福岡の町並みも見えてきます。とても懐かしい風景として。福岡はなんだか僕の第二の故郷のような気もします。

 愛子の住んでる南区までも僕は何度僕の黄緑色のロードマンで足を運んだことでしょう。でもあの頃よくそこで道に迷って、寮に帰ってくるときはいつも夜がとっぷりと暮れかけていて、そして寮の門には鍵がかかっていて、よく裏口の抜け口と言うか秘密の塀を乗り越えて寮の中に入っていたことを憶えています。


 


 



 カメ太郎さん、私も会社きついです。よく何度も『長崎に帰りたいな。そしてカメ太郎さんと会いたいな』と思って涙ぐみそうになります。

 カメ太郎さん、私泣き虫になりました。カメ太郎さん、私のようなのが泣き虫になるっておかしいでしょ。でも私、泣き虫になりました。

 カメ太郎さん、元気でしたか? 今まで手紙書かなくてごめんなさい。毎日がいそがしかったしそれに私正直言ってカメ太郎さんのこと忘れかけていました。いえ、忘れよう忘れようと努力してきました。

 このまえの誕生日のプレゼント、本当にありがとうございました。私、男の人からプレゼント貰ったの始めてでした。


 


 


 


 


       (岸壁にて)

 愛子。僕は君を傷つけた。高校三年生のあの大事な時期に君を傷つけた。君は傷つき果てて、とても悲しんだ。僕の罪はとても深く深く君と来ようと思っていたこの岸壁の青く黒く澱んだ水の中にも溶けきれないのかもしれない。僕の罪はあまりにも大きく僕の胸に一生大きな醜い判痕として残り続けるだろう。僕の胸に死ぬまでずっと。

 僕は孤独だ。僕はこのまま長崎港のこの岸壁に一生留まり続けていたい。石になって一生この岸壁に立ち続けたい。

 僕はそうして冷たい北風に吹かれたり雨に濡れたりしながら愛子への罪を償おう。それでも何年、何十年かかるか解らない重い重い罪だけど僕は北風に吹かれたり雨や雪に晒されながら罪償いをしていこう。何年、何十年かかるか解らないけれども。


 


 


 


 


 僕も沖をゆくカモメのように、ふわりふわりと福岡の愛子のもとへ飛んでゆきたいな。少しポッチャリとした愛子の胸に飛び込んでゆきたいな。そして傷ついて寂しさでいっぱいの心を慰めてもらいたいな。


 


 


 


 


 私カメ太郎さんがとても心配です。なぜカメ太郎さんそんなにいつも悲観的になってしまうのですか? 

 私、カメ太郎さんのことがとても心配だから長崎に帰ろうかな、と思っているほどです。

 カメ太郎さん、しっかりして下さい。そんなに落ち込まないでもっと明るくなって下さい。


 


 


 


 


 愛子へ。僕が結婚したこと知ってるかい。

 僕には神への恐怖心が人一倍あったのです。

 どうか許して下さい。それは人間の闘争心というか競争心がそうさせているのです。


 


 


 


 


   ※(現存する唯一の愛子の本物の手紙----しかし最後の一枚しかない。)

 電話の前でボーッとしています。私、カメ太郎さんに何度か手紙出したけど、着いてないのかもしれないなあ。この手紙もカメ太郎さんの手元に届かないまま12月の寒空に消えてくのかも。

 私、カメ太郎さんから手紙来てないかなあとか、TEL来ないかなあとか思います。ずっと前、私、カメ太郎さんにTELして、カメ太郎さんがあんまり話してくれなかったから、もう2度とTELはするまいと決めたけど、やっぱりたまには、話もしてみたいしね。

 ねえ、カメ太郎さん、たまには電話下さいね。私もTELしますよ。(もし迷惑でなければ_)

 だんだん寒くなります。体にはくれぐれも気を付けてね。勉強頑張って下さい。それでは!


 


 


 


 


 愛子。僕は勉強に頑張らなければならないのだけど僕には勉強ができない。大勢人がいる所に行くと頭が締めつけられるし家で一人で勉強するのは淋しくって。

 もし愛子が長崎に居てくれてそしてときどき会ってくれてたら僕の孤独感は癒されて僕も家で一人で勉強できるようになるのだろうと思うと福岡に行ってしまった愛子を恨みたい気持ちでいっぱいです。

 週に一回でも元気いっぱいの愛子とデートできたなら僕の心の憂欝は晴れて勉強に励む気も起こるのだと思いますけど。


 


 


 


 


 愛子へ。遠く過ぎ去った僕らの恋は、もう秋になった日曜日の空の五島灘に浮かぶ白い雲のように、僕らの記憶のなかから、少しずつ少しずつ消えていこうとしています。少しずつ少しずつ。僕らの少年少女時代のはかない恋は。


 


 


 


 


 私、カメ太郎さんからの手紙が来てないかな、とか、カメ太郎さんからの電話が来ないかな、って会社から帰ってきたとき手紙がないかなと思ったり寮の受話器の前でボーッとしてたりしています。

 私の手紙は福岡の空の中に溶けて行ったのでしょうか。私の思いはカメ太郎さんのところまで届かなくて何処かに消えていってしまったのでしょうか。

 最近、私を可愛がってくれていた先輩が(もちろん女の先輩ですよ)結婚して会社を辞めてそれで私このごろ落ち込んでいます。カメ太郎さんの胸に抱かれたいなあとばかり考えています。

 では勉強に頑張って下さい。早く立派なお医者さんになって下さい。

                           P.M.11:20

            ○○愛子


 


 

(第3章終わり) 

 


 




 僕は愛子の言うように勉強に頑張ってもう留年などすることなしに早く卒業して医者になってそして愛子の住む福岡へ行きたいけど、愛子、現実は厳しいんだ。僕は人の居る所ではどうしてでも極度に緊張してしまうんだ。そして勉強ができない。授業に出たって緊張して全然頭に入んないんだ。

 家に帰ると寂しさが襲い、僕は泣きたくなってテレビを付ける。寂しさを紛らすためには今はテレビが一番の友だちなんだ。そして夜の10時半頃になってジンフィズを飲んで眠る。

 そして朝になると朦朧とした頭のまま起き出して顔を洗い歯を磨いてバイクに乗って学校へと向かう。いつか愛子と護国神社で待ち合わせたときに乗ってきたあの黒いカワサキの250ccのバイクで。

 そして僕の哀しい一日が繰り返される。授業へ出ても緊張してしまって頭に全然入らないのに出ないと出席日数が足りなくて試験を受けられないようになるから。

 だから僕はもう学校をやめて国家上級の試験を受けて、国立考古学研究所か何処かに入ろうか、と本気で考えています。でもその試験日は7月の上旬でちょうど一学期の試験と重なってしまうからヤバイな、と考えています。


 


 


 


 


 カメ太郎さんへ。私、この頃よく仕事の帰りなんかに博多の空を見上げながら頭がボーッとなってバスに揺られながら私の魂が長崎のカメ太郎さんの処まで飛んでいってしまっている_カメ太郎さんが今何してるか解るわ_というふうな奇妙な感じにとらわれてしまうようになりました。カメ太郎さん_これは何かの精神病の前兆ではないでしょうか? それで私、カメ太郎さんのこと忘れよう忘れよう、と努力しています。このままじゃ狂っちゃうから_


 


 


 


 


 僕も愛子のことを思うと頭がボーッとなります。愛子が博多の空を見てボーッとなるように。

 僕は愛子に告白しようかな。僕は小さい頃(だいたい中二の頃まで)よく夕方になると頭がボーッとなって自分が自分なのか解らなくなっていました。そして一種の夢遊状態なのでしょう。僕はボーッとした頭のまま夕方を過ごすことがよくありました。

 でも高一のときその大きな発作が起こって以来、全く起こっていません。それは少年期によく起こる一過性の朦朧状態というか。


 


 


 


 


 愛子は言った。『明日の夕方から日吉青年の家で長崎の生徒会の合宿があるの。3日あるの。夕方だったら会えると思うけど……』

 僕は『合宿があるのか。会えないなあ』とか言ったと思う。日吉青年の家までは遠かったし、合宿中どうやって会える時間を持てるか解らなかった。僕は口を閉ざした。愛子にはそれが僕の拒絶のサインにも見えたのにちがいない。


 


 


 


 


 夜中に目が醒めた。そうして福岡の愛子のことを思いやる。寂しく福岡へ遣らせた愛子のことを、僕は涙を浮かべながら、悲しい愛子のうしろ姿を思い浮かべながら。

 僕と愛子の出会いは、悲しく終わった。ほんのちょっぴり話をして、2回ほど待ち合わせてデートをして、2回とも30分ぐらいで終わって、手も握らなかったし、護国神社の周りを歩いたり、護国神社のなかに腰かけて話をしたり、2年間もだったけど、文通は10回ぐらいしたけど、電話も2回ぐらいしたけど。


 


 


 


 


            (僕のプレリュード)

                       昭和61年7月4日

 僕は赤いプレリュードを買ったけど、愛子は一年前に福岡に行ってしまったし、誰も僕の助手席に乗ってくれる女の子はいない。そして僕の赤いプレリュードはいつも僕だけを乗せて学校と家だけを往復している。もうそろそろ梅雨も明けて夏になろうとしているけど、このクルマはマリンブルーの海によく似合うのだけど、僕には彼女はいないし、とてもこのクルマが可哀相だ。たった一人、いつも僕だけを乗せているこのクルマがとても可哀相だ。女の子を乗せてやらなければとてもこのクルマが可哀相だ。愛子が長崎に居たら、どんなにこのクルマも幸せだろうと、僕は考えて俯いてしまう。僕は俯いてしまう。


 


 


 


 


 カメ太郎さんへ

 お変わりありませんか。僕も体だけは丈夫にできているから元気です。私たちこのまえ長崎のオランダ村に社員旅行で行ったんですよ。みんなとても良かったって言ってたけど、私なんだか沈み込んじゃって。もう2度と長崎には帰って来ないつもりだったのに、と思って。それで何だか辛くって。いつもは私が一番はしゃいでいるのに暗かったからみんな私のことを変に思ってたみたい。

 カメ太郎さん、本当に元気ですか。返事が来ないから少し心配しています。でもどうせこれ、私の一人よがりなのね。

 私、今度、40万円のシスコンを買うんですよ。やっぱり電器店に勤めているとこうなってしまうのね。

 私、貯金が100万円になりました。それでクルマを買おうかな、と思ったけど家の人が『貯めときなさい』というから。

 でもクルマを買いたいな。

 私、お盆に長崎に帰ってきたんだけど、(14、15とたった2日間で福岡に帰っちゃったけど)友だちと会ったりしてばかりでカメ太郎さんの家に電話もしなかったのごめんなさい。今年はおじいちゃんの初盆だったから帰ってきました。いつもはお盆も帰らないんだけど。

※(ボクのこの手紙は8月17日ごろに福岡の愛子の寮に届いたのであった。ボクが躊躇せずにもっと早く手紙を出していればこの盆に愛子と再会できたはずだった)


 


 


 


 


 僕は愛子からの手紙をほとんど全て捨ててしまった。何もかも捨ててしまった。そしてとっても後悔している。いつものように。本当にいつものように。

 僕はいつも早まったことをして後悔ばかりする。僕と愛子の愛の結晶はそうして虚しく永遠の空白のなかに消えていった。僕らの命のような(僕らの命のような)永遠の空白のなかに。


 


 僕らには希望があった。それだから愛子の手紙ほとんどすべて捨ててしまった。僕は自分の過去を彩りたかった。空想のなかで自分の過去を美しく彩りたかった。それで早まったことをしてしまった。


 


『ボ、ボクさ、この頃F1のファンになってしまって、それで僕もF1のレーサーになろうなって思うようになってしまった』

 ーーカメ太郎さん、いつも夢のようなことばかり、カメ太郎さん、いつも夢のようなことばかり。

(愛子はそう言って黙り込んでしまった。僕らの間に始めて気まずい沈黙が流れたようだった)


 


 僕は電話のなかで必死に叫び続けた。

『愛子、長崎に戻ってきてくれるかい。愛子、結婚しようよ。愛子、聞いているのかい。愛子、結婚しようよ。僕は今とっても精神的にピンチなんだ。愛子、結婚しようよ』

『でもカメ太郎さん。私、結婚することなんかまだ。それにカメ太郎さん、カメ太郎さんもっと人間的に恥ずかしくないよう立派に成長してから私に求婚して下さい。お願いします。私、それまできっと待ってます。カメ太郎さん、お願いします。どうかもっと立派に成長して下さい。もっと立派に成長して下さい。私必ず待ってますから』

 やがて電話が切れた。黒い闇が辺りを覆っていた。死神の黒い闇だった。


 


 


 


 


 僕が河野さんと久しぶりに福岡まで来たとき僕はたしか愛子が勤めていると思うベスト電器の福岡本社の前をクルマで通りました。そして僕は天神で降ろしてもらって河野さんは何の用か解らないけど2時間ぐらいしたら戻って来ると言って東の方向へ行きました。ベスト電器の本社は天神のすぐ近くだから尋ねていってもよかったのだけど僕は地下街をウロウロしていい靴や洋服がないかなとメンズビギなどの店を歩き回りました。

 僕と愛子が久しぶりに近くに居た訳だけど、僕は愛子と会うのが怖かったしまた愛子を忘れよう忘れようと思っていたから。

 でも夜家に帰ってきてとても悲しくなってきてこの手紙を書いています。せっかく久しぶりに愛子と会えるチャンスだったのにと思って。それに会えなくても愛子の姿を見れたのにと思って。


 


 


 


 


 愛子へ。僕はこの頃とても言い様のない悲哀感にとらわれてしまいます。生きていても仕様のない気がして死んでしまいたい気持ちになります。愛子のいる福岡まで行けたら、とよく思います。このまえ125ccのバイクを持ってたのにそれを友だちにあげたこととても後悔していつもの人が良すぎたと言おうか不運と言おうかそんなものに苦しめられています。そして自分はなんて親不孝なんだと。

 大学病院の12階から飛び降りて死のう、と何度も思います。でも親のために死ねないのです。あとに残された親のことを思うととても死ねないのです。

 今度留年したらどうしよう。今度留年したら死にたい、という気持ちがとても強く、今11月24日ですが12月22日の最後の試験まで頑張り抜いて24日の判定まで耐え抜こうとも思っています。

 人生の勝利者になろうという気もあるにはあるんですが、毎日の生活が辛くて楽しみがちっともなくて希望が持てなくて死にたくなります。きっと天使さまが現れる、きっと近いうちに僕を救って下さるとても美しいとても明るい天使さまが現れると8月9月ごろ抱いていた希望ももう12月になろうとしています。生きていて何の楽しいこともありません。

 だから死にたくてたまりません。生きていて何のメリットもないような気がします。僕のようなのは早く死んでしまった方が親への負担もそれだけ少なくなる訳だから早く死んだ方が良いような気もします。

 このままじゃ死んじゃう、再生への道を見つけなきゃ、という気持ちもあります。また、さっき、生化の実験室のドアが開いていたので中を覗いてみましたが死ねるような薬はありませんでした。ネズミの麻酔に使った薬は2階の生理の実験室にあるようです。

 再生への道を見つけなければ。このままでは死んでしまう。


 


 


 


 


 愛子へ。暖かい布団のなかで夢を見ているときだけが僕の憩いのときでした。でもその夢も悪夢に変わった今、僕を慰めてくれるものは何もありません。もはやこの世に僕の楽しみは一つもありません。

 だから死ぬときが来たような感じがしないでもありません。

 愛子。やっぱり僕はすべてに敗れ去った青年だ。26歳を目前に控えてすべてに敗れ去った青年だ。


 


 


 


 


 愛子、僕は生きた。懸命に生きた。愛子が福岡に去ってから3年近く懸命に生きた。でももう限界だ。僕の命はあと5日ぐらいしかないよ。クリスマスの夜に(たぶん白い雪の散らつく夜に)僕は死んでゆくんだ。周囲の同情をいっぱい浴びながら。


 


 


 


 


 愛子へ。僕が今日も含めてあと5日しか生きられないことを思うととても残念です。後に残された父や母、そして駆けつける姉の嘆きなどを思えば胸が締めつけられるような思いにとらわれます。

 でも僕は今日も含めてあと5日しか生きられない人間です。僕の人生は敗北の連続でした。すべて失望と落胆に満ちていました。

 理想が高すぎたのかもしれません。僕はあまりにも夢見る青年だったのかもしれません。

 でも全てに敗れ去った今、僕の行くところはもう霊界しか残されていません。明日の夕方で試験は終わります。僕にはヤル気が起こりません。そして死界へと死神が手招きで僕を迎えているようです。

 僕は全てに敗れ去った青年です。もう生きる意欲を喪くした青年です。あと5日後ではなく今日、死ぬかもしれません。僕はもう疲れきりました。

 疲れた。そして全てに敗れ去った。


 


 


 


 


 愛子。愛子との哀しい思い出を胸に秘めて僕はこうやって霊界へ旅立ってゆくことを思うと悲しいです。愛子の手紙を全て黒い大きなゴミ袋の中に入れて捨ててから2ヶ月が経った今、僕は留年してしまい今森のなかで死んでゆこうとしています。僕はこの寒い森のなかで一人で死んでゆくんですね。一人ぼっちでとても淋しく。

 でもこれが僕の運命だったんだと、僕の悲しい運命だったんだと思えなくもありません。僕は小さい頃からとても哀しい運命の持ち主でした。だからこうやって死んでゆくのは今まで育ててきてくれた父や母にとても申し訳ありませんけどでも僕の運命なんだと仕方がないんだとあきらめています。

 愛子は幸せな人生を送って下さい。僕の分まで幸せな人生を送って下さい。


 


 


 


 


 愛子へ。僕は失意の果てのうちに正月を迎えつつあります。このまえ3度目の留年が決まりました。僕はやはり医者には向かない人間なのかもしれません。

 僕は一度は、この世の非常さに決意して、柔道の帯を持って生協の裏の森の中へと入ってゆきました。でも丘の上から眺め渡された家々の灯りが綺麗だった。家庭の暖かさというものを思い出して、そして父や母の愛を思い出して僕は柔道の帯をポイッとそこらへんに投げ捨てました。今も濡れてると思います、その柔道の帯は。夜露に濡れて。

 愛子は福岡に彼氏ができたんだろう。だから手紙も電話も寄こさなくなったのだろう。それとも僕が以前酒を飲んで電話を掛けたとき僕が嫌いになったのかな。(僕は実際はあのときほんの少ししかお酒を飲んでいなかった)


 


 


 


 


 愛子、僕は眺め渡した。戸石の清掃場の丘に大きな大きなゴミの山を見つめながら立ちつくした。僕らの青春時代の結晶だった愛子の手紙と僕の手紙の下書き。すべてすべてもうなくなっていた。あのゴミの山の奥の奥につまているのかもしれないけど。

 僕は泣きながら立ちつくしていた。そして柔道の帯があればこのまま森の奥に入っていって首を括って死のう、と考えていた。また、手首を切って死ぬのも楽な死に方のような気がして僕はジャンバーのポケットの中をまさぐった。

 孤独だった。愛子から電話はかかって来ず、僕は2時頃フラッとこのまえ福田から無理矢理ヘルメットとグローブ付きで8万5千円で買った400のGSXに乗ってここまで来た。

 愛子はあれから寮に帰らずますっぐ長崎へ帰ったのかな。たぶんそうだろうと思っていた。

 敗れ去った。僕は敗れ去った。11月の中頃から一ヶ月あまりも毎日のように県立図書館に通ったことはいったい何になってしまったんだろう。僕は少なくとも図書館の中では猛勉強していた。僕はたしかに猛勉強していたのに。

 現役の頃、九大医学部に落ちたときのような敗北感だなと思っていた。僕は森の中を枯れ葉や枝を踏みしめながら歩き続けていた。

 愛子の手紙を捨ててしまったことも僕の大きな敗北感の一つになっていた。僕はもう破れかぶれで死んでしまおう、と思っていた。


 


 


 


 


 愛子。僕らの手紙は消えていった。悪魔によって消されていった。愛子、僕らの手紙は消えていった。もう見えない見えない世界に行ってしまった。紅い紅い炎になって消えて行ってしまった。炎になって揺れながら消えていった。悲しいな。

 それは僕らの青春の終わり、僕らの愛の終わりかもしれないね。

 僕らの青春終わった。愛子はまだ若いけど僕はもう晩年だ。僕は自殺の一歩手前であがいている。

 僕の青春の形見だった僕らの手紙は炎と化して、僕の人生は変わった。本当に変わった。僕の気まぐれですべてを棄てちまった僕は今ものすごく後悔している。もう何もかも厭になったぐらいだ。でも自殺したら地獄だというし


 


 


 


 


 僕の人生の危機においてその度に僕を救ってくれた愛子の手紙は僕の一生の宝物となるはずであった。それを捨てた僕は悪魔にとり憑かれた男。きっと僕は悪魔にとり憑かれているんだ。

 自分の過去を美しく彩ろうとしたあの衝動は悪魔の誘惑だったんだ。

 僕には再生できない。愛子の手紙を再生できない。


 


 


 


 


 ときどき湧いてきます。

 愛子の言葉の一つ一つが

 でもすぐに消えてしまう。

 僕と愛子のはかない恋と青春のように。


 


 


 


 


 僕は自分の過去を美しく彩りたかった。君の手紙をすべて捨てたとき、僕はあのときたしかに何かの泣き声を聞いた。もちろんそれは君の泣き声ではなかったけれども、あれは君を守っていた亡き君の母の霊の泣き悲しむ声だったのかもしれない。でも僕はあのころ悪魔に憑かれていたから、耳を塞ぐようにしてクルマに乗り、急いで学校へと向かった。血の色をしたボクの赤いプレリュードで。


 


 


 


 


 戻って来い。戻って来い。僕が捨てた愛子の手紙たち。戻って来い。戻って来い。

 ピンク色や黄緑色のあの綺麗な封筒や便箋たち。戻って来い、戻って来い。


 


 


 


 


                        12月31日

 愛子。僕は眺め渡したよ。戸石の清掃場の丘に大きな大きなゴミの山を見つめながら立ちつくした。

 僕らの青春の結晶だった愛子の手紙と僕の手紙の下書き、すべてすべてもうなくなっていた。あのゴミの山の奥の奥に詰まっているのかもしれないけれど。

 僕は泣きながら立ちつくしていた。そして柔道の帯があればこのまま森の奥に入っていって首を括って死のう、と考えていた。また、手首を切って死ぬのも楽な死に方のような気がして僕はジャンバーのポケットの中をまさぐった。

 孤独だった。愛子から電話はかかって来ず、僕は2時頃フラッとこのまえ福田から無理矢理ヘルメットとグローブ付きで8万5千円で買った400のGSXに乗ってここまで来ていた。


 


 


 


 


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福岡市南区高宮二丁目

    ベスト電器

     高宮寮

   ○○愛子様


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60円切手 |


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 愛子へ

 今日は元旦です。どこへ電話しても誰もいなくて、それに愛子の家には電話したらいけないかな、と思って、それにテレビ見たり本を読んだりするのも馬鹿らしくて、かと言って町へ出ていっても僕は一人っきりだろうから、寂しくって、たまらなくなって、暇潰しも兼ねて愛子に久しぶりに手紙を出すことにしました。

 もうずいぶん前のことになるけれど、一回酒を飲んで電話したことゴメンネ。愛子は彼氏ができたのかなあ、電話もかかって来ないし手紙も来なくなったし。

 僕最近ちょっとノイローゼぎみになって愛子の手紙ほとんどすべて捨ててしまった。あとで物凄く後悔して清掃場まで行ったけどダメだった。なんだか僕の青春のかたみを捨ててしまったようで哀しくて哀しくて死にたいほど落ち込みました。それに留年のダブルパンチもくらって。

 僕はそれで民医連という共産党系の病院の奨学金を貰うことにしました。月5万円貰えるので自宅だからゆうゆうと余ります。でも卒業したら熊本の病院で何年間か働かなければなりません。

 では愛子お元気で。暇だったら手紙か電話を下さい。

 今日にも会いたい気持ちでいっぱいですけど会えなくて残念です。

 ではお元気で。


 


 


 


 


 いつもすれ違ってばっかりね。私たち、いつもすれ違ってばっかりね。

 ……愛子は泣いていた。受話器の向こうで泣きじゃくっていた。僕はただ『ああ』と力なく答えた。

 もう死期を予期した僕のせめてもの答えだった。僕が愛子の寮に電話した30日、愛子は会社に出てて会社が終わるとまっすぐ博多駅へと向かった。そして僕から電話があったことを知らなかった。

 愛子はあきらめていた。僕をあきらめていた。しかし愛子の明るさがあれば僕はまだ生きられるのだった。一年間の屈辱に耐えて生きられるのだった。

 でも遠く博多へ帰っていった愛子。もう会えないだろうかなあ。もう僕らは会えないのだろうか。


 


 


 


 


 愛子へ。

 明日、姉が山口に帰ります。そのこと思うだけで涙が出るほど悲しくなります。なぜこんなに感傷的になるのでしょう。もう会えないような気が心の底で何かしらしているような気がするから?

 悲しくて悲しくて、もう歳なのでしょうか。でもこんなに哀しくなるのなら今日民医連の奨学金を断ってきてホントに正解だったな、と心の片隅で安堵感を覚えています。

 僕はもう歳をとり感傷的になってしまったのだろう。愛子とデートしていた頃はもう3年以上前のことになる。あの頃の僕は元気だった。愛子を待って雪の降る中、バイクで本屋の前を往復していたぐらいだった。

 愛子。僕はあの頃の元気さを取り戻したいけど、もう僕にはその頃の元気さは帰って来ないのだろうか。愛子の手紙をすべて捨ててしまった僕には。僕の罪は深く深く、僕は死後、湖の底で水晶か不思議な色をした石として何万年も留まり続けなければならないような気がする。

 死が待ち構えている。死が僕の目の前で僕が今にも倒れ込むのを待ち構えている気がする。


 


 


 


 


『愛子、結婚しようよ。愛子、結婚しようよ。』

 僕の頬には涙が伝わり落ちていた。

『愛子、結婚しようよ。愛子、結婚しようよ。』

 僕は再び言った。僕の胸が二つに裂け、体じゅうも顔も血糊でいっぱいになり、もう死ぬ寸前だった。

『愛子、僕を救ってくれるかい。愛子、僕を救ってくれるかい。』

『カメ太郎さん、逞しくなって下さい。カメ太郎さん、逞しくなって下さい。』


 


 


 


 


 愛子へ

 僕には卒業までに自分が破滅する。自分の体がばらばらになる、という恐怖と予感があります。そうしてきっとそうなる、きっとそうなる、と馬鹿な僕は信じこんでいます。

 僕は馬鹿な男です。そんなことを信じこむなんて。だから不幸が僕にどんどん襲いかかってくるのだと僕はちゃんと解っているのに。

 この頃(僕はこのごろ学校へはほとんど行かないで愛宕の○○病院という精神科の病院に毎日アルバイトに行ってるんですが)僕の目の前に僕を救ってくれるような天使さまのような女性が現れたような気がしています。僕と同じ歳でカウンセラーかソーシャルワーカーかよく知らないけどそんなことをしている女のひとです。向こうも僕を好きなようです。でもいつもの幻滅で僕はフラれるようでとても心配です。

 僕はこのまま死んでゆこう。愛子に手紙を出す前に死んでゆこう。

 愛子。僕はこのごろ十時間ぐらいも眠っています。病院のアルバイトから6時半ぐらい帰ってきてそれから病院の仕事の整理をしたり風呂に入ったりしたあとお酒をガブ飲みし食べ物をたらふく食べて寝ています。

 そしてこの頃ふたたび希死念慮が現れてきたのです。僕の頭、どうなっているのかなあ、って思います。

 僕はこのまま死んでゆこう。お風呂にも入らずに死んでゆこう。お風呂に入らないのはやはり悪いのかもしれない。でもお風呂にも入らず死んでゆこう。


 


 


 


 


 戻ってこい。戻ってこい。僕が捨てた愛子の手紙たち。ピンク色やグリーン色に輝いていた愛子の手紙たち。戻って来て僕に青春があったことを教えてくれ。


 


 


 


 


 愛子へ

 愛子。僕はやはり全てに敗れ去った。遂に天使さまが現れてたという期待も、虚しく崩れ去った。愛子、僕は失恋した。やっと天使さまが現れたと思ったのに酒を飲みすぎて嫌われてしまった。バカな僕だ。本当に僕はバカだ。

 それでまた“死のう”という思いが強くなってきた。僕はホントにダメだ。

 愛子。希望が消えた。ふたたびクリスマスごろの、そして正月ごろの、どん底に逆が戻りだ。灯が消えた。やっと灯を見つけたと思っていたのに。

 愛子。僕はこれからどうしたらいいのだろう。どう生きてゆけばいいのだろう。

 愛子。僕はまた布団の中でもがき苦しむようになった。布団の中は地獄だ。まっ暗い地獄だ。


 


 


 


 


 愛子へ

 今度留年したら死のう、今度留年したら死のう、と考えていたら本当に留年してしまった。やっぱり僕には死神が憑いているような気がする。

 僕はよくこの頃、愛宕の町並みを見下ろしながらもの思いに耽っているけど、やっぱり死のうという気持ちは強いです。ここ一ヶ月ほど愛宕の精神病院に毎日アルバイトに来ているけど。死にたいという気持ちはやはり強いです。


 


 青春って何だろう。僕の命や青春はこの愛宕の町の坂を下って長崎港に流れ込んでゆく。そして青い青い海底に沈んでゆく。沈んでゆく。一人淋しく。一人淋しく沈んでゆく。


 


 愛子へ。

 僕の思いは届かない。もう君の胸には届かない。僕の思いは長崎の空に虚しく消え果てて、福岡の君の胸には届かない。


 


 愛子へ。

 僕がまた留年したこと知っているかい。僕たちの青春はそしてもう戻って来ない。僕の顔のこわばる対人恐怖症のために、この奇妙な病気のために。

 僕の顔はこわばり、君を傷つけた。そして君をものすごくものすごく苦しめた。君は今、僕を呪っているだろう。君の呪いが福岡の空から長崎の空の下の僕の元まで届いて僕は留年したんだ。呪われたように不運な留年の仕方だった。

 僕は清純だった高校の頃の君を傷付け、君に苦い思い出を、たぶん初恋だったような気がするけど、作ってしまった。僕に巣喰っている悪魔がそうさせたんだ。たぶん、僕に小さい頃から巣喰っていた悪魔が。


 

 

(第6章終わり) 

 


 


 ごめんね、愛子、ごめんね。

 愛子。でも僕は今泥沼だ。僕を救ってくれる天使さまは現れて来ない。僕は昨日、OKホームセンターに農薬を買いに行こうとした。もちろん自殺するために。

 愛子。僕は以前もよく自殺を口走っていたけど、あの頃の自殺の話は冗談に近いんだ。今に比べればあの頃の自殺の話って冗談のようなものだ。

 僕は3度目の留年を迎え、もう身も心も泥沼のようだけど、きっと生ききって見せるつもりだ。なんとなくこの頃(この2、3日ごろ、もちろん昨日はOKホームセンターに農薬を買いに行こうとしたほどだけど)力が湧いて来てるんだ。でもこれが自殺の力と言おうか衝動になることが心配だけど。

 不気味な気もする。この2、3日の力の沸き上がってきていることが。とても不気味な気がする。地獄のマグマの胎動のような気がして。僕を地獄へ引きずり込もうという悪魔の想念のうごめく峻動のような気がして。

 愛子。もしかしたらこの2、3日のうちに死ぬかもしれない。そのときはさようなら。さようなら。

 愛子。本当ならもっと罪悪感に打ち沈まなければならないのだけど、君のことを思うと、


 


 


 


 


 僕は大事な宝物を喪った。愛子の手紙という大事な宝物を喪った。僕をあんなに勇気づけてくれた手紙の束を。愛子の愛情のこもった宝物を。

 あの頃が僕の大学時代で最高の青春のときだったのかもしれない。愛子と文通したり電話したり何回か会ってたあの頃が。

 僕にはあの頃の愛子とのことがとても懐かしく思い返されてくる。思えば僕はあの頃とても元気だった。よく手紙には暗いことを書いたりしてたけど、でもあの頃はとても僕は元気だった。そして愛子が福岡へ行った頃から僕は次第に元気を喪くしかけてきた。

 そして僕は愛子の手紙を捨てた頃、僕が小学5年の頃から書きためてきた日記帳をも捨てたのだった。自分の過去を美しく虚偽で彩りたいためにそうしたのだった。

 そして僕の過去の宝物箱は空っぽにな里、本当に自分の存在が宙に浮いているような虚しさと寂しさの入り混じった気持ちに陥っている。

 これは罪悪感なのだろうか。僕をやるせなさでいっぱいにするこの気持ちは。

 ああ、僕の体が宙に浮いてゆく。僕の体が宇宙のまっ暗い空間に浮かんでゆっくりと飛んでいってる。何処へ飛んで行ってるのだろう。いったい何処へ。いったい僕は何処へ向かっているのだろう。

 もう取り戻せない過去なんだ。僕の過去はゴミ棄て場の巨大な山の中に埋もれている。僕の過去は。


 何かが聞こえてくる。うず高く積もらされたゴミの山を夕陽とともに眺めつつ、何かが聞こえてくる。何なのだろう、それは。

 それは愛子の嘆きの涙(滴り落ちる涙の音と)愛子の泣き声のようだった。そして僕の少年時代、あの純情だった少年時代の僕の日記帳の束も一緒に泣いているようだった。でも僕も一緒に声をたてて泣き出したくてたまらなかった。


 僕は泣きながらゴミの山を登る。そしてゴミだらけになって汚れ果てて僕は頂上に辿りつく。そして僕は叫ぶ。福岡にいる愛子に向かって。そして僕の純情だった少年時代に向かって。『ゴメンネ、愛子。ゴメンネ、愛子。』


 


 


 


 


 愛子へ

 僕は今、2ヶ月半ほど精神病院で心理テストや知能検査のアルバイトをしてきましたけどここもうやめようかな、と思います。仕事はとても楽で勉強にもなりますけど日給3200円ほどだから。でも半分は本を寝転んで呼んだりして遊んでます。

 それに共産党系の病院の月5万円の奨学金を貰おうかどうしようかとても迷っています。

 給料のいいタクシードライバーや長距離トラックの運転手のアルバイトをしようかな?とも考えています。そして100万ほど貯金したら2年くらい何のアルバイトをしなくても大学生で暮らしてゆけます。

 でも僕はこの頃つくづく自分は何のために生きているんだろうなあ?_辛いなあ_と考えてしまいます。僕は筋肉がとても硬い異常体質でそのために対人恐怖症になっているから。

 僕がこの前、心理検査した人が一週間ほどして外泊のとき首吊り自殺しました。その人はウツ病で『自殺するのは勝手でしょ。』とか言ってました。ウツ病というより分裂病だったのだと思います。

 僕はなんだかみんなから『亡霊のようだ』と言われます。愛子とはもう長い間会ってないけど僕は体重は変わらないけど顔だけ痩せました。そして前からとんがっていた顎がますますとんがって僕の顔は亡霊に似てきたようです。でも自殺したら地獄だというから、自殺するよりも辛い厳しいアルバイトでもして生きていた方がマシだから僕は必死に生きています。

 愛子と会ったり文通していた頃の僕は元気だったのに年をとってきたためかもう何事にも興味を持てなくなったというか、僕は一年ほど前からウツ病ぎみです。

 僕は自分の部屋に自分専用の電話線を付けました。ダイアルは39ー4557です。るす番電話(PIONEERのTF-A5です)を付けました。だからいつ電話してもいいです。

 今度帰ってきたときは電話でもして下さい。バイクで野母崎まで行きましょう。

 ではお元気で。

               カメ太郎

           長崎市界0000


 


 


 


 


 愛子へ

 僕は思うけど僕の憂愁の思いがこんなに強くなったのは留年したからよりも愛子の手紙を捨ててしまったことに由来する気がする。

 留年したってそれだけ青春時代が延びた訳だからそんなに悲しまなくてもいいと思います。

 青春が捨てられて、そして僕の過去がすべて悲しみの色に変わること、僕はこの頃だからとっても落ち込んでいるんだとやっと気付きました。

 僕の憂愁の思いは夜見る病院からの愛宕の町並みのように重いです。

 思えば僕は一人っきりで愛子が長崎を去ってから3年余り過ごしてきたんだなあ、と少し残念がってます。僕は昨夜F1グランプリを見たあと眠れなくて睡眠薬とそれに胃薬までたくさん飲みました。もしバルビタール系の薬かカルモチンがあったら一気に飲んで自殺を図っていたことでしょう。それほど最近の僕の憂愁の思いは強いです。


 


 


 


 


 僕と愛子の青春は、スーッと愛宕の坂を舞い降りていって消えてしまった。もう悲しい悲しい3年半も前の出来事だけど、僕らの思い出はすべてすべてもう消えてしまった。そうしてもう永遠に戻ってこない。


 


 


 


 


 愛子。僕たちの青春は帰ってこない。僕たちの青春を刻んだあの手紙の束は。もう永久に帰ってこない。

 そして僕は敗れ去った、もう人生に敗れ去った青年_人間として死んでいこうかとても迷っている。愛子との手紙の束を残しておけば僕にもこういう青春があったんだと、また僕と愛子の愛の物語が僕の死後世に出て人々に感動と生きる勇気を与えたのだろうに、と思うと僕は悔しさで胸がいっぱいです。

 それで僕はこのまま死んで行くのが悔しくて_今日まで必死に僕と愛子の物語を再生させてきたけど、僕にはどうしても愛子の手紙が書けません。僕を勇気づけてくれた、また純粋だった愛子の心のこもった手紙を再生することが僕にはとてもできません。とても残念です。

 そのために僕は『中二コース』などを買ってきて方々の女のコに文通してくれるように手紙を書きましたけど、やっぱりもう無理だなあ、と解ってきました。僕の心は疲れ果て、もう以前のようなときめきや情熱を持てなくなっているし、僕らの愛はたしか4年近く続いたろ。4年近くもかかってできあがった特大のファイルにやっと収まっていた僕らの手紙などの束だったのに、僕はほとんど捨ててしまい、とてもとても後悔している。

 もう一度、もう一度、あの青春が戻って来ないかな、と僕は四つほど手紙を出して今2人の中二の女のコと文通している。でもダメだ。その2人の女のコは愛子のように文章が上手でない。ちっともありふれた文通と変わらない。

 愛子。愛子は福岡で僕のことを怒っているだろ。折角の愛子の心を込めて書いてくれたたくさんの手紙をすべて捨てたこと_とてもとても怒っているだろ。今、長崎の空は曇っている。福岡の空も曇っているだろ。今にも雨が降り出してきそうだ。

 青春は帰って来ないのかなあ。僕は今26で愛子は21だろ。僕らが文通していた頃、愛子は高2から20ぐらいのころまでだったかな。そして僕は_

 ごめんね、愛子。僕はこの罪を刈り取るため愛子と結婚しようかなと思っている。それが、それだけが、僕が愛子にできるたった一つの罪滅ぼしのように思えて。でも迷惑かな。愛子はもう僕のことなんかまったくなんとも考えてないと思える。

 愛子の心にはもう僕のことなんてない。狂った、狂いかけた、おかしな人としか、残っていない。迷惑ばかりかけた自分。愛子の人生を狂わせた罪な自分。病気の、おかしな自分。

 愛子。僕の憂愁に打ち沈んだ心は、もう晴れ上がらないのかな。もう一年以上も続いている。僕の心のなかの曇り空は。もう永久に晴れ上がらないのかな。

 愛子。だから僕は今日の夕方、ジョギングなどをしに行くつもりだ。体がなまっているからこう心が打ち沈んだままでいるのかなという気がするから。

 僕は今日の夕方、愛子と文通したりしていた頃のことを思い出すように必死に走るつもりだ。あの頃の情熱と気力を憶い出すように。あの頃の元気だった僕をもう一度憶い出すために。


 


 愛子。福岡の空は晴れてるかい? 

 長崎の空は僕の心のように曇って今にも雨が降り出しそうなほどだ。

 愛子、福岡の空は晴れてるかい? 

 そしてこの日曜日愛子は何をして送っているんだろ? 

 愛子。愛子の心は晴れてるかい? 


 


 


 


 


 僕は夢の中で愛子の手紙の束が燃やされてゆくのを見て飛び起きた。午前2時だった。

 僕は愛子の手紙の束が戻って来ないかな、戻って来ないかな、何処からか棄てられずに残っているのを発見できないかな、と夢のようなことを最近考えていたからだろうか。愛子の手紙の束が赤い炎を上げて燃えてゆく光景は僕の胸の中にある魂が燃え上がってゆくような錯覚を覚えた。

 愛子の魂の結晶が燃え上がって灰になり永久にこの世から消えることは僕は愛子の魂を殺したような、愛子をまた傷つけ塗疸の苦しみの中に陥れたような罪悪感を最近僕に抱かせた。


 


 愛子へ。僕はもう2時間も眠れてない。愛子の手紙の束が燃えてゆく夢を見て飛び起きてからもう2時間も眠れてない。僕はもうダメだ。今日にでも死んでゆこうかな、と思っている。

 職場での人間関係とか(僕はどうしても緊張して体がこわばってしまうので)辛くて辛くて僕は死んでしまいたい。死んで一人っきりになった方がずっとマシだと僕は思う。


 


 


 


 


 愛子。僕は落ち込み果てて何をする気も湧きません。アルバイト先で重大な失敗をしてしまって。叱られはしてないけど気まずくって。その沈黙が僕には耐えがたいというか_昨夜また自殺のことを本気で考えてしまいました。

 愛子は全然手紙も電話も寄こさなくなったけど、愛子の明るさと愛子との楽しい思い出は僕は決して忘れないつもりです。自殺直前の落ち込み果てている僕だけど(そして創価学会にすべきか共産主義にすべきか心の支えとしてどちらをとるべきかとても迷っている僕だけど)(でも愛子と文通していたりしていた頃の僕はこんな深刻なことなんて考えなくて、バイクのこととかクルマのメカニズムのことなどを元気いっぱいに考えていた僕だったのに)僕は3年、4年前の自分を思い出して再び元気になろう、と自分で自分を勇気づけようと思っています。

 ホントに愛子とつき合ってた頃のボクは元気で、そして暢気だったというか(ホントにあの頃は幸せなボクだった)ととても懐かしく思い返しています。そしてあの頃がボクにとって青春だったんだと。今は青春は過ぎ去り、残された僅かな日々を(これは少し大袈裟かもしれないけど)大事に大事に生きてゆくというか。ホントに愛子が長崎に帰って来ないかなあ。それとも明るい元気いっぱいの電話をかけてきてくれないかな、という気持ちでいっぱいです。


 


 


 


 


 愛子へ

 愛子、なぜ僕のこの頃の毎日は終末の様相を呈しているのだろう、ととても不思議に思っている。もしかしたらハルマゲドンの日々が(全世界中への、もしくはたった僕にだけのハルマゲドンの日々が)近づいているからだろうと僕は思います。

 朝、僕はこの頃いつも悲しみをいっぱい湛えて起き出します。そして9時15分ごろアルバイト先へアルバイト先へとバイクかもしくはクルマに乗って出掛けます。人間関係が辛くなってきて、そしてもうクビになりそうな職場にです。家の人は僕が留年していることを知らなく、今年で卒業だと思っています。

 そして夕方になるといつも夕陽に背中を照らされながら帰って来るわけですが、僕の孤独感は職場でも家でもとても強くって、やっぱりハルマゲドンは近いんだな、って感じ始めている毎日です。でも必死になって自殺せずに生き延びています。


 




 愛子へ

 僕はこの手紙をアルバイト先の精神病院の宿直室で書き始めました。対人恐怖症の僕は昼間この部屋を勝手に自分の部屋にして主にここでコンピューターの勉強をしています。心理検査のプログラムを造らなければいけないのだけど僕はコンピューターは始めてだからなかなか解らなくてこの頃はうんざりし始めてきました。

 僕の父と母は今日福岡に仕入れに行っています。愛子の手紙を書いていて、ああもうアルバイトに行かなければ、と思って顔を洗いなどをしに下に降りていったらそう書き置きがしていました。

 僕は今日バイクで来ました。もう桜もやっと散ってすっかり春になり、バイクでもほとんど寒くなくなったこの頃です。

 バイクの上では曲目はなんていうのか解らないけど、僕と愛子がつき合っていた頃木曜日の8時か9時からあってたろ? 高校ラグビーのあのドラマのメインテーマを聞きながら来たので今とても元気です。なんだかあの頃に戻ったようで、昨日の夜や今朝の憂欝はどこかに吹き飛んでいってしまったみたいです。

 そして僕は今、スズメの囀りの声を聞きながら愛子への手紙の続きを書いているわけです。

 ここからは長崎の町並みが黄砂に煙って見えます。そして僕が『あれになりたいな』と言ってたろ? トンビが飛んでいるのも見えます。ここは愛宕の坂の上で近くに南高があります。そしてスポーツセンターも。


 


 


 


 


 愛子へ

 僕は今日にも死ぬつもりでしたけど、抗不安剤というものを飲みすぎるくらい飲んで、いつの間にか死にたい気持ちが消え去ってしまっているのには自分でもあきれ返るぐらいです。

 今日もまた、OKホームセンターで農薬のビンをいろいろと見て回りました。でもそのときには僕の抑欝的な気分はとても強くて、農薬のたった200円のものを買うのさえ僕にはもったいなく思えて買えませんでした。

 でも、こうして愛子から手紙も電話も来なくなって、愛子も僕の空想上の架空の女性と化しつつあることを思うと残念です。とても残念でたまりません。


 


 


 


 


 愛子へ

 僕は今、哲学的にも思想的にもとても行き詰まりを感じているこの頃です。

 共産党がいいのでしょうか? それとも創価学会がいいのでしょうか? それとも。

 僕は世のため人のためにたちたいという思いは人一倍強い人間です。でも現実には僕は全く親不孝で。


 


 愛子。僕はこの頃なぜこんなに悲哀感を感じるのかな、と不思議です。一人でいるととても寂しくなって涙が出てきそうになります。そして希死念慮が。

 共産主義で生きよう、という思いもあるのですが僕は全く_


 


 


 


 


 愛子。僕は愛宕の町並みを見降ろしながら思っている。あの頃の元気だった僕に戻りたい。愛子とつき合っていた頃の元気な僕に戻りたいと夏になりかけたこの日思っている。

 もうあの日は3年も前になるのかな? それとも4年も前のことになるのかな?


 


 


 


 


 愛子。僕は陽炎のようだ。毎晩酒ばかり飲んでやっと寝て、それでも2、3時間したら目が醒めて、今度は睡眠薬を大量に飲んで、再び寝始める。

 酒だけは、酒だけはやめようと思うのだけど、僕はやはり酒なしには寝つけない。それも泥酔するまで飲まないことには、それに僕は酒が好きだから。


 


 


 


 


 愛子。僕はボロ屑のようだ。疲れはて、不運ばかりが打ち続いて、僕はボロ屑のようだ。

 僕はボロ屑になって春風に乗って飛んでゆこう。福岡の愛子の所へと飛んでゆこう。


 


 


 


 


 愛子。僕はまたカワサキのFTを買おうかな、いや買おう、と思っています。そして4年前ぐらいの元気だった自分に戻ろう、戻れるかもしれないな、と思っています。

 あのエンジンの鼓動。今のバイクには、今のかっこいいバイクには感じられない味があったから。

 そして昨日、不運にも400のバイクのクラッチの所が壊れたし、あれはあれを交換するだけで直るかな、それだけで直ったら千円ちょっとでまた動くようになるのだけれど。それにバッテリーももうダメだし。車検は今年の12月でそして12万ほどかかりそうだし。それにパワーは� るしかっこもいいけど味がないから。僕はカワサキのFTに買い換えるつもりです。そしてあの頃の元気さを、ふたたび青春を、取り戻したい。


 


 


 


 


 愛子。淋しくなるといつもいつも手紙書いていてごめんね。迷惑だろうとは思うけど、今の僕は“発狂か、もしくは死か”という状況に追い込まれているから仕方がなくって。

 極限の状況っていうか、哲学的にもものすごい行きづまりを感じているこの頃だから。

 さっき、カワサキのFTを買う、って手紙書いたけど、もう今はやっぱりどうしようかな、と思ってきている。時代は変わっているんだ、という気もしています。新しい時代が僕にも愛子にも始まっているんだ、とカワサキのFTをまた買おう、とか考えていた僕はちょっと錯覚を起こしていたんだなあ、と思います。

 僕は時代がもう変わってきていることにまだ気付いていないで、カワサキのFTを、愛子とつき合ってた頃の思い出のバイクに、しがみつこうとしていたんだなあ、と思います。まるで亡霊のようにしがみつこうとしていたんだなあ、と。


 


 


 


 


 眠れなくて悲しい。睡眠薬を飲んだがいっこうに眠たくならない。強い抗不安作用のある睡眠薬だが、自分はこのまっ暗闇の中でもう何時間転々反側していることだろう。

 眠れないとどうしてこんなに悲しくなるのだろう。ときどき響いてくるバイクの音。もう朝になりかけている。そして家の新聞受けに新聞が入れられる音。今日もまた憂欝な一日を過ごさなければならないのかと思うと悲しい。

 いっそ、死んでしまいたい。そして永遠の眠りにつきたい。睡眠薬を一気に全部飲んで。

 僕は愛子の胸に抱かれて眠りたい。僕は淋しい。

 遠くに聞こえる国道を走るトラックの音。ときどき近くの道を通りすぎる乗用車の音。みんなみんな淋しげな響きばかりを僕に与える。そして一人っきりのこの部屋が無性に淋しい。僕は眠れない。眠れない辛さに涙が出て来るような気がする。そしてできれば愛子の胸のなかで泣きたい。

 また一粒睡眠薬を飲んだ。そしてSSブロン錠というのも3錠飲んだ。

 明日の朝、きっとものすごく眠たいままに8時近くになって起きるのだろう。

 いろいろなことが頭のなかを駆け巡る。昔のことや、現実のこととは思えないこととが。

 僕が親にしてやれることは何だろう。共産党系の病院の奨学金は断られた。しかもあんなことまでも言われて。

 僕が親に最後にしてやれることは何だろう。

『淋しくて電話してたのにいつもいつもいなかったでしょう、カメ太郎さん、いつもいつも居なかったでしょう。』

『ああ、僕は毎日学校帰りには統一教会の処に行ったり、友達の処に行ったりしていた。僕は愛子から電話が掛かってきているとは知らなかった。僕の家には誰も居なかった。愛子、手紙を出したら良かったのに。何故手紙を出さなかったんだい。僕は毎日家に帰ってくると郵便箱の中を覗いていた。でもいつも何も入ってなかった。もう愛子は僕を忘れたんだと、僕を棄てたんだと思っていた。そして僕は統一教会の御姉さんにとても魅かれていた。年上だけどとても美しいお姉さんに。

 助話機のむこうで泣きじゃくりながら時々とぎれとぎれに話している愛子の声が僕には非現実の世界からの声のように虚しく聞こえていた。


 


             完

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愛子(桜雪) @mmm82889

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