音の鳴らないオルゴール

finfen

音の鳴らないオルゴール







みなさんは、オルゴールを持っていますか?




俺は持っていません。


いえ。

持たないようにしています。


オルゴールは昔から大好きで、今でも、全国にあるオルゴールミュージアムを見て回っては、その美しい音色に耳を澄ませています。


あの音色。

ほんと癒されますよね?


小さな小箱の蓋を開けると

箱からこぼれ出す、キラキラ輝く音のせせらぎ。


本当はすっごい好きなんです。


ですが

昔出逢った、一機のオルゴールの音色が、今でも俺の胸に響いているから、他のオルゴールを持つことが出来ないんです。



これは

俺が出逢った


とても哀しくて

世界でいちばんやさしいオルゴールのお話です。



***



「久しぶりだねぇ!ケンちゃんフェンちゃん。大きくなって!」


兄貴が高1で、俺が中1の初夏。

久しぶりに母方の寺に帰った。


大分県別府市の親戚に不幸があり、同じ県内にあるこの寺で葬儀をするとのことで、母と兄と三人でこの寺に帰った。


「じいちゃんも元気そうだね。伯父さんに代替わりして、講演だ説法だってあちこち飛び回ってるらしいじゃん。身体大丈夫かなぁって心配してたんだよ?」


じいちゃんはおどけて、俺らに軽くウィンクをして見せた。


「なーになに大丈夫だよ。私はまだ若いんだ。それに、代替わりしたとはいえ、遊んでるなんてお山が許してはくれないからね。仏の世界って意外と厳しいんだよ?死ぬまで働かされるんだ。ははは。」


当時じいちゃんは70歳は超えていたと思う。

僧位も最高位だったじいちゃんは、日蓮宗本山に頼まれて、全国各地にある日蓮宗のお寺を巡っては、説法をしたり、若い僧侶の育成をしたり大忙しだった。


「まぁ、ほどほどにしてね?俺もまだまだじいちゃんには教わってないことや、聞きたいこと、たくさんあるんだからね?」


そう言うとじいちゃんは、俺がまだまだ絶対に届かないすっごい笑顔で笑って、


「フェンちゃんは大丈夫だよ。私が教えられることなんて、もうないはずだからね。」


と、またウィンクした。


じいちゃんに大丈夫って言われると、本当に大丈夫な気がしてしまう。

じいちゃんが笑うと、何もかもが洗われる気がする。


俺の変なものを見聞き出来るという特異な力を、俺がまだ幼い頃から理解してくれていて、それでも、普通の子として可愛がってくれ、その力と共に生きる為の方向も教えてくれたじいちゃん。


俺に、この、魔を退け身を護るための妙法を、教えてくれたのもじいちゃん。


今も忘れない。

あの笑顔には、一生かかっても敵わないだろう。



***



明日に葬儀をひかえ、その夜は、母の弟妹たちや、近所の母の同級生たちが集まり、ちょっとした同窓会みたいになっていた。


俺と兄貴は、寺を継いだ母の弟の子供たち─いわゆる従兄弟いとこたちと遊んでやったり、風呂に入れてやったりと、けっこうバタバタ忙しかった。


風呂からあがってやっと落ちついて、寝る前に、少し本堂に行ってみることにした。


幼い頃、毎日毎日お題目をあげ、経巻を読み、自分に向き合った、今の俺のはじまりの場所。


本尊の大曼陀羅だいまんだらを見ているだけで、幼心ながらも、行く場所すら分からず汚れて荒んでいた心に、居場所を見つけられた気がしてほっとした。


お前は無力でちっぽけなんだと、はっきりと教えてくれた、やさしい場所。


本尊を囲むように、ところ狭しと置かれた様々なものたちは、じいちゃんを頼って全国各地からこの寺に持ち込まれたいわくつきの品々。

今は、じいちゃんが全国各地に直接赴き、預かって帰ったものも多い。


その中に、それを見つけた。


最初は虫の音かなんかだと思った。

何も気にもしなかった。


でも、本尊の脇の棚のほうから聞こえて来るその音に、不思議に思い、耳を澄ませて近づいてみると、箱があった。


小さな木の箱。

あまり派手ではないが、綺麗な彫刻がされている、手のひらサイズの木箱。

蓋がついていて、鍵のようなものが箱の下側から生えているのが見えた。


──オルゴール?……か。


そう認識してしまうと、虫の音らしきものもオルゴールの音楽なんだと理解して、なんの躊躇もなく、俺はそのオルゴールを手に取った。


刹那


回転する世界。

目の前はぐるぐる回り、言いようもない凄まじい淋しさに襲われ、ガタガタと音がするほどに身体が震えだした。


──寒い?……7月だよ…?


全身総毛立ち、びっしり鳥肌が立つ。

明らかに、この世のものではない何かに触れるいつもの予兆。


とにかく寒い。凄まじい寒さ。

心の底まで冷えきるような絶対零度。

その寒さは、今現在でも体験したことがないほどの、凄まじい寒さだった。


そして何より、それらの感覚を上回るほどの──苦しい? いや。苦しさも通り越すくらいの“痛み”。

どんよりと、暗くねばついて胸にまとわりつく、痛み。

その絶望的な痛みが、無数の泣き声と共に、俺の身体を支配する。


鼓膜が破れそうだった。

言葉になってないが、確かに泣き声。

数えきれないほどたくさんの子供たちの、哀しげな、淋しげな、泣き声だった。


かなしい

かなしい

さびしい

さびしい

くらい

くらい

こわい

こわい

さむい

さむい

いたい

いたい

さむい

さむい

こわい

こわい

くらい

くらい

さびしい

さびしい

かなしい

かなしい


いつ果てるのか分からない泣き声のループ。


いつしか俺は、オルゴールを両手で抱え込んでうずくまり、泣きながら謝っていた。


ごめんなさい。ごめんなさい。

何もしてあげられなくて、ごめんなさい。

助けてあげられなくて、ごめんなさい。


何度も何度も。

何度も……。


「おにいちゃん。」

「フェンちゃん!」


不意に世界が戻った。


突然

あたたかくて力強い、ふたつの声に掴まれて、この世界に引き戻された。


「……じいちゃん…なんで…?」


顔をあげると、じいちゃんが俺の頭に九字を切っていた。

じいちゃんはにっこりと笑うと


「よかったフェンちゃん。ごめんね。気づくのが遅くなったね。でも、この子たちも悪気があってやってるんじゃないからね。怒らないであげてよ。」


と、俺の抱えていた小さな小箱を取って、そっと本尊の横に供えた。


「…怒らないでって……この子たち…?」


いまだ訳も分からずしゃくりあげながら泣いていた俺に、じいちゃんはゆっくりと昔を思い出すように話しだした。


「このオルゴールはね。あるこども病院の遺体安置所に置かれてたものなんだ。このオルゴールの持ち主の女の子のお願いでね。…もうその女の子は亡くなってるんだけど、とてもやさしい子だったそうだよ。入院している子供たちのお姉ちゃん的な存在だったそうなんだ。自分は余命まで宣告されていたのを知っていたにも関わらず、他の入院してる子供たちを、自分が亡くなる最後の最後まで励ましてたんだって。…その女の子が亡くなる前にね。院長にお願いをしたそうだよ。『もし、私が死んでしまっても、ここの子たちが怖がらずに旅立てるように、このオルゴールを安置所に置いて鳴らしてあげてください。怖がらないように、迷子にならないように、わたしが手をひいて守ってあげたいから。』ってね。」


……哀しくて、言葉にならなかった。

ただただ泣けてきて、申しわけなかった。

自分の力の無さに、なにもしてあげられないことが、情けなくて。


「フェンちゃんには見えただろう?

あの子たちがどんな場所に居るのかが。……怖かっただろう? 淋しくて苦しかっただろう? それが本当なんだよ。死んでしまったら、ずっとそのまんまなんだよ? その女の子は分かってたんだろうね。どれだけ怖くて淋しくて苦しい場所なのかって。だから、少しでも和らげてあげようと、安置所にオルゴールを置こうと想ったんだ。他の子たちを導いてあげるために。」


…あれは、死後の世界。

広大で、暗くて、果てしない、淋しさ。

子供たちがあんなところで、たったひとりきりなんて…大人でも、聖人でも、とてもじゃないけど耐えられない。


「預かる前には、もう音が鳴らなくなっていたんだよ。ほら。蓋を開けて見て?」


俺はおそるおそる蓋を開いた。


よく見ると、シリンダーにあるはずのドットが無い。

櫛歯の弁を引っかけて音を鳴らす為のドットが、磨耗してしまって無くなっていた。


「ね。それくらい、彼女はたくさんの子供たちを導いてあげて来たんだよ。もう、彼女を休ませてあげたいって病院の依頼で、私が供養を引き受けたんだよ。本当にやさしい子だね。地蔵菩薩のような子だ。」


──あの声。


あのとき、じいちゃんの力強い声ともうひとつ。

やさしい、あたたかい声が、俺を掴んで引き戻してくれた。

たぶん、その女の子だ。


「……逢ったよ…たぶん…。その子が俺を掴んでくれた。」


じいちゃんは、うんうんとにこやかにうなずいて、オルゴールに手を合わせた。


俺も起き上がり、じいちゃんの横でオルゴールに手を合わせて、ふたりで成仏の御経を供えた。





「やさしい者から、順番で神様は御元に召されるんだよ。」


カソリックの言い伝えにはある。


世界中で今、

この瞬間にも失われていく、この世界で生きるにはやさしすぎた子供たちの魂に、いつも彼女は寄り添っているんだろう。


大丈夫だよ。ひとりじゃないんだよって。

迷わないように、手を引いて、連れて行ってるんだろう。



オルゴールの音を聴くと

今でも想い出すんだ。


とても哀しくて

世界でいちばんやさしい彼女のオルゴールを。



どうかみんな、やすらかに。




Love finfen.





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