化け物

黒宮 圭

完結 化け物

「ようこそ。突然ですが、あなたは死にました」


 突然すぎる言葉に、俺ははどう反応すればいいのかわからなかった。

 それもそのはず。俺は今、知らない場所でスーツ姿の男にいきなり死んだと告げられたのだ。

 この状況で「はい、そうですか」と言える者はどうかしている。

 俺が呆然としていると、目の前のスーツ姿の男が笑顔で話しかけてきた。

 その男は背が高く、誰が見てもサラリーマンに見えるだろう。

「どうやら混乱されているようですね。大丈夫ですよ。私がすべて説明いたしますので。黒宮様」

「黒宮……?」

「はい。黒宮 圭。それがあなた様の名前でございます」

「黒宮 圭……。あぁ、そうだ。確かに俺の名前だ」

 なぜ今まで忘れていたのか。自分でも不思議だった。

 今思えば、自分のことについてほとんど記憶がない。思い出そうとしても、その部分だけもやがかかったようでもどかしい気分になる。

 いや、今はそんなことより……

「お前は誰だ?死んだとはどういうことだ。ここはどこだ」

「あはは。確かに、当然の疑問ですよね。先ほども言いましたが、すべて説明いたしますのでご安心を」

 気に入らない。それが、黒宮が抱いたこの男に対する第一印象だった。

 常に笑顔で、冷静で、そして何より自分を弄んでいるかのような。

 そんな態度が黒宮を不快にさせた。

「ではまず、『私が誰か』という質問に答えましょう。私は小淵 薫。ここ、『別の場所』の管理者でございます」

 そう言うと小淵という謎の男は深々とお辞儀をした。

 そして、たった今出た不可解なキーワードに黒宮は眉をひそめる。

 別の場所?なんだそれ。名前なのか?

 そんな疑問を思っていたら、小淵が笑いながら答えた。

「えぇ。もちろん、ちゃんとした『場所』の名前ですよ」

「……てめぇ」

 コールドリーディング。

 初対面の相手でも、表情や言動で相手の考えていることを読む技術。

 小淵 薫という男は、今の黒宮の表情だけでそれを成してみせた。

 そして、それを使われたことに黒宮は心の中で舌打ちをする。

 だが、ここで話を止めるのも、情報がまるでない黒宮にとっては良くない。

 それに気づいていた黒宮は、話の先を促した。

「では先に、『別の場所』についてお話させていただきます」

 そういうと小淵は笑顔で話し始めた。

「ここは殺された人たちが集う場所。そして過去に干渉し、未来を変える場所でございます」

「殺された……?」

「はい。最初にも言いましたが、あなたは死にました。殺されたのです。極悪非道な連続殺人犯に」

 殺されたと言われても、その時の記憶がない黒宮にとっては、まったく実感がわかない話だった。

 黒宮は周りを見渡す。

 白、白、白。どこまで行っても白だけの空間。物は何もない。ただ、永遠と向こうまで白が続く。

 黒宮は、少なくともここが現実の世界でないことを信じ始めた。

「おい。つまりここは、あの世ってことか?」

 小淵は少し考えて答える。

「正確には、あの世と現世の間。あの世に行くための駅、とでも言いましょうか」

「駅……?」

「はい。一般的には、死んだ人はそのまま、あの世に行けるのです。しかし、あなた様のような殺された方々は、現世に未練を残しているためそれが叶いません」

 黒宮は段々と自分がおかれている状況を理解し始めた。

 俺は現世で誰かに殺された。そのせいで成仏できなくなり、今に至る。

(もしこいつの言っていることが本当なら、俺は一生このなんもねぇ場所で過ごさなきゃならないのか)

 黒宮は、自分を殺したという犯人に腹が立ち、イラつきをあらわにする。

 だが、黒宮のそんな内心をまた読み取った小淵が笑顔で続ける。

「ご安心ください。あなたはまだ、死んだとは決まっていません。言いましたよね?ここは過去に干渉し未来を変える場所と」

「未来を?」

「簡単なことですよ。あなたが殺される前に犯人を捕まえればいいのです。そうすれば、あなたが殺されたという事実はなくなります」

「……その理屈はわかった。だが、捕まえるだと?俺は死んだんだろ?どうやって捕まえるんだよ」

 黒宮の疑問はもっともだった。

 いくら生き返ると言われても、その手段がなければどうしようもない。

 小淵は茶化すことなく答えた。

「簡単でございます。黒宮様にはこのエレベーターに乗っていただきます」

 小淵が指を鳴らすと黒宮の後ろに最初からあったかのようにエレベーターが現れた。

 突然の出来事に冷静だった黒宮も驚きの表情をあらわにする。

「これはなんだ?」

 今度は周囲とは反対にただ単に黒い。

 そしてそのエレベーターは現代の日本のものというより、大正時代の風情を感じられるものだった。

「これは現世とここをつなぐ移動手段。これに乗ることで、あなたは20秒間だけ死体に憑依することができます」

「……続けろ」

「はい。そして、その少ない時間に、犯人逮捕の手掛かりとなるものを残していただきます。言わば、ダイイングメッセージというものです」

「それをすれば、本当に生き返ることができるのか?」

「はい」

「……なるほどな」

 黒宮の理解力は高かった。今の説明で大体のことを把握した。

要は殺人犯に殺された人たちが一矢報いるための最後の手段が、このエレベーターということらしい。

 だが、黒宮は小淵の言いなりになることが気に入らなかった。

(一応、警戒しておくか)

「わかった。で、具体的には俺はどうすればいい?」

 黒宮の返答が予想通りだったのか、小淵は不吉な笑みを浮かべる。

「そうですね。まずはこちらをご覧ください」

 小淵がまた指を鳴らす。

 今度は二人の目の前に大きなスクリーンが現れ、ある人物のプロフィールが映し出された。

 写真 なし

 名前 不明

 性別 男

 年齢 不明

 身長 不明

 特徴 顔を隠しての犯行はしない。殺人を趣味のようにして行う。ターゲットはランダム。殺し方も様々。とても高い知能を持つ。

「これは……」

「はい。あなたを殺した連続殺人犯のプロフィールでございます」

 黒宮はじっとスクリーンを眺める。

 そしてすぐに違和感に気づいた。

 だが、黒宮がその違和感を口にする前に小淵が先に口を開いた。

「次にこちらをご覧ください」

 さっきまでの画像が消え、今度は女の人のプロフィールが映し出される。

 写真 (スーツ姿の女性)

 名前 福嶋 美優

 性別 女

 年齢 23歳

 身長 159cm

 特徴 TMコーポレーションで働くOL。人付き合いがよく、明るい性格。

 死因 刺殺

「今度は被害者のプロフィールか?」

「はい、その通りです。彼女は仕事帰りに正面から襲われ、刃物による出血多量で死にました」

「仕事帰りに、ねぇ……」

 黒宮は彼女の写真をじっと見つめる。

(まだ若いのに、かわいそうにな)

 だが、黒宮にとってはただそれだけだ。それ以上の感情はない。

 黒宮にとっては誰が死のうが自分でなければそれでいいのだ。それが黒宮 圭という男だ。

 感傷に浸っていると小淵が説明に入った。

「今回、黒宮様には彼女の死体に憑依していただきます」

「……」

「あぁ、ご安心ください。時間軸は、彼女が殺される時間に戻してありますから」

 小淵がかすかに胸を張る。

 だが、返事はなかった。

 時間を戻せることにも驚きだが、黒宮には別の疑問があった。

 黒宮は、ずっと福嶋 美優の写真を眺めていた。

(この顔……)

 だが、黒宮の考え事を、小淵が遮る。

「黒宮様?どうかなさいましたか?」

「……いや、何でもない」

 今は考えるのはやめよう。そう思い、黒宮は思考を切り替える。

「では、黒宮様。早速ですが、後ろのエレベーターにお乗りください」

 黒宮は後ろを振り向く。

 そこには先ほどの黒いエレベーターがある。その黒さが時には不気味に思えてくる。

 黒宮は一瞬、エレベーターに乗るのをためらった。それは、小淵という男を信用しきれていないためでもある。

 しかし、今の黒宮にそれ以外の選択肢がないことも確かだった。

 最終的に黒宮は覚悟を決め、エレベーターに乗り込む。

 その時、背後で小淵が静かに笑った気がした。

「さぁ、それではまいりましょう。黒宮様、ご武運を」

 小淵が深々とお辞儀をする。

 それと同時に、エレベーターがゆっくりと降下していく。

 やがて、小淵の姿が見えなくなったところで、黒宮は重大なことに気づいた。

「……ダイイングメッセージってなにを書けばいいんだ」

 黒宮のその疑問に答える者はなく、エレベーターの降下する音だけが響いていた。



 冷たい風が肌を刺す。今は冬時だろうか。

 体が重い。地面に縫い付けられたかのように動かない。

 体の感覚が戻ってくるのと同時に、意識も判明としてきた。

(俺は確か……。あぁ、そうか)

 黒宮は『別の場所』での、小淵とのやり取りを思い出す。

 耳に音が聞こえ始めた。とても静かで、人の声は聞こえない。

 そして肌に伝わる硬い感触から、自分がうつ伏せになっていることに気づく。

 黒宮はゆっくりと目を開きかけた。

 だが次の瞬間、体中に激痛が走った。

「うっ……がはぁ!」

 黒宮は、気づいたら大量の血を吐いていた。いや、周りから見れば福嶋 美優が血を吐き苦しんでいるように見えるだろう。

(くっそ……!こんなの聞いてねぇぞ!)

 痛みは腹部の刺し傷からくるものだった。

 黒宮は傷口を抑えようとするも、体が全く動かない。そのため、うめくことぐらいしかできなかった。

 だが頭は何とか動かせることに気づき、必死に周りを見わたした。

 この時の黒宮はすでにダイイングメッセージ残すことに思考を集中していた。

 どうやらここは人気のない道路の脇らしい。日が暮れているせいか、辺りはとても暗い。

(ちっ……。どこにいんだよ犯人は!)

 顔を動かせるといってもやはり無理があった。

 激しい痛みの中、意識を保って犯人の姿を確認しダイイングメッセージを残す。

 黒宮は今更ながら、これを成し遂げることの難しさを知る。

 あと残り時間はどのくらいか。早く犯人を見つけなくては。

 そんな感情が黒宮を蝕んでいく。

 すでに黒宮は冷静な思考ができなくなっていた。

 もう、諦めてしまおうか。

 黒宮がそう思い始めたとき、背後で音がした。

その音は誰かが去っていく音のようで、犯人のものと臭わせるものだった。

(そこか……!)

 黒宮は全身に力を入れ何とか振り向こうとした。

 動かなかったはずの体がゆっくりと動き出す。

 だが急に黒宮を酔いが襲った。

 それは吐き気を感じさせ、ん視界が定まらないほどのものだった。

「うっ……!」

 意識が遠のいていくのを感じる。

 彼は『別の場所』でのことを思い出す。


『あなたは20秒間だけ死体に憑依することができます』


そう、時間切れだった。

(くっそ……)

 心の中で歯噛みをする。

そしてついには意識を手放してしまった。


 

「はぁ!……はぁ、はぁ」

 黒宮の意識が戻る。

 まるで呼吸の仕方を忘れていたかのように、黒宮は大きく息をした。

 そして、今度は自分が仰向けになっていることに気が付く。

 どこまでも続く白一色の空。

 さっきまでの体の重さはない。不自由さもない。苦しさも、痛みもない。

 黒宮に冷静さが段々と戻っていく。

 そんな彼を心配するそぶりで話しかける男がそこにいた。

「お帰りなさいませ。憑依の方はどうでしたか?」

「……お前か」

「はい。小淵でございます。ずいぶんお疲れのように見えますが?」

「よくも白々と……」

 黒宮は立ち上がり小淵に迫った。

 彼の心の中は正直怒りでいっぱいだった。

 憑依の最中に味わったあの痛み。

 あのことを小淵が知らないとは到底思えなかった。

ましてや、ここの管理人なら知らないはずがない。

(この野郎……)

 しかし、そうなると小淵が何のために黒宮に嘘ついたのか。それがわからなかった。

 黒宮は今すぐ言及してやろうとも思った。

 だが今それをしたところで、小淵に煙に巻かれることを黒宮はわかっていた。

 彼の中の小淵は、それほど狡猾で頭が切れる男として評価されている。

 小淵という男を計り切れていない今、それをすることは良くない。

 そして彼は『別の場所』の管理者でもある。この場所で自由が利く彼とは違って、不利な立場であることに気づかない黒宮ではなかった。

「覚えとけよ」

 結局、黒宮は言及せずにこの話を終わりにした。

 小淵は不敵に笑い、最初の質問を繰り返した。

「それで、憑依の方はどうでしたか?」

「……ダイイングメッセージを残すことはできなかった」

「そうでしたか」

 小淵の顔は笑顔のままだ。まるで失敗して良かったと思っているかのような。

そのことに不快さを覚えるが、黒宮は続けた。

「だが、分かったことがある」

「?」

 黒宮は先ほどの記憶を思い出す。

 結局犯人の顔を見ることはできなかった。

あの状況では無理もない。誰がやっても同じ結果だっただろう。

 だが、そんな中でも黒宮はある情報を持ち帰った。

「犯人の身長は180cm前後。年齢はおそらく30代。職はサラリーマン。以上がわかったことだ」

「ほう……」

 小淵が初めて驚きの表情をあらわにする。

 そしてその反応から、黒宮は心の中である確信を持った。

(こいつ……)

 黒宮の中で小淵に対する警戒がさらに高くなる。

 そしてすぐに、小淵が笑顔で黒宮に問う。

「それは、犯人の姿を見たということですか?」

「いや、実際には見ていない」

 そう、黒宮は犯人の顔は見ていない。

 だが、そんなことしなくとも彼はそれを知ることができた。

 黒宮はもったいぶらずに小淵にその方法を教えた。

「まず、刺し傷の位置。あの死体の身長の、あの位置に刃物を突き刺すのにベストな身長がそれだ」

「ですが、それだけでは犯人が高身長とは決めつけられませんよ?身長が低くても刺し方によっては同じ場所に傷ができるでしょう」

「あぁ。だから次に音を聞いた」

「音……?」

 黒宮の言っているのは、最後に聞いた犯人が去っていく足音のことだ。

「足音のペースがゆっくりだった。つまり、そいつは歩幅が広い。そうなると必然的に身長が高いことがわかる。走って逃げられてたら、わからなかったがな」

「なるほど……では、年齢は?」

「これも音だが、靴の音だ。革靴ではあるが、あれは安物の靴だな。安物の靴ほど、音が鳴りやすい。となると、20代から30代のサラリーマンてことになる」

「……さすがですね」

 黒宮の種明かしに小淵は素直に賞賛した。

 その表情はやはり笑顔のままだが、目の奥は笑っていない。

 しかし、今の黒宮はその目に気づくことはなかった。

 そして小淵が急に静かに笑い始めた。

「はは……ははは!素晴らしい!あなたは優秀ですね!その観察力、想像力、理解力!本当に素晴らしい!」

「……?」

 突然の小淵のテンションに黒宮はついていけなかった。

 そんな黒宮に気づいたせいか小淵はいつも通りの口調で話し始めた。

「ですが、あなたはダイイングメッセージを残すことができていない。それでは、ここを出ることはできません」

「……やっぱりそうなるか」

「はい。ですがご安心を。被害者はまだ、3人います。その3回の内にダイイングメッセージを残してください」

(また、あの痛みを味わうのか……)

 黒宮は内心、これ以上はやりたくないと思っていた。

 それも当然だ。一回だけでも狂いそうな痛みを誰が好んで受けるというのだろうか。

 先ほどの苦しみが頭の中でよみがえる。

 思い出すだけで身震いするほどのものだった。

 しかし、ここで諦めるのも黒宮には論外の選択だった。

小淵は説明していなかったが、もし犯人を逮捕できなかったら俺はこのまま『別の場所』に居続けることになるのだろう。

『現世に未練を残しているため、成仏できない』

黒宮は小淵のその言葉をよく理解していた。

それに、小淵という男と一緒にいることが不気味で耐えられないという感情からでもあった。

 黒宮は覚悟を決める。

「わかった。で、次の死体はどんな奴だ?」

「はい。こちらをご覧ください」

 前回と同じように二人の前に大きなスクリーンが現れる。

 そして今度は男のプロフィールが映し出された。

 写真 (警察官姿の男性)

 名前 上月 健斗 

 性別 男

 年齢 32歳

 身長 172cm

 特徴 学生時代から成績優秀。正義感が強い。東京都の警視庁に務める警察官。

 死因 銃殺

「死因が銃殺?犯人は銃を持ってたのか?」

「いえ、上月様が犯人を追われた際、銃を奪われ打たれたのです」

「……」

 黒宮はこの犯人の危険性を再認識する。

 通常、警察官から銃を奪うのは困難だ。

だが、それをやってのけてしまう犯人の技量。

 正直、驚かずにいられなかった。

 そんな黒宮の心を見越してか、小淵が笑って続ける。

「怖いですか?犯人が」

「……馬鹿言うな。さっさとあの黒いエレベーターに乗せろ」

「そうですか。それは良かった」

 軽い挑発だとはわかっていた。それでも黒宮は小淵に弱い部分をつかませまいと、あえて乗ってみせた。

 小淵は満足した様子で指を鳴らす。

 再び黒いエレベーターが音もなく黒宮の後ろに現れる。

 もう最初のころのように戸惑いはない。

 黒宮は迷わずエレベーターに乗る。

「では、黒宮様。次こそは成功されることを祈っております」

 小淵のお辞儀と同時に、エレベーターが降下していく。

 時期に小淵の姿が見えなくなり、再び一人の空間が訪れる。 

 黒宮は一人エレベーターの中で考えていた。

それはさっきの男のプロフィールのことだった。

「あいつ、どこかで見たことあるような……」

 まだ思い出せない記憶に黒宮は頭を巡らせるのであった。



 背中と下半身に硬い感触が伝わる。

 薄っすらな意識の中。黒宮は、自分が何かに寄りかかっていることに気づく。

 2回目の憑依ということもあってか、黒宮の意識の覚醒は早かった。

 風は全く感じない。どこかの建物の中だろうか。

 不思議と今度は前回よりも体が動く。

 そしてまたしても、黒宮を激痛が襲った。

「ごほぉ……また、かよ」

 黒宮は軽く吐血した。

 自分の体。いや、上月 健斗の体は右胸部、腹部、左足にそれぞれ一発ずつ銃弾が撃ち込まれていた」

(くっそ……嫌なとこ打つ野郎だ)

 そう、発砲された部分はすべて、即死に至らない場所であった。

 きっと犯人は、この上月という男をじっくり痛めつけて殺したのだろう。

(いや、今はそんなことどうでもいい。犯人は……)

 黒宮は思考を切り替え、あたりを見渡す。

 幸い、寄りかかっているため今回は頭を動かすだけで全体が見渡せる。

(ここは、工場内か?)

 見た限りコンテナだらけ。そして前回同様、外が夜のせいか、とても黒い。所々死角ができてしまっている。

 もし犯人がすでにその陰の方にいたらもう手遅れということになる。

 そして黒宮のそんな最悪な予想を臭わせるかのように――

(犯人が……いない?)

 どこを見渡しても人影がなかった。

 黒宮は内心焦る。

 ダイイングメッセージなら先ほど黒宮が得た情報でも良いはずだった。

 しかし、黒宮はどうしても犯人の顔を見ておきたかった。

 犯人が誰か、黒宮は怪しんでいる男が一人いた。身長、年齢、性格、格好。どれを見ても今回の犯人に近い人物が。

 それを確かなものにするため、黒宮はどうしても顔を見ておかなければならなかった。

「ちっ……仕方がねぇ」

 時間的にも、精神的にもすでに限界だった。

 黒宮は諦めて先ほど得た情報をダイイングメッセージとして残す方向に動いた。

 時間が限られたこの状況ではベストな選択だろう。

 だが、黒宮が血を使ってそれを実行しようとした瞬間、音がした。

「っ!」 

 それは金属と金属がすれるような、そして重い音だった。音の方向は黒宮から見てまっすぐ。そこまで遠くない。

 黒宮は頭をゆっくりと上げ、じっと前を見つめた。すると、人影が倉庫の扉をゆっくり開けている様子が見えた

 開いた倉庫の扉の向こうから月の光が流れ込み、人影と黒宮を静かに照らす。

 そして、黒宮は驚愕した。

「う、そ……だろ」

 黒宮は、照らされた犯人の後ろ姿を見つめたまま、動けないでいた。

 そしてついに、黒宮を酔いが襲い始めた。

(まってくれ、まだ……)

 黒宮の抵抗は叶わず、意識は薄れていく。

 黒宮は最後に、犯人の後ろ姿をもう一度はっきりと見る。

(違った……)

 黒宮はついに、意識を手放した。



「お帰りなさい、黒宮様」

「……」

 黒宮は、またしても仰向けになっていた。

 視界の端に、小淵が笑顔でこちらを覗いている。

 今回の黒宮は冷静だった。

もちろん、憑依の時の痛みは辛かった。

 しかし、今はそれよりもショックな出来事に黒宮は頭を悩ましていた。

「大丈夫ですか?」

 小淵が心配するように問いかける。

 その行為は見る者によっては演技にすら見えた。

 黒宮は静かに起き上がる。

「俺は……」

「はい?」 

 黒宮は先ほど分かった事実を小淵に話すかどうか迷う。

 確かに、小淵は信用できない男だ。

 今でさえ小淵に手のひらの上で踊らされている気がして、不快な気分になる。

 しかし、真実を知るためにもここは話すべきだと判断した。

「俺は、お前が犯人だと思っていた」

「……」

 小淵は何も言わなかった。ただ、笑顔でいる。

 それを話を促す合図と判断した黒宮は続ける。

「俺が、最初に憑依した時に得た情報。お前の素振りや性格。全部当てはまるんだよ」

「ほう」

「それだけじゃねぇ。犯罪者のプロフィール。犯人は顔を隠して犯行していないのに、なぜ特徴以外のデータがない?あまりにも不自然だ」

「……続けてください」

「そして最初の憑依で、俺が犯人の身長や格好、年齢を言ってみせた時のお前の表情。犯人がどんな奴か、知ってるだろ?」

「……」

 小淵は黙り込む。

 笑顔が次第に消えていき、目がはっきりと黒宮をとらえる。

 その表情に黒宮は少し身構えた。

 この時、初めて小淵という人間の本質が見えた気がした。

 長い沈黙の中、先に口を開いたのは小淵の方だった。

「なるほど。なかなかの推理です。ですが、私は犯人ではありませんよ?」

「……あぁ、知っている」

 そう、違った。

 先ほどの憑依の時、最後に見た犯人の後ろ姿。あれは、小淵のものではなかったのだ。小淵にしては、あまりにも肩幅が狭かったのだ。

 これは、遠目では見分けるのは難しい。黒宮だからこそ、気づいたと言えるだろう。

 では、一体犯人は誰なのか。それがどうしてもわからなかった。

「なぁ、知ってんだろ?犯人は一体誰なんだ?俺の記憶にいる人物なのか?」

「……はい、知っています」

 黒宮の問いに、小淵が静かに答えた。

「なら……!」

「ですが、それにお答えすることはできません。それは、あなた自身で知った方がいいことでしょうから」

「は?それはどういう……」

 パチンッ!

 小淵がいつもより大きく指を鳴らす。

 すると、いつものように黒いエレベーターが現れる。そして今度は、黒宮が引っ張られるようにエレベーターの中に放り込まれた。

「いって……!おい!何のつもりだ!」

 いきなりの仕打ちに黒宮は状況が理解できないでいた。

 そんな黒宮を無視して小淵は話を続けた。

「犯人が誰か知りたい、と言っていましたね。次でわかりますよ」

「は……?」

 小淵の言っていることが黒宮にはわからなかった。

 会話の終わりを知らせるかのようにエレベーターが下降し始める。

「おい!説明しろこら!」

 黒宮は小淵を睨みつける。

 今の小淵の表情は笑っていない。その目には何の感情も映っていなかった。

(次でわかるだと……?)

 黒宮は内心苛立ちながら、エレベーターと共に降下していった。



 体が熱く感じる。熱でもあるかのようだ。

 手足の感覚が、だんだんと馴染んでくる。

 そして、肌の感覚から自分が横向きに倒れていること気づく。

(ここは……カーペットの上か?となると……家の中か)

 流石にこの状況に慣れたのか、状況を的確に認識していく。

 黒宮はさっきの小淵とのやり取りを思い出す。

(あいつ……次会ったら!)

 だがその瞬間、今までとは桁違いの痛みが黒宮を襲う。

「がっ……あぁぁぁ!」

 喉が焼けるように痛い、痛い、痛い。そのせいか、呼吸すらまともにできない。

 黒宮は首を両手で押さえながら、暴れまくる。

(く、苦しい……!これは……毒か!)

 そう、今黒宮が憑依している死体は、毒殺されたものだ。

毒の痛みは、体内からくるもの。そして、その痛みはゆっくりと、黒宮を蝕んでいく。

「くっそ……がはぁ!」

 あまりの痛みに黒宮は冷静さを失っていた。今はこの苦しみが消えるのを、ただただ待つことしかできなかった。

 もう何秒たっただろう。あと、どのくらいこの苦しみを味合わなきゃいけないのだろう。

そんな思いが黒宮の思考を埋め尽くした。

今までの憑依とは違う体内からの抵抗できない痛み。

その苦しさに黒宮の精神的は限界に達していた。

 だが、そんな黒宮に話しかける声があった。

「悪いな……」

 黒宮はその声で一気に冷静さを取り戻す。

(おい……今の声って)

 ただの見知らぬ誰かの声だったらまだよかった。だが、その声は明らかに黒宮がよく知る声だった。

 そして黒宮を激しい頭痛が襲った。

「うっ……!」

 最初はただの頭痛かと思った。だが違った。

 記憶が断片的だが、戻っていくのを感じる。

(くそ……なんで今頃!) 

 黒宮は嫌な予感がした。この痛みとさっきの声。無関係だとは思えなかった。

 できればその声の方にいる人物の顔を見たくはない。そんな思いがよぎる。

 でも確認せずにはいられない。しなければいけなかった。真実を知るためにも。

 黒宮は苦しみを抑えながら声のする方にゆっくりと顔を上げる。

 ゆっくりと、ゆっくりと。視界に、人影が入り込む。

 声の主は意外と近くにいた。状況からしておそらく犯人だろう。

 そしてついに、犯人の顔がはっきりと目に映った。

「お……前、は!」

 それを見た瞬間、黒宮は言葉を失った。

 黒宮の予想は当たっていた。

 その顔は、確かに黒宮が見たことがある顔。生きてきた中で一番、よく見た顔だった。

その人物は――




「お帰りなさい。犯人は……わかったようですね」

「……あぁ。ついでに、今までの記憶全部思い出した」

「ほう……」

 黒宮は『別の場所』に戻ってきていた。

 いつものように仰向けな自分に、視界の端で小淵が無表情で声をかける。

(この状況にもずいぶん慣れたものだな)

 黒宮はゆっくりと起き上がる。

 そして、小淵に向かって不敵に笑い始めた。

「あぁ、思い出したよ!全部!お前のことも!今までの被害者も!はは!」

 黒宮のテンションが上がる一方で、小淵は冷たい目を黒宮に向けていた。

「おいおい!何黙り込んでんだよ!この時を待ってたんだろ?なぁ!」

「……この外道が」

 小淵が初めて怒りで顔をゆがめ、黒宮を睨みつける

 だが、そんなものどこ吹く風の黒宮はさらに声を荒げた。

「はは!怒んなよ!その気持ちは充分わかる。だって、この一連の事件の犯人は――」

 黒宮があの時見た犯人の顔。あの時聞いた声。足音、後ろ姿。それらはすべて――

「俺だったんだからな!」

「……」

 黒宮はさらに高く笑い続ける。

 そう、連続殺人犯は黒宮 圭本人だった。

 その高い知能と行動力で4人もの命を奪った。

 最終的に黒宮は逮捕され、裁判で死刑が確定。だが、彼を捕まえるまでに失った命は多すぎた。

「福嶋 美優と上月 健斗。さっきの殺し方は……あぁ、青木 涼花。いとこだったな。確か、俺にやたらと付きまとってくるから殺したんだっけか?まだ幼いのになぁ」

「貴様……そんな理由で!」

「そして!あんたは涼花の父親。叔母さんの夫か。いやー、旧名知らなかったから気づかなかったよ。でも、なんで死んだんだっけ?」

「……貴様が娘を殺した後、家に火を放ったな。仕事から帰った俺はまだ娘が救出されていないことを知り、そのまま……」

「中に入ったってか!はは!馬鹿だなぁ!まさに無駄死にじゃねぇか!」

「黙れ!」

 小淵が指を鳴らす。

 すると前回同様、黒宮は現れた黒いエレベーターの中に放り込まれ閉じ込められた。

「つぅ……おいおい痛いじゃないか、叔父さん」

 黒宮が不敵に笑う。

 小淵は限界だった。これ以上この狂った男といると自分までもがおかしくなる気さえしていた。

 むしろ、自分と自分の娘を殺した男に今までよく平然を保っていられたものだ。

普通の人間だったらまず無理だろう。

 小淵が声を低くして黒宮に話しかける。

「お前に本当のことを教えてやろう。ここは殺された者を生き返らせる場所じゃない。ここは、犯罪を犯した者に被害者の痛みを味あわせるための場所だ!」

「はは、だろうな」

 最初に小淵が憑依の際、痛みを味わうことを教えなかったのはそのためだ。

 黒宮は散々な目にあった。その中でも、最後のは一番ひどかったといえるだろう。

「はーあ、痛かったなー。どうせ、次は叔父さんの死を体験すんだろ?焼死は辛そうだなー」

 言葉とは裏腹に黒宮の顔は恐怖ではなく、とても憂鬱な表情だった。

 黒宮 圭。彼は本当に狂っているのだろう。

 いや、狂っていたからこそ4人も殺せたのかもしれない。

 小淵は黒宮の態度に嫌悪感を覚え、すぐにエレベーターを降下させた。

「じゃあな、化け物。ここには二度と戻ってこれないようにしておいた。火の中で永遠に苦しめ」

「はは!まさに地獄だな!さしずめ、あんたは閻魔様か!滑稽だな!」

 黒宮が今までにないくらい高らかに笑う。

今の黒宮に何を言っても恐怖に落とし入れることは無理だろう。

彼は今、これから起きることをむしろ楽しみにしているかのような顔をしている。

 やがて黒宮の姿が見えなくなり、『別の場所』に静寂が訪れる。

 しかし黒宮の最後の笑い声は、小淵の頭の中に今でも響いていた。



 黒宮 圭という人物は本当に恐ろしかった。

まさに狂人、化け物だ。

 だが一番恐ろしいのは『彼が一人の人間であった』ということだろう。

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