第39話 番外編 神風盛夏の回想①

 父上と母上は、男として私を産みたかったろう。


 早朝に顔を合わせ、武道、勉学の稽古に顔を合わせ、食事の場に顔を合わせるたび、そんな気持ちになったことは数知れずだ。


 私の生まれ育った時代は戦国の世。後に名を馳せる織田信長や、太閤秀吉が生きた時代。数多き武将たちがより多くこの日の本の領土を我が物にしようとしのぎを削っていた時代だ。


 そして、この時代は男に家を継がせることが、当たり前であった時代。


 私、神風盛夏は辺境の地域に5、6万石ほどの領土を持つ神風家の長女として生まれ落ちた。

 当時家中は大いに湧いた、らしい。神風家にとって私ははじめての子供だったので、当然と言えば当然だ。しかしこの事は、なにぶん私が赤子の頃なので、当然記憶にはないのだが。

 これで男が生まれれば安泰。そう、誰しもが思っていただろう。


 しかし、そうは問屋がおろさない。

 運というのは、本当に気まぐれだ。


 神風家にその後、男が生まれることはなかったのだから。


 それでもその時は、私もまだ子供。事の重大さを知らずにいた。家中の家来たちが難しい顔をしてどよんとしているのを、不思議な顔で眺めていたものだ。

 しかし、その「重大さ」を突きつけられる日は、遅かれ早かれもちろんやってくる。

 幼い頃、夜中にふと、目が覚めたことがある。夜空が綺麗で、7つ、8つほどの私は、それに見とれて外に出た。


 廊下に沿って歩きながら、私は滅多に見ることのなかった真夜中の景色に酔いしれていた。私の家では戌の刻(今で言う8時ほど)には寝るようにきつく言われていたため、普段見る夜空の星も、また違って、魅惑的に見えた。


 さて、そろそろ戻らないと。父上と母上に見つかりでもしたら叱られてしまう。夢の中から現実に帰り、自身の寝室に戻ろうと体をくるりと反転させた時、ふと、声が聞こえた。


 父上と母上の、なにかを真剣に話し合っているような、声が。


 聞いてはいけない。そう理性が訴えかける。

 しかし、好奇心の方が優ってしまった。

 今の私がこの場にいるなら、引っ叩いてでも止めるだろうな。今となっては後の祭りだが。


 自制心を隅に置いて、そっと障子の側に膝をつく。耳を立てて、一つ一つの声を拾おうと努めた。


 そこで聞いた、一つの言葉が私の心を大きく–––––––––、悪い意味で揺さぶった。


「後2年、待ってみよう。それで男が生まれなかったら––––––、御岳家から養子をもらうしかあるまい」

「ええ・・・・・。そうですね・・・」

「男が、生まれてきてくれればなぁ・・・。このままではおいえが・・・・・断絶・・・」

「上様。まだ希望はあります。だからそう悲観なさらずに・・・」


 養子、その言葉の意味は、その当時の私にもわかった。

 男が生まれなければ、他の家の子を我が家に息子として招き入れ、後を継がせると言うもの。

 先も言ったが、私の生きた時代は戦国の世。


 女は嫁ぐもの。家に必要なのは、あくまで男。


 当たり前だ。それで、当たり前なのだ。

 しかし、その「当たり前」は、私の心には、一つの大きな衝撃を与えた。

 そう、言葉で言い表すなら、


 –––––––父上と母上は、私を必要としていないの?


 今考えれば色々と「ぶっ飛んでいる」とでも言えようか。大麦羅一であれば、こんな言葉を使うだろうな。

 きっと、もっと精神的にも成熟した時期であればもっとすんなりと受け入れることができたであろう。


 聞いた時期が悪かった。多分それも少なからずある。


 親が子を想う心と、それとはまた別物。

 今の私には理解できることだが、当時の私には、父上と母上の愛情が、どこか遠くなっていくように思えた。

 今の一連の言葉から私は、神風家にとって、邪魔な存在なのではないか。


 不要な存在なのではないか、そう思ってしまった。


 そう思うと、急に心が冷えて、今にもその場に倒れ伏してしまいそうな、そんな感覚に見舞われた。

 ふらふらとした足取りで、来た道を辿って戻る。部屋へと戻って布団に倒れこむ。妹が起きたらしく、何か耳元で問いかけていたが、正直記憶していない。

 というより、聞いていなかった。


 男に、生まれていれば。

 父上と母上にも、おいえにも、必要とされる存在となれた・・・・・!


 しばらくの間、その思いが毎日、頭から抜けることはなかった。

 朝起きるときも、飯をいただくときも、父上の顔を見るたび、母上の笑顔を見るたびに、そんな思いがちらついた。

 怖い。夜が更けると、得体の知れない恐怖感に襲わた。

 また、この前聞いたような話を、2人は今もしているのではないか?

 そんな根拠のない恐怖に怯え、一人震える日々が続いた。


 そんな日々がひと月ふた月ほど過ぎた、ある日、家中からある事を聞いた。


 井伊家をまとめる、女の城主の存在。

 その城主は女でこそあれど、神風家よりも大きな家の惣領であるとのこと。


 名を確か、次郎法師、井伊直虎と言ったか。

 家中からすれば、単なる珍しい一つの物事に過ぎなかったろう。

 あくまでもなんて事のない話の一つ。


 だが、

 私にとっては唯一無二の、希望の光。


 気付けば、走り出していた。

 驚く妹を置き去りにし、怪訝な顔をする母上を通り過ぎ、走る。

 女であるが故に、必要とされないのなら–––––––、


 私が男として、生きていけばいい––––––––!


「父上ぇぇぇぇぇええ!」


 縋るような、乞うような声が出た。

 父上、母上、どうか、どうか、私を––––––!

 思い切り、父上の書斎の襖を開けた。

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ミコト様の眷属 二郎マコト @ziromakoto

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